17、目が覚めて
ここまでのあらすじ
ロベルティーナは婚約から婚約破棄までの半生を夢に見ていました。
ロベルティーナは息苦しさと己のうめき声で目覚めた。
見知らぬ天蓋をじっと見つめて、気づく。
ここはアイビー・コテージだ。
枕がじっとりと湿っていれば、寝る前にしっかりと被ったはずのナイトキャップはどこかへ消えているし、ぴんとのりのきいていた枕カバーには深い皺がついている。
心臓が不穏に脈打ち、嫌な汗が頭痛を呼び込んでいた。
それにしても、なんと鮮明な夢だったろう。
したくもなかった追体験に眠った気がしない。
嫌な記憶ーー誰からも捨てられた夢を見たのは、ルフェルに打ち明け損ねたからだろうか。
昨夜はあのあと結局話せずじまいだった。
具体的には、ルフェルに見守られながらシルザ夫人がこしらえてくれたパンがゆをいただき、
「今日はもうおやすみなさいまし」
と気を利かせた祖母により、孫は空の食器ごと連れて行かれてしまった。
「おやすみ」
と閉まる扉の隙間から放り投げてくれたルフェルの碧の瞳が名残惜しそうにしていた。
でも、きっとわたしの思い違いだわ。
わたしが勝手に、子どもみたいに淡い初恋ーーあのきらきらとした思い出を温めただけなのだから。
でも。
ロベルティーナは濁る頭でぼうっと考えた。
ルフェルの驚いた顔がありありと思い出される。
厳しさを湛えていた凛々しい眉が持ち上がり、少年時代そのままの甘い目元が何か言いたげに、あるいはロベルティーナの顔に答えを探すかのように震えているのも間近に見た。
困惑にひくついた高い鼻が徐々(じょじょ)に近づいていたようにも思う。
あのまま、話していたらどうだったのかしら。
わたしの半生を、境遇を、現状を。
それから、あのまま、二人でいたら……。
「違う違う、考えない考えない」
ロベルティーナは長い金髪を体に巻き付けるようにして寝返りを打ち、枕に顔を擦りつけた。
ルフェルの淡く開いたくちびるなんて考えてないわ。
しきりに二度寝を試みるも、うまくいかない。
そしてとうとう、からからに乾いた喉を潤したくなって重たい頭ごと上体をゆっくりと起こした。
ため息に胸を膨らませた拍子に、ロベルティーナは甘い香りを嗅ぎ取った。
枕元を見ると、ドライハーブが吊るされている。
ラベンダーだ。けれど、これではない。
ロベルティーナは導かれるようにして靴を履き、丸テーブルに近寄った。
これだ。生けられているこの花の名前をなぜか知っていた。
ハゴロモジャスミン。
アイビー・コテージをくるむ蔦たちの仲間で、緑の家に白い彩りと甘やかな芳香を添えている。
花言葉は……。
「優しい愛……」
祖母か、孫か。
いずれかは知れないが、小さな心づくしに令嬢の心がじんわりと温かくなった。
目頭がつんとする。
この苦い真実をいつ伝えたものか。
ここまでの言動を見るに、ルフェル同様、シルザ夫妻も真実を知らないだろう。
素晴らしい朝を濁すようで悪いが、伝えなくては。
できるだけ早いうちに。
身寄りをなくしたロベルティーナがアイビー・コテージを終の住処とすることを。
いや、それとていつまで続くかはわからない。
すべては父ジュードの気持ち次第である。
リュスティック村一帯はロザリンド家の領地で、すなわち父の所有物なのだから。
陰鬱な気分を清めたくて軋む窓を開け放つと、青い風が緑の匂いを部屋に運び込んでくれた。
少しの湿っぽさに朝露の気配を嗅ぎ取った鼻先を、思わず空へ向けた。
ゆったりとほぐれていく白雲のまにまに淡い水色が見え隠れして、その下で生い茂る草木は濃いも淡いも思い思いに体を傾け空を仰いでいる。
窓枠はそれらを切り取る額縁のようだ。
と、窓の下を見下ろすと、アイビー・コテージの斜向かいにある離れの扉が開いた。
あそこはシルザ夫妻の住まいだ。
だが、扉から出てきたのはドクターバッグを持った小綺麗な身なりの紳士だった。
誰かしら。
ロベルティーナは息を潜めた。
寝起きで身だしなみが乱れていて、特に毛先だけがくるくると渦巻く金髪は絡みあって団子になっている。
寝巻きから着替えてもいなければ顔だって洗っていない。
見つかっては恥ずかしい。
それにしても、初めて見る男だ。しゃんとした立ち姿にチェックのスーツがよく似合う。歳の頃は父よりも若そうである。
「先生。朝っぱらから申し訳ないね」
続いて現れたのはシルザ氏だ。
ルフェルも戸口から顔を出している。
「構いませんよ。ルフェルくんとすれ違わずよかった。では、お大事に」
屋内に戻るシルザ氏と、丸い帽子を頭に乗せて会釈し畑を囲う道をなぞって去る紳士を、ロベルティーナは目をぱちくりさせながらそれぞれ見送った。
何かあったのかしら。
令嬢が小首を傾げたのと、庭師がこちらを見上げたのはほとんど同時であった。
ルフェルと目が合うなり、ティーナはささっと髪を撫で付けた。
「おはよう!」
少し掠れたが、自然で堂々とした声が出せた。平静を装えただろうか。
日向でルフェルの銀髪がまばゆく発光している。
「何かあったの?」
「〈魔女の一撃〉だ!」
青々とした畑の真ん中でルフェルが声を張り上げた。
「なんですって?」
「だから、〈魔女の一撃〉! ばあちゃんが腰をやったんだ!」




