幼なじみ以上恋人未満
それは、この年頃なら必ず話題にのぼるもの。
だけど私は、問いかけられるその時まで、この関係に疑問を持ったことなんて一度もなかったんだ。
『綾美ちゃん、幼なじみの和真くんとはどんな関係なの?』
どんな関係ってなに?
幼なじみだって言ってるじゃない。
『だって、ただの幼なじみにしては仲良しすぎない?』
なにそれ。
全国の幼なじみの仲良し率の統計でもとった上での発言なわけ?
私が和真と親しいからって、あなた達には関係ないでしょう。
『それがそうもいかないの。…和真くんね、女の子にけっこう人気あるんだよ?だけど隣にいつも綾美ちゃんがいるから、近づけないの』
知ってた?、と嫌味混じりに返されて、私は頭をトンカチで殴られたような衝撃を味わった。
いや、ほんとにされたら死んじゃうけど。つまりはそれぐらい考えつきもしなかった話だったってこと。
そうか、思えば私達、あの頃より随分大人になっちゃったんだね。
二人きりでいることが当たり前で、それをただ微笑ましく見守っていてもらえる時代はとうに過ぎてたんだ。
私の存在が、和真の邪魔になってるなんて思いもしなかった。
しかも、恋愛事情で。
くそぅ、和真のくせに和真のくせに和真のくせにぃっ!!
「気づかなくてごめんなさいね!これからはなるべく近づかないようにするから。どうぞご自由に、和真と仲良くしてあげて?」
私はこめかみを引きつらせながら和真のファンたちに捨て台詞を吐くと、訳の分からないむかつきのままに教室を後にした。
*****
「……ぁや、……ぁ」
ひとりになると、余計に腹が立ってきた。
なんで和真ごときのせいで、私が女子達になじられないといけないのか!
「ぁや、ぁ……あ…ゃ」
だいたいあんなやつのどこが人気だっていうの!?
この間まで生徒会長で!
定期テストでは必ず上位三位以内をキープして!
ルックスは黒髪黒目も凛々しい、日本男児。
…あれ?あれれ?
粗探ししてやろうと思ったら、和真ってば実はかなりの優良物件?
そんなバカな!
「…や!あーや!」
「だああぁぁっ!なんなのよ、さっきからうるさいなぁ!誰よ、そのあだなで呼ぶやつは!?」
「俺しかいないだろぉ…」
「か、和真!」
考えごとの最中からずっと聞こえていた呼び声は、当の幼なじみだった。
思えばそのあだなをつけたのは和真だし、使うのだって彼しかいない。
そのことが『ただの幼なじみ』ならぬ親しさを感じさせて、先程の一件が頭をもたげる。
「たく、何回呼んでも気づかないんだもんな」
散々無視された和真はかなりご機嫌ナナメ。
あれ、そういえば今頃はいつも生徒会のはずなのになあ。
「ごめん、考えごとしてて。それより生徒会はどうしたのよ、会長さん」
何気ない質問だったのに、和真は眉間に皺を寄せて深い深い溜め息をついた。
「なにを寝ぼけてるんだよ。もう5月だぞ?新しい会長も選出されたじゃないか。…だからこれからは、前みたいに一緒に帰ろうって約束しただろ?」
すみません、すっかりさっぱり忘れてました。
だってまさか女子に囲まれて、和真との仲に文句つけられるなんて思いもよらなかったんだもん。予想外の出来事に頭がいっぱいで、うっかりしてたわ。
「迎えに来てくれたんだ、わざわざありがと」
これまた何気なくお礼を言えば、和真はなぜか赤くなってそっぽを向いた。
「べ、別に礼を言われることじゃない。…一緒に帰りたかったし」
「え、なあに?」
聞き取れなくて聞き返せば、『なんでもない!』と焦った声。
昔からこんなやり取りがよくある。絶対なにか言ってるはずなのに、言い直すのは断固拒否される。しかも顔は毎回茹で蛸のように真っ赤っか。
不思議な癖があるよね、和真。
和真と私の両親達は、数十年来の親友の間柄。
お互いの家を隣同士に建てちゃうんだから、相当の熱い友情。おまけに四人共が同じ病院に勤務してるんだから、もう規格外の絆よね。
親の仕事柄、放置されがちな私達二人は、幼い頃からその状況を冷静に受け止めて日々を過ごすようになった。
その頃まだ健在だった私の祖父母に二人で教えを乞い、両家の家事は二人で協力してこなし、それが終わってからでないと遊ばない。だからいつも私と和真はワンセット、ひとりでいると必ず相手の行方を心配される。
二人でいることが当たり前で、周囲の人々にとってもそうだったはずなのに。
一生それが続く訳じゃないなんてこと、この年頃になればわかるはずなのに。
迂闊だったなぁ…。
自宅に帰る道すがら、私の右手は和真の左手に繋がれている。
『迷子にならないように』と、ちっちゃな頃からの決まり事が高校生になってもきっちり守られている証だ。
こういうところが、ただの幼なじみじゃないんだよねぇ?
今まで何の疑いも抱かなかった行為が、指摘を受けてから気になって仕方がない。
ねえ、和真はどう思ってるの?
今だって、当然のように私の手を握ったのは和真の方からだよ?
他の女の子に見られても平気なの?
自問自答のループに耐えきれなくて、ここは本人に訊くのが一番だと決心する。そうだ、何を躊躇う必要がある。
私と和真の仲じゃない!
「和真。…今さらだけど、手を繋ぐのって恥ずかしくない?」
私の問いかけに振り向いた和真は数秒硬直し、やっと言葉を理解し終わったのか、突然あわあわと動き出した。
「え、な!い、いきなりなにっ?」
一気に挙動不審になった和真を見て、私もつられて戸惑う。
「いや、あの!だって普通の幼なじみは、さすがにこの年になったらしないでしょ?」
「だ、だって昔からしてることだし。それに俺は知らないもん、他のやつらのこと」
なるほど、比べる対象がいないから、自然か不自然かの判断も出来ないと。これは是非とも、全国の幼なじみの統計を本気で調べて欲しいものだ。
なんてちょっと真剣に考えていたら、和真が不安そうな表情で訊いてきた。
「あーや、手を繋ぐの嫌になったのか?」
そう来るとは予測していなかった私は、すぐに答えてあげられない。すると和真は何を誤解したのか、謝り始める。
「ごめん!昔と違って、俺の手ごつごつしてるもんな。握り心地悪いんだろ?」
いや、むしろ昔と比べものにならないくらい大きくなったせいか、もの凄く頼りがいのある手で安心できますけど?
そう言おうかと思ったけど、盛大な勘違いをしている和真が面白くて、とりあえず保留。
気にしてるわりに、繋いだ手を離そうとしないことも微笑ましい。
「…もし嫌じゃないなら、このままでもいいか?ほら、万が一にも迷子になるかもしれないし!」
通い慣れた通学路で迷う方法があるなら、それこそ教えてもらいたいけどね。
「それに…、俺が手を繋いでおきたいし」
またしても和真の変な癖?夕陽のせいでいつものように顔が赤いのかどうかはわからないけど、今回はちゃんと聞こえたよ。
だけどそれって、どういう意味なの?
*****
あれから。
和真のファン達に宣言した手前、私からはなるべく近づかないように気をつけていた。
だけどそんな裏事情を露知らぬ和真はいつものように、いや、むしろ私からの行き来がなくなった分を埋めるかのように会いに来る。
悪くない、私は悪くない!だって向こうから来ることについてはノータッチだもん、私。
だけど私の存在減少の効果があるのか、和真が女の子に囲まれているのも度々見かけるようになった。和真もまんざらでもない様子だし。
これで彼女でも出来たら、いわゆる『ただの幼なじみ』になれるのだろうか?
ちくん、と痛んだ胸のことは、深く考えないでおこうと思う。
「谷野さん」
彼に呼び止められたのは放課後のこと。
たしか、隣のクラスの新藤くんだったかな?
来週に迫った和真の誕生日プレゼントを買う予定だったので、今日は一緒に帰る約束はしていない。誘われるままに辿り着いたのは、校舎裏だった。
頭中ハテナマークだらけの私に告げられたのは、またしても予期せぬ言葉。
「前から気になってたんだ、よかったら付き合ってくれない?」
……。
………は?
なんだなんだ?最近予測不可能な展開が多すぎない?生まれてこの方、愛の告白なんてされたのは初めてだ。まさか、ドッキリ!?
「もしかして、いきなりすぎて驚いてる?」
的確な指摘に、私はぶんぶん音が鳴りそうなほど首を振る。新藤くんははにかみながら説明してくれた。
「…最近、高嶺と距離置いてるよね?今まではベッタリだったから、谷野さんは高嶺のものだと思ってたんだけど、もしかしたら違うのかなぁって。僕にもチャンスあるかも、って」
谷野さんを狙ってる男子、わりといるんだよ?高嶺さえいなければ、引く手数多だと思うな。
彼はそんな衝撃事実をさらっと付け加えてくれた。
「それで…、どうかな?返事を聞きたいんだけど」
そう催促されて、これはいい機会なのかもしれない、と自然に思った。私にとって『男の子といえば和真』で事足りてしまう狭い世界を壊すのにちょうどいい、と。
もうそろそろ、幼なじみ離れをしなきゃいけない頃合いらしいから。
「うん、いい…」
ヒュンッ!
私の承諾の返事は、物体が風を切り裂く独特の音に一刀両断されてしまった。
私と新藤くんの間の地面に深々と突き刺さったそれは。
「「し、竹刀…?」」
思わず新藤くんと台詞が被ってしまうほどの珍妙な光景に、二人で呆然としてしまう。
そして、そんな困惑を招いた胴着姿の張本人は、ゆったりとした足取りで登場した。
「…悪い、悪い。素振りの指導をしてたら、…竹刀が飛んじゃってさぁ…」
そういえば何気に段持ちの和真は、たまに剣道部からお呼びがかかるらしい。私と一緒に帰らないならと、その分汗を流すことにしたのだろう。
だけど、にこやかに微笑んでいるはずなのに、和真の背中から真っ黒なオーラが立ち上っている気がするのは私の幻覚でしょうか?
「…よう、新藤じゃん。ケガ、なかったか…?」
一語一句腹の底から吐き出すように喋る和真に迫られて、哀れな新藤くんは一目散に逃げ出した。
あ、ずるい!置いてかないでよ〜!?
まれにみる和真の剣呑な雰囲気に逃走を試みた私だったが、新藤くんに向けられていたはずの大きな手のひらに肩を鷲掴みにされて捕らわれた。
ひぃ〜!ごめんなさぃ〜!!
よくわからないけど、とりあえず謝ろうとした私に聞こえたのは、和真の苦しげな呟きで。
「…たく、なにやってんだよ。あーや」
余りに力ない口振りに和真をまじまじと見つめれば、今にも泣き出しそうに目元が赤く染まっていて驚いた。
「ちょ!ど、どしたの」
てっきり怒りの表情かと構えてたのに、その不意打ちはずるいんじゃない?
なんだか胸がドキドキするじゃない…。
「どうしたの、じゃないだろ!こんな人気のないところに連れ込まれて、何かされたらどうするつもりだったんだよ!?」
な、何かってなに?
「……返事、どうするつもりだったんだ」
え?…聞いてたの?いったいいつからいたのよ?
「返事だよ、返事!まさか…、まさか受けるつもりじゃなかったよな?」
長年の付き合いの私でさえ戸惑うほどに、和真は怒ったり悲しげにしたり、ころころ表情を変えて私に詰め寄る。
まるで、昔の弱虫和真に戻ったみたいだ。
私が傍にいないと不安ですぐ泣いてた、あの頃の和真に。
今でも、私がいないとダメなんだって思ってもいいのかな?
仲良しすぎる幼なじみのままでも、和真は私を『邪魔』だとは思わない?
「返事ね、受けようかなって思ってた」
「なっ…!?」
「でもね、でも」
そのあとに続けようとした言葉を、和真は最後まで聞いてはくれなかった。
私から一歩ずつ後退ると、信じられないものでも見たような顔で吐き捨てる。
「最悪、だな…」
和真のそんな瞳、初めて見たよ。
悔しくて、やるせない、そんな瞳。
「俺との約束はどうなったんだよ!?俺が、俺が今までそれを守るためにどれだけ…」
私は何も言えなかった、和真が指す約束さえわからなかったから。
喉を詰まらせて、震える声音でやっと和真が残したのは、ひとこと。
「絶交だ、あーや…」
私は、何も、言えなかった。
*****
「和真!夕ご飯、テーブルに置いてるからね」
部屋の扉越しにそう声をかけるけれど、やはり返事はない。
和真の絶交宣言から、5日が経っていた。時間が合えばいつも一緒にとっていた夕食の席にも、あれ以来姿を見せてくれない。もちろん学校でも、まるで他人のような振る舞い。
正直、辛かった。
幼なじみでさえいられないことが、こんなに孤独だなんて。自分で自覚していたよりも、もっとずっと、和真に依存している自分に気づいてしまった。
こんなことになるなら意地なんか張らないで、『仲の良すぎる幼なじみ』を受け入れていればよかったのに。
はあ、私ってバカだな。
後悔している内に、いつの間にか和真の誕生日当日になってしまっていた。
この日を一緒に祝わなかったことなんて一度もない。今年は祝えないなんて、絶対嫌だ!
和真を傷つけた理由はいまいちわからないけれど、謝らなければ一生このままかもしれない。
そんなの、そんなの絶対に嫌だから!
私は家で和真を待つために、慌てて教室を飛び出した。
だけど。
「谷野さん、待って!」
いつかの再現。
呼び止めたのは、新藤くんだった。
「ごめんね。…あの、この前の返事を聞きたくて」
そういえば和真が乱入したせいで、結局何も言ってあげられなかったんだっけ。
思えば、あの時の和真も随分タイミングの良い現れ方をしたものだ。いくらうっかりしちゃったとしても、竹刀をあんな場所まで放り投げちゃうなんて普通じゃあり得ないよね…。
…?
…なにか、おかしい?
ちゃんとお断りしようと、新藤くんに導かれるまま前回の校舎裏まで歩く。
その間も、違和感が頭から離れない。
あの時の和真の登場が偶然でなく、故意なのだとしたら?
だとしたら、和真をそうさせた理由は、なんなんだろう?
「谷野さん、この間のことで高嶺とケンカした?」
「え?どうして、知ってるの?」
「そりゃあ、二人を見れば一目瞭然だし。…やっぱりあの時邪魔しに来たのは、嫉妬かな」
嫉妬?
嫉妬って、和真が私に?なんで?幼なじみに彼氏が出来たら、先を越されたみたいで焦るからかな。
そんな風に首を傾げたら、新藤くんは目をぱちくり瞬かせた。
「…谷野さん、ほんとにそんな風に思うの?」
心底驚いたように訊かれても、私にはその真意がわからない。本気で戸惑っていると、新藤くんは苦笑いを漏らした。
「ちょっと高嶺に同情するかも。…ねえ、高嶺があんなことした理由、俺が教えてあげようか」
「う、うん」
説明してもらえるならありがたい。
でも新藤くん、ただ話すだけでそんなに近づく必要はないんじゃないかな?顔がくっつきそう…。
思わず両手で胸を押し返そうとしたその瞬間。
上空から、何かが降ってきた。
重量のある音を地面に着地させたかと思えば、こちらをキッと睨みつけるその顔。
「か、ずま…?」
慌てて校舎を見上げると、二階の窓から数人の生徒が驚いた表情でこちらを見下ろしていた。
絶対あそこから降りたんだ!し、信じられない…!
二度目の予期せぬ登場に、またしても唖然としてしまう私達。
和真はそんなことはお構いなしに、高所からの着地などものともしない確かな足取りでこちらに歩を進める。
ひしひしと伝わる威圧感のせいで身動き出来ない私の肩を掴むと、新藤くんとの間に割り込んだ。
和真の大きな背中のせいで、新藤くんの姿は見えづらい。
「……あーやは、俺のものなんだ。今後一切手を出すな」
刺々しい口振りで牽制したかと思えば、ポケットから紙切れを取り出して、新藤くんの目前に掲げる。
「これが、その証拠だ!」
示されるままにそれに目を走らせた新藤くんは軽く目を見開いた。次に私と和真を交互に見、そして納得したのか、深く頷く。
「なるほどね。高嶺、今日が誕生日なんだ?おめでとう。…谷野さんも、おめでとう」
へ?
和真はわかるけど、なんで私まで『おめでとう』なの?
「間接的にだけど、返事はもらえたからもう行くね。…高嶺、谷野さんがそれにサインしてくれるといいね?」
私に疑問を植え付けた新藤くんは、さらに不可解な台詞を残して微笑みながら去っていった。
その答えはきっと和真が手にしている紙切れにあるに違いない。私は新藤くんの後ろ姿を見つめている和真の隙をついて、それを取り上げた。
「わ!ダメだって、あーや!」
「なにがダメなのよ!気になって仕方ないでしょ!」
和真に取り返されない内に確認してやる!と意気込んで、じっとそれを覗き込む。 だけどその紙の正体は、一見しただけで悟れるもので。でも、だからこそ、余計に困惑する。
だって、これは。
「婚姻、届…?」
ご丁寧にも和真の名前はもちろん、保証人の欄さえ埋められている。真実、あとは私のサインさえあれば、すぐにでも夫婦になれるはず。
新藤くんの祝福の言葉の意味はわかったけど、なにがどうなってこうなったのか全くわからない。説明を求めて和真を見上げると、不機嫌最高潮の表情だった。
あ、そういえばケンカ中だった…!そうだ、とりあえず謝らなくちゃ!
「和真、ごめん!」
精一杯頭を下げて和真の反応を待っている私に放り投げられた言葉は。
「それ、『なに』に対して謝ってる?忠告したのにまたこんな場所で男と二人っきりになったこと?…それとも、俺との約束を忘れてること?」
ものすごく責められてる気がして頭が回らず、答えを出せない私に我慢出来なくなったのか、和真は頭をがしがしと掻いて大きな溜め息をついた。
「ああぁ〜…、わかったわかった!あーやはタチの悪い超鈍感なんだった、幼なじみのポジションにあぐらをかいて油断してた俺が浅はかだった!」
打ちひしがれてる和真が見ていられなくて、その原因が自分にあることだけ理解した私には、ただ謝ることしか出来なかった。
「ごめんね…」
「……悪いと思ってるなら、さっさとこれに名前を書け」
これ、とはもちろん例の婚姻届だ。さすがに躊躇する私に、和真はとつとつと語り出す。
「五歳の時のおままごとで、約束しただろ俺達。『大人になったら結婚しよう』って」
……。
……はぁ?
「ご、ごめん覚えてない。だってそれ、おままごとの台詞でしょ?そんなの子供なら一度は口にするもので…」
あまりに子供らしい口約束に拍子抜けした私が言い訳しようとすると、和真は顔を真っ赤にしてそれを遮る。
「わ、わかってるよ!でもそれに気付いたのはつい最近で…。俺はずっと信じてたんだ、あれがれっきとした将来を誓い合う約束だって。あの頃の俺はあーやに庇われてばかりの弱虫だったけど、その約束を交わした時から、『これからはあーやを守ってやれる頼りがいのある男になるんだ』って決意して努力してきたんだ」
そう告白されて、小学校に上がった頃からの和真の豹変ぶりを思い出す。いつだって私の後ろにいた和真は、気づけば常に私の前を歩くようになっていた。
それが嬉しいような寂しいような、そのままどんどん先に進んでしまって疎遠になるのかと不安で一杯の私のそばに、だけど和真はずっといてくれたから。
私はずいぶん安心したんだ。
「もっと早くに、あーやの気持ちを確かめるべきだった。だけど、拒絶されて幼なじみでさえいられなくなったらって思うと、出来なかった…」
ごめんな、と一言。
何が?と訊ねると、俺があーやを独占してたせいで、恋もしたことないだろう?新藤の時みたいにずっと邪魔してきたから、と苦笑い。
「しばらく、距離を置こう。…フラれたのにいつも通りに出来るほど、俺は強くないからさ」
そう言って、頼りなげな笑みで背中を向ける。
いろんなことが突然過ぎて、私は引き止めることも出来なかった。
釈然としない気持ちのまま家に帰り着き、ベッドに仰向けになって、和真から奪ったままの婚姻届を改めて眺める。
どんな気持ちでこれにサインしたんだろう、とか、親もグルか、とかとりとめもないことが思考を流れる。
距離を置く、ってどういうことだろう。
考えたくなくて意識的に放置してたけど、胸の真ん中に重石のように載ったままで苦しくて仕方ないそれ。
一日の大半、寝る以外の時間のほとんどを毎日のように共に過ごしてきたのに、どうして今さら離れるなんて言うんだろう?
だいたい、和真は私の気持ちをちゃんと聞いてくれてないじゃない?子供の時の約束を忘れてたからって、どうしてフッたことになるの?
和真のことは、大切でかけがえのない存在だって胸を張って答えられる。
だけど、それが『恋愛感情』なのかどうかがわからない。
だって恋したことないんだもん。
だったら。
だったら、恋を学ぶ機会を阻止してきた本人が、責任持って私にそれを教えるべきじゃない…?
うん、そうだ!
責任は、ちゃんと取ってもらわなくちゃ!
*****
最後に、和真の好きなチョコレートのバースデーケーキをテーブルの真ん中に置いて、準備はすっかり整った。
あとは主役を待つだけ。
と、タイミングよく玄関の扉が開く音。
高嶺家の間取りでは、自室に上がる階段が居間に入らないとないため、確実に目前のドアを開けるはずだ。
頃合いを見計らってクラッカーの洗礼を浴びせれば、そこには心底ポカンとした和真がいた。
「誕生日おめでとう!!」
「あ、ありがと…え?なんで…?」
笑顔で出迎えれば、和真は未だ状況を把握出来ていないようで、オロオロしている。
「毎年誕生日はお互いの好物を作ってパーティーをするのが恒例でしょ?なに驚いてるの?」
「う、うん。確かにそうだけど…」
腑に落ちない様子の和真を椅子に座らせて、オレンジジュースをグラスに注いであげる。お祝い事のある時にしか買わない、無農薬栽培の地方名産品種のみを使用した高級品だ。
単純な和真が目をキラキラさせて心を奪われている隙に、テーブルの上にあるものを置いて、一言。
「これ、誕生日プレゼント」
「……ぶふぉっ!?」
せっかくのジュースを盛大に噴き出して、和真は慌てて私とソレを何度も見比べて確認する。
「ど、どういうこと」
「婚姻届、サインしといたよ?」
「な、な、な、な…」
口をパクパクさせるしかない和真を見て、思わず笑ってしまう。
だけど言うべきことは言わなければ、と思い直して、表情を引き締める。
「ほんとはね、少し前から疑問に思ってた。私達、ただの幼なじみにしては仲良すぎるかも、って」
和真のファンに詰め寄られて、あの時初めて、私は和真との関係を見つめ始めた。親しすぎるのがおかしいんだって思ったけど、そうじゃないよね。
「こんなにもそばにいて、お互いを大切な存在だって認め合ってるのに、『幼なじみ』のままでいようとしてたのが変だったんだよ」
私達二人とも、勇気が足りなかったね。心地良い安定した関係を壊すのが怖くて、ずっと足踏みしてたんだ。
だけど、和真が先に進もうと決意してくれたから。
私も、その手をとって歩いていきたい。
「和真、私に教えてよ。和真に対するこの気持ちが、『恋』なんだってこと。今まで学習するチャンスを奪ってきたのは和真なんだから、責任取ってよ」
一生、かけてもいいから。
私の、今出来る精一杯の告白。
和真はしばらく固まっていたけど、ようやく私の言葉を咀嚼したのか、ぎこちない動きで頷く。
「う、うん。頑張る!絶対俺のこと好きなんだってわからせるから」
いつものように顔を紅潮させた和真は席を立つと、私の手を掴んで引き寄せる。
「…絶対、俺が幸せにするから。幼なじみ以上の関係になって良かった、って思わせるから…」
少し躊躇ったあと、和真は私をその胸の中に包み込んだ。
耳元に和真の吐息が当たって、鼓動が早まる。
「その、その…。ちゃんと言ってなかったけど」
和真の心臓、大変なことになってる。
触れ合った部分からどんどん私にまで熱さが伝わって、こちらまで緊張する。
「あ、…ぁ…こほん」
和真って照れ屋だよね、恥ずかしい台詞を言う時に必ず赤くなっちゃうんだね。
やっと、わかったよ?
「愛してる、あーや…」
最大級に恥ずかしい告白を口にして気力が尽きたのか、和真は私にもたれかかってくる。
「こら。重い…」
「ご、ごめん」
ゆっくり体を離した和真は、何かもの言いたげな視線でこちらを見つめる。
な、なんなの?
まさにもじもじという形容が相応しい動きから飛び出したのは、かわいいおねだりで。
「…キスとか、しちゃ…、ダメかな?」
そういう行為に全く免疫のない私は思わず硬直してしまったけど、ここは主導権を握らなければいけないと奮起して、和真に睨みを利かせた。
「……和真クン?婚姻届には確かにサインしたけど、これは私が『恋愛感情』を自覚するまで預かっておくから。つまり、和真はあくまでも恋人『候補』!……もしかしたら、一生役所に提出しないまま終わることもあるかもしれないからヨロシク。そういうことがしたければ、早く私を恋に目覚めさせてね?」
それを聞いてわかりやすく落ち込む和真は、見ていてかなりおもしろい。ふふ、クセになりそう。
だけどせっかくの誕生日だから、ほっぺにちゅうくらいはしてあげるよ。
そう思っていじけてる和真の頬に唇を寄せたら、どうやら和真の指す『キス』はその『ほっぺにちゅう』のことだったらしく。
自分が言ったにも関わらず羞恥心が限界を超えたようで、その夜は目も合わせてくれなくなった。
ちょっとちょっと。
もしかして私よりも、和真の方が恋愛に関して問題アリなんじゃない?
前途多難な二人の恋路が心配になったけど、今までのようにのんびり育んでいけばいいかとも思う。
時間は、これからの人生分あるのだから。
ね、和真?
fin.
第二作目、投稿いたしました!
今回は、『ヘタレ男子』がテーマです。
うまく書けた気がしないですが…(汗)
楽しんでいただけたら幸いです。
ではでは。