樹衣の怒り
何を今更そんなことを言っているのか。護衛を利用している以上、そのくらいのことを理解していると思っていた。
「はい、モノです。そもそも、わたしは顔と舞、武術以外、何も取り柄がないただの捨て駒ですので」
自分で言ってみて、意外と取り柄があったな、なんてことを考える。これはきっと樹衣さまからの怒りに対する現実逃避なんだろうな、という呑気なことを考える。それすらも現実逃避に感じてしまうほどに、今までの樹衣さまとは違い過ぎて少し怖い。
「馬鹿者、愚か者!俺にとってのお前の価値を知らないからそんなことを言う!」
は?馬鹿者、愚か者?皇族だからと言ってそんなこと言って良いと思ってるのか?そんな言葉は理性で心の中に押し止める。ここで怒鳴りあってなんになる。そうだ、落ち着け、美美。
「わたしの価値は分かりません。心配してくれているのは嬉しいですが、そんな言葉で伝えるのは違うと思います。ご無礼を。叩くなり殴るなりなさってください」
あくまで淡々と。恋人だからと言って無礼を許していては贔屓になってしまう。そんなことをする人間は善き為政者になれないのは明らかだ。姉貴分の幼なじみとして東宮としての教育をすることもあると、母親代わりの風鈴様に言われたことを思い出した。これも教育。それと共にわたしの中にこれ以上入って来るなという意思表示でもある。
「……分かった。叩かせてもらおう」
自分で叩くなり殴るなりしろと言っておいて、面と向かって叩くと言われると不快感が半端ない。でも、自分で言った以上、素直に受け入れるしかない。そう決意して立ち止まるり、彼の方を向くと、樹衣さまの掌が左頬に飛んできた。思わず目を瞑ると、頬にそっと手が添えられた。
「なんて、できるわけないだろう?」
耳に入ってきた声は、優しくて。彼を拒絶したわたしには、相応しくなくて。頬を空知らぬ雨と呼ばれる涙が伝った。
○○○
「うむ。そうか。分かった。ありがとう」
うん?誰の声?ありがとうって、何が?というか、ここどこ?わたしは目を開く。視界に飛び込んできたのはきれいな顔を歪めた督羅さんの心配そうな顔だった。それと同時に、目元が腫れているのを自分で感じ、恥ずかしくなる。そして、急いで両手で目元を覆う。その衝撃のせいで目がもっと腫れそうな気がしたが、そんなの考えていられない。自分が人前で泣いて挙げ句の果てに疲れて寝たなんて、笑える。
「ああぁ~~~~!!」
わたしは寝台の上で大声で悲鳴をあげる。ものすごく恥ずかしい。言葉では表せないくらいに恥ずかしい。完璧なできる侍女を演じているつもりだったのに!
「ミ、美美さん。落ち着いてください。恥ずかしいのはわかりますけど!」
督羅さんの制止の声でさえ、今のわたしには届かない。わたしって、こんなに慌てることがあったんだと、今更ながら気付く。
「美美、宿の他の客人に迷惑がかかる。恥ずかしいなら枕に当たれ」
聞き慣れた美声。それは先ほどわたしが傷付けた人のもの。この人が乞えばどの女性も受け入れるはずなのに、わたしだけを選んでくれた人。わたしなんかを。
「………樹衣さま」
「なんだ?」
「……!」
涙声になってしまったわたしの横に樹衣さまが座り、ポンと頭に手を乗せられる。その重みが、彼にとってのわたしの価値を表しているように思えて。今日はやたら涙もろいわたしは、樹衣さまの胸の中でもう一度泣いた。落ち着いた頃に、樹衣さまは仕事の処理があるので部屋から出ていった。後には目元を真っ赤に腫らしたわたしと少し呆けた顔の督羅さんが残った。
「その……えっと、緑の宮とは……どういうご関係で?」
おもむろに切り出したのは督羅さんだ。そりゃあ、不思議に思うのも無理はない。だって、東宮の一侍女風情が東宮に抱き締められながら泣いてるんだからなあ。間に何かあるのではないかと勘繰るのも無理はない。
「恋人です。元幼なじみの」
わたしは包み隠さず話す。ここで隠す理由はない。でも、そう言った瞬間、督羅さんの頬がボッと赤く染まる。
「そ、そう、なんですか。こ、恋人……」
やっぱりお年頃の娘さんは恋に憧れるものだよね。わたしはそんなことを考えながら微笑む。
「別に、ろくなことありませんよ。面倒事を寄越されて、めんどくさい人だと思ったら変なところで優しさを見せられて。世の少女が憧れるような東宮像ではありません」
「でも、良いじゃないですか、愛されてて」
督羅さんの悪気の欠片もない言葉に、今度はわたしが赤くなった。
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