王の居ぬ間に キュー商会の災難と王妃の逃走
キュー商会のコペンハーゲンでの評判はうなぎのぼり、ブルジョア階級と新興貴族達の羨望の眼差しとなり、旧貴族達ですらお忍びで訪問するほどだった。
そんなある暗闇の夜に事件は起こる。
コペンハーゲンの夜。
そこには何も存在しないかのように沈黙と月のない漆黒の闇が支配していた。
昼間は多くの市民と外国人で賑わうはずの繁華街には浮浪者すら姿がなく不気味なまでに静まりかえっている。
全てが静止したそんな世界がそこにあった。
その中で沈黙を稲妻がきり裂くように、土を勢いよく蹴る蹄の駆ける音と土埃が突如として現れる。
ヒヒ~~~~~~~~ン!!
ヒヒ~~~~~~~~ン!!
ヒヒ~~~~~~~~ン!!
馬だろうか?
嘶きが響き湿った冷たい空に放たれる。
その後に広がった分厚い灰色の雲の隙間から僅かに薄く月あかりが照らされた時。
その瞬間に漆黒の闇は黒い灰色に変わると、目にも見えないほどの速度で走る2つの影が浮かびあがった。
馬に跨った全身黒ずくめの男はこの闇夜と黒ずくめの服装で顔はわからない。
激しく馬の尻を鞭で何度も叩いては、風の様に駆け抜けていた。
まさに突風の如く。
その彼らの来た道の更に向こう側に紅、朱、黄色の眩しいくらいの光が黒いインクに撒き散らす様に強い光が激しく揺れていた。
それは日の出の輝くと見まがうばかりの金色の輝きだ。
黒のキャンパスに突然現れたそれらの色はみるみるうちに横へ上へとどんどん広がって辺りを煌々と染めていった。
そんな不穏な光景が広がっているとも知らず、私は今宮殿の王妃の寝室に寝台に身体を預ける事もなく一人窓辺のガラス窓に持たれて、蝋燭の灯りで仄かに揺れる庭園を眺めていた。
デンマークに着いた事はある程度の覚悟を決めて異国に嫁いだもののやっぱりホームシックに陥った。
夜一人になると兄姉や母を思い出し懐かしんでは泣いていた。
昼間の宮殿であまりにあからさまに涙を流したり暗く沈んだ姿を出す訳にはいかない。
少しの心の慰めにと私のアパルトマンの一角にキュー宮殿の庭園を模した小さな庭園を造営させた。
人目につきずらい小さな庭園で、高位の侍女しか知らないまさに秘密の庭園だった。
本当に小さいけれど牧歌的で、隠れて平民の衣装を身に纏いしばしば故郷を懐かしんだもの。
でもそんな庭園ともお別れ。
小さな溜息をついてデンマークの中の小さな私の故郷に別れを告げる。
今日サンジェルマン伯爵の空間移動装置でこの宮殿から。
いえデンマークから別れを告げる。
サンジェルマン伯爵の手配で帆船を使って出国するの。
地味な無地のグレーのドレスに束ねた髪と黒のフードコートを羽織りその時を待っていた。
後一時間後に私の愛した小さな庭園から新世界へ飛び立つ。
この王宮からこのコペンハーゲンからそうデンマークから。
王女でもなく、王妃ですらない。
ただの外国人として身分証もキャロン・キューという名で。
ただただ心残りなのは愛しい息子の事だけ。
まだ幼い赤ん坊を愛しい我が子……。
母としての義務を放棄してまで旅立つ。
あの子はデンマークの世継ぎ一緒に連れていく事は出来ない。
それはデンマーク国民への冒涜だと……。
君主を奪い去る。
王家に生まれた者の定めを、義務を裏切るのは私だけでいい。
どうか良き君主としてデンマーク国民を導いてほしい。
身勝手な母を恨み、憎み。
そんな感情でいいから。覚えていてほしい。
でもこんな感覚はそうあの時以来。
そうクリフトフルと愛の逃避行を決行しようとしたあの夜と。
そうあの瞬間まで私は自由と真実の愛をただただひたすらに追い求めて手に届くと思っていたわ。
でも計画はあまりに杜撰だった。今思えば。
彼に任せすぎたのだ。
全ての計画はハノーファー家に筒抜けだった。
あの時は絶望と悔しさと憎しみと怒り全ての負の感情に縛られ、死ぬまでいえ死んでもそこから抜け抱けなかった。
でも今は違う。
いえ本当に違う?
大丈夫なの?
本当に?
あらゆる危険を覚悟して順調に慎重に手配をしたけれど、前世の記憶はそうそう簡単に消えはしない。
あの希望をことごとく奪い去られ、粉々に破壊された記憶が蘇り身体は小刻みに小さく震えるのを止められない。
でも…でも……しないという選択は………。
勇気を持つのよ私!
そんな身勝手な私の頬に伝う涙を振り払うかのように寝室を静かに去る。
そうさようなら。
王宮から脱出しようと寝室を去るキャロラインマチルダを待ち受ける者は?




