婚約破棄? よろしい、ならば決闘ですわ!
「……エルシア・ド・グリューネヴァルト嬢。君との婚約を、本日をもって破棄すぶぁあああっ!?」
──王太子アレクシオンの顔面に、右ストレートがねじ込まれる。
殿下は王族らしく、美しい弧を描いて吹っ飛んだ。
殴ったのは私だった。反射的に手が出てしまった。
だいたい70%の力だった。こんなに強く顔面を殴ったのははじめてだった。
「な、なんで……殴った……?」
体をなんとか起こしながら、頬を押さえたまま殿下が尋ねる。
周囲の従者たちが色めき立つけど、私は軽く手を上げて制した。というか特定の指を立てて脅した。
「むしろ、覚悟もないのに言っちゃダメなやつですわよ、殿下」
もちろん、兆候はあった。最近の殿下は、妙に他人行儀というか、私を見るとちょっとだけ気まずそうな顔をしていたし、やけに書類仕事に逃げていた。
理由はまぁ、だいたいわかる。気の回しすぎ、自己評価の低さ、そしてなにより乙女心の誤読。
相談くらいはして欲しかった。そういう怒りがこもっていた。
「ふぅ……まぁ、そこはあとで問い詰めるといたしまして──」
私は一度、息を吐いて拳を下ろした。それから、驚きながらも吹っ飛ばされた殿下に寄り添っている女性に目を向ける。
先程、彼の新しい婚約者として紹介された令嬢だ。
私にはない、整った黒髪に、清らかなまなざし。だれから見ても美人だ。
「リーネ・フォン・ローエンフェルス嬢。腕に……いえ、拳に覚えはありまして?」
「拳……ですか?」
リーネは、はじめて見たかのように自分の拳をじっと眺めた。
「ええ。殿下の婚約者たるもの、殿下を守れなくてはなりません。何せご覧の通り、軟弱者ですから。その覚悟があるのか、と問うているのです」
リーネは殿下をちらりと見た。
「人を殴ったことはありません。……殿下を殴るのって、どんな気持ちになりますか?」
「僕を殴るところから始めようとしないで!?」
殿下が可愛らしい声を上げる。よかった、それだけ元気なら大丈夫だろう。
そしてリーネの目は、妖しげに輝いていた。たぶん、好奇心と背徳感で。気持ちはわかる。
「ですが、仰ることはわかります。……3日頂けますか? 最低でも、殿下を倒せる程度には仕上げて参ります」
「僕基準やめて!? どっちかというと守って!?」
殿下の抗議は、そっと空気に溶けていった。
覚悟を決めたらしいリーネは、スカートのすそを優雅に持ち上げて一礼した。礼儀に見せかけた威嚇──そんな感じがした。
やる気があって大変よろしい。
「よろしい。では殿下、会場セッティングをお願いします。あとボクシンググローブも」
「どうして僕が!? というかボクシングなんだね!?」
「確かに、殿下もお忙しいですものね。では、有刺鉄線と電流装置の準備だけでも……」
「よーし全て僕に任せてくれたまえ! 全てね!!」
殿下は喜んで準備を引き受けてくれた。やっぱり殿下は優しいなぁ。
3日後の穏やかな昼下がり。
王宮の中庭には、仮設ボクシングリングの準備がすっかり整っていた。
何故か用意されている観客席には、王様をはじめ王宮に所属する人間がずらりと座って、時を待っていた。
ちなみに殿下は審判なので、リング上にいる。
「……これは、想像以上ですね」
リングに上がった私は、リーネの引き締まった肉体に思わず見惚れてしまった。
「3日あればこの程度は。エルシア様ほど逞しくはなれませんでしたが……」
「ほら、私には殿下がいるから」
「僕サンドバッグじゃないからね!?」
「それを聞いて、ますます婚約者の座が欲しくなりました」
「ダブル婚約破棄したくなってきた!!」
そんなこんなで、晴天の下、ゴングの音が高らかに鳴り響いた。
パワーの私、スピードのリーネ。
互角の攻防は、双方2回のダウンを挟みながら6ラウンド闘い切り、観客は大いに沸いた。
結果はドローだった。審判は3票で、私1票、リーネ1票、棄権一票(殿下票)だった。
「はぁはぁ……まさかここまでやるとはね……。脳が揺れましたわ、あなたのアッパー」
「いえ、エルシア様のリバーブローこそ……うぷっ」
2人とも満身創痍だ。
「ええっと、それで……これ、どっちの勝ちになるのかな?」
恐る恐るといった様子で、殿下が尋ねる。
私たちはカチンと来て、同時に吠えた。
「そりゃ引き分けでしょう! 引き分けなんだから!」
「というか殿下が棄権したからでしょう! どういうことですか!?」
2人に同時に詰められて、殿下はコーナーに追い詰められた。
「だ、だって片方選んだら……もう片方に殺されそうで……」
「そういうとこですわよ!!」「そういうところですよ!!」
息の合った連携。
「それに……どっちも凄く魅力的だったから……」
「そ……そういうところ……」「ですよ……」
あーもう。
しゅき。
「こほん! これは再戦が必要ですわね!」
「ええ。でしたら次は、筆記試験でいかがですか?」
「あら、今度は私が挑戦者というわけですのね……望むところですわ!」
結局、筆記試験でも決着はつかなかった。
料理、軍略、歌唱、国内1周レース、魔物討伐でも、決着はつかなかった。
全て殿下が準備をしたので、殿下はいつの間にか大陸一の準備上手と評判になっていた。あとヘタレも。
「むむ……かくなる上は……」
「ええ、そうですね。こうなっては……」
長い闘いを通して、私たちは心が通じ合う仲になっていた。
私たちは、隣にいる殿下をじっと見つめる。
「さあさあ、次はなんだい? 全て滞りなく準備してみせよう」
殿下もすっかりノリノリになっていた。
途中から国民を観客として招待したり、周辺に屋台を開いたり、外国の要人を招待したり、やりたい放題だった。
まあ経済効果を産んでいたり、国民が明るくなったり、いいことは多いみたいだ。
「準備はそこまで……さすがにベッドは欲しいですけど。ただ、今回は非公開になりますわ」
「いえ、エルシア。大事なことですから、殿下にはしっかり準備してもらわないと……」
「んん? つまりどういうことだい?」
何もわかってない殿下。
私たちは殿下の両脇をガッシリ掴んで、持ち上げた。
顔はちょっと、恥ずかしくて見れない。
「えっ」
バッチリなコンビネーションで、殿下を寝室まで運び、鍵をしっかり閉めた。
「リーネ。こほん……あまり、独占しないように」
「はい、エルシア。順番に……いえ、むしろ同時に、ですね」
「えっちょっと、僕まだよくわかってないんだけどあーーーーっ!?」
3日間かかって、それでも結果は引き分けだった。
この日の勝負が、後々この真の婚約者決定バトルに大きな影響を与えることになる。
それはさておき。
「さぁリーネ。次こそ婚約者の座は頂きますわ!」
「なんの。わたしだって譲りませんよ!」
「あー待ってそんなに引っ張ったら裂けちゃう裂けちゃうあああーーーーっ!!」
私たちは競い合い、高め合い、認め合い、ついでに殿下は叫ぶ。
そんな平和な日々は、とても長く続いたのだった。
ご清覧ありがとうございました。