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宝石商殺し

 刑事の夜は遅い、とあたしはつくづく思う。今夜も、すでに午後10時を過ぎているにもかかわらず、警視庁第1課の直属新任刑事のあたしは、ようやく都電に揺られて、一人暮らしのマンションに帰る途中であった。電車のつり革に揺られていると、あたしのお尻に触ってくる馬鹿がいる。あたしは、思い切り、その男の靴をハイヒールの踵で踏んづけて、振り向き様に、股間に一発、足蹴りを入れてやった。男は、逃げたらしかった。爽快だ。

 帰りに駅のコンビニで、夕食のお寿司の盛り合わせとお茶のペットボトルを購入する。そして、レジ横の鏡に映る自分の姿を見て改めてため息をつく。小柄で、ショートカットで丸眼鏡の、一見、文学少女的風貌。こんなあたしによく手を出してくる男もいたものだわよね。これで刑事なんだから、まだ交通課で駐禁の仕事の方が似合いそうな気がしてくる。今日も、暴力団抗争の件で、夜遅くまで付近住民からの聞き込みと、住民からの陳情を長々と聴かされた。堪んないわよ、こんな遅くまで。そのうえ、別の用事もあって帰りはさらに遅くなる。

 深夜の夕食を平らげて、いつもの半身浴でリラックスタイム。お気に入りのテディベアのパジャマで御就寝。もちろん、今日のお土産はもうクローゼットの中。

 夢すら見ない。ぐっすりと熟睡していたらしい。

 それが、朝の午前5時過ぎに、携帯の着信音で起こされた。

「おい、野村!殺しだ!すぐ荒川区の宝石店「ブリリアン」まで来い。車、使えよ!」

 出てきたのは、新しい上司の匂坂警部だ。一般の時間的感覚なんてまるでないハゲの親父である。あたしは、眠い目を擦りながら、制服に着替え、急いでトーストと珈琲を口に押し込み、自宅から駐車場へ向かう。それにしても、眠い。車の中でミントガムを噛み、アクセルを踏む。

 30分ほどで、現場に到着した。そこは、小規模な宝石店であった。まだ店舗のシャッターは降りていた。裏手に回る。勝手口が大きく開いて、中では、大勢の鑑識がいつものように無愛想な顔で仕事をこなしている。

 あたしは白い手袋をしながら、狭い土間でうつ伏せに倒れた初老の男性のそばで、所持品を探っている匂坂警部に駆け寄って声をかけた。

「野村、到着しました。それで、事件の発見者は?」

「妻の芳枝だ。今、台所で事情聴取している。お前は、現場、探ってくれ」

 現場から、扉1枚で、店に通じている。店舗の中のショーケースは、全て粉々にガラスが砕かれて、中の宝石類が抜き取られている。見事だった。犯人の手がかりになるようなものは落ちていない。あたしは、あらかたチェックしてから、警部のもとに戻った。

「凶器、何です?」

 すると、鋭い顔で匂坂警部が言った。

「狙撃だよ。一発で心臓を仕留められてる。プロかな?」

「背中からですか?至近距離ですか?」

「ああ、店の様子から見て、たぶん、物取りの犯行だろう。それにしても?」

「どうしたんです?」

「土間の被害者の様子から考えて、どうも、犯人は狙撃してから、その後で、店を物色したようなんだ。ということは、衝動的じゃない。計画的じゃないかってね。冷酷な犯人だよ」

 あたしはため息をついた。土間のある居間からは、店と台所に通じている。あたしは、こっそりと、台所へ回って中を覗いた。

「まさかねえ、主人があれでしょう?店の商品はやられるし、こんなことなら、あたしも起きてりゃ犯人、やっつけたのにねえ?」

と、旦那を殺された割には、妻の芳枝はけろっとしている。やはり、女は強いのである。

「で、御主人は用を足しに、起きて居間へ行ったところを、後ろからズドンと?」

「だと思いますよ。だいたいが、うちの人、鈍い方だから、撃たれても気づかなかったんじゃないかしら?殺される方も悪いのよ」

 あたしは、すごすごと、居間へ戻った。すると、若い刑事が困った顔で、匂坂警部に告げていた。

「弱りましたよ、警部。今、店の前で、スマホを落としたっていう人が、うろうろ歩き回ってまして」

「あたし、行ってきます」

と、裏口から商店街の店先へ出る。そこは、アーケードになっていて、店のシャッターの前でごそごそしている若くて背の高い男がいた。なかなかのイケメンよね。

「あのう、スマホ、落とされた方ですか?」

「ああ、すみません。確か、この辺りなんですよ、おかしいな?」

 あたしは、携帯を取り出すと、ここから一番近所の派出所に電話した。

「ああ、警視庁の野村です。今、スマホを落とされた方がそばにいらして、......................、ええ、ここですか、3丁目の12番地です。....................、ああ、そうですか?ちょっと、お待ち下さい?」

 あたしは、その若い男に、

「それで、そのスマホ、色と壁紙は?」

「黒で、壁紙はフーディニです」

「フーディニですか?」

「昔の奇術王でしてね。脱出マジックを得意としていました。その男の写真です」

「あの、手品師の写真だそうです?................、ああ、そうですか?............、分かりました、どうも」

 あたしは携帯を切ると、男に、

「どうやら、それらしいのが届いているそうです。今から行きましょう?」

「いいんですか?どうもお世話になります」

 あたしは、その男を車に乗せて、交番へ急いだ。その車中で、あたしは、その男の名を、鏑木慎一郎と知り、あたしの上司が匂坂警部と知ると、途端に弱った顔をしていた。

 それは、鏑木のスマホであった。書類を書き込み終えると、鏑木は明るい顔で、あたしに何度も礼を述べて、車に戻った。

「一応、もと来た場所まで送りますね。車で5分の距離ですから」

 現場に戻ると、苦り切った顔の匂坂警部があたしを待っていた。彼は、車の中から、鏑木が出てくると、心底、驚いたらしく、

「おや、あなたでしたか?こんなところで会うとは、きっと何かの縁ですよ。ちょっと、現場を見ていかれませんか?」

 そして、僕は関係ないと叫んで嫌がる鏑木を連れて、警部は、一緒に現場を検分した。徐々に鏑木の表情が真剣になってきたのを、あたしは、見逃さなかった。やがて、鏑木は、被害者の倒れている場所の近くの床に這いつくばると、探っていたが、やがて何やら取り上げて立ち上がった。

「これ、毛髪です。被害者は、白髪だし、奥さんは縮毛のようだったから、これ、犯人が落としたものとみて間違いないでしょうね」

 黒い1本の毛髪である。あたしが、

「それなら、あたしが帰りに科捜研へ回しておきます。DNA鑑定ですね?」

と、言って受け取り、丁寧にハンカチヘ包んだ。

「最大の謎はこれなんですがね?」

と、警部は手にしたものを鏑木に見せた。それは、トランプのハートのAであった。

「これが、被害者の背中の上に乗せてあったんです。鏑木さん、この意味、お分かりになりますか?」

「さあ、分かりません。でも、これが、犯人が予告するような第1の犯罪にならなければいいんですが?」

 そこへ、刑事が弱った顔で警部にすがりつくと、

「うるさい客が、今、店先に来て、ギャーギャー騒いでるんです。どうします?」

「そうか?ともかく、会ってみるか?いったい、誰だね?」

「国会議員の本田カナエと伝えてくれば分かる筈だと言ってますがね、警部、ご存じですか?」

「本田カナエ?知らんな、本当に国会議員かね?」

 店先に立って、本田は、しきりに首のネックレスを気にしていた。ピンクのドレスを見事に着こなしている。

「昨日の約束ですのよ?黒いルビーのブレスレット。何ですの?この騒ぎ?いつもの店主はどこかしら?」

 ドレスの胸に金製の菊のバッジをつけている。どうやら、本当の国会議員らしい。あたしは刑事だが、日頃から反体制的思想を抱いている。くたばれ、国会議員って感じよね。気分いい。

 警部は、息巻いている本田カナエに懇切丁寧に事件のことを説明した。本田は、眼を丸くして、聴いていたが、

「店主が殺されたですって?冗談じゃない、あたしのブレスレットはどうなるのよ?どこで手に入れたらいいの?ねえ?」

 うるさいババアだ。これで国会議員なんだから、日本の明日が暗くなってくるのよね。冗談じゃない。警部が何とか言い訳して、ひとまずお帰り頂いた。きっと宝石マニアっていう奴よね。

 鏑木は、匂坂警部が離さないみたい。警視庁へ連れて帰るらしい。何でも、今までに幾つもの難事件を解き明かした凄腕の男らしい。やだ、素敵ー!

 とかなんとかで、あたしたちは、ともかく警視庁へ帰庁となった。全員が車に乗り込み、一路、ホームヘ。

 到着して、警視庁の広い玄関を潜ると、首から一眼レフを下げた東都新報の記者の賀川啓介が、ニヤニヤ顔であたしを待ち構えていた。小走りで寄ってくると、

「ねえ、野村さん、新しいヤマなんでしょ?教えて下さいよ?殺しですか?」

「ノーコメントです。話なら、あとの記者会見の席でお聞きしますわ」

 トップスクープをものにしようっていう下心、丸出しなんだから?露骨よね。嫌になっちゃう。

だもんで、適当にあしらって、賀川を追い払うと、あたしは、2階の刑事課執務室、早い話が、あたしのデスクのある部屋へ向かう。

 部屋の中は、男で一杯だ。といって、あたしも負けてられない。

 デスクに座るが早いか、卓上の電話がジリジリと鳴る。誰だろう?受話器を取る。

「ああ、野村さん、僕だよ、野々村。今月号の「ミステリと評論」もう、読んでくれた?僕の記事、結構、読者のウケ、良かったって編集部の岡島が言ってたよ。それよりさ、君、久留美幽山っていう霊媒師、知ってるかい?何でも、最近、迷宮入りの難事件の謎を霊感で当てて、巷で話題になってる女性だそうだよ。君も仕事のことで、困ったら、一度、彼女を訪ねるといい。それでさ、今月の20日の晩、予定は空いてるの?良かったら、赤坂のレストランで食事でもどう?それからー」

 あたしは、容赦なく受話器を置いた。うるさいこと、うるさいこと。推理小説評論家の野々村幸三だ。2日に一度は電話してきて飯に誘ってくる。一度、知らずに、会って食事してたら、酒飲んで、それをいいことに、あたしの腰に手を回したり、太ももを触ったりのスケベ親父だ。あたしもいい加減にしろって、言いたくなるの。それで、机の上を整理整頓しているうちに、午前9時になって、第1回の捜査会議が会議室で開かれる。皆が、捜査資料と筆記用具を持って会議室へとなだれ込んでいく。あたしも、遅ればせながら、そのあとを追う。

 会議室では、大勢の捜査員を前に、まず署長の冒頭演説が始まる。あたしは、朝早く起こされたせいか、やたら眠いわけ。眠気と戦いながら、目を開けているのが精一杯ってところなの。次に、捜査官の代表が、事件のあらましを皆に説明している。とっても眠い。あたし、もう駄目よ。何とか、耳を澄ませて、聴いたところでは、事件の争点は、凶器の拳銃の出所であるようだ。その特定を急いでいるが、難航しているとのこと。どうしようもないわよね。分かんないものは。いつの間にか、あたしは、資料の隅っこに、子供みたいな落書きをしていた。ふと、近くを見上げると、匂坂警部がこちらを見て、睨んでいる。くわばら、くわばら。そうこうしているうちに、会議は終わり、無事、あたしは解放されたのよ。良かった。扉を出ると、また、賀川記者が追いかけてきた。

「ねえ、野村さん、後生だから、助けてくださいよ。僕も生活かかってるんだから、特ダネお願いしますよ?駄目?」

「とにかく、個人的には何も言えないの。悪いけど、他、当たってよ!」

 あたしは、デスクに戻った。すると、上司の匂坂警部が鋭い顔で待ち構えていた。

「悪いが、君、久留美幽山っていう女性のところへ聞き込みに言ってくれんか?何でも、今度の事件について証言したいらしい。インチキ霊媒師らしいから、信憑性はともかくも、何か裏があるかもしれん。ぜひ、探ってくれ?」

あたしが、準備して、上着を着ていると、匂坂警部が背中から、

「それから、鏑木さんが玄関にいるから、一緒に連れていってくれたまえ。彼の助力が必要になるかもしれん」

 鏑木さんと一緒。あたしはワクワクした。イケメンってだけで、これだから、本当に自分でも単純だと思う。ミーハー刑事よね。

 玄関では、ソファに座って、鏑木が読書していた。あたしを認めると、ニッコリと微笑んで、

「やあ、あなたでしたか?先程はどうも。さっき、出掛けて、本屋でいい本を見つけましてね、読んでる最中です」

 あたしは、本の表紙を見た。「カード奇術とサイステビンス」とある。なんだか分からないが、とにかく、あたしは経緯を説明した。

「ああ、久留美幽山ですか?名前は知ってますが、会ったことはまだ。どこです?」

「新宿の歌舞伎町で店、開いてるらしいわ。何だか怪しいわね?」

 ともかくも、ふたりで車に乗り込み、あたしは車を走らせた。

 新宿歌舞伎町。商店街には、派手な飲食店と風俗店が店を連ねている。まだ昼間のせいか、通る人の姿はまばらだ。その一角の雑居ビル。

 ビルの前に、「霊感占いの館」と、小さな立て看板が上げてある。その近くで、あたしは車を止めた。看板の隣に下り階段がある。あたしたちは、ゆっくりと暗い階段を降りていく。小さな扉がある。開くと、中は、真っ赤な部屋だ。天井からの照明も赤い。店内は狭かった。黒いビロードで覆ったテーブルの向こうに、ひとりの中年の女性が、全身を黒いドレスに包んで腰かけていた。あたしがビックリするくらいの美人である。彼女は、あたしたちに気づくと、顔色ひとつ変えずに、

「警察の方ですね。お待ちしてましたわ。さあ、座って」

 椅子は2脚あった。隣で、鏑木が居心地悪そうにしているのが笑えた。あたしは話を切り出した。

「事件について、何かおっしゃりたいことがあるとお聞きしまして?」

 すると、久留美は、眼を閉じて、何やら呟いていたが、やがて、眼を開くと、あたしを見つめて、

「見えてきましたよ...............、何だろう?何かの四角い?.............、カードかしら?ちょっと待って、.................、そうね、トランプのカードよ...............、ハートね、...............、ハートのAだわ。あなた、何か、心当たり、あるかしら?」

 あたしは、ビックリ仰天した。この人、死体に乗せてあったトランプのカードを言い当てたのだ。こんなことが可能だろうか?不思議になって、あたしは思わず隣の鏑木を見た。彼は、床を見つめて、何かを考え込んでいる様子であった。

「そ、それで、事件はどうなります?」

 あたしは勢い込んで尋ねた。すると、久留美は、あたしをじっと見つめて、

「もうすぐ、第2の事件が起きますよ?せいぜい、お気をつけなさい、あと、犯行は計画的ね。きっと、冷酷な犯罪者だわ。あなたたちも、そのつもりでね」

 そう言い残すと、久留美は、さっさと黒いドレスをなびかせて、華麗に奥の部屋へと消えていった。

 あたしたちは、しばらく無言で座っていた。鏑木が言った。

「さあ、行きましょう。もう、彼女に言うことはないようですよ」

 あたしたちは車に乗った。車中で、あたしが不安げに言った。

「本当にインチキ霊媒師かしら?こんなこと、ありえる?訳、わかんない」

「不思議ですね?」

 あたしたちは急いで警視庁に戻った。戻ると、玄関で匂坂警部があたしたちを待っていた。お出迎え、ご苦労様。あたしは、さっきの店での出来事を逐一、警部に話した。匂坂警部は、しばらく黙っていたが、

「何か裏でもあるのかな?分からん。とりあえずは、ご苦労さん。そうそう、さっきから、早乙女刑事がお前に話があるって言ってたぞ?」

 早乙女浩太郎刑事。東大を首席で卒業して、警視庁第1課に入庁、1課でキャリアを積んでいるエリート刑事だ。冴えた捜査と、明晰な頭脳はピカイチである。でも、何だか近寄れないタイプなのよね。どこか孤独のオーラを感じさせるって言うかさ?不思議。で、あたしは、刑事部屋に戻ると、デスクでパソコンを叩いている早乙女刑事のところへ行った。彼は、あたしを見上げて、

「ああ、野村刑事、帰ってたんですね。実は、僕も今度の宝石商事件に関わってるから、君が久留美のところへ行ったって警部から聞いて、興味あってね。どうだった?彼女、やっぱり、インチキかい?」

 あたしは、また同じ話を聞かせた。早乙女刑事は、腕を組んで、

「うーん、そいつは放っとけないな。単なるインチキでもなさそうだ。よし、僕が、一度、彼女を探ってみるよ、どうもありがとう。今度、缶コーヒー奢るよ」

 そろそろ、お昼の時間だわ。お腹はもうペコペコ。あまり寝てない割に、食欲だけは旺盛よね。自分でも呆れちゃう。そんで、5階の大食堂へ向かう。もうお昼の時間だから、店内は、客でいっぱい。あたしは、レジで唐揚げ定食の食券を買うと、カウンターに出し、待つこと5分。やがて出されたお盆を持って、食堂の隅っこの席に座る。何気なく、前を見ると、鏑木が、キツネうどんと焼おにぎりを美味しそうに食べていた。

「鏑木さん?」

 すると、彼はどんぶりから顔を上げ、あたしに気づいて、ニッコリと笑った。

「あれから、久留美の事、考えていたんですがね。面白いなと思って、ちょっと彼女の身辺を探ることにしました。お昼、食べたら、出掛けてきます。きっと、何か出ますよ。警部さんには、そうお伝えください」

 そう言うと、鏑木は、さっさと昼ご飯を平らげて、食堂から姿を消した。あたし、何だか、肩すかし、喰らったような気分になって、ひとりで唐揚げにパクつくと、孤独を満喫した。

 午後は、デスクでの事務処理に追われた。パソコンに向かってキーボードを打ち込んでいると、あっという間に時間が過ぎていく。途中、野々村幸三から電話があった。また、デートの誘いだ。あたし、あんまりにしつこいと思ったから、わざと、甘ったるい声で、

「うふん、今度、こちらからお誘いしますわ。夕食、ご一緒にいかがかしら?夜をふたりだけで楽しみましょうよ」

と、言ってやった。すると、野々村は喜んだ様子で、納得したように電話を切った。これでいいのよ。だいたい、こんなチビの文学少女、相手にしてデートの誘いだなんて、世の中には物好きもいるものね?結構、笑える。

 そんなこんなで、帰宅時間が来た。向こうのデスクでは、匂坂警部が苦い顔で、書類相手に格闘している。残業のようだ。お疲れさま。

 あたしは、上着を着て、さっさと駐車場の車に乗り込み、自宅のマンションに向かう。途中、寄り道したせいもあって、自宅に着いたのは、午後の8時過ぎ。もう、外はすっかりと夜の世界よ。荷物は全部、クローゼットに放り込んで、とりあえずは、いつもの半身浴でリラックスタイム。それから、遅い目の夕食を取り、居間のテレビをつける。画面が出ると、ニュース番組だ。タイミングよく、例の宝石商事件を報道していた。被害者は、河合嘉男、73歳で妻の芳枝とふたり暮らしで宝石商を経営していた。物取りのプロの犯行とみて警察が現在、捜査中と報じていた。あたしはテレビのスイッチを切った。ステレオで音楽をかける。クラシックだ。これも、あたしの趣味よ。今夜は、バッハのフルートソナタ第2番だ。結構、癒されるって感じよね。そんで、聴いてるうちに何だか眠気がしてきたから、ベッドに入ることにした。でも、あっという間に夢の世界だわ。綺麗なお花畑と白馬に乗った王子様よ。何よ、これ?笑える。あたし、十代の小娘じゃないのよ。何だかんだと眠っていたのに、また朝の5時過ぎに枕元の携帯に叩き起こされた。

「はい、野村です。どちら様ですか?」

 すると、男の声で、

「僕です。早乙女です。こんな朝早くにすみません。また、事件、起きましたよ。新宿の宝石店「シャレード」です。もう、警部は現場に向かってますが、野村さん、どうされます?」

「新宿の「シャレード」ね?分かった。すぐ向かうと警部に伝えといて!」

 あたしは、急いで着替えを済ませると、トーストを口にくわえて、自宅を出た。車に乗る。現場までは、車で30分ほどのところだった。問題の宝石店は、新宿の商店街から近い住宅街の外れにある一軒家であった。前のシャッターは開いていた。あたしは店に入る。前と同じであった。狭い店内のショーケースのガラスはことごとく砕かれて、中の宝石類はすべて持ち去られていた。その店の中央の床に、中年の女性がうつ伏せに倒れている。背中から、狙撃されていた。そして、その背中の上にトランプのカードが乗せられている。それは、ハートの2であった。辺りには、何名もの捜査官が右往左往して、指紋採取等の現場検証に当たっていた。奥の部屋から、匂坂警部が出てきた。彼は、あたしの姿を認めると、

「おう、来たか、野村。こりゃ、同じ犯人だぜ。殺しの手口も全く一緒だ、ひどいもんだ。この女性、どうやら一人暮らしらしい。宝石の商売やってるわりには、警備が甘かったようだな?」

「で、事件の発見者は?」

と、あたしが尋ねた。

「この家の賄いをしに通ってる小野見カナっていう女性だ。何でも、今朝も、被害者の朝食の準備に店に来たところ、シャッターが開いていて、不審に思って、覗いたら、この有り様だよ。彼女、ヒステリックな女でね、今、奥の部屋で待たせてあるが、死体を見て、頭がパニックになってるらしい。まったく、手がつけられんよ」

 あたしは、手がかりを探して辺りを捜査したが、これといってなかったようだ。あたしは、ため息を突いて、死体を眺めていた。警部が、死体を調べているようであった。やがて、彼は硬く握った被害者の右手に気づき、それを注意深く広げた。すると、彼女は、右手に何かを握っていたようだ。警部が、それを取り上げて、店の照明に照らすように、観察していた。

「こりゃ、宝石の鑑定用の小型ルーペだな。でも、ガイシャは、何でこんなものを握って殺害されたんだろう?」

 あたしも、不思議で、首をかしげた。小型ルーペ、いったい、何の意味だろう?

「被害者は、最後の力を振り絞って、何とか犯人の手がかりを残そうとした..................」

と、あたしは、まるで独り言のように呟いて、警部に言った。

「ありえるな。推理小説で言うところのダイイングメッセージってやつだ。でも、意味が分からん?」

 その時、あたしは、背後に人の気配を感じて、振り向いた。

 店の前。どこかで見たことのある男が、眼を丸くして、驚いたように立っていた。よく見ると、それは、新聞記者の賀川啓介であった。彼は、黒のジーンズに毛糸のセーターを着てラフな格好だ。

「こ、ここで、事件、あったんですか?こりゃ驚いたな」

「あなた、何でここに?」

すると、賀川は笑って、

「ここ、僕のマンションの近所ですよ。朝の散歩です。日課でしてね。でも、こんなところで、事件あるなら、カメラ持ってくるんだった」

「困りますよ、部外者は」

と、あたしは、はねつけて言った。

「また、殺しですか?」

「さあ、帰った、帰った。邪魔なんですよ、うろうろされると」

 不満そうに、ぶつぶつと文句を言いながら、賀川が姿を消していった。あたしは警部を振り返った。彼の姿はなく、奥の部屋から、彼が電話している声がしていた。聞いていると、どうやら、電話の相手は、例の本田カナエらしい。

「ええ、ですから、..............、はあ、ダイヤのブレスレット?...............、ですから、事件が起きまして、...................」

 どうも、本田は、あちらこちらの宝石店で、金にあかせて、宝石をしこたま買い漁っているようだ。国民の税金を無駄に使われてるなんて、冗談じゃない。何が国会議員よ?

「で、被害者は?」

と、あたしは、奥から出てきた警部に訊いた。

「奥田早希子、37歳だ。両親と死別し、兄弟や身寄りもなく、天涯孤独の身の上らしい。宝石店の経営や、宝石のネット販売で生計を立てている。思えば、可哀想なものだ、残忍な殺人犯だよ」

 やがて、検証も終わり、あたしたちは、ひとまず、本庁に戻っていった。

 お昼を終えて、午後はまた事務処理の連続だった。溜まんない。

 あたしは時折、仕事で、地下1階の第1課倉庫室へ行き、事件での押収物や、証拠品の捜査のために出入りして、同僚たちに運んでいくこともある。仕事だから、仕方ない。それで、また大部屋へ戻ってみると、前の廊下に、お洒落なジャケットを着て、小脇に花束を抱えた野々村を見つけた。彼は、あたしを見つけると、喜んで駆け寄ってきて、

「やあ、野村君、調子はどうだい?この花束、よかったら、貰ってくれないか?今度の食事、楽しみにしてるよ。今日は、日本推理作家連盟の懇親会でね。これから、出掛けるところなんだよ。僕、ほんと、忙しくてね?休む暇もないくらいだよ。それから、最近ー」

 あまりにも、しつこい。あたしも堪忍袋の尾が切れて、ついに彼を無視すると、さっさと大部屋へ入っていった。知るもんか。

 デスクでは、用事があって警部に呼ばれたのだろう、鏑木が、所在なげに立っていた。彼は、あたしの姿を見て、ニッコリと笑った。あたしが、

「で、どうでした?久留美の一件の結果は?」

 すると、鏑木は、難しい顔をして答えた。

「ええ、けっこう、苦労しましたがね、それなりの収穫はありましたよ。やっぱり、彼女、裏があるようですね。まあ、簡単に言えば、手品みたいなものですよ。霊感と言いながら、前もって手に入れていた情報をそのまま、まるで、妖しげに告げれば、摩訶不思議って訳ですからね。誰だって出来ることですよ」

「情報?じゃあ、裏で、誰かと組んでるってこと?誰なの?」

 すると、悩ましげに、

「それなんですがね、何と言うか、分かってはいるんですが、まだ、今は、ちょっと....................」

「言えないということね?分かった。じゃあ、そん時になったら、あたしに教えてね。でも、誰かしら?」

 鏑木は、難しい顔をして、刑事たちの姿をぼんやりと眺めていた。それから言った。

「これ、警部に訊いたんですが、何でも、被害者が右手に小型ルーペを握っていたそうですね?本当ですか?」

「ええ、でも、意味が分かんなくて。鏑木さん、分かります?」

 鏑木は、考えていたが、やがて、静かな口調で言った。

「いずれ、あなたにお話ししますよ。今日は、警部の用件も終わったので、僕はこれで失礼します。では、また」

 そう言って、鏑木は去っていった。何だか、寂しげな背中であった。

 あたしは、帰宅時間がきたので、仕事を早々に切り上げて、警視庁をあとにした.................。


 それから、2日後に、宝石店事件の第3の犯罪が起こった。

 現場は、豊島区の宝石店「姫野宝飾店」であった。また、あたしは、警部に呼ばれて現場に急行した。

 店内は荒れ放題であった。ショーケースは砕かれて、宝石はすべて奪われ、その上に身を乗り上げるようにしてうつ伏せに倒れ込んだ被害者は、背中から狙撃されて殺されていた。その背中には、ハートの3のトランプカードが乗せてあった。店内には、現場を調べている匂坂警部と、そのそばで、彼を見守っている鏑木の姿が見えた。あたしは、警部に到着を告げた。警部は、手にした白い手袋を差し出して、

「こいつが、被害者の近くの床に落ちていた。どうやら、犯人がうっかりと落としていったものらしい。野村君、まさか、これ、君のものじゃないだろうね?」

 あたしは、ビックリ仰天して、

「何で、あたしの手袋がここに落ちてるんですか?あたしのなら、ちゃんと、ポケットにありますよ」

と、白い手袋をポケットから取り出してみせた。

 すると、警部は、

「そう、むくれるなよ。ちょっと言ってみたまでだ。えー、被害者は、姫野浩一、58歳、妻の幸子と娘の久美の三人で暮らしている。事件の発見者は、娘の久美だ。今朝の明け方近くに、父親の異変を察知して、念のために店まで見に来たところで、死体を発見したらしい。今は、妻の幸子も娘も奥の居間で、事情聴取している最中だが、大した情報は入らんようだ。でも、仲睦まじい家族だったようだ。まあ、今のところは、そんなところかな?」

「あのう...........」

と、鏑木が遠慮がちに訊いた。

「早乙女刑事は、今、どこに?」

「ああ、彼なら、この現場周辺を洗っているところだ。それが、何か?」

「いえ、別に。................、あれ、あの女性、本田カナエじゃありませんか?」

 また来た。彼女だ。店の前で、紅い顔をして、こちらを睨んでいる。警部が出ていって、いつものように対応していた。どうせ、また、宝石の注文の愚痴だろう。

 あたしは馬鹿らしくなって、店のなかを検分して時間を潰した。その間、鏑木は、ぼんやりと、あたしを見つめて、何やら考え込んでいるようであった。久留美幽山のことだろうか?

 それから、しばらくして、現場検証は終了となり、大勢の刑事たちと一緒に、あたしは、自分の車に向かった。足音が追いかけてくるので、振り返ると、鏑木であった。彼は、あたしに追いつくと、

「すみません。あのう、良ければ、僕、あなたの車に乗って警視庁までお願いしたいんですが?」

「ええ、構いませんよ。狭い車ですけど、構わなければ、どうぞ」

 あたしは、鏑木を乗せて、車を発進した。やがて、駅前の繁華街が見えてくると、急に鏑木が言い出した。

「あの、もし、あなたが差し支えなければ、駅前の「マスカレード」っていう喫茶店でご一緒にお茶しませんか?実は、折り入って、あなたにお話ししたいことがあるんです。それも、込み入ったお話しなんですが....................」


 喫茶店「マスカレード」の店内は、照明を落とした、ラウンジ風のお洒落な店内だった。

 あたしたちは、窓際の、外を歩く人々の見える席に座ると、注文を取りに来た若い女の店員に、珈琲と紅茶を頼んでおいて、しばらく待っていた。あたしは、ドキドキしていた。これって、デートなの?始めてのお誘い?やだー、うっそー。期待しちゃう。

 すると、ウェイトレスが持ってきた珈琲を置いて、急に、鏑木がこんなことを言い出した。

「ようやく確信を掴みましたよ。今度の連続宝石店殺人事件、犯行を行ったのは、あなたですね、野村百合子さん」

 何で?あたし?この人に、ばれちゃったの?あの事?

「僕が、最初に悩んだのは、この事件が狙撃だということです。そうなると、犯人は、拳銃を入手しなければならない。しかし、それも、刑事であるあなたなら、簡単に説明がつく。あなたは、普段から、仕事で、警視庁の地下1階にある倉庫室ヘ入り込んで、例えば、暴力団が使った実弾入りの拳銃をこっそりと持ち出すことも可能だった。

 第1の事件では、殺人事件の現場に犯人の落とした毛髪が落ちていましたよね。あれ、あなたが犯行時に落としたものでしょう?それでは、まずかった。それで、急遽、あなたは、その毛髪の鑑定を科捜研に依頼するために、自分が持っていくと警部に言い出した。

上手ですね。そして、持っていく途中で、別人の毛髪と取り替えておけば、ばれずに済む訳です。

第2の事件では、被害者が右手に小型ルーペを握っていた。たぶん、被害者は、犯人がルーペ、レンズ、つまり、眼鏡をかけていたと言い残したかったんでしょう。そして、この事件の関係者で、眼鏡をかけているのは、あなただけですよ、野村さん。

 そして、第3の事件。犯人、つまり、あなたは、うっかりと刑事用の白い手袋を落としてしまった。それで、あの朝、警部に言われて、慌てて、あなたは残った片方の手袋をポケットから取り出して見せ、彼を誤魔化した。

 しかし、これらはすべて状況証拠です。決め手に欠けました。しかしね、最後の事件の白い手袋、よく見ると、少量の血液が付着していたんです。たぶん、あなたが、ショーケースのガラスを砕く時にガラスで手を切ったんでしょうね。だから、その手袋に残った血液とあなたの血液を、DNA鑑定すれば、一致するんじゃないかと思いますよ。とすれば、これは、動かしがたい物的証拠じゃありませんかね?」

 あたしは、言葉を失った。全部、ばれちゃった。馬鹿みたい、あたしって。それじゃあ、奪ってお土産にしてクローゼットに入れておいた宝石の袋も、この人には分かるのかしら?

「あたし、降参するわ。あなたの勝ちよ。でも、賢くて、とっても頭が回るのね、あなたって?」

「ははは、面白い人ですね、あなたは。それから、話は違いますが、久留美幽山と組んでいたのは、刑事の早乙女でした。彼は実に頭が切れますね。さすが、東大卒ですよ。彼が、刑事として、事件を探り、証拠を調べて、推理し、真犯人を当てていたんです。その情報を久留美は、さも霊能力の振りをして、訪れたものたちに告げれば、よかったわけです。大した女ですね、久留美も」

 しばらくの沈黙の後に、あたしが言った。

「どうなるの、あたし?」

 すると、考え深げに、鏑木が告げた。

「それは、ご自分でお決めなさい。あなたの問題だ。時間なら、まだ、ありますからね?」

 そう言うと、無言で、鏑木は立ち去っていた。お茶代のレシートも彼が持っていったらしい。

 3人の人間を計画的に殺して、その宝石類を強奪したあたし。やっぱり、死刑になるのかしら?鏑木さんには、ばれている。やっぱり、自首した方が罪が軽くなるわよね、そうしようかしら?

 喫茶店の、小さな肘掛け椅子に、ちんまりと座って、あたしはそんなことを、ぼんやりと考えているのだった..................。

 

 

 


 

 

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