不可逆的な人生の速度とネガティブアンラッキーガール
須佐と出会ってから、人生がとんでもない速度で展開している。惜しむらくは展開方向がポジティブではないことだろうか。
昨日、巫女さんに助けられたあと向かった秋葉原の特設ブースで、ライブのチケットは完売していた。それから1日と経たずにバイトも首になっている。事態は指数関数的に悪化している。このペースで行くと、来年には宇宙へ射出されている可能性さえある。
ロッカーを掃除し終え、なんとなく寂しくなって、検索サイトで店の名前を調べた。いなくなる段になって店が恋しくなったのかもしれない。
大手検索サイトの評価が、朝から星1つは下落していた。
「うわっ、めっちゃアンチ湧いてるじゃん……」
内容としては〔頼んでもいない商品を出された〕〔店員の態度がクソ〕というようなものが主で、投稿時間も1時間以内だ。
「ぜってーさっきのアフロじゃん……」
痕跡を消せばいいのに、アイコンが猿か豚、名前にピンクかアフロを連想させる文字列が必ず差し込まれている。
「自己顕示欲が発酵した匂いがする……」
軽く引いた。首になったから関係ないのだが、店の今後が心配になってしまった。
ロッカーに畳んだ前掛けを納めてから店を出た。初夏の夕暮れの匂いがする。
「よっ」
当然のように須佐がいた。店の前は長蛇の列ができている。さっきの騒動の後で、この場にとどまる勇気はない。なんとなく帰路につくと、なんとなく須佐もついてきた。
影法師が他人と知り合いの間を踊っている。北千住駅近くの路地は折れ曲がり蛇のような暗渠を思わせたが、同時に、むせ返るような人工物の気配に満ちている。雨の日のモグラが土の穴から鼻を出すように、空を仰ぎ見た。
中天に月はなく、星のほのかな輝きがある。あの星はきっと、俺を見てはいないだろう。
俺はガードレールに腰掛けてスマートフォンを取り出す。LOINを呼び出し、もう使わないであろう店長の連絡先を削除しようと、画面の右端に指をかける。
須佐が俺の指をつまんで止めた。イカレた女だと思っていたが、この時の須佐は思慮深い人に見えた。須佐の瞳が海のように深い青を湛えている。
「縁があるのに容がないのは、無残なものぞ。そんな微かな繋がりを絶ってなんになる」
「なんにって、もう使わないし」
須佐は俺の手を返して、掌を開かせた。そして地図を指すように、俺の掌に指を突きつけた。
「黙したままの道具は可愛がるのに、喋る人は嫌いかの? 捨てて、捨てて、断って、断って、この小さな掌を少しだけ広くしてなんになる? 空虚を広げて飲んで、その腹の中に何を飼うつもりかの」
俺は何も言えなくなって、黙った。須佐は俺を止めたが、否定した訳ではない。それは指摘と言う名の、親切だった。陽の光のように無差別で暖かなもの。家族や先生以外から受けたことのないもの。スマートフォンが待機時間を超えて、自動的に暗転する。
「それでよい……さて、ニカツよ。実は乃子、VTuberを始めようと思ってての。もうアカウントもあって、試験的に動画も投稿しとるんじゃ」
「そういやなんか、言ってましたね」
俺は氷雨コンコン推しだが、全体としてのVTuberも好きだ。須佐の言葉は、それなり以上に気になるものだった。
「何系でいくんすか? ゲーム配信系とか、雑談系とか」
「……? あえて系統を名乗るなら、神系かなとは思うんだがの」
(大丈夫か?)
須佐と話していると、同じ方向に歩いているようで、まるで別の方向にすれ違っている気分になる。2次元では重なっているように見えても、3次元では離れ続けていることがあるように。
「で、だ。乃子はVTuberやるから、その他のことはニカツがやってくれん?」