飛翔と呪いの凸配信
〝素戔嗚ミコト〟の活動は、これまでの準備が脚光という機会に恵まれ、とんとん拍子に先へ進んで行った。定時に行われる雑談配信は1日おきに同接が数十人ずつ増え、雑談に加えPEPX配信を開始したことで新たな視聴者を獲得し、新人VTuberの中では抜きんでた存在になり始めていた。そんな矢先、視聴者からのリクエスト――なぜ姉の家で脱糞したのか――は、同接の伸びは元より、切り抜きの視聴回数が爆発的に増加した。
バイトの隙間時間、俺はその動画を見直していた。配信を盛り上げる為、俺と姫ちゃんと文乃はサクラとして参加している。俺は感じたことを素直に言う役で、姫ちゃんは暴走特急でコントロールが効かない賑やかし、文乃は持ち前の知識を活かした神話の補足説明だ。動画の読み込みバーが増えていく。
……now loading…………
僅かな読み込みの間を置いて、須佐の声が響く。
《いやぁ、あれはの、脱糞っていうか正確にはゲボっただけでのぉ……》
〔結局汚くて草〕
〔草草〕
〔ゲボから草萌ゆる〕
《お主ら草人は、オホゲツヒメってしっとるかの? 古い古い神の一柱でもって、お主らが中つ国に満ちる前から、ひっそりと、お主らが満ちてからは地の一部を浸しておる、まぁ、米とか麦とか、粟とか稗とか、そんなんじゃな》
〔しらんだれそれ……〕
〔オホホンティヌス?〕
〔偉大なる食べ物の女神。地母神的な性格の神ですね。古事記によれば、素戔嗚が高天原を脱糞追放されてから、食を与えた女神です。なお、食物を提供する方法は吐瀉ないしは排便によったようです。その様子を見た素戔嗚にぶちぎれられて殺されています〕
〔はえー〕
〔脱糞追放の字面が強すぎる……〕
〔毎度助かるけど、この神話詳しい人なんなん?〕
〔ワタシ氏配信のMVPイェイ、コメント欄の覇者ブイブイ、バイトの時間バイバイ〕
《そうそう、ワタシ氏さんが言うたとおりの、いなくてはならんが手間のかかる神での。まぁ、我が高天原を追放されてからであったことになっておるんじゃが、実際は追放前に1度会っておるんじゃよ。しかもこれなぁ、2つのエピソードが合体しておる。
……あれはそう、我が母恋しくて高天原を家出して迷子になっていた頃、月と露草とすすき野しかない平原で呆然としていた時、不覚不肖ながらオホゲツヒメに助けられてのぉ。
〝まぁぁ可愛いお嬢ちゃん〟
〝悪いことはしないヨ?〟
〝ついておいで、ご飯をあげるから、温かい寝床もあるんだよ、サァサァサァ!〟
――と家に連れ込まれたんじゃ。
我は素直で愚かじゃった。若い神であった。きゃつは、泥に腰掛け肥を吸い、欲と金を後に身にまとう者、葦原の悪しき神、我は恐らく――食うつもりが食われた》
〔完全に怪しい奴で草〕
〔スサノオー! 逃げてくれー!〕
《丘の上の御館は、きゃつ1人が暮らすには贅沢に過ぎる大きさじゃった。広大な母屋、今でいうなら16LDDKKKくらいかの~、茅葺屋根に壁は藁を混ぜた漆喰で、家全体が土と稲の匂いに包まれておった。囲炉裏は温かでの。そこから庭を見渡すと、月の下に、大きな蔵が4つ、小さな蔵が7つもあるのが見えての。不思議なことに、蔵からは八百万の声が聞こえた……気が付くと、我の前には粥がおかれていた。椀から湯気があとからあとから立ち上っていた。とろとろに煮込まれた粥で、七草や粟がまじり、えもいえぬ旨さ。米の角もとれ――――微妙に消化された感があった》
〔流れ変わったな〕
〔くるぞ……〕
《不審に思って御厨子を覗いたら、きゃつはゲロ粥を量産していた。
〝はぁはぁ、お嬢ちゃん、食べて、私を〟
〝けひゃひゃひゃ〟
〝かわいいねぇ、ご飯美味しかったねぇ!〟
――こいつはもう生かしておけぬ、義憤から斬ったんもんじゃ……まぁ斬ったらめっちゃ吹き出て、酢の匂いするし、〝うわっ、最悪〟ってなっての~、それも粥で、なんか色々混じってて、もーむりってことで姉の家に帰ったんじゃよ》
〔結局斬ってる……〕
〔何も成長がない……〕
〔なんで姉の家……自分の家いけよ……〕
〔……そうすると、まさか、そんな……〕
〔↑だけなんか分かってて草〕
《んで、姉の家にあがろうとしたら、
〝ゲロだらけでくんなくんなくんな~!〟
って切れられて、そこから神々の伝統的英雄決着バトル、ノリワケに発展しての、我の剣から三勝いでたのに、姉に取られるし……ちゅーかバトルのルール後決めって普通にズルくない? ノリで誤魔化してテンションあげて暴れてたら、服が匂ってもらいゲロ、潔癖症の姉、発狂……こうして叩き出されたわけじゃの。姉の家どころか高天原から。姉妹喧嘩で家どころか世界から追い出されたってわけ》
〔なんのなに? どういうこと?〕
〔御厨子がキッチンなことだけはネットのお蔭でわかる……〕
〔早くきてくれ、神話詳しい人~!〕
〔ワタシ氏さーん! 早くぅ、何言ってるかわかんなぁい!〕
〔ワタシ氏さんってこの時間になると毎回ログアウトしてね?〕
〔なんかわからんけど、えらい神様は喧嘩の時、神様産んで勝負するらしい……それがノリワケらしい〕
〔どゆこと? わけわからん〕
〔どうなったら勝ちなの?〕
〔ワタシ氏さぁぁぁぁぁぁあん〕
《で、しょうがないからまた彷徨ってたら、オホゲツヒメにまた拾われて》
〔なんも分かんない内に拾われてて草〕
〔オホゲツヒメさん生きてて草〕
《〝ゲロは嫌だったんだね、ごめんね、もうしないよ〟
っていうから、信じたんじゃよ。
――出されたおはぎは大層美味かった。しかし奇妙な形をしていた》
〔落ち読めるwwww〕
〔結局う○この話じゃないですか!〕
〔ヤダー〕
《オホゲツヒメは御厨子にはおらんかった。厠にいた。わざとやっとると思った。奴は笑っておった。気付いた時にはオホゲツヒメは真っ二つ、我はあんこに塗れておったよ……ちなみにオホゲツヒメとはこのあと暫く、一緒に旅をしたんじゃ。……我の麻の服に棲みついての、何度燃やしても、着替えても、いつの間にか紛れ込んでいる……チッ》
〔それは旅というんですか?〕
〔草草草〕
〔種ってこと?〕
〔寄生されている……〕
〔こんなの面白がってる奴ら、頭悪すぎ〕
…………
俺は動画を見終わると、少し重たい溜息を吐いた。
(活動は上手くいっているが……)
「微妙に荒らしが湧いてるんだよなぁ」
モデレーター権限で荒らしコメントを削除する。〝素戔嗚ミコト〟には配信初日から熱心なアンチが湧いていた。コメントの〝感じ〟や投稿時間から、恐らくは1人でいくつものアカウントを使いアンチコメントを投稿しまくっている。アンチ自体はいつか湧くだろうと思っていたのだが、こいつは熱心過ぎる。
「何がこの人の琴線にふれちゃったんだろうか。はて」
首を傾げながら、今正に湧いたアンチコメントを削除する。いたちごっこだ。ともあれ――この切り抜き動画が、古事記の研究者に反応され、爆発的に人気が出た。これまでオホゲツヒメのエピソードから、中つ国――この地上――に五穀をもたらしたのは素戔嗚とされていた。しかし、須佐の話が本当なら高天原に五穀をもたらしたのも素戔嗚になり、他にも色々斬新な解釈だとかなんとか話題になった。
「世紀の大発見、親切ですよ! 記紀の世界の根底が揺るがされています!」
文乃は興奮していたが、正直、神話に詳しくない俺からすると「ほーん」程度の話だ。更にVTuber〝氷雨コンコン〟が、先の配信直後に【オホゲツヒメ、マジのマジのマジで嫌い。絶滅して欲しい】とXで呟き、一瞬で削除したことも話題になった。氷雨コンコンと素戔嗚ミコトの関係性云々というよりは、氷雨コンコンが本垢と間違えたのでは、という方向での話題性だが。
この騒動で〝素戔嗚ミコト〟の知名度は隼が上昇気流を捕まえたように一気に登った。鳥が登りつめるほどに陽を受けるのと同じくして、鳥の影が大きく地に写されるように思われた。須佐が鳥なら、アンチは影だろう。ともすると、活動を続ければ続けるほど、アンチは増え続けるのかと嫌な気持ちになる。
「ま、気にしてもしょうがないか」
心に溜まった揮発性のガスを言葉に変えて逃がす。あまり溜めると腐るか爆発する。窓の外を見ると、夕暮れになりはじめた御徒町の街並みが見えた。急な上り坂の先には勉学の神、菅原道真公が祀られている湯島天神がある。
(そう言えば、神様ってお社にいるもんじゃないのか? 須佐やウズメさんや姫ちゃんは、そういうところにいなくていいのか?)
ぼんやり考えていると、隣のデスクから《はんなり~》と聴こえて来た。スキンヘッドの上司が氷雨コンコンの配信を見だしたらしい。 氷雨コンコンの語りをラジオみたいに流しながら、聞くともなしに聞く。
「好きなんすか?」
「このモデル、俺が作ったんだよ」
「俄然、あなたのことが大好きになってきました……」
「へへ、よせやい……今日アレよ、凸待ち配信やるから生で聞きたくてな」
ああ、そういえば。自分達の活動に忙しくて、めっきり他の配信を聞かなくなっていた。演者から見たリスナーというのは、どういう存在なんだろうか。自分が配信に関わるようになった今も、イマイチ掴み切れていない。自分が配信している訳ではないから当たり前なのだが。
氷雨コンコンの凸待ち配信はマジの凸を認めており、雑多な配信者が訪れる。友達みたいなVTuberや、成り上がりたい個人系Vも訪れる。
「そういえば勝喜よぉ、お前も友達と配信やってんだろ? そっちは順調か」
「まぁボチボチですね。今日は夜中の雑談配信くらいの予定ですが」
俺も姫ちゃんも文乃もバイトに行くため、誰もアシスト出来ないのだ。ちなみに文乃はまだ中学生の為、バイトと言っても父のカレー屋を手伝ってお小遣いを増やしてもらうことを指す。
配信は1人でもできる。ただ、姫ちゃんが「あの方を1人にしてはぜっっっったいにいけません」と口を酸っぱくしていうから、必ずフォロー役をつけていた。
(そう言えば、ウズメさん――氷雨コンコンからはコラボの許可もらっているけど、どうやったもんかな)
冗談かもしれないが、芸事にあれほど真面目な人が許したのだから、本気と思いたい。上手く使えれば素戔嗚ミコトは更に高みに登るだろうし、下手すれば大炎上に繋がりかねない。何より自分が好きな配信者で、お世話になっている人でもあるから、不義理はしたくなかった。慎重である意味積極性に欠いた判断を、俺はこの数秒後、後悔する。なぜなら、俺が組んだのは須佐で、須佐は明らかに主人公だからだ。主人公というものは〝ボタンがあったら押す奴〟を指すらしい。そんな奴が、凸配信などというボタンを見逃すはずがないのだ。
《――やぁやぁ氷雨コンコン、遊びにきたぞ!》
「ははは、まるで」
須佐みたいな声、と言い掛けて、素戔嗚ミコトの声だと気付いた。
(あれ? 俺、切り抜きかなんかつけてたっけ?)
というか、いま、氷雨コンコンの生配信から聴こえたような。まさか。そう思いながら隣のデスクを見ると、小型モニターの配信画面には狐耳の氷雨コンコンと、狩衣を着込んだ素戔嗚ミコトが映し出されている。俺が作ったモデルだ。間違うわけがない。
俺が作ったモデルが、俺の魂を込めた表情で笑いながら言う。
《約束通り、コラボというものをしよう!》
――ヤバい。
何がかまだ分からないが、とにかくヤバい。そのノリはヤバい。