走るバカ
「君は、英雄の資質を知っているかい~?」
「知らんですよ、そんな義務教育で習いそうにないもの」
会話をぶった切らない為に、続けて答える。
「めっちゃ強いことっすか?」
「そうだね。強い人も多かったね」
「正解があるものなんですか?」
「た・し・か・に!」
ウズメは少しだけ笑う。
「でもね~、アタシが思う英雄の資質というものはね、2つあるんだ。1つはね、必ず重要な協力者が現れること。そしてその手を確かに握ることが出来ること。威風によって引き寄せることもあれば、見苦しくもがく様に差し伸べられることもあり、あるいは知恵によって授かることもある」
「へぇ。チートっすね」
必要な時に必要な人が現れたら、大概なんとかなってしまうだろう。そりゃそうだろう。
「そしてもう1つが、もっとチートなの~。殺した筈なのに、生きている」
あるいは、とウズメは囁いた。
「確かに殺したのに、蘇る」
そんな奴いたら、相手からしたらたまったものではないだろう。〝死〟は決着だ。それが覆るということは、スポーツで言うならゲームセットがゲームセットにならない。そして逆転に必要な何かが現れてしまう。殺しても、壊しても、穢しても。必殺の武器を携え、何度でも立ちふさがるのだ。
「やんなっちゃいますね」
「そう。でも……アタシは……戦ってみたいと、そう思ってしまったんだ~」
雨脚が俄かに強まり、クラシックの音を塗りつぶした。びたびたと窓ガラスに打ち付けた雨が、涙のように、血のように窓ガラスを流れていく。俺は察しの良い人間ではない。リスクを望んで取る勇者でもない。しかし、流石に気付くものもある。
「須佐と戦うんですか?」
いや。少し違ったか。
「須佐と、戦いたいんですか?」
こういう時、相手と目を合わせるのが普通かもしれない。だけど、俺は残りわずかとなったカフェオレに目を落としていたし、ウズメも窓の外をぼんやり眺めていた。目は口程に物を言う。意思が既に通っているのなら、視線の交錯はノイズにしかならない。
「アタシ、嘘吐いた~」
やがて、ぽつりと聞こえた。
「戦いたいんじゃなくて、勝ちたいんだ」
「さいですか」
VTuberにとって何が勝利なのだろう。登録者なのか、再生回数なのか、案件の数なのか、案件の金額なのか。それは分からないが、それを問うことが無粋なのは分かる。
「とりあえず、コラボしますか?」
「おバカっ……まずは、君を育てるところからだよ」
「俺っすか?」
「君が育たなきゃ、誰が乃子ちゃんを表につれてくるの~? コラボも何も、まだ2Dモデルさえ揃ってないでしょ~? モデルが出来たとして、モーションキャプチャーできるの~? できるとして、何か月かかるの~?」
「機材をそろえる時間を踏まえて、8か月と見繕っていました」
「じゃあ~それを3週間に縮めようか」
「どうやって? 祈ればいいんすか? バイトを掛け持ちするとか?」
悩んでいる内に天井を向いていた目線が、答えを探す様に降りて来る。するとウズメの目線とかち合う。雨は止んでいた。曇り空が割れるまでの刹那の時間。
「アタシが」
ウズメはアサガオの蔓が絡む様に、顔の前で手を組んだ。あるいは祈りのようでもあった。
「氷雨コンコンなの」
「わぉ」
そいつはすごい、と言いかけて、やめた。ウズメが組んだ手を解き現れた眼が、あまりにも真剣で穏やかだったから。御簾を割って尊き者が姿を現す様にも似て、茶化せるような粗野な空気ではなかった。ウズメはヒビの入った卵を見守る親鳥のような眼差しに、一抹のからかいの色を加えて言う。
「君がアタシの為に働かないとしても、乃子ちゃんの為になら働くんじゃないかな~?」
カラオケルームに戻ったところ、一人で歌い続けていた須佐が半べそでぶち切れた。
「おまっ、おまっ、おまえら~! 一緒にカラオケ! カラオケきたのに! 乃子を! 乃子を! 置いてった!? そんなことあるか!?」
ウズメは脱皮した皮をまた着るようにツートンカラーに戻り、俺の耳元で「待ってるからね」と囁いて部屋を後にする。俺は憧れの人にそう言ってもらえた喜びと、重たい重圧に震えながら――須佐に揺すぶられていた。
「はぁ~!? 待ってたのは乃子なんじゃが~!? メドレー全部聞けよニカツゥ! 40分な! 合いの手止めたらバーンするからな!」
「ずっと不思議だったんだけど、あのバーンってやつなんなのぉ?」
神様というのは、勝手な奴しかいないのか。いじめるか、振り回してくるか、勝手なものだ。俺が須佐のご機嫌を取るために、暫くマラカスをふりふり合いの手を入れ続けたことは割愛する。
それから俺の3足のわらじ生活が始まった。
1足目のわらじは、V系企業でのバイト生活だ。月・火・水・木はウズメもとい、〝氷雨コンコン〟の配信を手伝う。企画や大筋の準備は終わっているから、俺がやらせてもらえるのは機材の微調整や調達の手伝いくらいのものだ。実際に運用されているものだから、学びも多い。
配信者の機材には会社から貸与されているものと、個人で買い求めているものがある。ウズメはマイクと椅子に拘っていた。
「アタシさ、人から直接買うものじゃなきゃ嫌なんだよね」
そんなわけで、ウズメお勧めの店のリストを渡され、時々買い物にいったりもした。
「あのさ、ゲーミングチェア買って来て。今日の夜の配信までに欲しいから、よろしく」
ゲーミングチェアを持ちかえらされた時は、酷暑も相まって死を感じた。
それと並行して、〝氷雨コンコン〟の所属する企業で、モデリングのバイトだ。モデリングのバイトは、御徒町駅近くのコワーキングスペースですることとなっていた。古い雑居ビルの四階に、見た目とは裏腹な小洒落たオフィスがある。そこに数名のモデラーやら技術者が詰めて、めいめい作業に勤しんでいるらしい。
俺の上司というか、師匠としてつけられたのは暑苦しいオッサンだった。夏でも素肌に革ジャンを着ており、蒸し暑いのか、冷房がキンキンの室内でもスキンヘッドからたらたらと汗を流していた。
「その人、めちゃめちゃ腕いいよ」
そう言ってウズメが教えてくれたのは、今を時めくVばかりだ。特に可愛い系が多く、図らずも〝可愛いものの裏側にはオッサンがいる〟という悲しい証左になっていた。
スキンヘッドのモデラーとモデルを組む。基本的な作成方法は独学で会得していたから、ソフトの使用方法を聞いた後は、とりあえず作ってみようということになった。時々、アドバイスをもらえることもある。
「勝喜、おまえのモデル……ちょっとエッチすぎねぇか?」
「え?」
「いやおまえ、えっ、て……パンツ丸見えやないかそのキャラ」
「いやでも、イラストでそもそも縞パンが見え――」
スキンヘッドが机を叩いた。R15は確実な肌色面積の多いフィギュアが転がった。自作らしい。
「見えてたからって、見えていいってことじゃ――ねぇだろ? くみ取れよ、イラストレーターさんのよぉぉ、〝チラ見せで頼む〟って心をよ」
(ふふ、なんにも分かんない……)
とりあえず「サッセンシタ!」と叫び、修正作業に入る。
「ああ、あとお前、レイヤーの分け方が雑すぎる。それだと修整もめんどいし、モーションキャプチャー入れた時がたつくぞ」
「まじっすか。すんません、どのくらいの塩梅でやればよろしいんでしょうか?」
「貸してみ。連動させたいとこは一緒にいれたいとこなんだけどよ、ほんのり時差を付けた方がっぽいんだよ。だからココはレイヤー分けんの。あと髪とか、左右対称に拘りすぎなくていいぞ。そもそもの人間が左右対称じゃねぇんだからよ。そもそもライバーさんの動きに同期する以上、非対称の動きになるんだからさ~」
たまにマジのアドバイスも貰える。
2足目のわらじは、音谷のカレー屋でバイトだ。
こちらのバイトは二週間前からやっていたのもあって、手慣れたものだ。仕込みや調理は全て音谷が行っているから、俺の仕事はホールとレジ打ち。たまに音谷がパンクした時だけ、洗い物を手伝う。食洗器が満載稼働中でお皿が尽き、音谷はカレーに付きっ切り。緊急で皿洗いをしていると、背後から「くくく」とおかしげな声が聞こえた。大概、おかしい言葉が続く。
「勝喜クン、ぼかぁね、気付いたよ。カレーの副菜のアチャールをしば漬けに変えたらどうだろう? 実に日本的じゃないかな? ――そうか、カレーは日本食なんだよ……! そうだ、お前は日本食、日本ナンだよ……ナンで気づかなかったんだろうこの南蛮香辛料煮込汁が……!」
「ナンを焼いてください、店長」