黒と白の女、ウズメ登場
あくる日である。
深夜まで作業をしていたから、白い服についたカレーのような取り難い疲れがある。VTuber活動を開始――する為の準備――してから、須佐とは1週間に1度くらい会っている。会うのは須佐の家か、俺の家か、音谷の事務所が多い。
しかし今日は、東武伊勢崎線の梅島駅を指定されていた。JR等の駅と比べて小ぶりな改札前は、大路が走っていることと横断歩道があることに加え、歩道の狭さから混雑していた。雑然とした音に舐められていると、昨夜須佐と通話した際の「ぜったいニカツのためにもなるから、ぜったいきて!」という雑な台詞が思い返された。1文で2度も絶対と言っているのに、内容がまるで分からない。
待ち合わせは午前10時。現在時刻は午前9時53分。
(少し早く着いたな)
俺は邪魔にならないよう柱の陰に立っていた。高架下だから、どこか薄ら暗い。高架の左右には昔ながらの商店が立ち並び、あるいは廃業し廃墟となって、生き物のはじまりと終わりを物語るように並んでいる。
不動産屋の前に、まっ白でまっ黒な女が佇んでいた。漆黒の日傘が、陽の光を拒絶している。
女は二の腕から手先まで、黒いカバーと手袋をしていた。夏だというのにアウターを着ており、酷く場違いだ。顔周りは更に念入りで、黒いサングラスに幅広の帽子、首まで覆うカバーをやはり着けている。口元には大きすぎるマスク。白いのは髪と肌だ。
帽子とカバーの隙間から溢れる髪は、色をつけ忘れたように空虚に真っ白だ。わずかに見える顔も、白磁のように透明な白さ。
俺は道に立ち尽くして、なんとなく目を離せず、その人を眺めていた。路地裏に猫がいた時のような。池の鯉に1匹朱塗りがいた時のような。視線と興味を奪われる感覚だ。
「す~いす~いぴょ~んぴょ~ん~」
謎の歌が、俺の意識を引き戻した。
「鬼嫁の居ぬ間に~魂のぉっときたもんだ」
須佐が自転車のベルを合いの手のように鳴らしながら、歌っている。須佐は俺と、黒と白の女に同時に気付くと、にかっと笑った。左手を俺へ、右手を女へ同時にあげて「よっ」と挨拶している。
(はて、今日はどういう日なのだ?)
俺が内心首を傾げるのと同調するように、黒白の女も小首を傾げていた。
所変わって、カラオケである。黒白の女が地下階を所望したので、陽の光の届かぬ地下に降りている。
「ごめんね、ワガママでさ、太陽が嫌いなんだ」
意外に可愛らしい声であった。見た目に威圧感があるので、なんとなく低い声か、怖い声なのだろうと思っていた。
「乃子は、地下は根の国を思い出すから好きじゃからの、良い」
「ふぅん。この子、そういうの話して大丈夫な子なの?」
黒白の女の目が俺を捕える。サングラスの所為で色は分からないが、明るい光彩のようだ。輝いて見える。
「アァ、こやつは事情を知っとる」
「ふぅん」
黒白の女は興味なさ気に頷き、装備品を外していく。ウズメはカラーコンタクトを入れているのか、紫色の目をしていた。なんの光を反射しているのか、天の川のように輝いている。髪はショートボブとポニーテールの組み合わせだ。顔を縁どる髪はギザギザしていて牙のように思われた。
彼女の姿があらわになるほど、俺は目線をどこにやったら良いか分からなくなる。邸宅にしまい込まれていた宝石を盗み見たように妙な心地だ。
そして最後に、ウズメが脱皮するようにアウターを脱いだことで、俺はついぽつりと本音を漏らしてしまった。
「クソ厳ついっすね」
上も下も、丈が短すぎる。覗く真っ白な肌が、上等なキャンパスのようだ。
「あ、ごめん、怖かった?」
なぜキャンパスかというと、真っ黒な入れ墨が縦横無尽に走っているからだ。花、獣の骨、たくさんの瞳、百足、植物のツルが、複雑に絡み合っている。白い骨が黒いものに纏わりつかれて――呪われているように見えた。
「今まで近くに入れ墨いれてる人いなかったので、ぶっちゃけ怖いっす。ただ、めっちゃ綺麗だとも思いまっす」
入れ墨がこの人の大事なものなら、呪いに見えても否定できない。それに、綺麗だと思ったことも嘘じゃなかった。
「正直な子やのー」
西のイントネーションが、音を華やかにした。黒白の女はけらけらと明るく笑う。大口をあけると、舌先にピアスがあるのが見えた。
彼女は須佐の友達で、〝ウズメ〟という名前らしい。どういう漢字かさっぱりわからない。
その後は、須佐に促されるまま携帯ゲーム機での対戦となった。ソフトは国民的大ヒットを飛ばしているレースものだ。須佐とウズメが、バカかってくらい強い。1位と2位は常にどちらかで、俺は8位くらいをうろうろしている。
(なんで俺は)
「――ここに居るんだろう、って思っとる?」
ウズメがゲームから目を離さずに問いかけて来た。BGMとして流行歌が流れており、LIVE音源のボーカルが絶叫している。
「思ってますね」
「アタシも思っとる」
ウズメが「えーい」と言いながらアイテムを使い、彼女以外全てのキャラに雷が落ちた。
「乃子ちゃん乃子ちゃん、乃子乃子ちゃん。どうしてアタシを呼んだのかな?」
「は? 月1の定例会じゃろ?」
定例会だったのか。仲良しだな。
(だとするなら、俺を呼んでいるのおかしくないか、須佐)
友達の友達って、どう接したら良いか分からないポジションの人だろ。須佐は根が明るい奴の独特の笑顔で言う。
「乃子が好きな人じゃもん、みんながみんな好きになるに決まってるよ」
「アタシ、クシナダ嫌い」
「乃子は嫌いまで行かないけど生活に過剰に干渉してくるところが、少しキツイかの」
「キツイを越えた先の嫌いは、憎しみになるよ。アタシがそう」
「話変わるけど、今度PEPXやらん? 乃子、クラン追い出されちゃって今野良なの。パーティ組むのに飢えとってのぉ」
「いいよ~。アタシも本垢プラチナまで行ったんだ」
(俺、この場にいる?)
なんとなく集まったメンツの中で、自分だけが喋れずにいると無性に喉が渇く。俺はドリンクバーでカルピチュが1番好きだが、今日は味が薄く感じる。
「あ」
須佐が良いことを思いついた、というような声をあげた。
「ニカツも一緒にやらんかの?」
なんかやべー地雷踏んだ気がする。
俺は努めてウズメの方を向かず、携帯ゲーム機の画面に目を落としたまま言う。
「――……ウズメさんが、よろしければ、俺まだ、シルバーランクですが……」
「いいよ~。じゃあ時間とかは乃子ちゃんに連絡するから引っ張ってもらってね~」
すっごい柔らかい言い方だけど、フレンド登録とかはしない〝壁〟を感じた。
(でもぶっちゃけありがてぇ。1回接待PEPXやれば解放されるってことだからな!)
(……接待PEPXってなんだ? ウズメさぁん、ナイスヘッドショットォ、ナイス救命ェ、とかやればいいのかな?)
俺が人知れず気を回し、気疲れしている間に、レースは最終ラップに至った。須佐が甲羅を連打しながら全キャラをスリップさせ、1位に躍り出る。
「あ」
須佐がまた良いことを思いついた、というような声をあげた。たぶん良いことじゃないから黙っていて欲しいが、そんな思いをくみ取ってくれるような須佐じゃない。実にあっけからんと彼女は言う。
「ウズメ、コラボしよ、コラボ。VTuberってコラボするもんなんじゃろ?」
話を振られたウズメの顔色は変わらない。しかし、ほんの僅かに嬉しそうな気がした。
「え~? 乃子ちゃん、2Dモデルとか出来たの? 前会った時、動画2本くらいしか作ってなかったし、全然準備できてなかったじゃん」
「動画はのぉ、いま10本くらいになってて、最高再生回数が5万ちょい」
「……へぇ」
「ニカツがの、企画とか立ててくれての。なんか上手くいっとるんよ。嬉しいのぉ。2Dモデル? も、クシナダとニカツが作ってくれとる。もうちょいで完成するんじゃよ。なぁ、ニカツ」
――技術的には可能です。俺の魂はまったく納得いっていませんが。
という想いを、俺は下手なウィンクとサムズアップに託した。須佐が受け取ってくれたかは謎だが、ちょうど、ゲームが終了した。最終成績は須佐が1位、ウズメが2位、俺が9位だ。2人の争いに巻き込まれて、勝手に爆死していた記憶しかない。
「ふぅん。乃子ちゃん、順調だね~」
その時、5人兄妹で培われた俺の勘が働いた。姉ちゃんが面倒くさいことを言う8秒前の空気だ。
俺は急いでカルピチュを飲み切ると、「おかわりいってきます、須佐とウズメさんは? あ、大丈夫? わかりました」と部屋から遁走した。