神様の話より、チキンティッカ食べようぜ
「通りの良い名前で申しますと」
そう切り出したのは櫛灘だ。
「わたくしの名はクシナダヒメ。そして、この方の御名はスサノオノミコト」
「日本神話におけるビッグネームですね。とりあえず、ご発言の全てを受け取ります。後ほど疑問点は聞かせて頂ければ……あの、神様と言うのは、けっこう顕現なされているものですか?」
「そうですねぇ。時代によっても変わりますけれど、道行く人の15人に1人は、いわゆる神と思って頂ければ……」
ちゃぶ台の上には5つの湯呑が置かれている。須佐、櫛灘、文乃、俺、アオダイショウの分だ。アオダイショウは湯呑に巻き付くと、チロチロと舌を出して茶を舐めている。
「なるほどぉ。八百万の神々って言いますものねぇ」
文乃はさっくり受け入れているが、俺はまだ飲み込めていない。
(須佐が神様? そんな馬鹿な――いやでも、昨日、須佐は確かに空中から現れた)
事故を否定したい気持ちが記憶を改竄したのかと思った。思いたかった。
(俺を片手で放り投げられる、見た目とあってない異常な怪力)
(今思えば、缶バッジ吹き飛ばしていたのも人間業じゃない)
そうだ。思い返してみれば、須佐の言動はずっと異常だ。今更の恐怖に包まれながら須佐を盗み見る。須佐は真剣な顔で、俺に向けてそっと告げた。
「――なァ、カレー冷めちゃうから食べ始めていいかの」
「須佐って、ほんとに神様なの?」
「乃子ずっと神系って言うとったじゃろ? ちゅうか、ナン4つあるから、みんなで一つずつでいいかなぁ」
こいつダメだ。カレーのことしか頭にない。須佐がナンを割り振ると、なし崩し的にみんな食べ始めた。
俺もこうなっては食べたいところだったが……ルーティン的に食べ始めることが出来ない。俺はインドカレーを食べる際、絶対にチキンティッカから食べる。スパイスの美味しさを1番感じられるのが焼き物系で、1番美味しく食べられるのは1番初めだからだ。
3つも1番がある。それは魔力的な魅力を持つ。であるなら、それを選択しないのはおかしなことだろう。俺はある重要なことを文乃に確認した。
「このチキンティッカって、初配送先へのサービスのやつ?」
「です。ナンを4人前だったので、チキンティッカも4人分サービスです」
良かった。であれば、一人一本チキンティッカはあるらしい。俺はおとなしく、須佐がチキンティッカをくれるのを待つことにした。
「あのぉ、そもそもなのですがぁ、どうして神様がVTuber活動をしようと? 趣味でしょうかぁ?」
「仕事じゃよ、仕事。信力が欲しいんじゃよ」
須佐が2本目のチキンティッカを手に櫛灘に目配せする。櫛灘は須佐からのおねだりに軽く頷いた。
「求めているのは金銭ではなく、信仰ですけれどね」
「どうして信仰が必要なんですか? ないと消えちゃうんですか?」
「消えるの捉え方次第ですけれど……かみ砕くと、神社はあってもご利益がなくなる、というのが近いですわね」
文乃は話をこめかみを人差し指でおさえ、瞳をぐるぐると回して情報を処理している。なんだか梟に似ていて可愛らしい。
「同じ質問になり恐縮ですが、なぜVTuberなんですか?」
「乃子達はおそらく、滅びる途上にあっての」
須佐が櫛灘を見て、思い出しつつ話す。
「お主らは知らんと思うが、前の大戦で神域も神々もズタボロになっとったんよ」
「敗北とはつまり、ご利益がなかったということでしょう? 芦原中つ国の方も減っておられて信仰の総量が減り、ご利益がないから信仰されなくなりまして」
「そこにアレきたからの。映画とか、ドラマとか」
「そうそう。それで人々の信仰の対象が拡散していきまして……しかもわたくし達はカメラに写れないものですから、打つ手がなくなりまして……あらぁ~わたくし達、滅んじゃう~って絶望してましたの」
絶望にしては、ポップな感情に感じる。須佐が鳥の骨で文乃を指す。
「そしたらモーションキャプチャとか新しい技術が出てきたじゃろ。オモイカネがそれ弄ってたら、〝あれ? 神格持ちってカメラには映らないけど、認識はされてるっぽくね?〟って気づいてのぉ」
「元々、絵巻物等で信力を回収する手法は確立されてましたので、これはイケると。高天ヶ原の御令姉様もノリノリでしたし」
「ウズメが〝乃子ちゃん大好きなPEPXして暮らせるよ?〟って囁いてきて、乃子はもうこれは乗るしかないと」
「わたくしは詐欺だと思い、止めるつもりでしたの。ところが根の国を脱走されまして」
須佐が〝こうなった訳〟と言いたげな顔で、両手を広げた。須佐が3本目のチキンティッカに手を伸ばし、文乃が軽く頷きを返した。文乃は店の売れ残りをいつも食べているから、カレーやチキンティッカに執着しないのだ。
(大分待たされているけど、まぁ次で食えるしな)
卓上のカレーはもう半分も残っていない。だが俺は、ルーティーンを崩すくらいなら絶食する。俺は効果が確定したものを愛し、未知のものに忌避感を感じる男。
俺だけが無駄にハラハラしている中、文乃が話のかじ取りを続けている。
「要するに――――本当に、生活の為にやっている、ということなんですね」
「うん。あと、信力が枯渇すると乃子達の意思がなくなるから、PEPXとか出来なくなる。雪山で寝ちゃう感じに近い……かの」
「死の概念に近いのでしょうかぁ?」
「どちらかというと、植物状態に近いかもしれんのぅ」
「えぇ。信仰が集まれば目覚めるでしょうし、集まらなければもう2度と目覚めない……」
「その時、ヒトの言う死んだという状態になるのであろうな」
須佐が4本目のチキンティッカに手を伸ばす。
「須佐、ソレは駄目だ。マジで駄目。受け入れらんないよ俺」
お前が神として、神が許したとして、俺は許さねぇよ?
「ニカツ……」
須佐が潤んだ瞳で俺に手を伸ばしてきたが、普通に邪魔。払いのける。さっさとそのスパイスの染みた鳥を寄越せ。須佐が「ニカツ?」と払われた手を擦るのも鬱陶しい。憤り、立ち上がろうとした俺の体を、何かが縫いとめた。
「……しゅるる」
「かゆ」
と下を見ると、アオダイショウが俺の体を這い上がっていた。
突然、蛇に身体を這われ――頭がショートした。どう動いたら良いのか、まったく分からない。その間に、蛇は実に素早く俺の身体を登る。蛇は「分かっておりますとも」とでも言いたげな顔で、俺や須佐、文乃を一瞥しながら、登って来る。マフラーのように首に巻きつかれ、鱗の妙にすべすべの感覚に変な声が出る。
アオダイショウは俺の伸ばされた腕を、木々の枝を渡るようにしてテーブルに移ると、物だらけのちゃぶ台の上を疾走し、ちょっとだけ跳ねてチキンティッカに巻き付いた。
「なんじゃオロチ、お前も鳥が食いたいんか」
須佐が「チチチ」と言いながら、鳥を指先でほぐしてやっている。
「ああ……てぃっか」
俺は蛇が身体から離れた安堵感と、結局チキンティッカを取られたガッカリ感で、定まらない心のまま手を宙に伸ばし続けていた。その手に、文乃が箱を押し付けた。インド人なのかフィリピン人なのか判然としない、物凄く濃いことだけは分かる男の顔が描かれた箱は、文乃の親父のやっている偽インドカレー屋のアイコンだ。
「せんぱい、ありますよ、チキンティッカ」
予備です、と文乃がウィンクした。