須佐の天敵にして嫁、その名は櫛灘
「すいません、お待たせして」
戸の向こうにいたのは、身長140cmあるかないかの小さな女の子だった。少女はくすりと微笑んで、着物の裾で口元を隠した。
大正ロマンというか、よく使い込まれた、だけど手入れの行き届いた着物を着ている。着物は、葉桜に、陽気の黄色を加えたような、鮮やかな若菜色。帯はえんじ色で、落ち着いていて見えるのに、
「あらあら、可愛らしいおひと」
童女の真っ赤な唇と、朱の指した頬が、全てを艶やかに見せている。下卑てはいない。黄金の稲穂の海に沈んで立つ重たい身をつけたリンゴの木。その赤。清々しく重厚な生命の色だからだ。
「いやぁ、そりゃぁ、こちらの、せりふで」
「あの方はいらっしゃいます? 当世では須佐 乃子なんて名乗られているかと思うのですけど」
この家に須佐がいることは、分かっているのだろう。確信をもった声だが、童女は穏やかな微笑を湛えたまま、俺から目を離さない。
「あ、ああ、須佐なら奥に」
「ありがとうございます。あがらせて頂きますね」
「どうぞ」
脱いだ足袋を揃えた童女が、音も無く部屋の奥へ行く。
(いまどき、足袋? そういうコスプレなのか? いや、それよりも)
案内されるまで、入らなかったのか。
(須佐を追いかけてきた熱量の割に落ち着いているというか、礼儀正しいというか、なんというか……不思議だ)
疑問を感じながらも、俺も童女の後を追う。
部屋の中では、須佐がちゃぶ台の下にもぐりこんで丸くなっている。ダンゴムシみたいになって耳を塞いだ須佐に、しっとりと覆い被さった童女がぶつぶつと囁いている。
「根の国からうっかり出られたのは良いものの、家のことやらなんやらで子孫君に迷惑までかけて…………そこまでして、いったい何をなされているのです?」
「いや、それは、なんていうかこれからのことだし……家とか、戸籍とかは、うずめとかも、やってもらってるし……」
「ゾウリムシをひっくりかえす動画をあっぷろーどする意図はなんです? どうしてゾウリムシを煽るのです? 煽ってなにが起こるのです?」
「だ、だれもやっていないことを、やろうと思ってぇ」
「ほとんどの場合それは、やらない方が良いことでしょう? 企画がめちゃくちゃなのはともかくとして、動画もなんです、あれは」
「なにって? スマートフォンで撮った感じ……」
「15分の長尺動画なんて、余程でなければ誰も開いてくれませんよ?」
「いや、6人くらいは見てくれて……ひ、1人はチャンネル登録も……!」
「あれは、わたくしです」
「そんな!」
「そもそも、さむねいるが野暮ったすぎます。一目で面白さを伝えてくださいまし! 葛飾北斎の神奈川沖浪裏のように粒立ち雄大に! 歌川国芳のおぼろ月猫のように繊細で美しく!」
「いや、ちょ、はじめてだからぁ」
「息継ぎがマイクに拾われていて聞き苦しい。まさか、スマートフォンのマイクで収録したんじゃないですわよね?」
「ううん。300円のマイク、秋葉原で買ったの」
「呆れ果てました。仮にも配信者たろうものが……そもそも貴女様は、昔っから思い付きで、独りで為されることは何一つ身にならないでしょう?」
「だからぁ、いまぁ、ニカツも誘っててぇ」
「あら……」
どういうお話をされているのかしらん、どういうご関係なのかしらん、とりあえずコーラでも飲もうかしらん、と余裕をかましていたら急に矛先が向いて驚いた。俺の動揺が、コップの中で大波となっている。
「揚げ物屋さんの息子さんなの?」
「いえ、建築士の息子で……そもそも俺も、なんでニカツって呼ばれてるのかさっぱりで」
「え、うそじゃろ」
須佐が心底驚いたというように言う。
「詔り別けからなんだけど、誰もわかんないってまじ?」
(海苔巻きの亜種だろうか)
ニカツの由来を説明されたはずだが、疑問が増えた。
「ノリワケ……」
櫛灘が呟き、水晶のような煌めきの瞳で俺を見た。