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コーヒーの洗礼式

 先輩はキリスト教の牧師になった。


 彼は文芸部の先輩だったが、いつも私の書いた小説にケチをつけていた。


「ノンクリってこんな事考えてるの? いや、大変だよね。こんなに死ぬ事が怖いなんて。もっとも『死』や『病気』に繊細な意味づけをすれば、創作のネタは広がるが」


 私は病気で死んでしまう登場人物の青春小説ばかり書いていたが、先輩は一度も褒めなかった。


 クリスチャンの先輩からしたら、死は単なる通過点で、怖いものではないらしい。死んだら天国に行けると本気で信じていた。


 なるほど。


「死」に繊細な意味を込めている私の作品は、彼が納得するわけは無いだろう。確かにクリスチャンが多い国の翻訳小説で、タイトルに「余命」とかついているのは見た事がない。


「しかし、ノンクリはいいね。異世界転生、魔法、死。こういったエンタメで扱いやすいテーマは、俺は書けんわ。特に転生みたいに全く存在してないものは書けんよ。残念ながら、俺は『死』の物語では全く泣けないね。あー、ネタ切れた」


 そう言う先輩は、エクソシストをネタにした小説ばかり書いていた。確かにテーマの幅は狭く、途中でネタ切れになったようで、私の作品にケチばっかりつけていた。


 それから時は流れた。


 私は、カルトにハマってしまった。あれから色々とあったのだ。


 一番大きな原因は、付き合っていた恋人が病気で死んでしまった事だった。やっぱり「死」に特別な意味をつけた小説ばっかり書いていたのが良くなかったとも思う。言霊ってあるのかもしれないと思ったりもした。


 カルトは「死んだ人を奇跡で生き返らせる」と言っていた。藁をもつかも思いだったが、貯金を全額むしりとられて目が覚めた。


 仕事も友達も金も家族も全部失った私に、手を差し伸ばしてくれたのは、先輩だけだった。仕事でカルト被害者の支援もよくやっていたらしいが。


 先輩は仕事場である教会に、居候して良いという。先輩は教会の裏手の牧師館という場所に住んでいて、一応同居ではなかった。私はその言葉に甘えさせて貰っていた。


 食事は、だいたい先輩と一緒にとる。牧師館の一階にある狭いダイニングで毎日食卓を囲んだ。


「コーヒー飲むか?」


 先輩は、食卓にカップに入ったコーヒーを置いた。ふわりと香りが広がる。焼けた食パンの匂いには、勝てなかったが。他には焼いたソーセージ、ポテサラ、味噌汁があった。全部先輩が用意した朝食だった。


 今の私は教会で居候状態だった。家事も何もしていないが先輩は何も言わなかった。カルトにいた事も何も言ってこなかったし、キリスト教の話も1秒もしなかった。


「コーヒーは、ちょっと……」


 私はコーヒーは断った。


 カルトでは、コーヒーは悪魔の飲み物だから禁止だった。コーヒーを飲まないという行いをこなせば、罪や身体が清められ死んだ恋人が生き返ると信じていた。


 それだけではなく、お金、性(教祖はセックスも強要してきた)も犠牲にすれば、恋人は生き返ると思い込んでいた。


 その過去を思い出すと泣きそうだ。ああ、自分は愚かで罪深い。


 結局、あれだけカルトで行いを頑張ったのに、恋人が生き返る事はなかった。自分の書いた小説は「泣ける」結末だったのに、現実はカルトにはまって人生詰むとか笑えてくる。


 それでも何となくコーヒーは飲みたくない。飲んだら本当に恋人が生き返る手段が消えてしまいそうな気もした。


「コーヒーは悪魔の飲み物じゃないぜ? クリスチャンは神様に感謝すれば何でも食べていいんだから」

「へー。信じられない」

「昔もコーヒーにそんな事言ってるヤツがいたが、クレメンス8世っていうローマ法皇がコーヒーに洗礼を施してクリスチャンも飲めるようになったんだ」

「コーヒーに洗礼って? 何なの?」

「俺もわかんね。コーヒーに洗礼ってどうやったんだろうね? 法皇が単にコーヒー好きだっただけかも。っていうか、今からコーヒーに洗礼を授けようかね」


 先輩はそう言い、コーヒーをキッチンの流しに持っていった。


 蛇口をひねり水道水を浴びせていた。


「父と子の聖霊の御名によってコーヒーに洗礼を授けます。あなたの罪の為にイエス・キリストが十字架に死に、3日目に生き返った事を信じますか?」


 先輩はそう言い、さらにコーヒーに水道水をかけ続けた。


 真っ黒なコーヒーは、水道水のせいで色が薄くなり、ついに全てが洗い流された。キッチンの窓から差し込む朝日のおかげで、流しの水はキラキラと輝いていた。


 私の罪も綺麗に、とても綺麗に洗い流さればいいのに。


 そんな事を思う。


 そう思うと、鼻の奥がツンとして再び泣きたくなる。


「これで、大丈夫だ。もうコーヒーは、悪魔の飲み物じゃない」


 そう言う先輩の声が優しくて、私の頬はびしょびしょに濡れていた。

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