いつかのご当地小説
「委員長、いつかウチらの地元の船橋市を舞台にした小説を書いてくださいよ」
「そうは言ってもね……」
私は苦笑しながら、地元の先輩と電話していた。
彼は元ヤンキーで一年留学していた。一応クラスで優等生で委員長をやっていた私は、先輩の世話係となっていた。
なぜか先輩は私に懐いていた。卒業した今でも時々連絡をとっている。
彼はヤンキーからすっかり足を洗い、実家のコンビニを継いでいた。コンビニのクリマスケーキや恵方巻きは別に好きじゃないけれど、先輩の為に毎年予約してあげていた。
一方私は、会社の経理部で働きながら兼業作家をやっていた。いわゆるライト文芸というジャンルで、ご当地が舞台のホッコリ小説をチマチマと執筆していた。カフェが舞台だったりあやかしが出てくる先品を書いている。大人向け少女小説といった感じのジャンルだ。
「船橋なんてホッコリご当地ものとしては弱いのよねぇ。部活ものや恋愛ものだったらいけるけど、ライト文芸としてはねぇ……。いくらウチらの地元といっても、ライト文芸映えはしないのね」
「えー、そんなの納得できないっすよ。俺、駅前のときわ書房で委員長の小説いっぱい売ってるのを見てみたい」
「まあ、京都、鎌倉、横浜、神戸、函館、愛媛、金沢あたりだったら企画が通るんだけどね。東京だったら浅草か人形町」
ときわ書房は、我が地元船橋駅前にある書店だった。サイン本が多く販売され、密かにファンが多い書店だが、私の本は発売日から1ヶ月程度しか置いていない。しかも1〜2冊棚にあるだけ。残念ながら、大手では無いライト文芸レーベルなら、そんなものだろう。このジャンルは、新規参入も多いが、その分潰れているレーベルも多い。結局、書店で大きな売り場を確保できる大手出版社のレーベルが有利なのだ。まあ、これはどのジャンルでも同じ事だが。
「じゃあね、先輩。これから小説書かないといけないの。プロローグぐらいは仕上げないと」
「そっかー。厳しんだな」
電話を切ると、冷蔵庫からマックスコーヒーを取り出して仕事部屋に向かった。
このマックスコーヒーは、千葉県と茨城県限定で販売されていた。通称ちばらきコーヒー、マッ缶とも言われ、練乳入りでドロドロに甘い。私の感覚では、普通の缶コーヒーの倍ぐらい甘くて美味しい。小説執筆中の糖分補給にはピッタリでよく飲んでいた。
マックスコーヒーの黄色と黒のレトロな缶のデザインを見ていると、哀愁を誘われる。
高校時代のクラスメイトや先輩の顔がチラチラと浮かんでくる。
本当は地元船橋市を舞台にしたご当地小説を書きたかった事を思い出したが、そんな企画は一回も通らなかった。
今は京都を舞台にしたコーヒーショップのライトミステリを書いている。
一度も京都なんて行っていないのに、大量の資料、動画サイトのお陰で意外と書けてしまう。コロナで取材もなかなか行けないのだ。
窓の外から遠くでヤンキー達が騒ぐ声が聞こえる。
千葉県船橋市で何の縁もない京都のご当地小説が生まれているのは、なかなかシュールだった。イノダコーヒーではなく、片手にマックスコーヒー。
そういえば、浦安にある夢の国もおかしな名前がついている。非公認のふなっしーの方が人気が出ちゃうし、微妙にズレているのが千葉県らしい。
でも、この作品が万が一売れたら船橋市のご当地小説も書けるかもしれない。
その時は、何だかんだで私を応援してくれた先輩に献本を持っていこう。
再びマックスコーヒーを口に含む。
甘い夢かな?
少し泣きたくなってくるけれど、この甘みは私を慰めてくれていた。




