推敲とエッグコーヒー
「この主人公の心の動きがよくわからなくね? ここは何でこんな展開になるの?」
文芸部の部室に香村先輩の声が響いた。
声だけは、確かに女性らしく可愛らしいが、その内容は辛辣だ。
週に数回部室に集まり、お互いに書いた小説を批評しあったり、推敲したりしていた。文芸部らしく本棚には小説執筆の指南書ばかり置いてある。
部員は一応数人いるが、香村先輩と僕以外幽部員だった。この高校は部活入部が強制なので、幽霊部員がどこの部にも一定数いる。
「だって、この展開にすれば、主人公二人がくっつけるし」
「うーん、わからない。突然ヒロイン側の溺愛が始まった感がして、唐突なんだけど」
そういう香村先輩の小説もなかなか酷い。コーヒショップが舞台のライトミステリだが、頻繁に殺人事件がおこり、警察が誤認逮捕までしている。日本の治安や警察ではあり得ない設定だった。先輩本人としては「これは和製コージーだから細かい事はいいの!」らしいが。
「まあ、一緒に原稿見ながら推敲していきましょ」
こうして印刷した作品にペンを入れながら推敲していった。
誤字脱字はもちろん、心理描写や展開の矛盾点を一つ一つ潰していく。思った以上にこの作業が大変だった。読めば読むほど矛盾点が見えてくる。想像以上に小説の辻褄を合わせる作業は難しい。
僕が書く青春ラブコメ、香村先輩が書くライトミステリでもこれだ。本格ミステリや歴史ものなどの推敲作業を想像すると途方もなく感じた。
僕はこの推敲作業が嫌いだ。嫌でも自分の未熟さを思い知ってしまう。
「うーん、終わらない。どこを読んでも矛盾点ばかり目につくよ」
いよいよ煮詰まってきた。
「まあ、少し休憩しましょう」
香村先輩は立ち上がり、隣の部屋の給湯室に向かった。この部室は旧校舎にある。元々教員が使っていた給湯室がそのまま残っていた。この給湯室のガスも冷蔵庫も生徒が自由に使っていい。
「コーヒー? 俺も手伝いますよ」
「いいよ。でもこのコーヒーはちょっと特別ね」
「は?」
香村先輩は挽いたコーヒー粉を小さなボウルに入れると、玉子を殻ごとと突っ込んでしまった。それをペースト状に混ぜ合わせた後、沸騰したお湯が入った小鍋に入れていた。
「なんですか、これ?」
「エッグコーヒーよ。北欧のコーヒーなんだって。オシャレでしょ? ちょっと本場のものとは作り方が違うけどね」
「えー、殻まで入っているのはまずそう」
香村先輩は僕の言う事など無視し、煮立ったそれに冷水を加え、濾過していた。
こうしてカップに入ったのを見ると普通のコーヒー?
いや、普通のより色が柔らかく、少し澄んでいるように見えた。
「昔のコーヒーは不純物も混ざってたみたいね。で、玉子や魚の皮なんかと一緒にコーヒを煮出すと、不純物が濾過されて消えてたんだって」
「へぇ。先輩はライトミステリ好きだから豆知識も好きっすね」
「北欧だけでなくミネソタ州でも飲まれてるみたい。コージーミステリのお菓子探偵ハンナシリーズでこの飲み方が書いてあって、一度やってみたかったのよねぇ」
僕は給湯室でこのコーヒーを飲んでみた。
苦味が少し少ない? 雑味もない? ちょっとクリーミーだ。
別に甘くはないが、玉子と一緒に作った感じはしない。意外と飲みやすいクリアな味だ。ドーナツやクッキーとも合いそうな感じだ。
「まあ、所詮人間が作った小説なんて完璧じゃないわよ。意味わかんない所は、読者に投げちゃっても良いかも?」
「そうかなー」
「あんたの作品のヒロインは、出会った時からヒーローに惹かれてたのよ。今、何となくそう思った」
それは作者でも思いつかない発想だった。
なるほど。
小説も読者の見方で色々変わってくるらしい。
「そうか。そういう解釈もアリか?」
「でしょー? さっきはちょっと言い過ぎたわ。あんたの作品は嫌いじゃないよ。十万文字完結お疲れ様」
「なんか、今のは本当に先輩っぽいですねぇ」
「そう? いつもエタっていたのに完結までよく書けたじゃない」
気づくと僕の肩の荷は降りていた。矛盾点のない完璧な小説ばかりに拘らなくても良いかも知れない。
僕は再びこのコーヒーを口に含んだ。
さっき飲んだ時より雑味を感じないのは、気のせいではないだろう。