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短編

【コミカライズ化】婚約破棄されたら王妃になりました

作者: 田山 歩


 7歳から婚約をしていた男に婚約破棄を言い渡された。それは予期していた事であり、半ば諦めていた事だった。


 正直もっと早く言ってくるかなと思っていたから、遅いくらいだ。


 目の前の婚約者は軽蔑するような目を私に向け、持っていた資料をバサリと勢いよく机に投げつける。そのせいで紙が一枚床へと舞っていった。それを慌てて側近が拾うのだから、何だか面白い。


 笑うのを我慢しながら、スッーと目を細めれば婚約者である王太子ランスは軽蔑の眼差しのまま吐き捨てる様に言葉を続ける。


「君が虐めをするような最低な人間だとは思わなかった」


 それは自分だってそう思っている。虐めをした記憶なんて更々無いのだから。

 しかし、はなから私の話を聞く気がない人達に「やっていない」と主張するのも面倒臭い。


 私は溜息を殺しながら、じっとランスを見続けた。それにどう思ったのかは分からないが、ランスは勝ち誇った顔をして机にある書類をトントンと指先で叩く。


「これが君が行った非道な行動の報告書だ。読むかい?」


 そう言われたら見ないという手はない。私はにっこりと微笑みながら書類を摘み上げた。


 上から順々と目を通していくと、初耳な事ばかりが並べられている。内容は主にある女生徒に対する虐め行為だ。その女性を貶める噂、茶会での非道な行為、傷害、器物破損、婦女暴行未遂……等、凄まじい悪烈な行為が列挙されている。


 そしてその主犯が私であると、そう記載されていた。


 正直、全く見覚えのない事柄に頭が痛い。本当にあった事なのか捏造なのかも分からない。

 しかし、ちゃんと資料にまとめてある事だけは褒めてあげよう。内容がどうあれ、だ。


「婚約破棄はお受けしましょう。けれど、この報告書の事は全く身に覚えがありませんわ」


 溜息混じりに言えば、婚約者は眉をピクリと動かした。


「身に覚えがない?」

「ええ」

「こんなにも証言があるのだぞ」

「ええ、そのようで」


 手元の資料をテーブルに戻し、私は婚約者であるランスの蒼い瞳を見る。その瞳には深い怒りが浮かんでいた。


 王太子と公爵令嬢である私の婚約は政略的なものだった。数年前まで週に一度のお茶会と何もなくともプレゼントを送り合う仲だった。手紙のやり取りも頻繁だった気がする。お互いに恋愛感情はなく、義務感での関係だったが、それなりに仲良くやっていたと思う。


 だが、一年前に学園へ一人の聖女が入学してきた。元々は平民の子で聖なる力を発現した事により伯爵家へ養子入りし、同じ学舎で過ごす事になったのだ。


 数年間いなかった聖女の出現に国中が湧いた。それは私も同じであった。

 どんな子なのだろう。困っていたら助けてあげよう、そう思っていたのだが、実際の聖女は男と女の前で態度を変える不思議な人間だった。最初こそは男女関係なく、ちやほやしていたが、段々と女生徒は距離を置く様になり、聖女は男子生徒としか一緒にいなくなった。


 とある婚約者のいる男子生徒がいた。聖女は元々は平民だから『婚約者のいる男性と親密にしてはいけない』という事を知らないのか、その男子生徒にしなだれかかり、偽りの愛を囁いていた。

 男子生徒は普段は触れられない女性の柔らかさに骨抜きになり、次第に婚約者を蔑ろにし、そして婚約破棄を突きつけた。

 その頃には相手の女性も愛想が尽きていたのですんなり破棄が出来たが、この出来事が決定的となり、女生徒は聖女から一切の手を引いた。今まで少しの同情や打算で関わっていた者達も一斉に引いたのだ。


 だが、そんな事どうでもいいのか聖女は男子生徒を籠絡し続け、同じような事を二度も三度もやらかす。もうその頃には一部の男子生徒も距離を置く様になり、学園中が何処か冷ややかに聖女を見ていた。


 そしてそんな日々が続く中、学園に激震が走る。なんと我が婚約者、王太子であるランスが聖女の手に落ちたのだ。


 第一報を聞いた時、嘘だろう…と開いた口が塞がらなかった。あんな醜聞を撒き散らしている聖女の何処に落ちる事があるのか、と眩暈がした。

 醜聞を無しにしても愛らしく思ってしまうのか?その手管は?無限に湧き出てくる疑問は今にして思えば混乱していたのだろう。ランスの事、聖女の事が頭をグルグルと回り、どうしようもなくなった私は父に頼み、王太子の保護者である国王との面会を取り付けた。


 国王はランスの叔父だ。

 前国王はランスが3歳の時に身罷られた。王妃が第二子出産時に命を儚くされた事により、段々と衰弱していき最終的には流行病で命を落としたのだ。


 本当であったら息子へ譲位するところなのだろうが、いかんせん息子は3歳と0歳。王位など継げる訳もない。

 そこで既に臣籍へ下っていた現国王がその席を埋めたのだ。


 国王はまだ28歳。その顔立ちはランスと血縁にある為かとても似ている。しかし、醸し出すオーラはランスとは似ても似つかない妖艶さがあった。

 うっかりすると鼻血が出そうになるのは自分だけの秘密だ。


 そんな国王に私は今の学園の騒動とそれを止めるつもりは自分にない事、そして自分に秘密裏に影をつけて欲しいとお願いした。ランスが言えば婚約破棄も受け入れる。だが、変な言い掛かりをつけられ破棄されるのは避けたいとも。


 だってそうでしょう。誰だって面倒が降り掛かるのは嫌だ。だったら先手を打って対策した方が良い。


 国王は暫し思案してから、それを了承し『もし婚約破棄をされる事があれば、私を頼りなさい』と有難い言葉をくださった。その言葉は何よりも自分を強く、そして奮い立たせてくれた。


 学園生活はランスが陥落してからというもの、聖女が突然現れて目の前で転んだり、池の中に飛び込んだりと不審な行動を起こす様になった。

 最初こそは驚いて声を掛けようとした。だってどうみてもおかしい行動だ。


 もしもし、貴方頭大丈夫?そう声を掛けたかった。だが声を掛ける前に聖女が『何故こんな事をするんです』とさめざめ泣き、それを聞きつけた聖女のお気に入り達(ランス含む)が私を囲み非難するのだ。

 この劇団は何?そう思っている間にいつも劇は終演し、私は周りに哀れみの目で見られながらその場に立ち尽くしてしまう。

 考えれば考える程よくわからない劇だ。



 そして事が動いたのは、今日。

 ランスに城へ呼ばれ、婚約破棄を言い渡されたのだ。本音を言えばもっと早く言って欲しかった。何故ならあの劇、あれは実に時間の無駄だ。人生の中でとてもいらないゴミみたいな時間だ。



 資料をテーブル置いた私は蒼い瞳を見つめたまま、口を開いた。


「それは本当に正しい証言ですか?」

「側近達が調べたから間違い無いだろう」

「所々日付と時間が抜けてますが」

「些細な事だ」


 確かに些細な事かもしれない。だが、これは王家が公爵家の方に問題があると言いたいが為の資料だ。つまり、これは公的資料にもなりかねないもの。それがこんな杜撰なつくりとは。


 後ろの側近達を見てみれば、親の仇でも見ている様な目で私を見ていた。私情もりもりの報告書等作って何がしたいのか。ああ、私を断罪して婚約破棄か。


 私は眉間を人差し指で押さえてから二度目の溜息を吐いた。


「先程も言いました通り、婚約破棄は致しましょう。ですが、これは全くの出鱈目なので再調査をお願いしますわ」


 生まれながらの冷めた目でじろりと睨めば、ランスがビクリと肩を跳ねさせる。なんと情けない。しかし此処まで馬鹿にされているのだ。睨むくらいなんて事ないだろう。


 しかし何故私が目の敵にされているのか。

 ランスの婚約者だから?でも普段の私を見ていればランスが誰かに愛を囁いていても何も思わなさそうな事は分かるだろうに。


 あんなに素通りをしているのだ。興味がないのくらいわかるでしょう?


 いや、でもまさか。そう思っていなかったとしたら?


「まさか私が殿下を愛しているからやっていてもおかしくない、とでも思ってらして」

「お前は私を愛しているだろう」


 その言葉に思わず目を見開いた。


 いや、何処をどう見たらそう見えたのか教えて欲しい。私がいつあなたを見て頬を染めました?あなたと話していて嬉しそうにしました?

 寧ろ面倒臭そうにしていた記憶しかないのですが。


 ああ、それがいけなかったのかもしれないわね。


 淑女の仮面をしていても滲み出てしまう面倒だと思う気持ち。


 今もそう。とてつもなく面倒くさい。

 ランスが当然だろうと得意げにこちらを見ているのも面倒臭い。こんな性格だった?もっと賢い顔をしていた気もするけど、もう一年以上前の顔なんて思い出せない。


 まさかあれかしら、恋の病で頭が残念になってしまったの?だとしたら恋とは恐ろしいこと。


「私達は政略的なものです。そこに愛はないでしょう。あるのは義務だけ?何故義務感だけの私が嫉妬を?」


 そう、貴族の結婚に愛は必要ない。何故なら家同士の繋がりを第一にしているからだ。だから最初に愛は必要ない。結婚してから育めばいい。私もそう思って婚約をしていた。もしかしたら婚約期間に愛情が生まれるかもと思っていたが、そんな事は全く無く、この婚約破棄だ。


 まあ、考えようによっては好きになっていなかったからこそ、今毅然としていられるのかもしれない。


「いや、だって君は」


 一体何を言おうとしているのか全く検討がつかない。

 若干焦って見えるのは私の態度から愛情を見出せないからなのだろうか。


「じゃあ言いますけど、殿下、私が誰かと恋人同士になったら嫉妬します?」


 私の質問にランスは一瞬でも呆けた後、大きく頷いた。


「だって私は婚約者だぞ?君に恋人が出来るのはおかしいだろう」


 若干的の外れた回答に、思わず咳払いをする。

 もしかしたらランスとっては聖女は恋人ではないのかもしれない。だが大切な人には違いないのだろう。だからこそ今の婚約破棄があるのだ。

 『恋人』という肩書きがないだけで扱いは恋人と同じと思うのは自分だけだろうか。

 なのに相手は私に恋人が出来るのはおかしいと言う。自分はそれらしい人がいるのに。


 ふざけた話、頭がおかしくなりそうだ。


「……まあ、これは無駄な質問でしたわね。話を戻しますけど、私はやっていません。理由がない。それに婚約破棄云々の相談は三ヶ月も前に国王陛下に私の方からそれとなくしております」


 こめかみを人差し指で叩きながら言えば、ランスは大きく驚いた。後ろの側近達もそんな行動を私がしているとは思っていなかったのだろう。一様に目を見開いている。


「え、三ヶ月も前に…、叔父上に…」

「ちなみに婚約破棄はしてませんよ。もし殿下が言い出したら破棄しても良いか?とお伺いを立てていたのです」

「三ヶ月も前に…」


 三ヶ月前に言ったのがそんなに驚く事だろうか。まあ確かに王太子が聖女に陥落して直ぐ行ったので、事が色々動く前だったのは事実だ。だが、動いてから事を起こしても後手後手に回るのは分かりきっている。早期に手を打つのは大事な事。


「何を驚く事があるんです?婚約者が変な女に捕まっていたら、その保護者に言うのは普通ではなくて?それに貴方は王太子。身分のある人、何かあったら国の一大事でもある。問題がありそうであれば報告するのは臣下の義務ですわ」


 目を細め、ランスには向けた事のなかった蔑みの視線を送れば、何か恥じる事でもあったのかワナワナと震え始めた。

恥じるのであればもっと前から恥じれば良かったものを。


 何だか急に途轍もなく面倒臭くなりランスから視線をずらした。見えたのは窓の外に広がる面白味のない風景。小さく息を吐いた。


 私は視線をランスに戻し、テーブルの資料を横にずらすと書類が一枚置けるスペースを作る。


「それでは、婚約破棄の書類を」


 ランスを見て、反応が無かったので後ろの側近の一人を見た。それは確か秀才と言われるどこぞやの侯爵家の次男だった気がする。側近の中で参謀的な存在だが、聖女にメロメロにやられており、今やその影はない。


「書類を」


 語気を強め、そう言えばやはり侯爵家の次男が紙をテーブルに置いた。机にある万年筆を手渡され、私は婚約破棄の書類を隅々まで読み、署名をした。


「殿下も署名を」


 書類の向きを変え、署名を促す。また変な気でも起こされたらたまったものではない。

 ずい、と紙を押し、攻める様に見ればランスは顔を歪めながら署名をした。


「これを陛下に提出すれば全て終わりですわね。10年間お世話になりました。陰ながら幸せを祈っておりますわ」


 わざとらしく微笑んで最後の挨拶をした。結果的にはランスの要求を呑んだにも関わらず、屈辱そうな顔をしているのは何故なのだろう。

 まあ、もう知った事ではないけれど。


 ソファーから立ち上がり、その場を下がろうとするといきなり腕を掴まれた。


「きゃっ」


 目に入ったのは怒りが満ちたランスの瞳。ぐっと段々と力を強めて腕を掴み続ける。このままでは痣になってしまいそうだ。


「君は!何て姑息な人間なんだ!」

「姑息?姑息なのはどちらかしら? 嘘の報告書を書き、人を陥れようとする方が姑息では?」

「うるさい! 嘘を付いているのは君だろう!」

「嘘?私は嘘など申してはおりません。再調査をと言ってますでしょ」

「うるさいって言ってるだろ! 君は全てを認めて!私に無様に泣きつけば良かったんだ!」

「愚かな…っ!」


 そう口にした瞬間、真っ赤になったランスが手を振り上げた。片方の手で腕を掴まれている為、逃げれそうにない。

私は痛みを覚悟して、目を瞑った。


「―――っ」


 だが予想した痛みは一向に訪れず、私はそろりそろりと瞼を上げた。すると視界に入ったのはランスによく似た美丈夫が王太子の腕を掴んでいる姿だった。


「陛下……」


 それはランスの叔父である国王だった。王家の象徴である銀髪に蒼い瞳をした人は真っ直ぐに自身の甥を見ている。

ランスは叔父である国王の出現に一瞬で顔色を無くし、私の腕を掴んでいた手を力を無く離した。


 国王の圧倒的な存在感が空間を圧倒し、部屋に居る者は皆沈黙を守っている。

 国王以外の人物は総じて顔色を無くし、その場に立ち尽くしていた。当然、私もその一人だ。


 何故此処に居るのだろう。婚約破棄が今日言い渡される事を知っていたのだろうか。このアウェーな空間で国王が来てくれた事に少なからず安堵した。恐らく自分だけでも大丈夫だろうと思っていたのだが、まさか暴力を振るわれそうになるとは思っていなかった。


 緊張感溢れる中、私はチラリとランスを見る。その顔色はいまだ悪い。一体、今何を考えているのか少し気になった。


「兄の子だ。思慮深いと思っていたが、そうではなかったようだ。前はもう少しまともではなかったか?」


 沈黙を破ったのは当然、国王だった。口元にいやらしい笑みを浮かべ、甥の腕を離しながらそう口にした。

 その言葉を聞いてランスは囁く様な声で『叔父上…』と言うとドサリとソファーに倒れ込んだ。


 ランスは言い訳を必死に考えていたのだろう。だが、叔父の言葉に思考がストップし、ハクハクと口を動かしている。だが何も言葉が出てこないようだ。


 そんな姿を見て国王は鼻で笑うと、視界に報告書が入ったのだろう。不思議そうにそれを手に取った。その姿を見て側近達の体が僅かに揺れる。侯爵家の次男は心なしが瞳が泳いでいる様にも見えた。


「これは?」


 その問いに誰も答えない。国王は側近達を一瞥してからペラリと紙を捲っていく。何枚か捲ったところで短く笑い、目を細めた。その目は冷ややかにランスやその側近達に向けられている。


「これは面白いな、どうやら将来物書きとして有能な者がいる様だ」


 報告書をパサリとテーブルに投げる様に戻し、侮蔑を含んだ言葉を吐いた。それに肩を跳ねさせたのは侯爵家次男である。自分の資料が空想だと国王に言われたのだ。きっと彼には先が無くなってしまった。ランスの側近まで上り詰めたのに、妄想の資料なんて書いたばっかりに。


 顔面蒼白の面々はハクハクと口を動かしている。どうやら皆、魚になってしまったようだ。


「本当、愚かだよなぁ」


 そんな様子を冷めた目で笑いながら国王はドサリとソファーに座った。座った国王を見ているとパチリと視線が合う。私がぎこちなく笑えば、フッと柔らかい笑みを向けられた。


「アメリア、座りなさい」


 促す様に腕を掴まれ、ストンとソファーに落とされる。


(う、わー……)


 さっきまで顔色を無くしていた筈なのに、一瞬にして蒸気した顔を見られない様に俯く。

 ほぼランスと同じ顔なのに、笑みを向けられただけで心臓がバクバクだ。顔面良しの迫力は老若男女に効くらしい。ランスも後々こうなる?いやきっとこうはなれない。これはもっとこう、きっと人生経験で変わるものな気がする。色気の出し方が半端ない。


 赤い顔をどうにか沈めようと気付かれない程度に息を吐いた。


「教えてやろうか?」


 傲慢さを孕んだ声が響く。少し愉快そうなのはどうしてだろう。クツクツと笑いながら国王は言葉を続ける。


「アメリアには影を付けている」


 その言葉にランスが息を呑んだ。


「か、影を…アメリアに…影を」

「そうだ。お前が聖女とやらに篭絡されたと相談に来た時にアメリアに言われ、影を付けた。この意味がわかるか?」


 分からない訳はない。影は全てに公平である。もし私が本当にランス達が言っていたような事をしていたら、今この場にいないだろう。

 これよりも前に国王によって処されていたに違いない。


 自分たちの不利を知ったランス達は血の気をなくした顔で国王に弁明をしようとしているようだった。しかし、可哀想な事に言葉という言葉は出てこないようだ。


「さて、どう筋書きを立てていたのか分からんが。そうだな、私から言う事は一つ」


 国王はそんな甥達の様子を見ても動じることなく、人差し指を立てた。


「一部の臣下の言しか信じない、疑う事が出来ない王太子はいらん。よって立太子を取り消す。側近達はお前の好きにせよ」


 その言葉は今まで王太子として育てられてきたランスには酷く絶望する言葉だろう。しかし起こした事を考えると妥当だろうとも思う。

 部屋へ響く国王の言葉にランスは目を見開いた後、くしゃりと顔を歪ませた。落とした肩に彼の絶望が見える。

しかし、国王もそんなに冷たくはない。ランスを慰めるように名を呼んだ。


「ランス、なにも継承権を剥奪するわけではない。また認められる様に頑張れば良い事だ。当然ベリスにも機会を与えるがな」


 今まではランスはベリスの事など眼中に無かった。それは長子に生まれ、早々に王太子に任命された事による傲慢さ故だと思う。だが、これからは二人競ってその場を勝ち取らなくてはならない。

 そもそもこの婚約もランスの地位を盤石にする為のものだった。それを自分で捨て、一から……いやマイナスからとなるのだから並の努力ではその座を取り返すのは難しいだろう。

 ベリスはランスの陰に今までいた為、目立たず地味であったが、有能な人物である事を知っている者も多い。私の父であるヴァンルーベルト公爵もそれを知る一人だ。


「女に現を抜かすのも良いが、地盤が盤石でないのによくやるな」


 溜息混じりな言葉にランスは私を見た。縋るような瞳で見られ、思わず視線を外す。

 そんな目で見られたところで、もう私にはどうする事も出来ない。するつもりもないが。


 それよりもこれから私はまた一から結婚相手を探さなければならないのだ。もうそれどころではない。

 腐っても公爵家なので嫁ぎ先がないという事はないと思うが、隣国にまで手を伸ばさなければならない気がしてしょうがない。


「それとアメリア」


 そんな事を考えていると唐突に名前を呼ばれた。


「はい、陛下」


 少し驚いたが、それを感じさせないようにゆったりと返事をする。

 こんな近距離で顔を見るのは失礼かもしれないと少し視線を下げた。焦点を合わせた先にあるのは執務用なのか飾りの少ない服。だが十分高貴さが漂う装飾に視線が奪われる。


「王家はヴァンルーベルト公爵家との縁が欲しい。わかるな?」

「では、第二王子殿下と婚約を?」


 少し予想していた事だ。私は国王が求めているであろう言葉を発した。しかし、国王は首を横に振り否定する。


「ベリスは好いた女が居る。それを婚約者にしようと数年がかりでやっているからそんな可哀想な事は出来ん」

「まあ」


 そんな情熱的な部分があるとは思わなかった。だが、好意を持つ女性の為に冤罪を仕立て上げようとした兄もいるのだ。この恋愛における情熱さは血筋なのかもしれない。


 しかし、そうすると国王の求めている事が分からない。

もう王家に年頃の男性はいない筈だ。未婚で言えばこの国王もそうだが、こんな小娘を相手にするとは思えない。


「では、どうしたら」


 いくら考えたところで答えは出ない。戸惑いつつもそう言えば、国王の指が私の顎を掴んだ。

 強制的に視線を上げられ、目が合う。

 真っすぐにこちらを見られ、胸が感じた事がないくらいどきりと跳ねた。


「今、王妃の位は空白である」


 それはこの国の国民であれば皆知っている事。そう、知っている、当然私も。

 しかし、それを改めて言われる意味がわからない。


「王妃の位は空白だ」


 繰り返される言葉。

 その言葉の意味を段々と理解してきた顎を固定されたまま、視線を上へ泳がせた。


「…ええ、……え」


 辛うじて出た声は返事と言っていいのかも怪しい。何が言いたいのか分かってしまった。しかし本当にそういう意味なのだろうか。

 いや、でないと二回も繰り返す意味がわからない。

 死んでしまうのではないかと思うほど、心臓が激しく動いている。本当このまま動き続ければ死んでしまうかもしれない。


「お、おじうえ」


 状況を理解出来ない私の耳にランスの声が入ってくる。その声は震えていた。恐らくランスも同じ事を考えているのだろう。


 言葉の意味を理解しつつある私達。

 楽しそうな笑みを浮かべた国王リュディガーに胸が更に高鳴った。口端を上げ、私を見る瞳に顔が上気してくる。

 これは、本当にそういう事なのでしょうか。

 だとしたら、なんという……


「アメリア、俺の妃となれ」


 決定的な言葉に私はボッと信じられないくらい顔を赤くし、よろりよろりと倒れた。勿論それを支えたのは国王である。

 嗅いだ事のない大人の匂いに思考がついに停止した。


 もう此処に来た理由だとか、婚約破棄だとか、聖女はビッチだとかそんなものが一切合切飛んでいく。

 くにゃりとなった私を見て、楽しそうに笑う国王の声が鼓膜を揺らした。


「真っ赤じゃないか」


 もうこんなの断れる筈もない。


 そうして、ふにゃふにゃとなった私は流さるがまま王妃となり、後に王子を2人と王女を1人産んだ。

 政略だと思っていた結婚が、実はそんな事はなかったと知ったのは子供が大きくなってからである。





良ければ「いいね」や評価、ブクマをしていただけると今後の励みになります。

宜しくお願い致します。


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短編

『王太子は不機嫌な男爵令嬢を逃さない』

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