さどは
覗かせた猜疑心に任せるまま、久遠さんを伺い見る。彼は変わらない柔和な笑みを浮かべていた。
「山田くん、一応聞きたいんだけど、君は夢の中で何か見また?」
「夢の中で……」
「はい。菊田の話はあまりよく分からなかったから。君の夢の話を聞きたいんだ。何か覚えていることとか、ない?」
「覚えていること……」
久遠さんに言われた通り、じっと思い出してみる。だけど全体にボヤがかかったように上手く思い出さない。
「すみません。なかなか……」
「やっぱり夢を見た回数にも関係あるのかなぁ……あぁ、ごめんねなんか」
「いえ」
思い出せなくてすみません、ともう一度頭を下げようとしたときだった。ふっと、まるで画用紙に水彩絵の具を落としたように、何かが思い浮かんだ。ボヤけているけど、もしかしたら役に立つかもしれない。
「あの、ザリガニ商店」
「へ?」
「その商店街の中に、確かザリガニ商店というものがあったと思います。それだけなぜか……インパクトのある名前だからですかね」
「ザリガニ商店、か……変わった名前だね。分かった。調べてみる」
「いえ、俺が調べてきます」
「でも学生でしょ? テストとかあるんじゃない? 俺は仕事もないし、時間があるから」
「……ありがとうございます」
「うん。じゃあ、今日はここで終わりにしようか。先に帰ってて大丈夫だよ。お金は俺が払っておく」
「何から何までありがとうございます」
「ううん。大丈夫。気にしないで。あっ、でも、連絡先だけちゃんと交換しておこう」
スマホのQRコードを読み取り、鞄を持って、俺は店を出た。連絡先のアカウント、写真は彼とその友人らしい。
「なんか、掴みどころのない人だったな」
別に彼を信用してないわけではないけど、何となくきな臭い部分がある。偶然が過ぎると言うか、偶然で語れないような、それこそ偶然を必然的な方法を使って作り出したというか。
「訳わかんないなぁ」
ここに来て急に信用していいかわからなくなってきた。道也に相談してみようか。でもあいつは、もっと事態をややこしくしそうな気がする。
時計を見るとまだ2時半。もう少しかかると思っていたから、なんだか拍子抜けだ。
思ったより軽い鞄を持ち直し、電車に乗った。平日の電車は、人が少なかった。
「おい、山田」
翌日、学校に行くと、安西が机の前で仁王立ちしていた。また腕組みして。俺より先に学校に着いてたやつらが、その様子を見てコソコソ噂話をしている。とりあえず席についてみた。
「えっ、なに」
少し緊張しながら尋ねると、安西はグッと身を乗り出した。
「昨日、お前何やった?」
「昨日?」
昨日は久遠さんと話をしていただけだ。まっすぐ帰ったし、安西と関わるようなことはきっと何もしていない。
「あぁ、昨日」
「ちょっと知り合いの人と話してたけど……」
「知り合い?」
「いや、うん」
なんでそんなことを聞きたがるのか、不安に思いつつ答えると、安西は組んでいた腕を話した。
「今日の午後、うちに来て。暇だったら。いや、暇じゃなくても」
「え、なんで」
「聞きたいことが山ほどあるし、今はその……話せないから」
安西は急にしおらしくなると、また自分の席に帰っていった。前々から気になっていたけど、死相が出てるだのなんだの、安西は一体何が言いたいのだろうか。しかも仲良くもないのに、うちに来いだなんて。
少なくとも、普通の女子が言うようなことじゃない。
今日は何事もなく放課後、安西に腕を引っ張られ、俺は安西のうちに来ていた。長い黒髪は綺麗だけど、ピアスの穴があるし、刺青もしてるらしい。噂だけど。安西の家は学校から少し離れたところにあるらしく、15分ほど歩かされた。
一見、普通のアパート。ところどころボロくなっていて、蔦がはったりしているものの、パッと見は悪くない。先に鍵を開けた安西にドアの前で待つよう指示され、突っ立っていると、いきなり塩をかけられた。かなりの量で、ワイシャツの中がなんだかジャリジャリする。
「おまっ、何すんだよ」
「お清めだお清め」
ボソッと吐き捨てるように言って、今度はそのまま部屋に入るよう指でさされる。
ゆっくり足を踏み入れると、ビリッと鋭い刺激が全身を襲った。思わず蹲る。
「えっ、電線かなんか張ってんの」
「そんなことしてねぇよ。結界だ」
「結界?」
「気づいてねぇのか。山田、憑いてるんだよ」
「憑いてる……」
言われてみれば、体が軽くなった気がする。
「うん。とれたみたい」
安西はドアについたポストから外を見て言った。
「待ってるよ。困ってる」
「困ってるって?」
「宿主がいなくなって困ってる。もうじきどっか行くんじゃないかな」
少し柔らかくなった言葉遣い。部屋の中を見渡すと、予想に反してピンクや白、水色や薄紫といった可愛らしいパステルカラーで溢れていた。部屋の小物も、リボンやサンリオキャラクターなど。
「なんか……ちょっとイメージと違った」
「結界の中だからな。ちょっと安心してる」
「安心?」
「外の世界は危ないから」
なんだかよく分からなくて黙っていると、安西は机の前に座るよう促した。
「ちょっと色々話したいことがあんだけど」
「なんか話し方違うね」
「安心できるから。アイツらも、こういう人種は苦手なんだよ」
「人種……あぁ……」
要するに幽霊も、ヤンキーだのヤクザだの、そういう連中は苦手らしい。あんまり人間と変わらないのか。
「元は人間だし、人間じゃなかったとしても、人間が作り出したものだ。一部は除いて」
「うん」
「あたしにはそれなりに霊感がある。だから分かるんだけど……」
「ん?」
「山田は何憑けてんの?」
「何って……そんなの分からないし。急にだし」
「急にって? 急にどうやったらそんなことになるの?」
「そんなこと……?」
安西が何を言っているのか分からず、思わず少し距離を取った。ローテーブルの向こうで身を乗り出していた安西は、一度体制を整える。安西の家に着いてから、薄れた恐怖が蘇る。トゲが無くなったぶん、なんだか自らの底を見透かされそうな、また違う恐怖が出てきた。霊感、というやつなのかもしれない。女子を相手にしてるというより、自分たちの次元にはない、もっと大きなものと対峙しているような気分になる。
「そっか、分からないんだよな。」
「分からないって……?」
「だから、山田の憑けてるものは、普通のものと少し違うんだ。少なくとも幽霊じゃない。呪いみたいなものも……近いけど違う気がする」
「呪い……」
「一つ聞かせて。ここ1週間、何があった? 学校も大変なことになってるしさ、原因だけでも知りたい」
「原因……夢、かな」
学校が大変、というのは、うさぎの怪死事件や、鳩の変死事件のことだろう。確かに1週間、物騒なことばかり起こっていた。ちなみに久遠さんに会った翌日安西に詰め寄られたのも、うさぎの話だったりする。
「夢?」
「そう、夢を見た。不思議な夢で、悪夢みたいな、そんな夢。それを初めて見たのが、1週間前」
「なるほどなぁ。それで?」
「同じ夢を見て、友人が死んだという男性と会った」
「なんて言ってた?」
「スピリチュアルな関係の職の人たちに色々聞いてみたら、避けられたらしい」
「分かるわ。関わりたくない」
ガッツリ関わっているわりに安西は頷いた。
「今は夢の中に出てきた、ザリガニ商店について調べてもらってる」
「ザリガニ商店……」
「知ってる?」
「知らない。変な名前だなと思って。それで?」
「とにかく、真相を突き止めようってなった。夢を見るには、理由があるはずだって」
「うん。分かった」
安西は大きく伸びをした。
「まぁ、ここに来て剥がれるってことはさ、大した奴じゃないだろうから。とりあえず、またなんかあったら話してくれよ。うち神社だし、そういうパイプ太いから」
「えっ、お前ん家神社だったの?」
「じゃないと霊感だのなんだのならないだろ。とにかくそういうことだから」
安西はお茶も出さずにごめんな、と俺を玄関まで送った。昨日から、理不尽に帰されることばかりだ。やっぱり軽いような鞄を抱えて、俺は安西の家を出た。体は重くならなかった。