まはい
変なことに巻き込まれるのは嫌だけど、珍しく良心に呼び止められた。あと、勘。この人には話したほうがいい気がする。
「あの……夢は、見ましたけど……視線と変な音の、夢」
「本当ですか……?からかっているわけではなく……?」
てっきり驚くかと思ったが、青年は真顔だった。いたずらでこういう話を聞かされることが多いのだろうか。夢の話のほうがよっぽど嘘くさいけど。
「気のせいかもしれませんが」
「いえ、ありがたいです……でも、それだけじゃわからないですよね」
口元だけで笑うと、思い出したようにジャケットの胸ポケットから名刺を取り出した。
ペラペラしたそれを受け取ると、『久遠 胡蝶』と書かれていた。変わっているが、青年の名前なのかもしれない。
「名刺に書いてあるとおり、久遠と申します。もしさっきの夢に関して分かったことがあったら、連絡をくださいませんか」
腰から深々とお辞儀する。どうやら話は終わりらしい。あまりにあっさりしていて、少し驚く。巻き込まれるのは嫌だけど、勇気を出したわりには……
「今、その、何かしたり、話したり、とかは……?」
「材料が少ないのでできないですし、それに……」
急に歯切れが悪くなる久遠。瞬きすると、言いにくそうに、口を開いた。
「あの、あんまり関わらない方がいいみたいなので……一度だけ、霊媒師の方に聞いてみたことがあるんです。私自身、友人から聞いたときに、信じられなくて。そしたら、なんだかそうとうヤバい臭いがするから、手を引けって……でもアイツ、かなり気にしてたから……あ、だからその、手放しに決めつけることはできないというか……」
「何か、すみません。気を使わせちゃって」
久遠は目を細めた。思い出しているのだろうか、友人のことを。なんだか、聞き入ってはいけないところまで聞いてしまった気がした。
「友人が、亡くなる間際、俺に言ってきたんです。夢の真相を突き止めてくれと……俺だって、真相なんかあるわけないと思ってます。本人だって言ってました。だけどこの悪夢はきっと終わらない。他にも同じ夢を見た人がいるはずだってあんまりにも真剣な様子で言うから……俺はその願いに応えるべきだと……でも、デタラメで人を付き合わせるわけにはいきませんからね」
「そう、なんですね……辛いことを聞いてしまってすみませんでした。また連絡します」
久遠の言葉を待たず、手短にお辞儀して、事務室を出る。ほんの少し暗い顔をして下を向いている彼は、まだ立ち直っていないんだろう。自分から切り出しておいてなんだが、少し気まずかった。
行きとは真反対の気持ちで、電車に揺られた。久遠さんはこれから、どうするんだろう。またああやって、身を削りながら1人で夢について調べるのだろうか。きっとそうなんだろう。少なくとも俺にできることはなさそうだ。
なんだかどっと疲れてため息をつく。
「何か起きて欲しいって思ったけどさ……」
自分に降りかかる超常現象。望んでいたけれど、いざ起きれば疲れてしょうがない。精神的にも、物理的にも。
無意識のうちに呟けば、目の前に座っていた女の子がやたらくりくりした目でじっと俺を見ていた。どうやら独り言を聞かれていたらしい。思わず口を抑えて、スマホを見ているフリをする。
「ねぇお母さん、あの男の人、男の子のことずっと無視してたね」
「男の子……? そんな子いた?」
「話してたじゃん」
「なんて?」
「分かんなかった〜」
「難しい話だったの?」
「ううん。なんて言ってるか分かんなかったの」
降車する間際、背筋が凍った。
それから1週間は悪夢の日々が続いた。
安西に詰められたのが翌日、水曜日。
なぜか学校の廊下で鳩が3匹死んでいたのが木曜日。
12chが文字化けしまくったのが金曜日。
近所で火災が起きたのが土曜日。
遠い遠い親戚が亡くなったのが日曜日。
12ch内に殺人鬼を名乗る男が現れ、スレ内を荒らしまくっていったのが月曜日。
そして今日、火曜日。
また、夢を見た。
起きてすぐ、恐怖に布団にくるまる。心臓がバクバクとうるさい。なんだか今までにないほど鮮明な夢で、そのはずなのにところどころ抜け落ちていた。
気持ちが悪くてしょうがなくて、でも胃のものは全部消化しちゃってるから、うぇっとただ嘔吐く。
「なんだあれ……」
はぁ、はぁと荒い自分の息さえなんだか気持ち悪い。
そのまま布団にしばらく潜り込んでいると、吐き気は治まったけど、代わりに部屋の空気がおかしくなってきた。なんだか、冷たい。寒い。まだ6月なのに、鳥肌が立ってきた。
布団の中でガタガタ震えながら、そっと外を伺う。部屋に異変はないけど、逆にそれが異常だ。
おそらく5分程度様子を伺っているが、何も起きない。このままだと学校も遅刻するし、と布団を剥ぐ。
……匂いもない。相変わらず冷たい感触はするけど、だからといって何もいない。
ふぅ、と息を整えて、ベッドから這い出る。スプリングが軋む音さえ気になって、ビクッと震えた。
それが発端になったのか。なんなのか。
急にカタカタという音が聞こえてきた。
カタカタカタカタカタ方カタカタカタカタカタ……
機械音声のような奇妙なカタカタ、がどこからともなく聞こえてくる。天井からは、子供が走り回るような足音まで聞こえてきた。
部屋中に鳴り響くほどの大きさのカタカタ。思わず部屋の隅に蹲った。耳を塞ぎ、体をちぢこめる。クローゼットに背をつけた瞬間、バン、と背中を誰かに蹴られて、よろめきながらベッドに移動した。
クローゼットからは子供の笑い声と、あとは貼り付けていたポスターが壁から剥がれ落ちた。笑っているジャンプのキャラの口元が、一人一人耳まで裂けていく。
すぐにまた、さっきと同じように、耳を塞ぐ。目も瞑った。
あぁ、ホラー映画に出てくる登場人物の気持ちってこんなだったのか。
自分のことを、わりと冷静なタイプだとは思っていた。少なくとも、怖いことが起きても逃げたりできると。でも実際はどうしようもなく座り込んでいるだけだ。呼吸することさえひりつくみたいな痛さを持っている。
恐怖のあまりに早すぎる心臓の鼓動で胸が痛むのを感じながら、ただひたすらに終わるのを待った。近くにあった枕をギュッと抱きしめる。
体感で1時間、ドンドン、と階段を昇る音が聞こえてきて、さらに心臓が縮み上がる。
「ごはん」
果たして開けられたドアから顔を覗かせたのは、父さんだった。どうやら、朝ごはんの時間になっても起きてこない俺を起こしにきたらしい。枕を抱き抱えてビクッと震えた俺を怪訝そうな顔で見る。だけど、何も言わない。父さんは、6年前からあまり喋らなくなってしまった。
「あ、う、うん。分かった。ありがとう」
半分放心状態になりながら枕を手放す。助かった。ベッドから下りたときだった。
アイタ。アケラレタ。アケラレタ。
確かに聞こえた。脳の中まで凍りそうなほどの、"声"。
アケラレタ。アケラレチャッタ。
ベッドの前で立ち尽くす俺を見て不審に思ったのか、父さんが近づいてくる。
ダメだ。たぶん今、こっちに来たらダメだ。
勘がそう告げるのに、1歩も動くことができない。声も出せない。
父さんがクローゼットの横を通った瞬間だった。唐突にダンッと大きな音を立てて扉が開き、中にかけられていた服が揺れた。
アケ。アケラレタ。アケラレラレラレラレ…………
言葉はどんどん意味不明になっていく。
父さんは不思議そうにクローゼットを覗き込むだけ。俺は息を止めて、目の前の現象を見ていた。
「風かなぁ」
父さんが呟く。部屋の異様な空気はいつの間にか蘇っていて背筋が凍るような寒気が襲ってきた。父さんがなぜ気づかないのか不思議なくらい。いや、風を気にするくらいだから気づいてるのしれないけど。
「父さん。なんか、空気おかしくない……?」
怖々尋ねたが、首を傾げるだけ。なんでだよ。
「そっ、か……」
ぼんやりと呟いて立ち上がった。その瞬間だった。不意にクローゼットが閉じて、空気も元に戻った。思わずその場にへたり込む。
「ごはん」
「分かったよ!」
なんで急に収まったのか分からないけど、とりあえず何も感じてないらしい父さんに少し腹が立って強めに言った。父さんは頷くと外に出ていく。
「なんだったんだあれ……」
夢に関係があるんだろうけど。でも、それにしても異常だった。
「連絡した方がいいかな……」
久遠さんの力が必要かもしれない。名刺を入れていたスクールバックに手を伸ばして、はたと気づく。
持ち手部分に付けていた御守り、安全を祈るグッズ。全てが裂かれ、ぐちゃぐちゃになっていた。慌てて部屋を見渡すと、長年大事にしていたぬいぐるみも首がもげている。
ひゅっと鳴った喉には気づかないフリをして、無心でメールを送った。
『突然の連絡で大変申し訳ありません。今日の午後、この前の駅でお会いできないでしょうか? 時間は、午後1時半からだったらいつでも空いています。よろしくお願い致します。ご返信いただけると幸いです』