いちあ
「うっわ」
自分の悲鳴で目が覚めた。起きたばかりなのに、肩で息をする。
「やっばぁ」
とても変な夢を見た気がする。内容は思い出せないけど。ふぅー、と1回息を整えて、布団から抜け出した。寝起きはいい方だ。
少し汗ばんだ薄水色の掛け布団を整え、枕を元の位置に戻す。ベッドメイキングについては昔からしつこく母さんに注意されているせいで、すっかり癖がついてしまった。
良い匂いが漂ってくる1階へと足を運ぶ。食卓には白米と味噌汁、卵焼きが並んでいた。
まだ怠い体を引きずるようにして階段を降りると、もう食卓に座っていた母さんが俺を見た。
「たくや、さっきなんかすごい声出してたけどどうしたの?」
「いや、なんか変な夢を見て」
「何それ」
会話には参加してこない父の隣に座る。
「覚えてない」
「ふぅん……あ、今日のお弁当はハンバーグだからね」
「うん。ありがとう」
「そう、それとね、今日はお母さん宮崎さんとちょっと遠くにランチに……」
朝食の卵焼きを箸でつつきつつ、母さんの話に適当に相槌をうつ。母さんはよく喋る。
皿をシンクに置いて、いそいそと部屋に戻った。教科書を鞄に詰め込み、シワのない制服を着る。前日に準備はしない。
鏡の前を陣取って寝癖を取って、軽く髪型を整えたあと、走るようにして玄関へ向かった。身だしなみは適当……だけどそこまで酷いこともないと思う。モテはしないけど。
「はい、これ」
「うん」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
母さんから夜中は没収されている携帯とお弁当を受け取り、いつも通りの時間に出て、いつもの通りの電車に乗った。何だかなぁ、とは思う。毎日同じような日々が続いていて、少しつまらない。
満員電車の中も人が多すぎて、当たり前だけど知り合いの一つもできない。毎日同じ電車に乗ってる人が、そもそも分からないし。
人間観察にはとうに飽きて、最近ずっと眺めている掲示板──12chのホラースレッドを巡回すべく鞄からスマホを出した。
12chはほんの少し前にできた掲示板で、でも今では1番人気だと断言できるものだ。見やすさと、斬新さ。主にこの2つのおかげで毎日たくさんのスレッドが立てられ、スレ民たちが会話している。12chから発生する事件なんてものもあるし、たまにニュースにも上がる。ほとんどが嘘だろうけど……非日常的な、それでいてリアルな誰かの体験を楽しめるし、リアルタイムとなると、自分も楽しめる。
数あるジャンルの中からホラーを選び取ると、画面をスクロールした。さっそく、タイトルが並び始める。昔からホラーが好きで、自分で話を作ってみたり、なんてするほどで。
12chに載っているホラーはほとんど怖くないけど、リアルだ。リアルだから、怖くないのに怖い。
面白そうなタイトルを探すのも面倒臭いから、適当に『【急募】同じ夢を見た人、いませんか?』という1番上のものをタップした。さっそく読もう、と意気込んだところで電車がガタン、と大きく揺れた。隣に立っていた男の人がフラついて倒れ込んできた。
「す、すみません」
「いえ、大丈夫ですか?」
痩せ型なのか、やたら軽い男性を支えてから俺は電車を降りた。最寄り駅についたらしい。
スレは楽しみだったけど、仕方ない。
******
「え〜っと、皆さんもう既に知っていると思いますが、あの、小屋のうさぎがですね、死んでしまっていて……」
いつも通り朝礼ギリギリに席に着いた俺を待っていたのは、担任からのそんな言葉だった。途端、教室がザワザワと騒がしくなる。何となく教室に足を踏み入れた瞬間から嫌な予感はしていたが、予想外だった。
隣の男子生徒をそっと伺うと、アイツが怪しいよな、なんて周囲と喋っている。
これ……最悪な記憶が蘇るから本気で嫌だ。
「犯人探しをするつもりはないんです。ただこれは大変な問題で、うさぎをなんで殺したのか。そこも聞きたいし、それからその……言い方は悪いですが、殺人願望があったりなんか、したりしなかったりすると思うんで……」
言い方が悪いなんて騒ぎじゃない。室内に響く喧騒はより一層大きくなった。
え、まじ? どうする? ほんとにだれかころされちゃったら、
なんて物騒極まりない女子たちの平仮名だけの会話が聞こえてくるし、男子は興奮して何やら叫んでいる。俺はというと、下を向いていた。
心臓のバクバクが止まらない。これが恋だったらいいのに、なんて厨二臭い言葉が頭を飛び交う。
「えーと、まぁ、そんな感じで。あ、でも、犯人探しはしないと言ったんですけど、やっぱり名乗り出てくれたら嬉しいなぁ、なんて思うので、今言うのは恥ずかしいだろうし、放課後先生にそっと打ち明けてくれたらいいなぁ、なんて」
圧倒的にワードセンスが悪すぎる担任の言葉に、言うわけないじゃんねー、という珍しく的を得たギャルの正論。クラスは混沌とし、1時間目が始まっても、その興奮は冷めやらぬ様子だった。
たぶん――トラウマを思い出して動悸が治まらない俺と、我関せずを貫く安西大和を除いては。
――確か小学4年生か5年生の事だったと思う。
転入生がやってきた。
みんな歓迎した。小学生ってそういうムーブみたいなのあるし。テンションも上がって、初めは恥ずかしそうに人見知りしていた転入生も次第に打ち解けていった。
地獄が始まったのは、彼が来てから半年くらい経ったときだっただろうか。
ある日、うさぎ小屋のうさぎが皆殺しにされていた。最初に、当時飼育委員をしていたクラスメイトが疑われた。次に、クラスのやんちゃな男の子。
死体は見てないけど小学生とは思えない残虐なものだったそうで、"犯人探し"はすぐに始まった。
毎日毎日うさぎの話。そして、命の話。HRが全て道徳の授業と化した。
そんな中、転入生は手を挙げた。成績も優秀、性格もいいという模範的な小学生だった彼は、すっかり教師の信頼を勝ち取っていた。
「ずっと怖くて言ってなかったけど、俺、新川さんがやるの見ました」
教師は彼の言葉を信じた。
新川琴葉の尋問が始まり、彼女は白状した。翌日から新川はクラス中に無視され、転校もした。
でも仕方ない。悪いのは新川だ。
それがクラスメイト全員の考えだった。勧善懲悪、というか、小学生は妙に正義感が強い。
でも、本当の地獄はここからだった。
うさぎ小屋事件で味を占めた転入生は、密かにいじめを始めた。教師も気づかないような、そんな陰湿なものだ。
俺は本当は知っていた。うさぎを殺したのは、新川じゃない。転入生だ。
転入生――一条健介だ。