とたい
「ここがS市かぁ」
東京から新幹線で、新大阪まで。地下鉄に乗ってから、京阪電車を乗り継ぎ、京都の近く。
7月10日、『ザリガニ商店』のあった村、その近くに俺たちは来ていた。
「思ったより田舎ではないね」
「もしかしたら、もう知ってる人もいないかもしれませんね」
東京とは違う夏の日差しに眉を顰める。車の上には陽炎が立っている。ムシムシした暑さに玉のような汗が頬を流れた。
久遠さん曰く村があった場所、S市は今はかなり開発が進んでいるらしく、新築の同じような家が何軒も並んで、大きめのマンションなども立っていた。道行く人々は家族連れが多く、年寄りはあまり見かけない。
「やっぱりあの時引っ越しちゃったのかな」
「どうなんでしょうね」
思わずため息をつく。やっと原因が分かると思ったのに、また壁が立った。元々のあの訳分からない現象から考えるとだいぶ前進したのは確かだけど、ゴールまでは程遠い。
「もうちょっと田舎だったらさ、聞き込みもしやすいのに……」
珍しく久遠さんが愚痴をこぼす。駅から出てすぐ、突っ立ったままの俺たちを住人は少し怪訝な目で見ていた。
「ですね。ここまで来ると誰に聞いたらいいかも分からないし……図書館とかに寄るとまた違うのかもしれませんけど」
「なるほどねぇ。図書館か。寄ってみる?」
「とりあえず行ってみましょうか」
ただでさえ今日は暑いのだ。
さすがに交通費は自分で払ったものの、久遠さんのことだから食事代とか出してきそうだし、お金もかからなくて涼しい図書館は闇雲な時間潰しにうってつけだろう。このモダンな駅よりも、村について知ってる人が多そうだし。
ネットで検索し、近くの図書館までの地図を表示すると、久遠さんは簡単に読み解いて歩き始めた。頭がいい人なんだろう。喋り方からしても、それはよく分かった。
久遠さんの後に着いていくと、かなり大きな図書館に着いた。やはり子供が多い。夏休み期間であることも関係しているかもしれない。
中に入って『地域の資料』から、昔の資料を探し出す。けれどどんなに本棚の隙間を歩いても、それらしきものは見当たらなかった。
「おかしいね。この地域一体の歴史についてほとんどない。戦後しばらく経ってからはちゃんと書かれてるみたいだけど」
1冊、久遠さんが適当に取り出してパラパラと捲る。俺も目の前にあるやつをチラッと見たけど、第二次世界大戦、それからその40年後以降のことしか書かれていなかった。
「隠蔽ってことですかね」
思わず呟くと久遠さんは頷く。前の本を戻してまた1冊、久遠さんは取り出した。しばらくパラパラ眺めるが、何も言わずにまたしまう。
「可能性が高いね。どこかからストップ出たのかな。じゃないとこんな風になることもないだろうし」
「国に都合が悪かったってことですか?」
「それだけじゃなくて、例えばこの土地の有力者にとって都合の悪いことが起こった、とかも可能性としてはあると思う」
久遠さんは諦めたようにため息を吐いた。今までの期待が一気に崩れていく。聞き込みまで考えていたけど、もう無理かもしれない。周りを見渡すと、それなりに老人はいたけれど。
「どうします?」
「どうしようかな。山田くんもさ、わざわざ許可取ってここまで来てくれたんでしょう? 無収穫では帰れないよね。悔しいし」
そう。今日は1泊だけ、親に連絡を取ってきたのだ。友達と泊まる、と道也と口裏を合わせたりもして。ネットの人と軽い旅行に行く、なんて言えないし、それどころか夢に理由があるはずなんだ、なんて馬鹿げていると笑われるに決まってる。
「そうですね。できるだけ何か、1つでも手がかりになるものが欲しいです」
「だよねぇ。どうしようかなぁ」
久遠さんと2人、途方に暮れてため息をついていると、そっと背中を叩かれた。弾かれたように、振り返る。
俺の背後に気配もなく立っていたのは、枯れきった老人だった。手もシワだらけで、どことなく苦労人のような雰囲気を醸し出している。
「お兄さんたち。東京から来たん?」
「……へっ?」
「大阪弁ちゃうやろ、わざわざこの地域の図書館に来るために、東京から来たん?」
聞き慣れない関西弁。どうやら、住人でもない俺たちが資料を漁っているのを疑問に思って声をかけたらしい。久遠さんと目を合わせると、彼は頷いた。
「はい。少しここの地域の歴史に関して気になることがあって。東京から来たんですけど、聞き込みもできなかったし、資料を調べようとしていました」
「なるほどなぁ」
老人は頷いた。一つ一つの所作がゆったりとしている。
「それで、何が気になるんや? 俺に分かることあったら教えたるわ」
「いいんですか? えっとそれじゃ……えっと、この地域の戦後? ですかね、あの、何かありませんでした? あの、S市の中にあったある村の住人たちが一斉に引っ越しした、という話を聞いて、その、引っかかるものがあって」
素直に口を開く。老人は急に険しい顔になって眉を顰めたが、冷静につとめているようだった。
「あんたら、そんな話のためにここに来たんか」
「はい、まぁ……」
「あ、いや、すみません。俺の友達とこいつが、昔のその村の景色を、夢に見たっていうんで……特徴とか色々調べているうちにここに辿り着いたので、気になって東京から来たんです。別に何かを暴こうとか、変な意味とかありません」
久遠さんが庇うように俺の後ろに立ち、肩に手を置く。鋭くなった老人の目線が俺の一つ上、久遠さんに注がれて、思わず少し息を吐いた。本棚と本棚の間にあまりスペースはなく、コーナーにもなっていたここは、緊張感が凄まじかった。もしこの老人に捕らえられてしまったら二度と逃げ出せないというような、そんなものだ。否、老人は決して俺たちを逃がさないつもりなんだろう。
鷲のようなギロッとした瞳。先ほどの耄碌としたものとは桁違いだ。
「あんたら、ほんまにそれ以上のことちゃうんやろうな?」
「はい。聞いて、終わりです」
「……分かった」
老人は俺たちに背を向けた。緊張感が一際解れて、でも説明のつかない不安が胸に残る。
「着いてき。教えたる……あと、」
急に優しい口調になって、老人は振り返った。
「自分、あんまり前の子、一緒におらん方がええで。あんたは純粋やからな。呼びたがりと一緒におらん方がえぇ。年寄りの勘や。アイツらは、あんたみたいな人大好物やからな」