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みぃつけた

「そこから出たらあかんのや」


 ××は、幼い少女の声で目を覚ました。ぼんやりとあらわになる視界は妙に薄暗く、前の壁には松明が1本だけ掲げてあった。


「出たら、あかんで」


 どこにいるのだろうか、少女はうわ言のように、出てはいけないと繰り返す。


「どうして」


 ××は、答えてみた。


「出たらあかんのや」


 けれど少女は、その言葉を繰り返すばかり。××は、ふむ、と頷くと、胡座を組み直した。なんだかぼんやりと、頭で夢だと分かっていた。奇妙な感覚だ。

 少女は少年が出ていかないことを悟ったのか、ピタリと急に静かになった。四畳ほどの空間に、沈黙が立ち込める。

 畳の床は汚く埃が浮遊していて、周りは障子に囲われていた。その障子を、松明が照らしているのだった。


(面倒臭い夢だな)


 頬杖をつきながら、××は思案する。このまま時間が過ぎていくのだろうか。本当に目が覚めるまで。だとしたら一体、どれくらい?


 ふぅ、とため息をついたときだった。


 不意に、お経のような、唸り声のような、お囃子のような、奇妙な、まるで音にまとまりがない、それこそ意味を成した音とは思えないような、そんなものが聞こえてきた。

 それは障子の周りをぐるぐると回り、次第に大きくなっていく。障子にも真っ黒な影が鮮やかに写し出され、××の周りを動いていった。

 ××は、思わず障子を開けて外を確認しようとした。が、少女の言葉を思い出した。


『そこから出たらあかんのや』


 あれは一体どういう意味なのか。開けた先に何が待っているのか。

 禁止されればされるほど、気になるのが人間というもの。××も例外ではなかった。


「開けても、大丈夫だよな……?」


 どうせ夢だ。

 変に気の大きいところがあることを自負している××は、右の障子に手をかけた。好奇心に勝つことはできなかった。


「……っだからっ、出たらあかんって言ったやろっっっっ!!!!」


 障子を開きかけた瞬間、絶叫にも近い少女の声に、思わず耳を塞ぐ。


「どうして」


 聞き返すが、やはり答えはない。

 ××は、ただの少女のイタズラなのではないかと思い始めた。きっと怖がらせようとしてるのだ。

 だから、障子を開いた。

 一言で言うと、気味が悪かったのだ。ウゴウゴと移動し続ける、およそ人間とは思えないもの。足音は人間のそれなのに、移動速度が以上だった。一歩、二歩と歩みを進めるたびに、畳一つ分移動していた。気になった。


「まぁ、どうせ夢だし」


 そう、ただの夢なのだ。明日目が覚めれば日常に戻って、友人にこの夢について話すのだろう。昨日夢を見たんだけどさ、それが怖くてさ、……と。


 ××が障子を開けた瞬間、周りの()()()は、動きを止めていた。まるで蒸発したかのように、影も消えていた。

 ××は、息を詰め、注意深く辺りを見回した。障子の周りには、縁側のようなものがついていた。目の前にだけ、渡り廊下に続いている。音の出処を探ろうとした。その瞬間だった。


「あんたなんで外に出たんやっ!!」


 バチン、と頬を打たれて思わず見上げた。ついさっきまで、目の前には誰もいなかったのに。

 女の人だ。ただし、()()()女の人ではない。


 頭が大きかった。頭がやたら大きく、体の半分を閉めていた。横幅は普通で、それが逆に気持ち悪い。顔が長細い女は、××の顔を覗き込んだ。クタクタの汚いレースエプロンが揺れる。妙に小さい瞳がヌメっと粘ついていて、××の全身を絡め取るように肩から撫でていった。


(食われるッ……)


 ××は確かにそう思った。尖った顎で突き殺されそうだとすら思った。


「あんた、どうして……」

「……へ?」


 カスカスとした声が漏れる。人間、恐怖の頂点に達すると声が出ないものだというが、案外そんなことはない。

 峠などとうに超えてしまったのかもしれない。

 ××は冷静なのか、それとも動揺しているのか自分でも分からなかったが、意識がはっきりしているのは確かだった。


「どうして、出てしまったんや……神様は、どう思うと思う? あぁ、我々を食いなさるんやろな。もう、あたし達は終わりや。どうしよう」


 急に宗教的な話を始めた女を、××は静かに見つめた。夢だ。夢のはずなのに。

 なんだか妙に現実味があって、思わず身を震わせる。


「あんたのせいやっ! あんたのせいなんやっ! お母さんの言うこと、大人しく聞いてくれれば、こんなことにならんかったのにっ!!」


 この女は母、なのだろうか。もちろん、××の母ではない。××の母はもっと美しく、そして柔らかい雰囲気だった。声を上げ、あまつさえ手を上げるところなど、見たことがない。


「どうしてや、どうして出てしまったんや……」


 ふっと、××は気づいた。

 もしやこうして嗄れた声で怒鳴りつけている女、『出ていくな』と言い続けた少女なのではなかろうか。馬鹿な考えだとは思ったが、本能的な勘でそうとしか思えなかった。


「周りを、その、何かが動いていたので。気になって」


 ××は答えた。それから、ふっと周りから視線を感じ、背中を汗が垂れ流れていった。見ている。数人じゃない。何十人何百人という人が、自分を見ている。物陰から、縁側の下から、木に隠れながら。見ている。じっと、見つめている。

 女はキョトンとした顔で黙り込んだ。××を、まるで珍獣を見るような目で眺め入った。

 そして不意に口を開いて、


パクン


 閉じた。いや、閉じたのではない。正確には、その細長い口で××を食べようとした。


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 自分でも聞いたことないような、つんざくような悲鳴を××は上げた。

 コンマにもならない間に、××は松明を持って走り出した。辺りは真っ暗。灯りが不利になることも分かっていたが、それ以上に暗すぎて走れない。都会っ子の××には暗闇の方が敵だった。


 渡り廊下を全力疾走し、閉じ込められていた建物から出て、山道を走り抜けた。後ろからの気配はないが、見られている。何百という目に。見られている。暗がりに、余すとこなく顔が敷き詰められている気がした。

 首を汗の玉が滑り落ちる。過呼吸に近いほどの息をどうにか整えながら、××は走り続けた。夢にしては気味が悪かった。気持ち悪くて、仕方なかった。

 ザリガニ商店、という妙な名の駄菓子屋の横を抜け、一条文具店、というわりかしまともな名の文具店の前を通る。××はレトロな商店街を、視線や女を気にするあまり、本能に近い速度で記憶しながら走っていた。

 走って走って走って、もはやどれだけ走ったか分からないほど走ると、××は立ち止まった。どうやら近隣の村に近づいてきたらしい。遠くに明かりが見える。

 目の前には大きな門のような鳥居があるから、おそらくこの村はここで終わりなのだろう。

 ××は酷く安心してほっと息をついて、夢なのにそんなに不安がっていた自分を笑いながら、門をくぐり抜けようとした。


 不意にヒタッと肩に冷たいものが当たる感覚がした。思わず飛び上がって、恐怖に息を震わせながら、ゆっくりゆっくり振り返る。見たくはなかったけど、見ないと納得もできなかった。


 果たして完全に振り返った××は、へたりと座り込んだ。

 

 ところどころ骨が見え、肉は朽ち、乾いた血が服にこびりつき、または何故か手から滴って、そして腐ったような臭いを放つ顔面から歯をこぼれさせた、空洞になった目から蛆の湧く、思い出したくないような、けれどもうきっと一生忘れられないような、なんとも形容しがたく、しかしこの夢の中で最も気色の悪い、腐りかけた死体の自分だった。






『見ぃつけた』

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