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洗礼

「前世の記憶が九つとかありえない……、ありえないでしょ!」


 ここは猫人族の村。森の中。

 ぽつぽつと住居が点在する村で、一際目立つのは族長宅。その一室で少女が嘆いていた。

 彼女の名前は、アミル・カーン。

 筋力・運動能力・反射神経・容姿に恵まれ、秀でた戦闘能力を備える眉目秀麗な父を持ち、腕っ節はからっきしだが、賢しく勤勉であり、村一番の美貌の持ち主と囁かれる母を持つ、将来有望株として今注目を集めている、村で話題の猫人族の女の子だ。

 そんな彼女であるが……。

 ――めちゃくちゃ、モテる!

 同性にも、異性にも、物凄く大人気なのだ。

 今日、誕生日を迎え、現在の年齢は九なのだが――、

 なんと、彼女。年齢にそぐわぬ()()で、しかも見目麗しい()()()である!!

 特別なことをせずとも、勝手に皆が悩殺されてしまうほどに、()()()()()()である!!

 しかも両親が族長夫婦だ。

 おまけに本人にも、才能を感じるときた。

 村のそこかしこで話題に上るのは、当たり前である。

 それが村一番の少女アミル・カーンなのである。

 そんな彼女が――自室でふかふかの毛布に顔を埋めて――嘆いている原因。

 それは今朝方に遡る。

 ――以下、回想。


「……すぅ、すぅ」


 早朝。ベッドのなかで丸くなって熟睡していた私は、


「アミル、起きなさい、今日は洗礼でしょ」


 と、声をかけられながら、毛布と身体を揺さぶられ、ぼんやりと目覚める。洗礼という響きには抗えない。


「……んぅ」


 毛布を捲り、上半身をおこし、伸びをした。


「二度寝しちゃ駄目よ」


「分かってるよ。お母さん」


 当然するわけはない。なにせ洗礼なのだから。


「そう?」


 お母さんは、半信半疑といった様子で、じぃーっと私を見てきたけれど――、やがて部屋を出ていった。

 ちょっと不服だった。見返したい。

 そういうわけで、着替える。

 職業:狩人が種族の大半を占めるであろう猫人族だけど、かといって衣服が鞣した毛皮をそのまんまということもなく。

 文明を感じる、しっかりとしたものだ。

 鞣した毛皮をそのまんまな野蛮な時期もあったらしいけれど、それでは私たち猫人族のように耳や尻尾の生えていない普通の人間と交流していくうちに馬鹿にされてしまうこともあり、おまけに比較対照の人間の衣服があまりにも緻密であり、やがて羞恥心が湧き、このままではいけないと先祖が苦心して、人間の服飾技術を盗んだらしい。拝借したなどと言葉を飾り立てるものもいるが、返すつもりのないものに拝借という言葉は、適切ではない気がする。盗賊行為が恥だと思っているのだろうか……。

 今こうして上手いこと伝わっているということは、盗む際に、しっぽを出して人間に勘づかれるような、ヘマをおかさなかったということだ。

 勘づかれていたら、私たちの種族よりも少しでも優位に立ちたい一心で、躍起になって技術を隠しているだろうし。

 何にせよ、盗んできた先祖は良くやった。

 もちろん、服飾技術の会得をして後世に伝えてくれている先祖もだ。

 そのおかげで今こうしてしっかりとした衣装が着れるわけであるので、先祖には感謝しかない。

 盗っ人万々歳だ。

 肌触りが良く、通気性も高い。

 おまけに独自のアレンジとして、機能性に優れている。

 猫人族の俊敏でしなやかな動きにもついてこれ、丈夫さも相応だ。

 ――おっと、いけない。

 のんびりしていると、お母さんにどやされそうなので、すぐに着替えを終え、部屋を出た。

 しっかりと服を着れたか確認しつつ、歩き始める。

 道中、ふと思う。

 そういえば――、誰から聞いたか、朝、パンを咥えて走ると、イケメン君と出会えるとか。

 ――あれ? これ誰から聞いたんだっけ……。

 そんなことを考えて、首をかしげながら進む。

 そのまま出ていこうとすると、


「出ていく前にスープくらい飲んでいきなさい」


 お母さんに呼び止められた。


「スープ、あるの!? ――飲む!!」


 というわけで、食欲が触発された私は、食卓へ。

 さっきまで何か考えていた気がするけれど、なんかどうでもよくなった。

 思えば、空腹感が多少なりともあったからこれ幸いにと席に着く。

 私は待ち遠しくて、ソワソワしながら、木のスプーンを握っていた。


「おまちどおさま。たーんとお食べ」


 と、かぼちゃのスープを出される。


「おおおお!」


 何度見ても新鮮。年甲斐もあり、目を煌めかせる私。

 鼻腔を擽る。美味しそうな匂い。

 目に映る。神々しくも感じる綺麗な黄色いスープ、混じった白色。

 クリームが少量混ざっているのだろう。

 とっても美味しそう――というか美味しい。何度か飲んでいるからわかる。というか飲もう。

 即座に、かぼちゃのスープを飲む。

 起きたての乾いた喉に染みるかぼちゃの味。

 いつもながら、とてもまろやかでコクがあり、美味だ。

 ひんやりとしているから、とても飲みやすい。

 そう。朝から飲むスープでも、冷たいのだ。

 普通の人間は驚くだろうけれど、これは決して嫌がらせというわけではない。

 かといって、羹に懲りたわけではない。

 猫人族は、大半のものが猫舌なのだ。

 であるから、基本的に温かいスープなど出ない。

 そんなことを考えているうちに飲み終えてしまった。

 ごちそうさまも言わずに、私は空っぽのスープ皿をじぃーっと見詰めてしまっていた。


「美味しそうに飲んでくれて嬉しいわ。お代わりいる?」


 物欲しそうな顔でもしてしまっていたのか、そんな魅力的な提案に、


「いる!」


 速攻で食いつく私だった。

 やがて、たいらげたら――「ごちそうさまでした!」。

 というわけで、出発だ。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 お母さんのスープを味わい、お母さんに見送られ家を出た私は、木立の中を歩いている。差し込む木漏れ日を目で味わいながら、教会へと向かっていた。

 先ほどお母さんが言っていた通り、洗礼を行う為だ。

 今日は私の九歳の誕生日。

 猫人族は九歳になると洗礼を受ける必要がある。

 洗礼とは、猫人族に伝わる宗派であるセクメト教の信徒となるために行われる儀式である。

 そして、母なるセクメト様のお告げを聞くための儀式でもある。

 お告げさえ聞こえれば、セクメト様の御子であるバステト、すなわち獣人族の英雄になれると教えられているためゆえに、洗礼は、村の子供皆の憧れだ。

 しかし……、現実は非情なり。

 子供の夢を崩すのはいつも現実だ。

 身も蓋もない話だけど、セクメト様のお告げとやらが聞こえることはなく、もはや形骸化している。

 とはいえ、洗礼は村の子供たちの憧れだ。

 かくいう私も憧れている。

 だから洗礼の悪口はよそう。

 部族の大切な伝統を謗るのは、よろしくない。

 この世界の宗教は一つというわけではなく幾つかに別れてしまっているのだけど、我々の部族は皆が皆、セクメト様の敬虔なる教徒であるから、セクメト様を根拠もなく謗る輩は、例え、同じセクメト教の信徒であろうとも容赦しないであろう。特にセクメト様の怨敵である竜に与するものどもは出会ったら血祭りにあげるべしとされている。

 そんなことを考えつつ、しばらく歩くと教会に着いた。

 ささやかな段差を乗り越えると、いよいよだ。

 中には久々に入るので、なかなかに緊張する。

 緊張するけれど、入り口でたたらを踏むほどじゃない。

 堂々と中に入る。

 中は、非常におごそかな雰囲気だった。

 厳粛な空気に触れ、自然と気が引き締まる。

 ――のは一瞬で、壁に飾られたセクメト様のお姿が描かれた聖画やら嵌め込まれたステンドグラスやらに見惚れる。どちらも美しくキラキラしていたから。

 すると、知り合いの神父がこちらに気付き、声を掛けてくる。


「やあ、アミルさん、いらっしゃい、洗礼だね?」


「もちろんです」


 自信満々に胸を張る。

 己がなぜ自信に満ちているのか、理由がよく分からなかった。

 自信は、自然に湧いてきた。

 満々と言えるほどに、満ちるまでだ。

 そういうわけで、胸を張った。

 まあ別に見栄えも悪くないはず。

 張る胸があってよかった。

 お母さんの遺伝子には感謝しなきゃ。


「そうかいそうかい、歓迎するよ」


 神父さんが優しげな笑みを浮かべる。


「洗礼の手順は分かるかね」


「はい」


「では、こちらへ――」


 そう呼び掛ける神父さんに着いていく。

 それから案内にしたがい、洗礼を受けた。

 すると――、


『初めまして、愛しき子孫アミル――』


 ……!?

 脳内に直接、声が届いた。

 女神のように柔らかで暖かい声が、蜂蜜のような甘さで染み渡る。

 蕩ける魅惑の美声によって、落ち着くまで時間がかかった。

 気付けば、神々しき世界にいた。

 瞬きの間に身体ごと移動したわけではあるまい。

 精神だけトリップしてしまったのだろうか。

 神々しすぎて、周囲がよく見渡せない。

 すると目の前にとても神々しい気配を感じた。

 まるで御光の塊だ。神々しすぎて、姿を視認できない。

 彼の者が呼び掛けてきた当人なのだろう。

 待っていてくれたらしき彼の者に、申し訳なく思いつつ私はようやく、

 ――ハ、ハジメマシテ……?

 戸惑いつつも返事を返す。

 ふふっ、と柔らかな笑声。

 すると、ぼんやりと輪郭が浮かび。

 そして彼の者が名乗る――、

 完全に姿を現して。


『私はセクメト。女神セクメトです』


 ――セクメト様……!?

 びっくら仰天。

 度肝を抜かれた。

 飛び上がりそうになった。

 ひっくり返りそうになった。

 肩がはねあがって、脈拍が速くなった。

 それは、予想だにしなかった、セクメト様の語りかけ。

 咄嗟の事だったけど、なんとか声を出さずに済む。

 そして、改めて、みとれてしまう。

 セクメト様は、獣人族であることを示す丸い耳とさきっちょにふさのある尻尾を付けた金髪の少女の姿をしていた。そのお姿を拝見して、なぜか“ライオン”という名称が脳裏に浮かんだが、頭の隅にやる。

 ……なんと気品のあるお姿。

 ……なんと美しいのだろう。

 ごくり、とたまった唾を飲み下す。

 ――セクメト様。この優しく慈愛に満ち溢れる雰囲気は、きっとあの母なるセクメト様だ。万に一つも僭称などあり得ない。

 セクメト様は獣人族、全ての母であるとされている。

 今、彼の神の声を聞いて、早々にそれが真実だと確信した。

 セクメト様は、大きな包容力があった。

 そして、魂の奥底にセクメト様の御心が刻み込まれていた。

 もちろん、疑っていたというわけではない。

 だけども、神の子であるとされていることが、恐れ多く、身に余っていた節がある。


『そう卑下することはありません。他の部族の者にも伝えなさい。私は貴女たちの母であり、見守っていると』


 心を読まれたことには、特に驚かない。

 セクメト様なら、そのくらい出来て当然だ。

 しかしありがたいお言葉を貰った。

 皆にも伝えてあげなきゃ。


『コホン』


 おっと、ちゃんと聞かなきゃ。

 不興を買ってしまうところだ。

 するとどうやら、セクメト様が本題に入るらしい。


『アミル、どうやら貴女には九つの前世があるようです』


 いきなり来た衝撃の事実。

 ――九つの前世。


『聡い貴女ならこの意味に気付いたでしょう』


 ……ごめんなさい。まったく。


『……いいのです。九つの前世を持つことにより、本来の貴女のもつ脳の地力と矛盾して、頭の回転が少々鈍くなっているのかもしれませんから』


 言われてみるとそんな気がしてきた。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。


『――九つの前世により、生命力が余人の九倍となります』


 生命力が余人の九倍。

 それはすなわち、九つの命を持っているということに等しいということだ。

 ただでさえしぶといといわれる猫人族。

 その中でも私は異端の生命力を持つというわけか。


『そうです。そして貴女は神の子、バステトです』


 ここでいう神の子とは、皆が御子であるのは前提として、より色濃いということだ。

 今はそれよりも、バステトのが大事だった。

 ――バステト。それすなわち獣人族の英雄なり。

 突如告げられたそれは、私にとっては悲劇だった。

 なぜかって?

 英雄となるときっと色々と面倒くさいからだ。

 私は自由気ままに人生を謳歌したい。


『まあそう思わず』


 本当はそんなことを思ってはいけなかったのかもしれないけれど、セクメト様は、きっと寛大なので私も心を開いている。


『貴女一人に重責を課すのは酷というものでしょう。幸運なことに、狼人族の側にヘカテーの器を得たものもいます。貴女たちは引き合う運命にありますので』


 ビジネスパートナーらしき存在を告げられた。


『バステトとして獣人族の希望となってあげてください』


 無理です。なんて口が裂けてもいえない。

 天運が巡ってきた。

 その栄誉を、受け入れざるを得なかった。


『愛しき子孫、アミル、どうか役目を。獣人族にさらなる繁栄をもたらすのです。私はいつでも貴女を見守っています』


 セクメト様はにこりと笑みを浮かべた。

 一瞬で何処かへ消えたセクメト様。

 波打つ視界。


 ――神々しかった視界が、陽炎のようにゆらめいて見えたかと思えば、現実に戻っていた。


 名残惜しくも、セクメト様とのやり取りが絶たれる。

 そして――、


「バステトの栄誉、おめでとう」


 教会の皆に憧憬の眼差しで見られていた。

 律儀に報告するまでもなく、信心深い信徒には、全て悟られていたらしい。

 信者の手前、光栄です。という表情を作り上げるけれど、表情が苦くなるのを感じた。

 次期族長としての期待に、バステトとしての期待。

 期待は、単純な足し算とはいかず、何倍にもなった、重責に押し潰されそうで、素直に喜べなかった。

 ともあれ、帰ることに。

 族長に報告しなければならないからだ。

 足取りがとても重い。この重さは皆の期待というやつか。

 誰にも遭遇しないように木に登り、木から木へと渡りながら帰った――なんてことをする余裕もなく、とぼとぼと歩く。

 家に着く頃には、疲れ果てていた。

 玄関の前に立つと。

 ……どうにか帰ってきた。という感想が浮かぶ。

 ただでさえ、声かけられすぎる傾向あるのに、崇められてしまったりして、道中大変だった。へろへろだ。


「お帰り、アミル。バステトに選ばれたようね。とても凄い事よ。お母さんも嬉しいわ」


 家に入ると、お母さんがとても嬉しそうに出迎えてくれた。

 両手を大きく広げていて、ハグでもする勢いだ。

 だけど、ハグの要求には答えられなかった。


「ただいま……」


 とだけ返す。色々ありすぎて、覇気が抜け落ちてしまっていたからか、我ながら元気のない返事だ。

 それも感情に乏しいわけではないから、モロにでてしまった。


「あら? どうしたの? アミル」


 浮かない表情となっていたのか私の顔を怪訝そうに眺めてくる。

 と思ったら、たちまち心配そうな表情に変わった。

 そんなにじっくりと見詰められても。


「ちょっと、一人でいさせて……」


「突然の事で整理が付かないのね。わかったわ」


 お母さんは察してくれたようで、そっとしておいてくれるらしい。

 そして、部屋に籠り、誰にともなく嘆いたというわけで。

 ――回想終わり。


「ああ、重圧過ぎる……。族長の娘として、ただでさえ注目を集めているのに……」


 頭を抱える。

 なにせ慣例に従い、洗礼を行ったら、


『――アミルさん、どうやら貴女には九つの前世があるようです』


 煌めくセクメト様によって、九つの前世、余人の九倍の生命力を持つことが発覚してしまい。

 齢九にして、獣人族の英雄であるバステトとして取り立てられてしまったからだ。


「私のような小娘に、なんて理不尽なんだあ……」 


 セクメト様は幼年の私に一体何を望むのだろう……。

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