乙女ゲームは馬には理解できませんでした
前作『乙女ゲームは馬狂いによって成立しませんでした』からお読みいただくことをおすすめします。
ゆるふわ設定で書いてますので矛盾点やおかしな点があるかもしれませんがそれをご了承のうえでお読みくださるようお願いします。
僕の最初の記憶はおぼろげだ。
茶色の馬がぐったりと倒れていて、馬に寄りかかるようにしておじいさんが泣いていた。
茶色の馬が僕のお母さんだったって後でおじいさんが言っていたんだ。
名馬の血は引いているけれどその血統が今の主流から外れ過ぎていて誰にも買ってもらえなかったそうだ。
でもお母さんはそれなりに走るのが速くランクの高い重賞と呼ばれるレースには勝てなかったものの一頭だけでおじいさんの牧場を持ち直させた英雄だった。そのお母さんが僕一頭だけを産み落としてあっさりと死んでしまった。
おじいさんは僕をとても大切にしてくれた。
生まれつき自力では立つことができないほど曲がっていた僕の足の一本を蹄を矯正して直し、今では何の問題もなく走ることができるまでになっていた。
そしてあっという間に僕は一歳になった。
今日は、セリがあるらしい。
たいていの馬は二歳になる前に主人が決まってしまうものなんだそうだ。
僕はそれに他の子たちと一緒に出ることになった。
たくさんの人たちがいる会場で僕はおじいさんと一緒にいたけれど誰も僕たちに声をかけることがなかった。
セリでも他の子たちが次々と売れていく中、僕には値が付けられずあえなく主取りとなってしまった。
なんでもお客さんたちが言うには「白毛の馬は走らない」だそうだ。
僕の白い毛が悪いのだろうか?
しょんぼりと肩を落とすおじいさんにおじいさんとまだ一緒にいられることは嬉しいけれど僕まで悲しくなってしまった。
セリから半月ほどたった頃だろうか。
いつもと変わらぬ日常に変化が起きた。
放牧地で草を食んでいると目の前に少女がいたのだ。
びっくりして顔をあげるとその少女はゆっくりと鼻面を撫でてくれた。
おじいさん以外の人にそうされるのは僕にとっては珍しいことだった。
優しい人だ。
僕は彼女が好きになった。
毎日、一日たりとも日を開けずに彼女は僕に会いに来た。
いつも同じ時間ではなくて、真っ暗になり、みんな寝静まったころに、顔色を悪くしながらも僕の馬房の前に立っていたこともあった。
彼女はおじいさんとも仲良くなり、僕の背に乗るようになった。
彼女と翔るのは楽しかった。
そんな日々に終止符が打たれた。
僕が牧場を離れることになったのだ。
おじいさんが泣きながら「勝つんだぞ。そうすればおまえが生きられる。いや、負けたとしてもあのお嬢様だったらおまえ一頭くらい養ってくれるだろうさ。よかった、よかったなぁ」と首を抱きしめてくれた。
何に勝つのか、何に負けるのかそのときの僕にはわからなかったけれど彼女に引き取られることで僕は生きられるのだと知った。
「おまえの名前は今日からシトリンだ。私の可愛い相棒よ。おまえと出会える幸運に恵まれた私は幸せだ」
彼女は名前をくれた。
僕の……僕だけの名前だ。
それからは劇的だった。
知らない馬たち。
知らない人々。
厳しい調教、鞭打ってくる騎手。
それでも走った。
厳しさにも鞭にも意味があるとわかっていたから。
毎日ではないけれど彼女も来てくれる。
彼女を背に乗せる時はいつもより体が軽くなるような気がした。
そして迎えたデビュー戦、他の馬よりも速く走れた馬が勝ちの追いかけっこ。
パドックで歩いていると白毛だなんだとヤジが飛んだけれど気にならなかった。
ただ、彼女に対しての侮辱には腹が立った。
女がレースで馬に乗ってはいけないなんてルールはないはずだ。
僕は彼女を背に乗せるのが一番いいというのに。
そして、レースが終わった時、聞こえたのは歓声だった。
「白毛の馬が!」「10馬身差だぞ!」「女騎手が!」
レースに勝てば僕と彼女のコンビは最高だと認められる。
それを知った。
僕と彼女はたくさんのレースを勝った。
勝ち続けた。
僕は誰よりも速かったし、スタートからポンと飛び出せばあとは誰にも邪魔されることはなかった。
そしてこの国の緑のターフの頂点にたったのだ。
僕は『無敗の三冠馬』と呼ばれるようになった。
そう呼ばれるようになってからだった。
キラキラしてきゃいきゃいうるさいあの男が現れるようになったのは。
僕と彼女が一緒にいるときゃいきゃい騒ぎにやつは来る、幸せな時間を邪魔されて噛みついてやろうとしたのに彼女が止めるから仕方なくやめてやった。
キラキラ男が初めて来てから一年。
きゃいきゃい騒がれるのに慣れきってしまった。
「えぇいっ! おまえは口答えせずにさっさとその馬を私に寄越せばいいのだ! 第一王子である私が貰ってやるのだ。ありがたく思え!」
「恐れながら王子殿下、それはいたしかねますと何度も申し上げております」
「無理がわけがないだろうがっ! このジョン・ソラーノ・ロペス、他でもない第一王子の命令に逆らうと言うのかっ! おまえはいつもいつも生意気で可愛げがない。なんでおまえのような奴が私の婚約者なのだっ!」
「はぁ、申し訳ございません」
うるさいのが終わらず飽きてきたので彼女に甘えることにする。
撫でてもらえて今日も幸せだ。
「聞いているのか? 最近、学園で知り合った男爵令嬢はとても可憐で愛らしい。私に寄り添って甘えさせてくれたり、勉強しろ勉強しろとうるさいおまえと違って私は私のままでいいと言ってくれるのだ。おまえも少しは彼女を見習ったらどうなんだっ! いや、もういい! 父上と母上に言っておまえとの婚約を破棄させてもらう! 婚約破棄の暁にはおまえが育てている馬すべてを慰謝料としてもらうからな!」
キラキラ男が行ってしまうと今日はいつもの彼女ではなかった。
怒っている? いつもはため息一つ吐いて僕を撫でてくれるのに……
「誰がてめぇなんかに大事な大事なシトリンをやるか!! おととい来やがれ! 婚約破棄はこっちからお願いしたいぐらいだけどな!!」
うん……間違いなく怒っている。
人間の言葉を完璧に理解できるわけではないから詳しい理由までわからないけど。
いつも同じようなことばかりいってるもんだから今日との違いがわからなかった。
いつもと違ったのは「男爵令嬢」「父上」「母上」「婚約破棄」「慰謝料」だと思う。
たぶんだけど…………人間の言葉って難しい。
それがわかっても意味がわからないからどうしようもないんだけどね。
彼女はハッとして僕を見ていった。
「…………逃げてやる。もうこんな国、おまえたちを盗られてしまうくらいなら惜しくない」
「逃げる」? 「盗られる」? どういうこと?
それを理解する前に彼女はいつものように軽々と僕に飛び乗った。
「さぁ、可愛い可愛い私のシトリン。おまえの仲間を連れ出したら一緒に逃げようか? 今の時期なら子馬たちも走れる程度に育ってるからよかったことだ」
みんなを連れてどこかに行くの? みんなと一緒なら寂しくないね。
そういえば帝国で今までよりも大きなレースがあるから行って勝ちたいねって話してた。
合図を受けて走り出す。
彼女と一緒ならどこへ行っても怖くはないだろう。
僕の大切なご主人。
*****
彼女を背に乗せ、仲間たちと共に走った。
途中、休憩していると知らない人間たちの声がしたようだったが再び走りだせばすぐにそれは聞こえなくなった。
どれくらい駆けたのだろうか。
開けた場所に幾人かの人間と馬。
彼女と人間たちの中でも一番きれいな男が話して、彼女がくるりとこちらに振り返った。
「シトリン、他のみんなもよく頑張ってくれた。ここが帝国だ」
どうやら目的地についたらしい。
僕たちは久々に安全な場所で疲れを癒やすことができた。
疲れを癒やし、しばらくして調教が再開された。
この地には彼女と僕が目指していた「世界最高のレース」がある。
それに勝つのが目標なんだ。
そのレースに参加するにはいくつか他のレースに勝たないといけないらしいけど負けるわけがないよね? だって僕と彼女のコンビなんだから。
*****
ついにこの日が来た! 「世界最高のレース」の日!
あぁこれで僕と彼女が世界最高だとみんなに認めさせることができる!
彼女がこちらに来る。
僕の背に乗りに。
あれ? 彼女の隣にいるのは最近よく見るあの一番きれいな男じゃないか。
何しに来たんだ?
僕の背に彼女が乗ってレースへ向かおうとした時だった。
「アイリス! 勝ったら俺の願いを一つ叶えてくれ!」
「それ普通は逆じゃないのか? まぁ、今日の私は機嫌がいい。馬たちをよこせとかいうアホなことじゃなければ聞こう」
「その言葉忘れるなよ!」
う~ん、何を言っているのかわからないな。
よく聞こえるだろうかと耳ごと顔を動かす。
あの男が機嫌良く笑っている。
なんでだろうか? まぁいい、それよりレースに勝つことが先決というものだ。
彼女の合図を受け、足を踏み出した。
*****
シトリンは知らなかった。
大好きな主人がこの「世界最高のレース」を勝ってしまうことで奪われてしまうことを。
シトリンは知らなかった。
一応好きな人間の範囲に入る「一番きれいな男」を蹴り飛ばしたくなることを。
夢を叶えることができたのに悲しくなることがあるなんて考えたこともなかったのだ。
*****
馬たちの会話
「ご~しゅじ~ん! しくしく」
「シトリン、いつまでうじうじしてんのさ。見なさいあのご主人様の幸せな顔! これでよかったんだよ」
「でもでも~ぉお。僕のご主人なのに……」
「人間は人間と番うもんでしょうが……それにあのキラキラ男よりもよっぽどましじゃないか」
「??? なんでキラキラ男が出てくるの?」
「なんでって。前までご主人様の番うはずだった相手はあのキラキラ男だったんだぞ」
「は? はぁああぁああ~~?!」
「まさか知らなかったのかおまえ? 賢いのにどこか変なとこが抜けてるんだよな……コイツ」
「あっあれは嫌だ~~~~!! 断固反対するっっ!!」
「だからもうそれはなくなってあの男とご主人様が番うんだろうが」
「くそぉお~~~~!! しょうがない! 認めてやらんでもない!」
「…………コイツが世界一の名馬にしてもなんでこんなに偉そうなんだか」
「ちなみになんでキラキラ男が嫌いなんだ?」
「あぁ、あいついつもご主人と仲良くしてるときに限って邪魔してくるんだよ。きゃいきゃいうるさいし。あれだ、あれに似てる。尻尾でいくら払っても払ってもブンブンうるさいハエ」
「……ハエか。ご主人様と番わなくてよかった、本当に」