旅のルール
「大きな国だねー! これなら、まともなご飯が食べれるかも!」
「まだブラックフィッシュのことを根に持ってたんですね」
お金が無いかも――とは言えなかった。
養う立場として、頼りない姿を見せるわけにはいかない。
三十分ほどの入国手続きを済ませたイツキとエルは、現在広大な国の中をさまよっている。
こういった大きな国では、まず安全を第一に確保しないといけない。
エルは、イツキと離れないように袖をしっかりと掴んでいた。
「とりあえず、今日泊まる所を探しましょうか。大きな国なので、ぼったくられないように注意しておいた方が良さそうです」
「そ、そうだね」
エルを不安にさせないよう、計画を立てて行動するイツキ。
早く荷物を下ろしたいというのもあり、近くにあった宿屋に入る。
「いらっしゃい。旅人さんかい?」
「はい。二泊ほどしたいのですが」
宿屋の店主らしき男が、気前よく話しかけてきた。
まだ昼だというのに、隣には飲みかけの酒が置かれている。
よく見ると、外装は綺麗であるものの、内装には力を入れていない。
このような宿屋は、格安かぼったくりかのどちらかだ。
「それなら50ゴールドだけど、こちらの女の子は娘さんかな?」
「そうだよー」
「なら、お嬢ちゃんの分はタダで良いよ。ただ、飯は出ないから兄ちゃんが何とかしてやんな」
どうやら、格安の方を引き当てたようだ。
幸運なことに、一件目から当たりの店を引き当てたイツキたちは、荷物を下ろして休息をとる。
「ラッキーですね。こんなに早く決まるとは思っていませんでした」
「本当はこんなに早く決まらないの?」
「はい、宿を求めて歩き回るのが普通です。それに、この値段だったら劣悪な環境だったりするんですけど、そんなこともなさそうですね」
イツキは部屋を見渡す。
ベッドが二つというシンプルな部屋構成だったが、ベッドがあるだけまだマシだ。
これまでイツキが経験した中では、壁すらなかった宿屋もある。
当然そのような場所に、エルを置いておくことはできない。
「良かったね、お父さん! これまでエルに用意されてた寝床より何倍も綺麗だし、エルも嬉しいよ!」
用意されてた寝床――というのは、恐らく奴隷時代のことだろう。
檻に入れられるような扱いを受けていた場所で、まともに眠れていたとは到底思えない。
(決まったな。これからの最低限は)
新しく『旅のルール』が一つ付け加えられた瞬間だった。
『旅のルール』とは、文字通り旅をする中で守ると決めたルールだ。
イツキが自分に課している憲法のようなものである。
殺さない、奪わない、などに加えて新しく最低限の生活という項目が追加された。
最低限の生活は、エルが奴隷として売られていた頃を基準にされている。
つまり、エルに奴隷時代と同じ思いはさせないという決意表明だ。
「さて、ご飯は出ないらしいですから、何か買いに行きましょうか。エルちゃんも一緒に行きます?」
「行く!」
荷物を下ろして身軽になったイツキたちは、軽い足取りで初めて見る店に向かった。
***************
「お父さん、似合う……?」
「おぉ、可愛いですよ、エルちゃん」
「ほ、ほんと!? ありがとう!」
食べ物を買いに来たイツキとエルは、何故か服屋で足止めを食らっていた。
店員に捕まったというわけではなく、エルがじーっと服を眺めていたことが原因だ。
イツキの提案により試着を始めたのだが、これが予想以上に時間がかかるもので、既に一時間が経過している。
当人たちには時間という概念がなく、無料ということもあって、最大限に試着を楽しんでいた。
「よし、これを買いましょう」
「え!? 良いの!? お金は!?」
「心配しないでください。記念ですよ、記念」
イツキは、迷わず財布の中からお金を出す。
予定外の出費であったが、宿屋で浮いた分のお金と割り切って払った。
それに、女の子であるエルからしたら、服は命とも言えるだろう。
更にもう一着買ってあげたいくらいだ。
「だけど、ゆっくりしすぎたかもしれませんね。人が混まないうちに、ご飯は済ませておきましょう」
「そ、そうだね――」
くぅー――とエルのお腹が鳴る。
「――ひっ!?」
エルは慌ててお腹を押さえた。
しかし、それで鳴り止むことはなく、恥ずかしい音を響かせている。
通りすがりの人には聞こえていないであろう音だが、イツキの耳にはしっかりと届く。
うつむいたまま、顔を上げられないでいた。
「……フフ」
「えへへ……」
その場は奇妙な空気に包まれる。
紳士としては、聞こえていないふりをしていた方が正解だったのであろうか。
しかしそれでは、聞こえていたのか聞こえていなかったのかで、エルが悩み続けることになるかもしれない。
難しい問題だ。
「エルちゃんは何が食べたいですか? この国なら大抵の物はありますよ」
「エルは何でも良いけど……もし良かったら、カニが食べてみたかったり……なんて」
「カニ……ですか」
イツキは自分の財布の中身を確認する。
そこには、ギリギリセーフ――もしくはアウトといった微妙な金額が入っていた。
エルのまさかのチョイスに、イツキは頭を悩ませる。
素直に断ることができたら、どれだけ楽になれるだろう。
しかし、その言葉がどうやっても出てこない。
エルも勇気を出して言ったのだ。
それを無下にするようなことは、イツキの精神が耐えられなかった。
「だめ……かな?」
「構いませんよ、行きましょう」
「やったー!」
とうとう言ってしまった。
これでもう後には引けなくなってしまう。
計画的なイツキらしくない選択だ。
イツキの財布も驚いているだろうし、イツキ自身もこの結果に驚いている。
(……これは帰りに換金しなくちゃな)
エルに手を引かれながら、イツキはカニの待つ店に向かう。
早足なエルに比べて、イツキの足は少しだけ重かった。
***************
「お父さん、これ食べていいの……?」
「良いですよ。食べ方は分かりますか?」
「……わかんない」
エルは、持っているカニの足をどうしたら良いのか分からずに困っている。
単純に憧れていただけのようだ。
「僕も詳しいわけではありませんが、このハサミで関節の手前と足の付け根を切り落として――」
「おぉー! ありがとう、お父さん!」
どこで得たのかも分からない知識で、イツキは器用にカニの身を取り出した。
エルは初めて食べるであろうカニの身を、宝石を見るような目で見つめている。
そして、ついに口の中へそれを運んだ。
「……はぁー……おいしい……」
何とも言えない表情。
天井を見つめて、エルは深いため息をこぼしていた。
その味を言葉で形容するようなことはせず、ただ味を楽しんでいる。
もしかしたら、言葉に表せないほどの味なのかもしれない。
「お父さん、ハサミ貸してー」
「もう食べ方を覚えたんですか?」
「うん」
物分りのいいエル。
次なるカニの足を求めて、ハサミを手に取った。
バチン――という豪快な音を立てながら、カニの足を綺麗に分断する。
いつものエルとは打って変わって、今は黙々と作業に集中していた。
「エルちゃん、少しお手洗いに行ってきます」
「いっしょに行――」
「気にしないで良いですよ」
イツキは、以前に貰った金鉱石を換金するため、エルにバレないように外へ出る。
心配をかけまいと、苦労するイツキだった。