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エル


「ここが僕の借りている宿です。二人なら少し狭いかもしれませんが、ちょっとの時間なので我慢してください」


「……」


 女の子は何も喋らない。

 無視をしているというわけではなく、頭の理解が追いついていないのだろう。

 何を話したら良いのか分からない――といった様子だ。


「大丈夫ですよ。引き取ってくれる所が見つかったら、貴女は自由になれるんですから」


「エル!」


「……はい?」


「エルの名前はエル! エルの名前は『貴女』なんかじゃない!」


 女の子――エルが初めて発した言葉は自分の名前だった。

 このような自己紹介は、人生経験豊富なイツキでも初めてである。


「エルちゃんですね、分かりました。とりあえず座ってください。何か出しますから」


「え? 座っていいの?」


「どうぞ」


「……ありがとう」


 エルは申し訳なさそうにソファーに座った。

 思ったよりも柔らかいソファーだったのか、落ち着かないように腰を動かしている。


 どうやら座ることには慣れていないようだ。


「お腹が空いているでしょうから、沢山食べてくださいね。味はともかく、毒は入っていませんので」


「――! エルはお金持ってないよ!」


「いやいや、お金は必要ないですよ。そんなことは心配しなくて大丈夫です」


 イツキが即席で出した料理は、至ってシンプルな肉料理である。

 店で買った鳥を、丸々一匹焼き上げただけに過ぎない。

 コストパフォーマンスを重視した料理だ。


「はぐっ!」


 そんな安い料理であるが、エルはお構い無しに食べる。

 口元が汚れることも気にせず、まるで犬のように食いついた。


 それほどお腹が空いていたのだろう。

 気持ちがいいほどの食べっぷりだ。


「……食事はいつぶりですか?」


「三日くらい」


「……なるほど。今日はゆっくり休んでください」


 イツキの問いに、納得出来る答えがエルから返ってきた。

 三日ともなれば、立っているだけでも精一杯なはずである。


 そんなエルの食事を、邪魔するわけにはいかない。

 イツキは、栄養を摂るのに必死なエルを見つめることしかできなかった。



******************



「お腹いっぱい。けぷ」


「それは良かったです」


 エルは、膨れ上がったお腹を擦りながらソファーに寝転ぶ。

 もうこの空気には慣れたようで、遠慮するような素振りは少なくなっていた。


「もし嫌なら答えなくても大丈夫ですが、エルちゃんは何か別の種族だったりしますか?」


「……よくわかんない。でも、エルが最後まで残ったのはそのせいかもしれない。やっぱり、人間じゃなかったら……嫌?」


 エルは、最初に出会った時にしていた不安そうな顔を、もう一度イツキに向ける。

 この様子だと、イツキの答え次第でエルに甚大な影響を与えることになるだろう。


 イツキはこれまでの旅で、種族など飾りでしかないということを理解していた。


 良い魔物もいれば、悪い人間だっている。

 大事なのは本人なのだ。


 その本心を隠すことなくエルに伝えようとした。


「そんなことはありません。エルちゃんにはエルちゃんの魅力がありますから」


「……へ?」


 エルの顔が真っ赤に染まる。

 透明感のあった肌の面影は、既になくなっていた。


 イツキは、エルを慰めるつもりで言った言葉だったが、幼いエルはそのまんまの意味で捉えてしまったらしい。


 つまり、告白じみたセリフということだ。


「食べ終わったなら、お風呂に入って寝るようにしてください。宿の設備ですから、満足するまで使っていいですよ。僕は先に寝ますから」


「あ……う、うん……」


 エルの手に宿の浴衣が手渡される。

 宿で用意されていた浴衣であり、そこまで高価な品ではないが、エルが今着ている服に比べたら何倍も上だった。


「明日はちょっとだけ早く起きますから、夜更かしはしないようにしてくださいね」


「分かった……」


 エルは、使い方の分からない設備に苦労しながら、何とか汚れた体を洗い始める。


**********


 イツキは椅子に座って眠っているため、エル用にベッドが空けられていた。

 初めてだらけの出来事に、体は予想以上に疲労していたようで、エルは倒れるように眠りにつく。


 風邪をひかないように――と、イツキがエルに布団をかけるのは数分後のことである。



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