私
いつもと変わらぬ朝を迎えて、なんとか《エラ・フォーサイス》の顔をつくる。
うん。大丈夫。わたしは、大丈夫。
学園に着くと、ロイが1人でクラスにいた。
「御機嫌よう。今日は早いのね。」
私がそう微笑みながら挨拶をすると、ロイが満面の笑みでこちらを向いた。
「おはよう。エラ!」
笑顔だけは幼い頃と相も変わらず、可愛い。
最近は圧が凄いことがたまにあるから。
そんなことを考えていると、ロイが眉をひそめた。
「どうした?」
急に訝しげに尋ねてくるロイが私は不思議でならない。
「どうしたって?」
首を傾げてしまう。
「エラ、何かあったでしょう?」
なにも、ない。
「何も無いわ。」
私はどうしたの?と言ったふうに答える。
ロイが気がつく訳ない。私は《エラ・フォーサイス》で、ロイは《エラ・フォーサイス》が好きなんだ。
「ここでは話しにくいこと?」
そろそろ何人かクラスメイトがやってくるだろう。でも、『ここでは話しにくいこと』ではなく、『誰にも話せないこと』だから。
「いいえ。」
私がそんなことない、と言うとロイは悲しそうな顔をした。
「エラはとても、とても、苦しそうだよ。」
苦しそう?私が?
「何も無かったのよ?」
「そう。ちょっと来て。」
ロイは私の手を引きながら、教室を出る。
精一杯の抵抗をしても、腕を掴む力が強くて、護身術でも使わないと離せそうにない。公爵令嬢らしい抵抗は虚しく、ロイにひとつの個室へ連れていかれた。
「どうしたの?ここは、どこ?」
「ここは、王族のみが入ることを許される場所です。」
「私は入っちゃいけないじゃない。」
「将来なるんですから、関係ありませんよ。」
「何をするつもり?」
「話すことがあるでしょう?」
「何も無いわ。」
そう言うと、ロイはとても苦しそうな顔をした。
「僕はね、エラが心から幸せであればいいと思う。たとえ僕達に見せているのが本当のエラじゃなくても。」
微笑むロイを見ていると涙が出そうになる。
「エラは婚約した日から変わったね。それまでは、人形みたいだった。周りが望む完璧な公爵令嬢だったんだ。
母上は、エラを大層気に入っていた。
だから、この子と結婚するんだろうなってのはわかってたんだ。
でも、あの日から、エラは少しだけ変わっていった。
自分の意思を見せるようになった。
エラは周りを見ていつも動いてるから、僕が望んだら、もしかしたら自分の意思で笑ってくれるんじゃないかって。そうしたら、本当に笑ってくれて。怒ってくれて。悲しんでくれて。嬉しかったなぁ。」
ああ。駄目だよ。涙が零れそうで。
「最近は、エラがちょっと変わっちゃって。それも、可愛かったけど。でもさ、エラさえ辛くなかったら。エラさえ笑っていてくれたら。それで、良かったんだ。
ねぇ、エラ。僕はエラに幸せになってもらいたいよ。」
もう、駄目。
視界が歪む。床に崩れ落ちそうになる。ロイが私に手を伸ばして、私を抱きしめる。
学園に入るまでの数年間は、本当に幸せだった。
周りが、私の本当の喜びを、怒りを、悲しみを求めてくれた。『私』で居られた。私は『私』で居ていいのだと、認められた気がした。
だが、レイラに乙女ゲームのことを言われて、私は『私』で居てはいけないのだと、思い知らされた。本当に望まれているのは《エラ・フォーサイス》で《私》ではない。
そう、思った。
私には『私』を抱きしめて認めてくれる人が必要だったのに。




