私は人形?
前世の私は、10歳まで母子家庭で育てられた。
母は、私に優しくしてくれたけれど、働きに出ていたため、あまり一緒にいることは無かった。
いつも深夜や早朝に帰ってくる母を、本当は起きて待っていたかったけれど、起きていたら母が心配するから。いつもいつも布団の中で母が帰ってくるのを待って、母が帰ってきてから眠るのを繰り返していた。
母が帰ってきて、
「寝ているの?おやすみなさい。」
そう言いながら頭を撫でてくれる手がとても心地よかったのを覚えている。
しかし、そんな小さな幸せすら、長くは続かなかった。
母が死んだのだ。
過労だった。
信じられなくて、信じられなくて。
お葬式ではただ呆然としていた。
母が死んだ?
昨日も、私の頭を撫でてくれた。
今朝も、眠そうに目を擦りながら、「行ってらっしゃい」と言ってくれた。
最後にちゃんと話したのは金曜日だった。
私の話を嬉しそうにうん、うん、と相槌を打ちながら聞いてくれた。
涙が止まらなくて、止まらなくて。
その後、お葬式に来てくれた人と一緒にご飯を食べるときも、お腹が全く空かなくて。泣くためにトイレに逃げ込んだ。
しばらく泣いた後、廊下に出ようとしたら、話し声が聞こえてきた。話していたのはあまり会ったことのない、親戚だと言う人達。
「だれがあの子を引き取るの?」
「うちは無理だわ。」
「あら、うちだって。」
「私のところには子供がもう二人もいるのよ?」
私のことを話しているのだと気がついたら、出るに出られなくなってしまった。
すると、食事の会場から、一人の女の人が歩いてきた。そして、こう言い放った。
「私が引き取ります。」
みんな、意外そうな顔をしていたけれど、自分が引き取らなくて済むと知って、どこかほっとしていたのだと思う。
その人が伯母だと知ったのは、そのすぐあとだった。
伯母の家は、とても大きく、今まで見たことないくらい綺麗なものが沢山あった。こんなにお金を持っているなら、少しでもお母さんにくれたら良かったのに、と幼心に思っていた。
最初は伯母が何故私を引き取ると言ったのかわからなくて。本で読んだことがあったのは、『体裁を気にして』だとか、『仕方なく』とかだったけれど、それには当てはまらない気がして困惑していた。
伯母は、私に十分な教育をしてくれた。習い事もいくつか習わせてくれたし、洋服もたくさん買ってくれた。食事もいいものを食べさせてくれたし、ベッドはいつもふかふかだった。
こんな生活初めてで、決して笑わない伯母が何を考えているのか、全く読めなかった。
12歳の時、伯母に受験を勧められた。
近くのお嬢様学校で、なかなか高い偏差値だったが、伯母が言うのなら、と渋々受けた。
合格し、制服が届いた日、伯母は来て見せなさいと言った。私はその通りにした。
その時の伯母の表情が、忘れられない。一瞬、泣きそうになりながら、顔を綻ばせた伯母の表情が。
次第に気がついて行った。伯母は私を、母と同じレールに置きたいと思っていたことに。私の行ったお嬢様学校は母の母校だったし、伯母が「1位になりなさい」と言ったのも、母がいつもそうだったから。伯母は、妹にそっくりな私を、妹の進むべき道に進ませていたのだ。
伯母が母を愛していたから。
私は、伯母の望むように生きるようになった。
大学も、母の母校を選んだ。就職先は、母がしたいと言っていた編集ができるところを勧められた。全て、母の2周目だった。
「君はあやつり人形みたいだね。」
大学の時、付き合っていた彼に、そう言われた。私はそれを聞いて、とても虚しくなった。まるで、自分が空っぽの人間だと言われているみたいだった。
でも、今更、伯母の敷いたレールから外れるなんて、怖くてできなかった。
だから、敷いたレールの先を作った。
スローライフをしたい、と。
自分一人で、どこか、静かなところで暮らそう。ゆっくりと、誰にも邪魔されない時間を過ごそう。誰とも関わらなければ、誰かの望むように生きる必要も無くなる。自分になれる、と。
そんな矢先、私は死んだのだった。




