最適解②
「ちょっと待って、部活をやめた二年生って誰?」
壮介は小さく挙手していた。いや、止めようとするジェスチャーか。
「それはあまり重要じゃない。とりあえず、覚えておいてくれたらいい」
無視するようになって申し訳ないのだが、今回の目的は犯人当てではないのだ。
なんなら、犯人なんてどうでもいいと言っても過言ではない。
壮介は渋々頷き、止めるようにしていた手をそのまま上げて降参のポーズをとった。
「分かったよ。それで、なんでその人だと?」
「物的証拠みたいなものはないし、消去法みたいなもんだけどな――」
横目で永倉さんを確認したが、いつも通りのニヤついた顔だった。
「まず、美術選択の一年生ではないっていうのは先輩に話した通りだ」
授業が終わり放課後まで残っていたのだとしたら、その持ち物は教科書と筆記用具くらいで、ジャージはありえない。
「次に、美術室からジャージを持ち出す可能性があるとすれば美術部員になるんだが、その場合、意図が分からない」
「動機が無いってこと?」
動機の問題ではなく、目的も手段も存在しないからだ。
例えば、誤って作品を落としてしまったのなら床に放置せずに棚へ戻すだろう。
例えば、作品を壊すことが目的なら放課後という、いつだれが来るか分からない機会は避けるだろう。
「あ、なるほど」
「それに、ジャージを持っていったということはこれから部活をするってことだ。他人の作品壊してから普通に部活できるか?」
「高校生とは思えない強心臓だね」
だから、消去法で部活をやめた二年生だと考えたわけだ。
「さすが、ゆーくん。枯れ尾花じゃなかったねー」
永倉さんの歪んだ口元から、犬歯が見えた。
それに恐怖を感じたからではないが、俺は謝った。
美術部員として気分のいい話ではなかっただろう。
「やだな、もう。別に怒ってないよー」
「美咲のこの顔は――楽しんでる顔だよ」
「それならいいんだが……」
彼女の表情から感情を読み取るなんて、壮介の慧眼には恐れ入る。単純に付き合いが長いからということもあるだろうが。
「悠真、あとひとつ疑問が残ってるんだけど」
「なんで部活をやめた人間がジャージを取りに来たのか、か?」
「そうそう、それ」
「それは――部活の時に使っていた、卒業した先輩の残したジャージを取りにきたんだろうな」
部活はやめたが、そのジャージには思い入れがあったのだろう。
だから、部員に会う危険を冒してまで美術室に取りに来た。そして、考え得る最悪の相手に見つかった。
「作品を壊しちゃった相手だね」
「まあ、言うなれば因縁の相手だ」
壮介は首を傾げたが、永倉さんはクスクスと笑いだした。
確かに、この話をするのは彼女こそふさわしいだろう。
「その先輩、村上先輩とケンカしたから部活やめたんだよ」
「あ、だから因縁の相手ってことね」
「そーくんは根っからの善人だね。『壊しちゃった』なんてまるで事故みたいなこと言って」
ん? 言い方に棘がないか? まるで俺が悪人のようじゃないか。
「そーくんにも作品のビフォー・アフターを見せたでしょ?」
「まあ、一応。でも、芸術とかよく分からないし」
「それはゆーく――サトリも同じだよ。でも、ちゃんと悟ってるよ?」
わざわざ言い直しやがった。
「ほら、サトリ、言ってやれ!」
強気な口調だった。
「俺はサトリじゃない」
じゃあ、と咳払い。
「ねえ、ゆーたん、教えてあげて、ね?」
甘ったるい口調だった。しかも上目使い。
「…………」
こいつ、器用すぎるだろ。その気になれば声帯模写でも出来るんじゃないのか?
「おっと、ゆーくんはこんな声が好み?」
断じて違うと言っておこう。
話が進まないので、ここで進行をバトンタッチだ。
「村上先輩の作品、あれがどんなのだったか覚えてるか?」
「なんていうか、有刺鉄線でつくられたボールみたいな感じだったと思うけど」
「そうだ。だから見た目の割に軽く、針金だけあって頑丈だった」
それが床に落とされ、壊されていた。
床に落としただけなら壊れることもなかっただろう、それが。
それが、壊されていた。
「あ、なるほど」
壮介は目を細め、ため息を吐いた。
彼にも理解できたのだろう。
叩き付け、引き裂き、引き千切る。
純然な悪意による破壊衝動がなければ、作品が壊れることはなかった。
「だからジャージを手で持ってたんだろうな。カバンにもしまわず」
「針金で作られた作品を壊すのには時間がかかったわけだ」
「それだけじゃない。あんな有刺鉄線の塊みたいなもの素手では触れないだろ?」
犯人はジャージで手を包んで作品を壊した。先輩から受け継いだジャージで。
「なんていうか、本末転倒だね」
壮介は苦笑いを浮かべた。
それと対照的に、永倉さんはすっきりとした表情で言う。
「むしろ、それにこそ私は意味を感じるけどね――」
三人の中で唯一人間関係を知る彼女の解釈は、おそらく最も回答に近いだろう。彼女だけはこの物語の内側にいるのだ。
「その人も村上先輩みたいに前衛的な作品を作る人だったんだけど、猪塚先生には伝わらなかったんだよ――」
ああ、また一段と永倉さんの口元が歪んでいく。
「それなのに、村上先輩は結構褒められてて納得いかなかったんじゃないのかなー。いわゆる逆恨みってやつだね」
「ジャージをくれた先輩っていうのは? 猪塚先生に否定されたその先輩を肯定していたのか?」
「肯定っていうか、慰めてたね。肯定ではなかったよ、うん、違かった」
慰めが肯定に聞こえるほどその先輩は落ち込んでいたのか。
まあ、先輩といっていても一年しか変わらないのだから精神的に不安定でも不思議はない。思春期なんて誰でもそういうものだろう。
「それにさ、実際のとこ、村上先輩の方が評価されているっていうのは事実なんだよね。コンテストに出品しても結果を残してるのは村上先輩の方だし」
猪塚先生の眼も節穴ではなかった。それに、ジャージを残した先輩も。
逆恨みをした先輩の作品には足りないものがあったわけだ。それか余計なものがあったのか。
「美咲は? 美咲も村上先輩の作品の方が優れていたと思う?」
「ん? そーくんにしては意地悪な質問をするねー」
彼女はケタケタ笑った。意地悪な質問をされてなぜ喜ぶ。
「でも、まあ、答えはイエスかな」
「美咲にしては意外な答えだね」
たしかに、意外だった。彼女が普通の答えを出すなんて。もっと穿った見方をしているものだと思っていた。
「だってさ、さっきも言ったけど、コンテストっていう判断基準のもとで順位づけされて、んでもって村上先輩の方が上位だったんだよ? 一つの基準で数値化された上で村上先輩の方が優れていると評価されちゃってるんだよ? 私みたいな普通の高校に通う、ただの美術部がそれを否定するなんてさ、ちょっとムリがあるんじゃない? 調子に乗ってると言われても言い返せないよ。代わりに殴り返しちゃうよ」
「なるほど。一理あるね」
穏やかじゃない言葉が聞こえたが、何事もなかったようにスルーする壮介。付き合いが長いだけある。
反対に驚かされたのは、なんとなく異端なイメージのある彼女がそんな杓子定規な価値観を持っていたことだ。
「私って美術とかよく分かんないし」
「美術部のセリフとは思えないな」
「ゆーくん、それは偏見だよ。訴えられちゃうくらいの偏見だよ。私は美術部に入っただけで芸術家を名乗るような神経を持ち合わせてないからね」
こう見えて小心者だから、と嘯いた。
永倉さんが小心者なら、俺の心は小さすぎて存在すら否定されてしまう。
「おっと、ちょっと話しすぎちゃったかな?」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「んじゃ、続きはまた後で教えてね」
「続きも何もこれで全部だろ」
「いやいや、まだゆーくんの話を聞いてないじゃん。今の話はただの導入、でしょ?」
「今のはプロローグじゃない――」
だから、これから壮大な冒険が始まるなんてことはない。
既に終わった話だ。
「エピローグだ」




