問題②
『佐藤悠真殿』
表彰状以外で『殿』と呼ばれる貴重な体験をたまにすることがある。
つい昨日のことだ。
スマホに上記から始まるメッセージが届いていた。
差出人の名前は東雲碧。
同じ学校の、ひとつ上の先輩。陸上部所属の活発な女子。
成績優秀、眉目秀麗、才色兼備というのは壮介の意見。
俺としては、そこにおじいちゃん子のいたずらっ子と加えておこう。
故あって、たまにこういったメッセージが届く。
枕が堅苦しいときは、頼みごとがある証拠だ。もっと気軽に言ってくれてもいいのだが、本人はまだ葛藤中らしい。
メッセージの内容は、美術部の友人の作品が壊されたことについて何か知らないか、ということだった。
どうして俺が美術選択だということを知っているのか言及したかったが優先順位の低さからそこはスルーし、まずは事の起こりから話を聞くことにした。
それを文字に起こそうとすれば腱鞘炎は免れないだろうから、放課後に待ち合わせをしている。
待ち合わせの場所は学校から三分ほどで着く場所だ。民家に挟まれた細い道を抜け、坂を少し下りたところにある奥まったところで、低い手摺と二人掛けのベンチ、ソーラー発電式の街灯しかない。
いつもの場所だ。
二階建ての家が並ぶ街並み。遠くに見える連峰。
時間に置いていかれたような景色が一望できる。
部活を終えた先輩が来る頃には陽が傾き、幾分暑さも緩和されていた。
猛暑から真夏日くらいの温度差だが、風が通るので体感温度としては涼しく感じるくらいだ。
さっき部活が終わったと連絡が来ていたのでもうすぐ先輩も来るだろう。
ちなみに、今回は飲み物を買っておいた。いつも貰ってばかりというのは申し訳ないし、先輩とはいえ学生のうちは割り勘でいいと思う。
おごろうとまでしないのは先輩の性格を考慮してのことであって、別におごりたくないとか、まして男女平等とか嘯くつもりはない。誤解がないように付け足しておこう。
つまりは順番ということで、先輩が好きそうなレモン味の微炭酸を用意した。
「コーヒーとかの方がよかったか……?」
打ち合わせとか会議とかならコーヒーなイメージだが、そんな堅苦しいものでもないし、そうならないようにしたいとすら思っている。雑談の延長くらいがちょうどいい。
好き嫌いがないせいか、こういうセンスを問われる買い物はニガテ分野なので以前先輩にもらったものと被せてみた。慣れないことは右に倣う精神だ。
今更飲み物の心配なんて無意味な事を考えていると先輩はやってきた。
ベンチに座っているので姿は見えないが、足音が近づいてくるのが分かる。
先輩はひょこっと顔を出した。
いや、覗き込むようにして顔だけ出している。肩まで伸びた黒髪の奥から大きな瞳がこちらを覗いていた。
なんだろう、この状況?
とりあえず、人違いではないようなのであいさつはしておくべきか。
「……おつかれさまです」
「うん、おつかれ」
そう言って小走りで寄ってきて、ベンチに座った。
「お待たせ、しちゃったかな?」
「いま来たところですよ。これ、どうぞ」
用意していた飲み物を渡すと、わずかな間を開けてからお礼を言われた。
この反応は、つまり、あれか。
誤った選択だった。
「わあ、ありがと。これ好きなんだよね」
正しい選択だった。
いや、どっちなんだ。これは気を使ったとみるべきなのか?
先輩は謙虚だがそういったことははっきりと言うタイプだと思っていたが。
この違和感はなんだろう。
物腰の柔らかな言葉遣いも、ハキハキした口調も普段通りなのだが。
実は双子の妹でしたなんて、奇抜とも使い古されたともいえるオチはないだろうがいつもと少し違う。
何が違うかといえば――
距離感だ。
普段の三割増しでよそよそしいのに、普段の三倍近くにいる。
支離滅裂で矛盾したことを言っているのは動揺しているからなので許してほしい。
知り合って間もないような心理的距離感。
パーソナルスペースに抵触してしまいそうな物理的距離感。
一言でいうなら、先輩は恭しく側にいる。
いつもの、理知的なのにちょっと間の抜けた先輩はどこへ行ってしまったんだ。
「悠真くん、今日はね――」
呼び方はいつも通りだった。
「コンタクト外れちゃったからよく見えてないんだよね」
「そ、それは危ないですね」
間の抜けたとかいってごめんなさい、と心中で謝罪。距離感が掴めていないからこその距離感だった。
「部活、大丈夫だったんですか?」
「うん、部活終わる直前だったから」
球技でもないし、とふふっと笑った。ボールを使わなくても足元が見えないのはだいぶ危険だと思うが。
ここへの道だって狭く街灯はまばらで、一応は整備されているとはいえ随分の間放置されているのでデコボコとした部分も少なくない。
「帰り道、気をつけて下さいね」
「大丈夫だよ。そこまで視力低くないし、色の判別くらいならできるよ」
俺が言いたかったのは信号の色ではなく、足元という意味だったのだが。
というか、色の判別しかできないって相当目が悪い。ふつうに危ない。
「あ、ちゃんと悠真くんの顔は見えてるよ。この距離ならね」
ああ、なるほど。
さきほど声をかけるまで動かなかったのは識別できていなかったからか。
「座ってたのが悠真くんでよかったよ」
本当によかった。別人だったら、えらい空気になっていた。
まあ、でも実際的な問題として、今日は早めに帰った方が良さそうだ。
足首をひねりケガなんてしたら選手生命に関わる。
ちょっと大仰な物言いだが、罪悪感でいうならそれでも足りないくらいだ。
さて、本題へと入ろう。




