わたしの横にいるネガティブ思考はいつも明るい
「死にたい?かーっ、ポジティブだねえ」
男はかっかっかと頓狂な笑い声をあげた。
「死にたいことのどこがポジティブなんですか!」
わたしは思わず叫んでしまった。
わたしは高校生だ、それもまだなりたての。
世間では華の高校生、青春時代ともてはやされているあれだ。
だが結論から言って高校生なんてそんないいもんじゃなかった。
きっかけはささいな事件だった。
来るべき高校生活に期待を抱いていたわたしは入学するとすぐに女子バスケ部に入った。
なんだか青春できそうだったし、バスケットボールなら中学の時少しかじっていたから迷いはなかった。
そして平凡にバスケ部員をしているうちに憧れの先輩が出来た。
高校生なら多分よくあることだろう。
その先輩は男子バスケ部だった。
わたしは仲良くなりたい一心で頑張って話しかけたり、友達に相談したりと高校生らしく恋愛に悩んだ。
そして今から1ヶ月前、わたしはその先輩に告白した。
先輩は意外にもあっさり告白を承諾してくれた。
かくしてわたしは努力の甲斐あって先輩と付き合うことになった…はずだった。
だが、どうやら女子バスケ部の先輩もわたしが好きだった先輩のことが好きだったようなのだ。
女子バスケ部の先輩はその日から露骨に嫌がらせをしてくるようになった。
まずはバッシュがなくなった。試合中にボールは回ってこなくなった。
陰口が聞こえる。わざと聞こえるように言っているのだろう。
でもわたしは大丈夫だった。
彼氏である先輩も心配してくれたし、恋愛相談をしてた友達も「すぐほとぼりは冷めるよ」と言ってくれた。
だけど…だけど…
1週間もすると様子が変わってきた。
先輩の嫌がらせは苛烈を極め、やがて組織ぐるみで嫌がらせ行為が横行するようになった。
そしてわたしは恋愛相談をしていた友達がわたしの着替えをハサミで切っているところを目撃した。
多分先輩が指示したんだろう。そんなことはわかっていた…けれど…。
女子の先輩が流した根も葉もない噂を聞いたのか、彼氏である先輩がわたしと距離を取り始めるのにそう時間はかからなかった。
人間は弱い。強いものにはすぐに媚びへつらい、弱いものは徹底的にいじめる。
それは仕方のないことだ。
よくあることだ。
わたしだって気づかないうちにそれに手を染めてしまっていたかもしれない。
でも…耐えられない。打開する方法も浮かばない…。でも友達を責めることはできない。
だってそれは仕方のないことなのだから…。
だったらいっそわたしが…
「だったら死んでしまおうってかい?かーっ相変わらずハッピーな思考回路だねー。お祭り女だね」
この男の顔を見ているとイライラする。
なんだか終始バカにされている気がする。
なんだってこんなにバカにされなくちゃいけないんだろう。
『世界一ネガティブな男のお悩み相談』の札を見て本気で相談してしまった自分がバカバカしい。
「わたしは本気で相談してるんですよ?死んじゃいますよ?いいんですか?」
「勝手に死ねばいいじゃん、かーっ」
クッソ、もう頭きた。死んでやる。
死ぬ前にこんな頭のおかしいおっさんに相談したのがバカだった。
わたしは荷物を乱暴に抱えてその場を後にしようとした。
「で、死んでどうするんだい?」
「は?」
「死んだらどうするんだいって聞いたんだよ。もしかして聞こえなかったかな?かーっ」
いちいちムカつく…。
でも死んでどうするってどういう意味だろう。
一応死んだら何したいかってことかな。
「死んで楽になる。それにわたしが死んだら先輩たちも万々歳でしょ?わたしが死ねば世の中うまく回るようになってんの。死んだらどうするか?そうだなあ…天国で今度は恋愛とかしないで好きな本でも読んでゆっくり暮らしたいかなあ…」
男は何も答えなかった。
あれ?笑わないの?
もしかしてわたしの本気で死ぬ覚悟を感じて黙っちゃった?
だとしたら少し悪いことをしたかなあ。
いや、さっきまで散々バカにしてたからな。
このおっさんを困らせたまま死ぬのも悪くないか…
「…っか…」
???
なんかおっさんが言ったような…?
「…っか…」
やっぱり。
聞き間違いじゃない。
でもなんて……
「かーっかっかっかっかっかっか!かーっかっかっかっかっかっか!お前さんやっぱり天性のハッピー野郎だな!おじさん、片腹じゃなくて両脇腹が痛すぎてもう限界だぜ。かーっかっかっかっか!」
ハッピー野郎?わたし笑われてる?なんで?
疑問と怒りが同時に込み上げてくる。
「目の前で死ぬって言ってる女子高生がいるんですよ?あなたにとってはどうでもいいことかもしれないけどわたしは本気で悩んでるんですよ?それを笑うなんて、お悩み相談の風上にも置けません!死にます!もう死んじゃいますからね!」
「まぁまぁ落ち着きたまえ…ハァハァハァ」
このおっさん、笑いすぎて過呼吸になってる…。
ここまでコケにされて一発ぶん殴るまでは死ねない。
絶対死ぬ前に母直伝の平手打ちをお見舞いしてやる。
「それに笑ってるのは別にお前さんの悩みの内容ではない」
「は?じゃあなんで…」
「お前さんは死にたいんだろう?」
「ええ…まぁ…そうですけど」
「悩みも苦しみも死んで忘れて楽になりたい、そうだろう?」
こいつに知ったような口をきかれると腹がたつ。
でも間違ってはいないから肯定のしるしに首を縦に振る。
「お前さんは死んだことはあるかい?」
は?何を言ってるんだこのおっさんは。
あるわけないだろう。
「まあ、ここで死んだことがあるってお前さんが言い出したら困ったがね、かーっ!」
「で、何が言いたいんですか?」
「ああ、だからね、なんで死んだら悩みも苦しみも忘れて楽になれるって思ってるんだい?」
「え…それは…」
確かに考えたこともなかった。
死んだら楽になる。自殺願望のある小説の登場人物はみんなそう言うし、実際の遺書にも『楽になりたかった』みたいなことが書いてあることを聞いたことがある。
だからてっきり死んだら楽になるって当然のことだと思ってた。
「生きてるのが辛くても死んでそれより楽になれるとは限らない…ってこと?」
「かーっ。まあそういうことかね。だから死んだあとお前さんの嫌いな女の先輩よりもさらに嫉妬深くて根の深い意地悪な女がお前さんをいじめる可能性だって十分あるわけだ」
そうか…。なんか死ぬって夢のない話だな…。
言われてみれば死んで楽になれる確証なんてどこにもない。
死んだら恋愛しなくていいなんて確証はどこにもないし、好きな本を読んで暮らせる確証もどこにもない。
「楽になるために死ぬなんてとんだお祭り女だろう?ましてや、死んだら読書して悠々自適に暮らしたいなんて…かーっ!」
わたしはこのおっさんの頓狂な笑い声にいらだちを隠せない。
だけど確かに楽になるために死ぬなんて楽観論者もいいとこだ。
不思議だ。
なんで人間はネガティブ思考が行くところまで行ってしまうと死んだら楽になれるという究極のお祭り理論に行き着いてしまうのだろう。
死んだら楽になれるってなんなんだろう。
「死んだら楽になるってのは悩んでて死にたいお前さんみたいなもんが使う言葉じゃない。死にたくないもんが自分を慰めるために使うもんだ」
「今、心を読んだ…?」
「かーっ!気にするでない。かーっかっかっか!」
こんなおっさんに心を読まれたのは気にくわない。
だけど「死んだら楽になる」って言葉は死にたくない人が自分を慰めるために使うってのは妙に腑に落ちた。
死に際で死にたくないと思った人が自分の死の恐怖を少しでも和らげるために「死んだら楽になる」って迷信は生まれたのかもしれない。
「どうだい?人生相談、満足したかい?かーっかっかっかっかっ!」
「ええ、全く」
わたしはつい笑ってしまった。
「お代は4万円でいいぞ、かーっかっかっかっか!」
「女子高生になんて法外な金額払わそうとしてるんですか!訴えますよ?」
「警察という手段を挟まず直接裁判に持ち込むわけか。若いもんはそれくらい強引でないとな!かーっかっかっかっか!」
わたしは今、屈託無く笑っている。
もちろんこのおっさんとは違って女子高生らしく、元気に、明るく、おしとやかに、そして普通に笑っている。
数分前にはまた笑えるなんて想像もしていなかった。
人生相談の札を掲げるうさんくさい男の話は夢なんてかけらもなかったし、わたしに残酷な現実をただ見せつけただけだった。
わたしが死にたいと言っているのにポジティブな話の1つもしなかった。
本当に世界一ネガティブな男なのかもしれない。
だから別に生きたいと思う気持ちが強まったわけではない。
でも不思議と死にたいと思っていたあの気持ちはどこかに消えていた。
腹の立つやつだけど、結果的にわたしは死ぬ気がすっかり失せてしまっている。
「あの、おま…あなたは何者なんですか?なんで人生相談なんてやってるんですか?」
わたしは思った。
こいつは、このうさんくさいおっさんはもしかしたら凄腕の人生相談の専門家かもしれない。
実際にわたしの死ぬ気を雲散霧消させてしまったのだから実力は折り紙つきだ。
仮に人生相談の専門家じゃなくても人生経験の豊富な大物なのは確かだろう。
「いや、実はここだけの話ね。最近多いんだよ、かーっ」
は?
「お前さんみたいに死んだら楽になると勝手に勘違いして自ら僕のところに来たくせに少ししたら『思ってた死後の世界とちげーじゃん!』とか『生きてた時より辛い!話が違う!』とかね、クレーム入れる子が最近増えてるんだよ。いや、最初のうちは耐えてたんだよ?でもそのうちクレームの量は増えていって、しまいには『こんなクソみたいな死後の世界、ネットに書いてやるからな!』とまで言いだす輩が現れたんだよ。だからわざわざクレームが出ないように直々に勘違いを直しにきたわけ。まあクレームの予防だね、かーっかっかっかっかっか!」
どうやらわたしが思っていたよりよっぽど大物だったようだ。