空戦
「リスボン中佐のブリーフィングは忘れろ。中隊単位でヒットアンドフライバイ攻撃を掛ける。各自自分の中隊長を確認しろ」
リスボンはリレー基地を中心に旋回しながらの攻撃を立案していた。
旋回し続けるためには常に姿勢制御噴射を続けなくてはならない。月面なのだ。水平方向は宇宙空間と変わらない。リスボンの頭はすでに地球降下作戦に飛躍しているのだろう。ジーンにはそう思えた。
月面奪還作戦は地球降下作戦のシミュレーションではない。この戦いにはこの戦いのための戦法が必要なのだ。ジーンは基地の上空を飛び抜けて離れた地点で旋回し再度攻撃を繰り返す戦法を練っていた。
「各中隊長、戦術シムC2を見てくれ。我々の獲物はクラブだ。奴らの目を上空に向けさせなくてはならん。それでもリレー基地攻撃のチャンスがあれば遠慮なくミサイルを撃て。だがそちらに気を取られるな。クラブが先だ」
第二中隊改め「ロビン中隊」のロビン中尉はこの戦術を実機訓練もしている。
「ロビン中尉。先鋒を頼む」
「任せろ。蹴散らしてやる」
「行け!」
「中隊全機、パワー、フル。続け!」
離れていく。
始まった。
ジャスミンはやっとそう思う。すでに味方機を何機も失っているのに戦闘の実感はなかった。ここは戦場。やっとそれを意識した。
慣性飛行中はエンジンも静かだ。
すぐ近くでアルミ棒の攻撃を受けた機体があっても破壊音は聞こえない。ろくに見えもしない。
ジーンの命ずるままに機体を操ったものの、訓練と変わらない様に思えた。
今、先行する機の後姿が妙に胸を騒がせた。
これが見送る者の感情だろうか。
スラップとは火星を発つ前のビデオ交信が最後だ。抱き合うこともない。キスもない。笑顔でスクリーンを消した。あの時彼はこんな気持ちだったのだろうか。
先鋒が行く。
訓練を共にした中隊の仲間達が行く。
「ジャスミン、ローエル、俺の背中は任せる。ローエル、帰ったらあの酒を奢ろう。ジャスミン、結婚前に俺とデートだ」
「ボトルを空にします」
基地のバーで呑みつぶれるまで飲めれば最高だ。
「!、まだ婚約もしてません!」
「さっさとしろ。俺がスラップに言ってやる。ぼやぼやしてるなら俺の女にしちまうってな」
ジャスミンが返答に詰まっている間にジーンは次の指示を出した。
「ソアレス中尉。次だ。中隊全体に気を配ってくれ。行け」
「了解!。中隊全機、続け!」
再編されたシャーク隊を次々に送り出し、最後の中隊になった。
マーチ中尉はベテランだ。戦闘機乗りになったばかりのジーンを指導してくれた事もある。先輩士官の中で唯一信頼していた。
マーチは隊の再編が終わってからずっと配下のパイロット達に話し続けていた。戦術もバカ話もごちゃ混ぜに話し続けていた。マーチらしいと思いながらジーンは遮って指令した。
「マーチ中尉、寄せ集めになってしまって大変だろうが、頼みます」
「なあに、なんとかなるさ。皆しっかり訓練してきた。最高のメンバーだ」
「よろしく。マーチ中隊、行け」
「よーし、マーチ愚連隊、ぶちかますぞおーー」
マーチ中隊にジーン達も続いた。
哨戒機からの映像にジーンは目を移した。
始まっている。
ロビン隊とクラブの交戦が始まった。
ビームが交錯した。
ミサイルが飛んだ。
攻撃を躱した数機が隊列を離れて旋回する。速度を失った途端にクラブが包囲した。
クラブのビームが命中。
振り返るなよ、ロビン。
ジーンはスクリーンに呟く。
ロビンは真っ直ぐ飛び続けた。
それでいい。
ビームに焼かれた機体が落ちていく。
墜落する機体を見守りながら何もできない。
数分後には目の前で見るかもしれない。
自分が落ちるかもしれない。
ロビン隊の損失は想定内だ。追って指示の必要はなかった。
ジャスミンは周囲に目を配っている。
警戒しなくてはならない。
「最後は自分の目だ」ジーンは訓練で繰り返した。ジャスミンは叩き込まれていた。
フルスロットルのエンジンはけたたましい。
いやでも戦闘を意識させられた。
「HBL射撃位置へ。起動」
マーチ中尉の指示が聞こえた。
ホーミングビームランチャーは機体に沿う様に根元で折りたたまれている。30度立ち上がって射撃位置に開いた。背中に2門、腹に2門、計4門のホーミングビームがルナシャークの主武装だ。
プラズマ弾を砲身の電磁力で発射。発射後も砲身から伸びる電磁誘導波に乗って進路を変えることができる。
地球製の機動兵器には良く当たる。
クラブにもなんとか当たる。
クラブは電磁力で機動している為に、時に吸い込まれる様にして当たる事もある。
誘導兵器とはいえども当たる当たらないはパイロットの腕次第だった。
「LLをプリヒート」
機首に固定されたリニアランチャーを余熱する。威力はホーミングビームランチャーよりあるが、クラブには滅多に当たらない。軸線上に捉えるのは困難なのだ。
「ジャスミン、ローエル、エモノを全て用意」
ジーンは細かい手順をちょくちょく無視する。ジャスミンも慣れている。
ホーミングビームランチャー射撃位置へ。起動。リニアランチャーをプリヒート。
腹に抱いたミサイルを確認。リフトオフ直前に外した安全装置。いつでも撃てる。
全てを確認して前方に目を戻すと、ジーン機のランチャーは展開していなかった。
きゅんと身が引き締まった。
ジーンは本気でジャスミン達に守りを任せているのだ。思わずまた武装の確認を繰り返した。
「奴らは高度を上げている。アルファからフォックスはミサイル発射」
ソアレス中尉の指示が聞こえた。
上手くやっている、とジャスミンも感じていた。
戦術コンピュータのスクリーンを睨むジーンは焦れている。クラブとの高度差が気に入らない。空戦第一ならばソアレス隊に高度を上げさせたいがミサイル発射には今の高度を維持したい。
ジーンは感情が膨れそうになるのを抑えた。
ソアレスの指揮に問題はない。彼は正しく指揮をとっている。それだけに焦れる。歯がゆさが増す。もっと圧倒的な戦闘機が欲しい。クラブと渡り合って勝つ機体が欲しい。ドッグブァイトで勝てる機体。
無い物ねだりだ。自分たちにはルナシャークしかないのだ。
ジャスミンにはジーンが聞くのと同じ交信が提供されていた。戦術コンピュータのグラフィックは無い。適度にジーンの行動の先が見える程度には情報共有という事だ。
「ミサイルは全弾未到達」
哨戒機が告げた。
ミサイルは当たらない、とこれも言い聞かされた。クラブの機動性の前にはミサイルは役に立たない。高機動ミサイルと分類されるスイフトB型だが、クラブに当たらないだけでなく対地目標にもやはり当たらないらしい。クラブに落とされてしまう。時にクラブは自らを犠牲にするという。リレー基地は奴らの生命線だ。それを守る為にならば犠牲をいとわない。人類の軍隊でも犠牲の精神は叩き込まれる。それでもミサイルの盾になるだろうか。なれるだろうか。クラブの献身にジャスミンは改めてぞっとした。
じりじりとした時間の経過。
そしてマーチ隊が接敵した。
クラブのビームとホーミングビーム弾が交錯し、敵にも味方にも爆発が見えた。
警戒アラート。
自分たちに向かってくるクラブ3体。
ジーン機を守る。
ジャスミンはホーミングのトリムノブを長射程に振り切ってトリガーを引いた。
発射。背中の2門から打ち出された光弾は緩やかにカーブを描き後は真っ直ぐに飛んでいく。ローエル機からも同じように光弾が撃ちだされた。
距離はまだある。クラブは躱した。その鋭角機動の鋭さにジャスミンは命中させる事が困難であると納得してしまう。
狙いを修正して撃つ。
修正して撃つ。
距離は詰められていく。
ホーミングのトリムを逆に振った。
一体のクラブが急降下しそして鋭い転進。小隊の前方下方に廻り込んだ。
「下は私が」
ローエルに告げながらトリガー。腹部2門を発砲した。
直線的に撃ち出された光弾は少しの間そのまま飛んで敵の近くで急カーブを描いた。掠める。当たらない。
リニアランチャーも撃つ。上昇させたくない。この射撃は効果があった。
クラブは水平移動。ホーミングビームが追う。追う。追う。
命中。
やった。クラブがグラリ傾き推力を無くした。
やった。落とした。
「気を抜くな」
ジーンが静かに重い声を掛けてくる。
目が墜落していくクラブを追いかけてしまっていることにジャスミンは気付き、浮かれた気分を直ちに洗い流した。ローエルは撃ちまくっている。弾幕で敵の接近を防いでいる。
ジャスミンはトリムを近射程のまま狙った。トリガー。
ローエルのとは異なる軌道を描く光弾。
ジャスミンの光弾に進路を横切られだクラブが再度転進したところにローエルの光弾が吸い込まれた。命中。直撃。
もう一体。ひるむ様子は全く無い。ビーム攻撃を続けてくる。一発がジーン機のすぐそばを通過。
さすがだ。ジャスミンは改めて感心した。
ジーンはただ真っ直ぐ飛んではいない。
反撃の射撃はしないが大人しく的になっているのでもない。
小さなスライドの動きを敵が接近して来てからずっと続けている。大きな回避動作をしなくてもジーンは攻撃を避けているのだ。
うっかりするとすぐ近くにジーン機が近付いている事もある。ジーンと編隊を組んでいる間は気を抜けない。抜いている場合でもない。ここは戦場なのだ。
近付くクラブ。
ジャスミンはスロットルを絞って機首を上げた。ほとんど慣性飛行になって腹部ホーミングビームランチャーの誘導範囲に敵を収めた。
4門の砲口が敵を捉えた。
トリガー。連射切替ボタン。
4門が連続して光弾を放った。
曲射されたプラズマが尾を引く。
進路を遮られて少し上昇するクラブをローエルの光弾が撃ち抜いた。
直ちに姿勢を直進に戻してスロットルを開ける。
ポジションを整えたジャスミン機をローエルが見た。サムアップしている。ジャスミンも返した。
リレー基地が見えた。
飛び抜けた。
まだ無傷に見えた。
「腹のHBLを後方に切替え」
マーチの指揮で各機は腹部ホーミングビームランチャーを後方向きに回転させた。ホーミングとは言え180度も曲げて誘導できる代物ではない。ランチャーの砲口は敵に向ける必要がある。追いかけてくる敵に向けたのだ。
反転して別角度から侵入するロビン隊がレーダーで見え始めた。
マーチ隊を追ってくるクラブは無かった。ロビン隊の攻撃にクラブは一斉に備える動きだ。
ルナシャーク隊の波状攻撃が続くのだ。