進撃
パワースリークオーター。ルナシャークもまた予定された速度で進行していた。敵にいつ見つかるか分からない。ただ見つかるのはバッタより鮫の方が先のはずだ。通信は行われず、アクティブレーダーは停止させている。他兵士との会話もなく命令もない。レーダーを止めているので目を閉じているような感覚がある。
ジーンには二度目だ。二度目の月面作戦行動である。大負けの前回の記憶は生々しく残っている。それでも今渡こそやってのける自信はあった。唯一の不安は大隊の指揮官だ。リスボン中佐は無能ではない。第一次降下作戦の軌道戦闘を生き延びている。逃げ帰ったわけではない。後退する旗艦を果敢に守り抜いて生還したのだ。それでも不安があった。堅物なのである。ジーンとは反りが合わない。合わないだけならそれも待機時の座興というものだ。敵は異星人。異星の生命体だ。人間対人間の戦争を叩き込まれてきた軍人のしゃちほこばった戦略、戦術がこの窮地を招いたのではないか。ジーンは火星の訓練でその思いを抱くようになっていた。
今搭乗しているルナシャークも性能こそブラッシュアップされているが発想は旧来のままだ。電磁ネットの高機動に対抗するのが推力増強とアポジモーターの多元化である。電磁ネットの密度が低いエリアならばクラブと互格以上の戦闘ができるだろう。しかしネットが十分に機能するエリアでは消耗戦になるに違いない。リスボン中佐はそれでよしとしている。
工夫が感じられなかった。フォーメーションもいくつかアイディアを持っていたジーンだが、意見は受け入れられなかった。堅物には理解できなかったのだろう。
その上官の指揮が不安だった。今もそうだ。
この密集体系に心がざわつく。
きらめく鮫肌は金属むき出しだ。塗装を惜しんでの量産だが、その閃きもざわつきを誘う。
大隊を縦に並べて「正面からは一個大隊に見えるのだ」と言う大隊長の選択。百キロ圏までは何も起きるはずがない。リスボン中佐はそう信じて疑っていない。
ルナシャーク隊はすでに月の表側にいる。もちろん先行したホッパー隊もだ。自分達が見つかっていないという根拠なき自信がリスボンにはあった。ゆえの密集体系である。
遠く地球の表面に異変が見えた。見えているのは夜側だ。前方を注視する視界の端に感じたわずかな変化にジーンは視線を向けた。地表にオーロラのような輝きが確認できた。
通信機の電波停止を解除。ジーンは警告した。
「見つかった。攻撃に備えろ。第二中隊、続け!」
下げ舵で編隊から離れる動きだ。中隊機は余さずジーン機を追った。
わずかな沈黙に続いてリスボン中佐の怒声が響いた。
「馬鹿者、通信は禁じたではないか。編隊を崩すな」
「地球を見てください。マザーシップが騒いでる。攻撃が始まったんです」
リスボン中佐はやっと地球の異変に気づいた。しかし。それがどうして自分達への攻撃に結びつくのか理解できない。それが自分達に対する攻撃が始まった証なのだという考えを持つことができない。
「我々は攻撃などされていない。通信を止めるのだ。処罰は後で下す」
「回線を開いて。レーダーも使うべきです」
ジーンは食い下がった。悪寒が背筋を走っている。既に火ぶたは切られたのだ。それに気づかず撃墜されるのだけは我慢ならない。
「第二中隊第二小隊長、中隊指揮を取りたまえ」
そのリスボンの指示は誰も聞き終えることがなかった。
密集して先頭を飛ぶリスボン機が爆発した。続いて隊列の中央部を飛ぶ機体が次々爆散していく。編隊の中心線をえぐり抜かれていったのだ。
「続け」
ジーンは鋭くスティックをひねり左旋回に入った。編隊を離れる動き。スロットルフル。ここは月面。やられた味方機の破片から離れなければならない。慣性の法則通りに破片の一部は前進ベクトルがそのままだ。
地形、方位を確かめながらジーン機は隊列の軸になった。
「第二中隊、アローフォーメーション」
中隊はひとまずこれでいい。
止めていた味方機同士の交信が行われて被害レポートがスクリーンに出た。
半数を失っている。
残機の中に大隊長機は一機もない。密集隊形の中心が大隊長機だったのだから当然だ。
戦術コンピュータが部隊の再編を提案した。具体的な機体の配置も出ている。
まともだな。
ジーンはコンピュータの提案を評価した。現実的な答えだ。実際には何も分かっていないのに勝利を確信した隊形を採用してしまう人間の指揮とは質が違う。
戦争は人がするものだ。心に響くやり口を見せた方が勢い付くこともあるだろう。
しかし今は違う。
この戦いは違う。
クールに立ち向かうべきだった。
コンピュータはジーンに指揮を執るよう指名している。
大隊長はいない。
16人の中隊長の内に上官は3人いたが彼らもいない。
残った中尉達の顔を思い浮かべる。
コンピュータの提案は経歴を判定してのものだ。
「ジーン中尉だ。部隊の指揮をとる。通信の使用を許可。全機アクティブレーダー始動。電子哨戒機は戦闘哨戒開始」
他の中隊長から異議は無く、ジーンの指示は続いた。
「ロビン中尉、自分の小隊は大隊を離れる。小隊ごと後に入れ。第二中隊を任せる。ソアレス中尉、コマ中尉、エニックス中尉、マーチ中尉、中隊長を命じる。戦術コンピュータに従って隊を組め、高度を下げろ、オレより高い機はすぐに降下しろ」
ジーンには先の攻撃がほとんど見えなかった。
「誰か見たか?、今のは一体どんな攻撃だったんだ」
何かのきらめきが編隊中央部を突き抜けていたことだけが把握できたすべてである。誰も同じだ。誰も答えない。編隊の組み直しはまだ終わらない。
そして第二撃が来た。
「攻撃」
高高度をとった哨戒機の警告。
ジーン機のレーダーはまだ反応しない。攻撃も低いのだ。
「た、隊長、ど、ど、」
編隊の無線がざわつく中、ジーンは言い放った。
「編隊を組んだ機はそのままでいろ!」
まだ全機がフォーメーションに納まっていない。
「俺より上にいる奴、さっさと高度を下げろ、下げろ!」
組み直された編隊のすぐ上を飛翔体が、飛翔体の群れがすれ違った。
ジャスミン機のすぐ真上も飛翔体が通過した。
目印になるためジーン小隊は他機より高い位置にいる。
ジャスミンは見た。
金属の棒に見えた。彼女の視界から消えたそれは後ろに付こうとしていた第一中隊機を粉砕した。
飛来したのは金属の棒だ。
電子哨戒機の分析データが転送されてジーン機のモニターに表示された。
飛んできたのは全長七メートル、直径二十センチのアルミニウムの棒だった。
それが二百四十三本。速度はほぼ月の第一宇宙速度だ。
シャークに直撃したのは二本だが、進路を変えた味方同士の接触でさらに三機が落ちた。
「編隊を組め。低ければ当たらん」
戦術コンピュータは直ちに減った機体に適応した配置を示している。
先程の攻撃より棒は拡散して飛んで来た。
密集隊形には密度の高い棒の群れ。隊形が崩れたところに拡散した攻撃。
二発目は予測による攻撃だろうが、一発目を良くも当てたものだ。ジーンは編隊の中心を撃ち抜かれた事について考えている。
クラブとの交戦中は電波が役に立たない。展開された電磁ネットで動作が妨げられる。こちらは複合光学センサーが頼りだが、敵はどうしているのか。やはり光学系を使っているのだろうが通信が不明だ。テレパシーだと言われている。三体のガルベットの連動は統一された意思を感じさせる。兵士達はそう感じたし、研究機関もそう報告を出した。
しかしプトレマイオスの敵から自分達が見えるはずはない。
どうやって狙ったのか。
どうやって。
地球。
地球から見て狙ったのだ。証拠はないがジーンは確信した。正確に編隊を撃ち抜くにはそれしかない。
先程のオーロラの輝きを狼煙程度に考えたジーンだが、もっと戦術的な活動だったのだ。
地球から見ている。
丸見えだ。
敵は待ち構えている。
武装を強化して新しい戦術を編み出している。真空と低重力の月面を支配しているのだ。
そして見ているのだ。