第36話 余計な仕事増やしやがって
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その四肢で森の草を踏み分け、まるでハリネズミの様に逆立つ毛並み、時折パリッ、パチッと弾ける様な音が聞こえる。
ハルトがそれを認識した時、大きめの犬だと思った。
だが、それは、犬にしては精悍な顔付きで、低い唸り声を発する口元には鋭い牙が覗いている。
四肢も太く、いつか動物園で見たライオンの様な逞しさを感じる。
これは……ダメな奴だ……。
鼠何かとは比べ物にならない……。
鼠は、確かに化物の類いの魔物だった。
怖い、殺される……。
そういった気持ちを味あわされたが、それでもまだ、恐怖を抑えて対峙出来た。
だけど、あれは無理だ……。
アレと戦うとか、冗談じゃない!
あれでカテゴリーE? Eランク冒険者が1人で倒せる魔物だって?
オカシイだろ! アレと戦うって事は、ライオンとガチバトルするのと同じだぞ!
冷汗が頬を伝っていく様子さえ詳細に分かる程、神経が研ぎ澄まされ、本能が『逃げろ!』と警笛を鳴らしてくる。
幸いまだこっちに気付かれていないが、自身の鼓動や呼吸音ですら騒がしく聞こえ、汗ばむ手で口元と胸を抑え、少しでも音が漏れない様に努力する。
ハルトはゆっくりと薬草のある木に身を寄せて隠れた。
しかし……このままでは……。
じきにハルトの存在がバレて、アイツに襲われるのは避けられない。
なら、まだ見つかってない今の内に、全力で逃げるしか道は無い。
『流電狼と遭遇してしまった場合、全力で街まで逃げるのが宜しいかと思います。街まで戻れば門兵が対処してくれますよ』
ふと、巨乳ちゃんの言葉が頭を過る。
街の、門兵……くそっ、あの嫌な奴に助けてもらうとか、正直言って嫌だけど背に腹は変えられない。
こんなとこで殺されるより何倍もマシか……。
街の裏門までの距離は、だいたい歩いて5分くらい……。全力で走って行けば、1分ちょっとくらいって感じか?
1分……もうかなり疲れて足も痛いのに、今から全力で1分走れるか?
でも、ここでずっとこうしてる訳にはいかない。
幸いというか、今のところアイツは1匹しかいなさそうだけど、時間が経てば他の流電狼までここに来るかもしれない……。
あぁ、もう! 考えてても埒があかない。
裏門まで全力で走るしかない!
スゥー……ハァァァ……。
深呼吸を1つして、ハルトは裏門に向かって走り出した。
ガサガサガサガサ!
ハルトが草原に飛び込むと草が大きな音をたてる。
「グルルゥ……、グルアァァ!!」
音によりハルトに気付いた流電狼が、一際大きな唸り声をあげると、ハルトに向かって走り出す。
クッ、ハァハァッ、ハァッ。
まずい、気付かれた……。
クッソ、裏門、遠い!
息が! 足が! 横腹が痛い!
苦しい、苦しい、苦しい……。
このままじゃ、追いつかれる!
裏門まで、半分の距離は過ぎている。
だけど、後から凄い勢いで追いかけて来るのが分かる!
草を踏みしだき、掻き分ける音が、だんだん……だんだん、近づいてくる!!
後を見て確認したい。でも、振り向けない。
鼠の集団に追いかけられた、あの時以上の恐怖が俺を追い立てる。
早く! 速く! 疾く! 走らないと! 逃げないと!
死にたくない、死にたくない! 死にたくない!!
「ぅ、うわぁぁぁぁーー」
いつの間にかハルトは声を上げていた。
今にも死にそうな顔で、痙攣し始めた両太腿を無理矢理動かし、ただひたすら全力で駆けていく。
ハルトの絶叫の様な声に、裏門の門兵達が気付き、限界に近いハルトのぼんやりした視界にも門兵らしき姿が朧気に映る……。
門……兵?
助けて! 助けて! 助けてくれ!
心で叫ぶが声にならない……。
『街まで戻れば門兵が対処してくれますよ』
誰かが言っていた……、もう少しで助かる……。
あと少し走れば街に着く。門兵も助けに来てくれる。
ゼ、ヒュー、ヒュー、ゼヒュー。
酸素が足りない……、頭が痛い、視界がぼやけて、白くチカチカと光りが弾ける。
ぼやけた視界で裏門を見ると……門兵が、居ない?
助けは? 門兵は? 何処に、行った?
訳が分からなくて、ただ、ただ走り続け、裏門を見据える。
少し裏門が狭く感じる……。
もう、限界なのか? もう、眼がオカシクなったのか?
少しづつ少しづつ、裏門に近づくにつれて、裏門が狭くなっていく……。
ちがう……、裏門が閉じられてる!!
俺は、見捨てられたのか?
門兵は、助けてくれるんじゃないのか?
くそッ、くそッ、クッソォォォォー!
もう、流電狼はすぐ後にいる!
すぐ後に、気配を感じる……。
足音が耳元で聞こえる気がする……。
生暖かい吐息が背中にかけられている感じがする……。
もう、ダメだ……。
追いつかれる……。
裏門が、閉じる……。
ヒュッという風切り音が左頬の辺りを通り過ぎる。
「キュィン!」
背後から犬の鳴き声の様な少し高い音が聞こえた。
一瞬、後を確認したい衝動に駆られるが、痛みと苦しさで力の入らない身体では、振り向く事も出来なかった。
ただ、すぐ後に感じていた気配が少し遠くなった気がした。
裏門が目前に迫ると、門は人1人が通れるくらいの隙間を残して閉じていた。
ハルトは、その残された隙間に転げる様に滑り込み、そして、その勢いのままに地面を転がっていく。
全身に衝撃が走るが、ハルトは何も抵抗出来ずに身を任せて転がり続けた。
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「おいッ! いつまで寝てやがる!」
飛び出しそうな程に激しく脈打つ心臓を抑え、足りない酸素を必死に取り入れながら、動かない身体を地面に横たえたハルトに、誰かが声をかけてくる。
「チッ、コイツ、動けそーにねぇな。オイ、ちょっと手ー貸してくれ。邪魔だから向こうまで運ぶぞ」
ハルトは、乱れた呼吸と息苦しさで何1つ答えられないまま、2人の男に担がれて塀の側にもたれる形で座らされた。
「ッたくよぉ、流電狼を街まで連れて来やがって、何考えてやがんだよ」
「はぁ、まったく、余計な仕事増やすなよなぁ」
「外の様子はどうだー?」
最初にハルトに声をかけて来た門兵が、門の上に向かって声をかける。
「あー、暫く無理そうだ。アイツまだ彷徨いてやがる。どうする? 矢で射殺すかぁ?」
「まぁ、ほっとけ、暫くすれば森に帰るだろう。誰か街に近づく奴がいたら警告だけしてやれ」
「りょーかい」
門兵達の会話から、裏門の外に、さっきハルトを追いかけて来た流電狼が居座ってるのが分かった。
もうダメだと感じたあの時、多分門兵が弓矢で威嚇して助けてくれたんだろう……。
結局、俺は助けてもらったのか……。
呼吸もだいぶ整って、鼓動も少し落ち着き始めた頃、不意に声をかけられた。
「おい、Fランク。いつまでそうしてる?」
「す……すみ、ません」
「チッ、これだからFランクは。自分の力量も分からない奴が流電狼にちょっかい出してんじゃねーよ」
「……すみま、せん」
「余計な仕事増やしやがって……。動けるようになったらとっとと帰れ。仕事の邪魔だ」
「……はい」
門兵は言いたい事だけ伝えると、他の門兵のいる場所へと向かって行った。
はぁー……なにやってんだか、俺は。
結局、薬草1個も採ってきてないし……、嫌いだの何だの言ってた相手に助けてもらった挙句、おもいっきり迷惑かけてるし……。
今日は、もう帰ろう……。
もう全身痛くて両膝もガクガクするけど、ずっとここには居られないし、帰らない事にはちゃんと休む事も出来ない……。
他の門兵達は何も言ってこないけど、迷惑そうな視線でこちらを見ているのは分かる。
「ウッ、クッ……この足で帰れるか分からないけど、何とかして帰らないと」
足を動かすだけでも筋肉が痙攣し、力を込めると地につけた足裏から鈍い痛みが両足を昇ってくる。
ハルトは、壁に手を付き、足を引きずる様に、少しづつ、少しづつ家に向かって歩きだした。
ハルトって、毎回逃げ回ってばっかりですね……。
運動不足と体力不足で、歩いたり走ったりするだけで力尽きる状態が続いてますしねぇ。
まぁ、運動しなくなった社会人で、便利な乗り物に依存した生活をしてきたなら仕方ないのかもしれませんが……。




