第3話 あぁ、寝落ちしそう
なかなか時間が取れず手間取りました。
「やっと、終わったぁぁ」
白いカッターシャツにワインレッドのネクタイを締め、紺のスーツズボンを穿いた桜雷春人が、先輩のデスクにホッチキス留めの終わった書類を纏めて置いたあと、すでに皆帰宅し誰もいなくなったオフィスで叫んでいた。
「毎度毎度、無意味な残業させやがって、あんな奴クビになれば良いのに……」
春人は誰もいないのを良い事に、先輩のデスクを睨んで普段思ってても本人には絶対言えない思いを呟く。
今日も仕事が終わり、いざ帰ろうと言う時に先輩から仕事を命じられ、1人残業をするハメになった。
春人も別に残業が嫌で文句を言っている訳ではない。
春人だって会社に勤めてもう3年目、必要なら残業もするし、大事な仕事なら徹夜になっても仕方ない時もあると思える程には社会人をやっていた。
しかし、先輩から命じられる仕事はどうでも良いものばかりだった。
どうでも良いと言うのは語弊があるが、嫌がらせで仕事を投げているのは明白だった。
今日、春人が残業してまでやっていた仕事の内容もこんな感じだ。
来週末の会議で使う資料の原本を、16部コピーしてホッチキス留め、原本と同じ様に蛍光ペンでマーカーを引くと言うものだ。
それを先輩はこう言って命令してきた。
「おいっ桜雷! 今日中にコレやっとけ! 終わるまで帰るんじゃねぇぞ!! 俺は帰るけどな、ハハッ」
ーーあぁ、もう!! 思い出すだけで気分が悪くなる!
コピーしてマーカー引くぐらい自分でヤレよ! 来週末までならいつでも出来るだろ!
だいたいあいつ仕事全部誰かに丸投げして、自分はヒマだヒマだって一日中デスクでダラダラしてるだけだろ!
何であんな奴が毎月30万以上貰ってんだよ!!
あぁくそッ、最悪な気分だ。
もうとっとと帰ってゲームでもしよう……。
明日は休みだし、今日は徹ゲーだな。
そこまで考えたあと、春人はスーツの上着を着て鞄を持つと、オフィスの照明を落とし足早に1階まで降りた。
入口の守衛に自分が最後だと告げて会社を出ると、辺りはすっかり日が暮れていた。
無駄な残業の所為で、時間はもう20時を過ぎていた。
会社から最寄り駅まで徒歩10分、電車に乗って20分、降車駅から自宅まで徒歩15分はかかる。
家に帰る頃には21時になるだろうし、そこからゲームを始めたら3〜4時間後には睡魔とも闘わなければならなくなる。
本当なら仕事が終わる18時にソッコーで帰り、19時から1時くらいまで、6時間は睡魔を気にせずゲームに没頭したかった。
春人はここ数日、発売されたばかりの新作RPGにハマっていて、仕事中も続きが気になってゲームの事ばかり考えて過ごしていた。
とは言っても、今に始まった事では無く、春人の日常は会社の往復とゲームかアニメくらいしかない様な状態だったが……。
春人は、帰ってから食事をする時間も惜しく思い、電車待ちの間に売店でパンを買い、夕飯を簡単に済ませてしまう。
パンを食べ終わる頃に電車が到着したので、すぐに電車に乗って空いている座席へと座り、窓から見える景色をぼーっと眺めていた。
そのまま電車が発車すると、春人は目を瞑りウトウトしながら20分程電車に揺られる。
気がつくと降車駅に着いていて、春人は少し眠たそうにしながら電車を降りた。
もう少しで帰れると思うと、春人は元気を取り戻し、いつもより足早に自宅へと歩き出した。
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「ふー、やっと帰って来れたなぁぁ」
春人は自宅に入るなりそう呟き、すぐにスーツを脱ぎ捨てて着慣れたジャージへと着替える。
春人の部屋は、ワンルームマンションで広さは7畳程、シングルベッドが部屋の半分を占領し、隅にテレビとゲームを置いて、その隣にパソコンが設置されていた。
春人に兄弟は無く、両親は2人揃って考古学者だ。
発掘現場で知り合い恋愛結婚したらしいが、春人を身籠った時に日本で産み育てたいと帰国したらしい。
春人が子供の頃は出来るだけ家を留守にしない様にし、海外の仕事は交互に行く等していたが、就職して1人暮らしを始めたら2人一緒に海外へ赴き、すでに2年程音信不通だった。
多分発掘や研究に没頭して連絡すら忘れているだけだと思うが、春人も連絡が無い事を特段気にはしていなかった。
兎にも角にも、今の春人は待ちに待ったゲームの事で頭がいっぱいだった。
冷蔵庫から黒色の炭酸飲料が入ったペットボトルを持って来ると、すぐにテレビとゲームのスイッチを入れた。
ピッと電源の入る音が聞こえ、春人はコントローラーを握りテレビに視線を移してゲームに集中し始めた。
それから4時間程経ち、用意した飲み物が底をつくと春人は大きく伸びをして、体をほぐしながら再び冷蔵庫へと飲み物を取りに行った。
少しはレベルが上がってストーリーも進んでいたが、手強いボスの所為で足止めされ先に進めなくなっていた。
時間は深夜の1時を回っていたが、まだまだ頑張れそうだったので、兎に角レベルを上げようと再びゲームに集中する。
しかし、レベル上げだけの単調作業が眠気を誘い、急激に睡魔が襲って来る。
春人は、あともう少しだけと睡魔と闘いながらゲームを続ける。
あぁ、寝落ちしそう……と鈍くなった思考を巡らせながら、もうちょっとでレベル上がるからそこまでは……と欲を出して無駄に頑張っていた。
流石に意識が飛び飛びになり、限界を迎えた春人はコントローラーを落として睡魔に屈した。
春人が深い眠りに落ちたあと、部屋が眩しい程の青い光に包まれる。
青い光が収まるとそこに春人の姿は無く、飲みかけの炭酸飲料と付けっ放しのゲーム、落としたコントローラーだけが残されていた。