第11話 せめて靴があれば
ルウのおかげで、だいぶ気持ちも落ち着いて、気分も少し良くなってきた。
誰かに抱き締められている事が、誰かの体温を感じられる事が、こんなにも心穏やかになれるなんて知らなかった。
ルウが傍に居てくれて、本当に良かったと思う。
ルウが居てくれなかったら、きっとハルトは心が折れてしまっていただろう。
だからーー。
「もう、だいじょうぶ……。ルウ……、その、ありが……とう」
ハルトの左手は、首元に巻かれたルウの腕に添えられ、右手で紅く染まった顔を隠すようにして、恥ずかしそうにしながらルウに感謝の言葉を伝える。
ホントにもう恥ずかしくて死にそう……。
女の子に泣いてるとこ見られて、挙句に抱き締められて、慰められるなんて……。
あぁ、もう、死んでしまいたい……。
でも……、ルウのおかげで落ち着いた……。
此処にずっと居る訳にはいかない。
何処でも良いから、早く安全な場所に逃げないとーー。
助けられてるだけじゃダメだ……、ルウだけでも、守らないと。
俺が! ルウを守るんだ!!!
ハルトは、ルウだけでも守らなくちゃいけないと決意を新たに、立ち上がる。
窓から少し離れながら、窓の外を気にするが、もう一度外を見る気分にはなれなかった。
ハルトの頭には、外の光景が焦びり付いて離れなかった。
自分だって何度も見たくない光景を、女の子に見せる訳にはいかない……。
あんな物、ルウには見せられなかった。
だから、ルウを傍に引寄せて、窓の外が見えにくい位置に離れていた。
ただ、この位置からでも見える物はある。
黒く炭化した木や、崩れた壁ーー。
崩れた壁のさらに向こうには、赤い光と立ち昇る黒煙ーー。
空に青さは無く、煤汚れた黒い雲が漂っていたーー。
そして、落ち着いた今なら分かる事がある。
街の喧騒……、そう感じた物の正体。
何かが激突する様な衝撃音ーー。
破裂音、爆発音に、何かが崩れ落ちる音ーー。
さらにーー、人の叫び声、呻き声、泣き声、怒声に怨声ーー多種多様な音と声が入り混じっていた。
まさに、阿鼻叫喚。
この世の地獄かと思える有様だったーー。
そのうえ、この窓の外に広がるのは地獄絵図ーー。
この窓を覗き込めばーー、そこには大量の死体があるーー。
20や30では済まない……、100や200でも足りないかもしれない数の死体が転がっていた。
鎧ごと潰され、まるで潰れたトマトの様に赤い染みだけになった物ーー。
首が千切れて無くなっている物ーー。
上半身だけや、下半身だけになった物から、縦に真っ二つに裂けている物ーー。
バラバラのパーツになっている物から、まるで肉団子の様に何人もの人が圧縮されてしまった物まであったーー。
元は人だったはずの物が、窓の外に大量に散乱していたーー。
地面は、その殆どが赤一色に染まっていた。
ハルトには、何が起こったのか分からない……。
何が起きているのかも分からない……。
でも、確実に言える事は、この惨劇の主に出会ってしまえば、死しか残らないだろうということ。
だから、すぐにでも此処から逃げなくてはいけない。
ルウだけでも、助けなければいけない。
今のハルトには、それしか考えられなかった。
「すぐに此処から離れよう。どうにかして外へ……、とにかく、遠くへ逃げないと」
通路はまた、右と左に別れていた。
どっちに行けば良いか分からない……、でも、すぐに此処を離れないと。
あの惨劇の主が戻って来ないとも限らないーー。
一瞬の逡巡の後、ハルトはルウの手を引きながら、左の通路へと向かった。
万年運動不足のインドア派なハルトには、走りながら移動するのは無理があった。
ルウを連れている以上、走れたとしても無理だったろうが……。
だから、早足での移動になっていたが、すでにハルトの両足は悲鳴をあげていた。
足裏の痛みは限界に近く、膝はたまに崩れ落ちそうになる程疲労が溜まっていた。
ハルトはかなり無理を押して歩いていたが、何故かルウは平気そうだった……。
ルウが歩き慣れているだけか……、見た目以上に体力があるのか……。
ハルトは、疲れを殆ど見せないルウと比べて、自分の情けなさが恥ずかしくなっていた。
「ルウは、すごい、ね……。ハァハァ、俺、なんか、情けないよ。……ゲームばっかじゃ、なくて、少しは、……運動、しとけば、良かった」
息を切らしながら、ハルトはルウに話しかけると、限界を迎えたのか、膝を付いて座り込んでしまう。
外に比べると、中はほとんど被害が無く、ここまで誰とも出会わずに来ていた。
それは、中に居た人が皆、すでにここから逃げてしまったか、さっきの様に殺されてしまったからだと推測出来た。
ハルトも早く逃げなければと、そればかり考えて、当てもなく動いていたがーー。
よくよく考えると、惨劇の主の居場所も分からず動き回れば、自分から出会いに行ってしまう可能性もある事に気付いた。
それに、出会ってしまった時に、こんな限界で走れない状態だったら、逃げるなんて不可能だった。
やる事、成す事、全部どこか抜けている……。
欠陥品ーー誰かに言われた言葉が胸に刺さったーー。
「せめて靴があれば、もう少し楽なのに……」
足を摩りながらハルトが呟いた時、不意に背後から声をかけられた。
「勇者様!! こちらに居られましたか」
ハルトは突然声をかけられた事に驚いたが、すぐに振り向くと声の主を確認する。
「あっ! お姉さん!!」
「おねえ……?」
「アッ!? いやっ、その……、まぁ……ハハ、さっきはどうも……」
咄嗟の事でつい口走ってしまったのは、「お姉さん」だったが、ハルトはバツが悪くなり渇いた笑いで誤魔化しながら右手で頬を掻いていた。
そこに居たのは、最初に出会った文系お姉さんだった。
ずっと文系お姉さんと心の中で呼んでいたせいで、咄嗟にお姉さんと口走ってしまった。
「ご無事でなによりです。勇者様」
文系お姉さんは、乱れた息を整えながら再び声をかけてきた。
「えっと、おねーー、コホン、……きみも、無事だったんだね」
「ええ、私の方はなんとかーー先程は名乗りもせず、大変失礼を致しました。私の名は、マリアン・ハトソンと申します」
「マリアン……さん。……えっと、マリアンさんはどうしてここに? さっきの副団長の人はどうしたの?」
「今は別行動をとっています。ーー私は負傷者の治療と生存者の捜索の任を負い、城内で行動していましたが、先程中庭でこれを発見し、勇者様を捜しておりました」
マリアンさんがそう言って渡して来たのは、さっき窓から落としてしまった石版だったが、ハルトは無くしている事にも気付いていなかった。
「あーー、石版」
「先程は副団長が失礼を致しました。上官の命令とはいえ、説明も無く勇者様をお一人にしてしまい、申し訳なく思っております。どうか、ご容赦を」
「あっ、いやっ、ご容赦も何も、マリアンさんが悪い訳では……」
「そう言って頂けると助かります。それで、こちらの少女は?」
「ここに来るまでに出会ったんだけど、記憶が無いみたいで、ルウって名前しか分からないんだ。マリアンさんはルウの事知ってますか?」
「いえ、私は新参で、まだ城内の者に詳しくは……。力になれず申し訳ありません」
「そう、ですか……」
「ただ、服装等から城に勤める者では無いと思います。どうやって城に入ったかは分かりませんが、城外の者かとーー」
「城外ーー、ん? ここってお城なの?」
「ええ、そうです。ここは、ブライス帝国帝都にあるブライス城の城内です」
「ブライス……帝国……」