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♢
翌日、僕は約束通りに屋上へ行った。
いつもの様に、りっちゃんは屋上にで本を読んでいた。暑くなったフェンスに背中を預けて、静かに座っている。
「やあ」
僕の挨拶に、りっちゃんは、本から目を上げて応えた。
「来てくれたんだね」
「まあ、約束だったしね。それに、なんか、屋上に行かないのが逆に不自然になってさ」
これは本当の事だった。習慣とは怖い物で、毎日昼頃になると、自然と足が向いてしまうのだ。
りっちゃんは、と見ると、いつもの笑顔で、僕を見ている。
何もかもがいつも通りだ。僕は、りっちゃんの隣に腰掛けて、いつもの様に街を見渡した。七月の終わりの街は、まるで何か重い物にのしかかられているかの様に、動きが無かった。遠くの道路を走る車も、川原の土手を走っている人も、みんなやる気が無い様に思えた。
じめっとした風が吹く。
「昨日は、ありがとう」
りっちゃんの声が、風に乗って聴こえた。彼女は間を置いて、更に言葉を続けた。
「楽しかったよ」
「楽しかったなら、良かった」
また、二人の間に沈黙が訪れる。今日の空気はなんだか変だ。何となく、重苦しい。何かが、僕の肩の上に乗って、押し潰そうとしているみたいだ。
でも、その「何か」に、僕は勝てる気がしなかった。
僕は、黙って空を見上げた。大きな雲がぽっかりと浮かんでいて、僕を押し潰そうとしているのは、これなんじゃ無いかとさえ思える。
空を見ていられなくなって、僕は街を見下ろした。さっきまでと変わらずに、街は昼下がりのけだるさに包まれている。むわりとした空気に包まれて、街はどんどん温まっているようだった。
街を一通り見渡してから、僕はフェンスに背を向けた。こうして見る景色は、この町で一番空が大きく見える。
横目で、りっちゃんの様子を窺う。さっきまで立っていたのに、もうフェンスに寄りかかって座りながら、本を読んでいる。いつ見ても、同じ姿勢で読んでいる。たまには寝転がったり、立ちながら読んでも良さそうな物だけど、そんな所は、一度も見た事が無い。
よく見ると、制服のスカートのポケットから、赤いお守りが顔を見せていた。
確か、僕はあれを見た事があるはずだ。記憶を漁って、どうにか思い出す。
ふっと、目の前に、何度も夢で見た景色が浮かび上がった。
そうだ、僕の部屋だ。
僕の部屋の壁に、確か掛かっていたはずだ。あれは、十年前の正月に、近所の神社で両親にねだって買ってもらった物だった。幼い僕の目に、お守りはとっても綺麗に映っていた。
そこまで思い出して、はたと思考が立ち止まった。それ以上、思い出せないのだ。結局、あのお守りは、どうしたのだろう。正月に買ってもらって、どこへ行くにもそれを持って行っていた。でも、そのうち僕が大きくなってから、失くさない様に家の壁に引っ掛けていたはずだ。幼い頃のつたない字で、名前を書く位大事にしていたのに、それが、何でりっちゃんのスカートにあるのだろう。
考え始めると止まらない。僕は自分の悪癖を解っているから、偶然お揃いだったんだ、と思う様にした。
それにしても、あれはりっちゃんとお揃いだったのか。そう思った途端、僕は急に、あのお守りの在処が気になり始めた。僕は壁に掛けた所まで覚えているのに、それ以来、そのお守りを見ていない。部屋のどこかに紛れ込んでしまったんだろうと思って、そのままにしていた。
家に帰ったら、探そうか。
「あのさ」
僕は、りっちゃんに声を掛けた。
「そのお守りさ、もしかして、そこの日枝神社で買ったやつ?」
りっちゃんは、首を振る。
「ううん。これは、貰った物なんだ」
「あ、そうなんだ」
僕はまた、何を喋っていいか解らなくなった。それでも僕は、頑張って次の言葉をひねり出す。
「実はさ、僕も同じお守り、持ってるんだ」
どうしてだろう。それだけの言葉なのに、一瞬、りっちゃんは悲しそうな顔をした。
でも、それは一瞬の事で、次の瞬間には、いつものりっちゃんの笑顔があった。
「へええ。そうなんだ。これさ、もう何年も前に貰った物なんだけど、どうしても手放せなくてさ。良い事なのか解らないけど、こうしてずっと持ってるんだ」
幾分か、重苦しい空気が晴れた。僕は、軽くなった心を感じて、りっちゃんに応える。
「そうなんだ。僕もさ、小さい頃、それが凄く欲しくて、親にねだって買ってもらったんだ。結局、どこか行っちゃたんだけど、懐かしくて思い出したよ」
りっちゃんは、ニコニコして、僕の顔を見ている。僕も、楽になったからか、多分笑っていたと思う。
「大事にしてたはずなのにな」
僕の言葉に、りっちゃんは朗らかに応えるのだった。
「まあ、そのうち、戻ってくるんじゃないかな」
「まあ、確かに。探し物って、得てして探してない時に出て来たりするもんね」
♢
その日、家に帰ってから、僕はお守りをもう一度探した。
押し入れの中も、机の引き出しの中も、小さい頃に使っていたおもちゃ箱の中も、探せる所は大方探したけれど、お守りは出てこなかった。
多分、僕の探せない所に、隠れているのだろう。




