11
八幡神社の前は、まだ明るいのに、多くの人でごった返していた。
「早く来すぎたかな……」
腕時計に目をやる。まだ時計の短針は、「5」に少し届かない。
八幡神社の境内へは、この石段から上がるしか無い。だからだろうか、いつもは人気の無い階段も、今日はかなり賑やかだ。
たくさんの人が上って行く石段の、端っこに陣取って腰を下ろす。みんな、僕には目もくれずに、揃って楽しそうな顔をして、石段を上って行く。
ふと、本が読みたくなった。いつも本を手放さないりっちゃんの気持ちが、解る気がした。こうして退屈をしている時こそ、本は面白いのかも知れない。普段はあまり本を読まないから、本当にそうなのかは解らないけど。
こうしているうちにも人出が増えて、僕はもっと端の方へと、動いて行った。
やがて、石段の前の通りに、バスが停まった。僕が乗って来たバスの、三本後のやつだ。バスから降りて来る人を、一人一人確認する。
「やっぱりこの次のバスかなあ」
そう呟いて、諦めようとした時だった。
切れた降りる客の波の最後に、一人の浴衣姿の女の子が付いて来ていた。閉まりかけたバスの扉から、慌てて降りて来て、道路の段差につまづいている。浴衣も草履も、馴れていないんだろうか。僕は、もう一度彼女をよく眺めた。
綺麗な長い黒髪が、彼女の動きに遅れて付いてくる。夕闇がすぐそこまで迫っているのに、白い肌はその中に浮かび上がっているようだ。痩せ気味な体には、紺色の浴衣を着ていて、所々にぱっと花が咲いている。
気付くと、僕の目は彼女を追いかけていた。多分、口はだらしなく開いていただろう。瞬きもしなかったに違いない。
だから、僕は彼女と目が合うまで、彼女が誰なのか、考えてもいなかった。
「お待たせ」
りっちゃんだったのだ。
「うわっ」
僕は、この上なく間抜けな声を上げてしまった。
「ああ、りっちゃんか」
「達也、なんかぼおっとしてたけど、可愛い女の子でもいたの?」
君を見てました、なんて、言える訳ない。
「いや、単にぼおっとしてただけだよ」
「ふーん」
りっちゃんは、疑いの目を僕に向けていたけど、気にしない様にして、立ち上がる。
「じゃ、行こうか」
「うん」
そう言うと、りっちゃんは、ごく自然に僕の手を取った。
うわ、小さい。そんなに大きい訳でもない僕の手より小さい。それに、すべすべしてて、柔らかくて、暖かい。
何でだろう。特別な事は何も無いのに、僕は興奮していた。お祭りの空気が、そうさせたのかも知れないし、夜が迫る神社と言う場所がそうさせたのかも知れない。石段の上の方を見上げると、いつもより少しだけ、空が明るい。
僕は、りっちゃんの手を、握り返した。
それに応えてくれたのだろうか、りっちゃんは、僕の前を歩きながら、にこりと笑った。僕はもう、これ以上無いほど照れてしまって、まともにりっちゃんの顔を見る事が出来なかった。もったいない事をした。
石段を上りきると、そこは別世界だった。
橙色の提灯が辺りを照らし、たくさんの人が、出店を覗いたり、話したり、輪になって踊ったりしている。寂しく見えていたはずの橙色の灯が、人の波が、今は僕を歓迎してくれているかの様だ。
みんな、何かにうかされている。そう思った。と、同時に。
昔こんな事があったのかも知れない。そうとも思った。
「どうしたの? ほら」
りっちゃんが、握った手をぶんぶんと振った。はっと目が覚める。いけない。今日は事あるごとに考え事をしてしまう。
僕は、りっちゃんの方へ、笑顔を向けた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事を、ね」
「本当に大丈夫? 気分悪いなら今日は止めとく?」
りっちゃんの心配そうな顔を見て、僕は深く反省した。
うかされていたとしても、楽しめる時に楽しめば良い。いや、楽しめるときは、楽しまなければいけないのだ。
つまり、今は、楽しまなきゃいけない。
「よし」
僕は、りっちゃんの心配を吹き飛ばそうと、余計な位の元気をだした。
「じゃあ、今日は遊ぼう。何か、したい事ある?」
りっちゃんは、安心した様な顔をして、頷いた。
「うん」
そして、また僕の手を取る。りっちゃんの顔に、大輪の花が咲いた。
「私、やりたい事が、たくさんあるんだ」
「ああ、どこでも良い。付き合うよ」
僕の言葉を聞いて、りっちゃんは「本当?」と訊くと、ぐいぐいと僕の手を引っ張り始めた。祭りの人ごみの中を、ぐいぐいと縫って行く。両脇の出店の灯が、眩しい線を描いて、どんどん後ろへと流れて行く。




