9.結実の時
三人で集まって話していると、
誰かの来訪を知らせるチャイムの音が響いた。
「敵……かな?」
「さあな」
「お姉さん……」
「大丈夫よ、連れてくるわ」
あれ、それってつまり知っている人が来るのね。
暫くして、私と彼の前に見知った人物が現れた。
「無事で何より。さあ、帰りますよお嬢様」
入ってきて早々、弟くんは私にそう言った。
私は当然……
「嫌です、私はあんなつまらないパーティーには出ません!」
「そうですか」
弟くんは笑顔だった。微妙に、黒い笑顔……
「いやはや、面白い展開になったね」
「どうした……」
「裏切り者の処遇は、厳しい物になりそうだよ」
「ぐっ……お前は……」
弟くんは、嬉しそうな顔で言う。
「自分は雇い主を裏切ったつもりは無いんでね。
残念だけど、パーティーには出てもらうよ」
「今出たら、黒服に狙われはしないか?」
「残念、暫くすればここに押しかけてくるさ。
ここに来る時に後を付けられていたからね」
そんな……
私、もう逃げられないの?
「とりあえず夜食のカップラーメンでも漁って、
食べながら君の状況を知ってもらおう」
「ん……待て」
「何かな、兄さん」
「何でそこでカップ麺が出てくるのよ?」
「そうだ、それだ」
彼が言おうとする前に私が言ってしまった。
ごめんね、一番の見せ場だったのに。
「ぶっちゃけると、割とどうでも良い事だからです」
で、どうしてそんな論理になるのよ。
私はそう思ったけど、彼とお姉さんはそうではなかった。
「そんな言い方をするという事は、どうせ途中で撒いたんだろう」
「それは言わないでください。相手が相手ゆえに……
まだしぶとく足跡を辿ってくる可能性は否定できません」
「そうか……」
つまり、ここからが本当の危機……なのかな?
「でも、時間を考えると無駄足にしかならないのよね……」
「そういえば……」
お姉さんに言われて、時計を見る。
既に日付が変わる五分前になっていた。
「まあ、そういう事です。ここまで来れば仕来りを乗り越えたも同然」
「それなら、何で弟くんがここに居るの?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「ここでヒントを一つ。これだけ言えば解るはず。
そもそも自分まで一緒に裏切ったら、どうやってこの先に収拾をつけるのやら……」
「収拾をつける?」
「どういうこと?」
意味が解らないと、彼と私は首を傾げた。
「交渉や根回しを任されていたのね……
お疲れ様、大変だったでしょう」
「それほどでも……」
それを補う為に、お姉さんが口を挟んでくれた。
笑顔で会話してるのを見て、何となく私は気が付いた。
ということは、つまり、そういうことで……
敵っぽい登場の仕方も、不安をあおるような言い方も、
全部ひっくるめて彼なりの冗談。
私には全くと言って良いほど笑えなかった。
彼も溜息をついていたので、私と同じ気持ちなはず。
「それにしても、二人の姿は……
本当にお似合いですね、羨ましいくらいだ」
「え、ちょっと……」
「お、おい……」
いきなりそんなことを言われて、私と彼は顔が真っ赤になった。
「誕生日のお祝い、しましたか?」
「あ、してもらってない」
「こんな状態で祝ってなどいられると思うか?」
本当は祝って欲しかったのに。
ちょっと寂しいけど、状況が状況だから仕方ないよ……
「あえて誰にも言わせなかったんです。
少しくらいは格好付けた方が良い、兄さんは」
弟くんは、彼の方を見て何かを期待しているみたいだった。
「言えと?」
「勿論です」
お姉さんも、彼の方を見てしきりに何かを言わせたがっている。
「そうね、言いなさいよ」
「そう……だな」
弟くんとお姉さんに説得され、彼は私の方を向いた。
「誕生日、おめでとう。
祝えなかった事を、詫びさせて貰う」
「ありがとう。謝らなくてもいいよ。
あなたに言ってもらえるのが一番嬉しいから」
「そうか、それは良かった」
皆に見つめられているから、ちょっとだけ恥ずかしい。
私達は机の周りに座って、その時を待つ。
もう、邪魔をする相手は誰もいない。
机の上には、夜食のカップラーメンと、
近くのコンビニで買ったと思われるショートケーキが置いてある。
前者はこの家に置いてあった物。
後者は弟くんがここに来る時に持ってきた物だった。
「これだけしかないけど、良いか?」
「これで、十分だよ」
私は笑顔で答える。
変に格式張ったパーティーなんかより、こっちの方が嬉しい。
そして、カップラーメンが丁度食べ頃になったと知らせるタイマーの音が鳴り響く。
時刻は丁度十二時を過ぎて、日付が変わった。
私はこの瞬間から、仕来りに囚われないで自由になった。
隣には、彼が……いる。
「おめでとう。これで俺も……解放される」
「解放?」
「君を、任務として護る事から解放された。
任務である限り、君に手を出せば……」
「やっぱり……」
そう、彼は必死に耐えて任務を果たしてくれた。
「さっきは、ごめんね」
「こちらこそ……」
深々と私がお辞儀すると、彼もお辞儀を返す。
その顔を見て、私は……
「え……」
「どうした」
無表情だったはずの彼の顔に優しい笑顔が浮かび上がっていた。
「無表情……じゃないよね」
「ん、俺は……」
自分の顔だから気付けないよね?
「自己暗示、解けたのね……」
「俺は、笑えているのか」
「うん、とってもいい笑顔だよ」
ますます、好きになってしまいそうな輝くほどの笑顔。
あ、そうだ……言わなくちゃ。そう思ったのに……
「待ってください」
「あ……え、何かあるの?」
私が何かを言おうと思ったら、急に弟くんが割り込んできた。
「黒服の奴らが……あと十分程度で来ます。
仲間からの連絡がありました」
手に持っている端末を見ていた弟くんが言った。
「仕来りは乗り越えたはずだが?」
笑顔だったはずの彼の顔が、険しい顔になった。
無表情じゃなくて、すごく整って凛々しい。
思わず私の目は彼の姿に釘付けに。
表情豊かになると、こんなに破壊力があるのね……
「とりあえず、食べる物は食べておきましょう……
逃げるのは、それからでも遅くないわ」
お姉さんの提案を聞いて、私は迷う。
それを信じて大丈夫か、自信が無い。
だけど、そんな不安を払拭するかのように弟くんは言う。
「逃げる必要は無いです」
「ああ、手は打ってあるのだろう?」
「時間稼ぎは必要ですが、三人で祝っていてくれれば良いでしょう。
自分が出ますので、安心してください」
「そうか」
信じて……良いよね。
彼もまた、弟くんの提案を信じようとしている。
「伝えられなくなると困るので伝えておきます」
弟くんが、私と彼の肩を軽く掴んだ。
そして、私に向かって。
「まずあなたに伝言です。
”己の道は己で切り開く。私は孫の選択を尊重する。幸せになるのだぞ”との事です」
「はい……ありがとう……ございます」
続いて、彼に向かって。
「兄さんにも伝言です。
”今まで孫を護ってくれて感謝している。私の見込みは正しかった。
礼とは言わないが、孫と結ばれるのなら是非とも盛大に祝わせて貰いたい”と言ってました」
「見抜かれていたか……」
「祖父公認になっちゃいました……」
こうなるともう、後には引けないよね?
「そもそも当然の結果なんですよ。
兄が首謀者になって仕来りの婚約破棄を狙うなら全面的に協力しろと、
自分は最初から指示されていましたからね」
「それ、本当か?」
「過去の約束を曲解した婚約者なんかに渡すつもりは無いと、
常々聞かされていましたから」
「それなら、私はこんな目に遭わなくても……」
そう言うと、弟くんは首を横に振った。
「相手が行動を起こさない限り、こちらは不利なままだった」
「事実が無ければ疑えない……か」
「相変わらずの鋭さだ、兄さんには敵わないね」
私は改めて聞いてみる。
「これで、勝てます?」
「心配は無用です。
二人の幸せの為に、行って来るとします」
玄関から出て行く弟くん。
「気をつけてね!」
「気をつけて行って来い!」
私達二人は、それを見送る事しかできなかった。
「で、お姉さんは……」
「さて、まだまだ夜は長いわよ」
「待て、何をする気だ」
今度はお姉さんが何かを企んで……
「明日からあなた達は学校でしょ?」
「あ……」
「そういえば……」
すっかり忘れてた。
私だけでなく、彼も忘れていたらしい。
「通える所まで送り届けてあげないといけないのよ。
結構遠い所にまで逃げてきたから……」
「朝一番で行けば……」
「そんな慌しい事はさせないわ。
それに、数日間は警戒が必要だもの」
「やっぱり、後始末は必要か」
「そういう事ね」
つまり、暫くの間は安心できないのね……
「それにしても、まさか親子揃って同じ事を成し遂げるとは思わなかったわよ」
「え、母を知ってるのですか?」
「知ってるも何も、私の憧れの先輩なのよ。
色々なところがよく似ているわ、雰囲気も、気遣いも」
私の母親……昔の事をあまり教えてもらっていないので、
こうして聞ける機会があるのは嬉しい。
「詳しい事、聞かせてもらえます?」
「今日でなくても良いのなら、いつでも良いわよ。
近々、ご近所さんになると思うから」
引越しでもするのかな?
「家、ここじゃないのですか?」
「一応ここが自宅だけど、何かあっても良いように近くに移り住むのよ……」
「なるほどな。信じられる相手が近くに居るならば助かる」
「いつでも遊びに来て良いわ。あなたたちなら歓迎よ」
笑顔で言われる。
「今から行く場所だったんだけどね。
説明する必要も無くなってしまったわ……」
作り笑顔だったらしい。面白い人です、本当。
「愛の告白は、そちらに行くまで待っててね。
二人きりにしてあげるから……」
「え、ふ、ふたりっきり……」
「き、気遣いは要らない……」
あまりにも衝撃的なことを言われてしまい、
私も彼も一緒になってあたふたとしていた。
「良い反応ね、本当に良い関係を築けると思うわ、あなた達」
「それって、ふ、夫婦?」
「ま、まだ気が早いな……」
わ、私も嬉しいけど気が早すぎるよ……
「お願い……卒業するまでは待ってね」
「当然そのつもりだ。俺も……」
夜食を食べながら、そんな楽しい会話が続いていた。