終章
終章
イオンが帰ってきたその日のうちに、全てが元通りに戻っていた。
記憶も、物も、身分も。
つまり月森菫という人物は最初から存在せず、宍倉衣音という少女が従姉として宍倉家に居候しているということになったのだ。
だから結局のところ。
杏は不運にも刺されたが、幸運にも軽傷で済んだので二日間だけ休んでしまい。
イオンはたまたま杏と同じ時期に風邪を引いてしまって二日間休み。
僕はといえばズル休みをしたことになっていた。
当然のように根掘り葉掘り聞かれるだろうと思っていた。
それはもう分かりきっていたので覚悟はしていた。
だが予想外だったのは、乾が僕と杏が幼馴染みであることを噂として流してしまい、結果として杏の事件や怪我のことよりも僕が杏とイオンで二股をかけているだとか、三角関係になっているだとか、恋愛的な噂話に発展していってしまっていたのだ。
朝そのことを知り、乾を問いつめようとしたが、野生の勘が働いたのか本能的に危険を感じ取ったのかは知らないが、珍しく遅刻してきやがった。
休憩時間や昼休みなどはのらりくらりと躱され続けたが、放課後になってようやく捕まえることが出来た。
「乾、なんでお前から話を聞くかは分かるな?」
「な、なんのことだよ……」
端から見ると不良を一般生徒が教室の壁に押しつけて脅している訳の分からない状態に見えているのだろうなと客観的に思う。
「とぼけるなよ。僕と杏が幼馴染みだとバラしたことだ」
実際はバラしたもなにも口止めすらしていなかったのだから言われても仕方ないのだが、この状況を作った張本人に対して八つ当たりくらいしても許されるだろう。
「俺もまさかここまでになるとは……」
思ってなかったんだ、と言おうとしたのだろう。
僕はそのタイミングで壁に手を当てる。
「死ぬとは思っていなかった、で許される世の中じゃないよな? それと同じだ」
「本当にタイミングが被っただけなんだよ! だ、大体お前らだって仲良く三人とも同時に休んだだろう!」
不可抗力だが、そういうことになっている以上仕方なかった。
「三人とも休んだ日なにしてたんだよ!」
「ぐっ……」
何をしていたかなんて信じられる信じられないに関わらずもちろん言えるはずもないし、杏とイオン以外には知られたくもない。
言葉に詰まった僕に対して、追い打ちをかけてくるかと思いきや、乾は意外な行動をとってきた。
「正直本当に間が悪かったとしかいえん。すまんかったな」
「……まあ、いいよ。杏もその噂のお陰で傷のことをあんまり聞かれないで済んでるみたいだしな」
僕もあまりに八つ当たりがすぎたかと少し反省する。
「今日はどうする?」
「いや、やめとくよ。宍倉をとると、後ろの二人がうるさそうだ」
「え?」
振り向くと教室の入り口にイオンと杏が立っていた。
もう既に帰り支度も終えていて、もうあとは帰るだけのようだった。
「ミズキー! 早くー!」
イオンが教室の隅から隅まで響きわたるような大声で叫ぶ。
頭が痛くなった。
そういうことをするから噂が盛り上がってしまうんだぞ、と。
これ以上悪化させないように急いで帰り支度を始める。
「お疲れさん。頑張れよ」
乾は他人事だと思って、ニヤニヤと笑いながら僕の肩を気楽に叩き、自分の机から鞄をとって立ち去っていく。
ノートと教科書を鞄に詰め、僕は二人の下へ向かう。
「遅いよー」
「行くわよ」
「あ、おい!」
杏が早歩きでいってしまうものだから、僕とイオンも慌ててそれを追いかける。
校門を抜けて、徐々に学生たちの姿が少なくなってきたところでようやくスピードを落とした。
「そんなに他人の目が気になるなら、一緒に帰らなければいいじゃないか」
何気なく発した疑問は杏にとっての逆鱗だったらしい。
「待っててあげたのに随分な言い草ね」
「まーまー。二人とも……というかアンズ落ち着いてよ」
「だって……!」
「気持ちは分からないでもないし、察することの出来ないニブチンくんに対して怒るのも無理ないけど、もうそんなのは昔からでしょ」
「それは、そうだけど……」
それこそ酷い言い草だった。
だけれども女子二人で分かり合っているところを見るにきっと間違っているのは僕なのだろう。
だがこのままの流れだと確実に僕の肩身が狭くなるどころか、立場までなくなってしまいかねないので強引にでも話題を変える。
「結局イオンは悪魔のままなのか?」
僕の意図を察したのか杏は睨みつけてくるが、イオンは純粋に質問に答えてくれる。
「そうだね、月森菫という人間には戻れてないしね。菫だった頃の記憶ももちろんあるけど、なんだか違う人の記憶を見ている感じになってるんだよね」
「違う人?」
イオンの言葉が気になったのか、杏が口を挟む。
「違う……は言い過ぎだったかも。性格とか似てるんだけど、それがわたしの記憶だとは胸を張って言えない……みたいな?」
「菫姉ちゃんとイオンはまた別人ってことか?」
「うーん。そこまでじゃないんだけど……」
「人間の菫と悪魔のイオンっていう二面性だと考えると、別人格くらいに考えるのが妥当なのかしら?」
「なんにしても今はイオンってことでいいんだろ?」
「うん! それは間違いないよ!」
茜色に染まり始めた日を背にイオンは楽しそうに笑う。
「そういえば私からも一つ聞きたいんだけど……」
「何かな?」
「なんで菫お姉ちゃんのことを思い出したら、イオンのことを解放してくれたの?」
「そういやそうだな。処罰とか言ってたのにあっさりと会わせてくれたよな」
「あー……あははー……。それは、ね……?」
さっきのことよりも断然歯切れが悪くなる。
「実はわたし処罰はともかく、処刑とかは受けずに済んでたんだー……」
「え?」
「どういうこと?」
僕と杏、二人の疑問符が重なる。
「まあ二人とはもう会えなかっただろうし、別の仕事に回されはしただろうけどね? ただ、ミズキには言ったと思うけど、悪魔って人材不足でね。わたしみたいな下っ端でも利用価値はあるとかないとか……」
「あの悪魔に騙された……!」
確かに一言も命を奪うとは言っていないが、明らかにそういうニュアンスで喋っていたように思えた。
「ま、まあでも二人のお陰で今こうしてここにいることが出来るようになってるのは事実だからね!」
「過ぎたことだし、結果として良かったんだからそれでいいか……」
「人のこと振り回すのが悪魔の素質なのかしらね?」
「それだったら僕は確実に才能ないんだけど」
「そういう意味だったら菫お姉ちゃんは才能の塊みたいな人だったわね」
「確かにな」
「あのバカ上司のせいで何も反論できない……」
悔しそうに唇を噛むイオンの様子が僕と杏の顔をほころばせる。
「僕達が何もしなければって話は聞いたけど、今はどうなってるんだ?」
「前の仕事は辞めさせられたよ」
ネガティブな話題そうなのに何故だか嬉しそうに笑いながら話す。
「辞めさせられたって……。ここにいてもいいのか?」
僕を悪魔にすることが仕事だったはずなのに、それを辞めさせられたということはもう僕達とは一緒にいられないってことなのか。
「その代わりにね。一つ仕事貰ったんだ」
「その仕事って?」
僕と杏の間で歩いていたイオンが突然走り出して、振り向いた。
「ミズキを絶対に悪魔にしてこい……ってね」
にこやかに宣言したイオンに僕は苦笑いを浮かべてしまった。




