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  作者: 関西人
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払い戻し

   第五章 払い戻し


 身体を揺り動かされる感覚が僕の意識を呼び起こす。

 だがまだ身体は眠っていたいのか動かそうとしても動かず、身体に怠さを感じて、そのまま意識までもまた眠りにつきそうになる。

 そのとき再度揺り動かされ、同時に誰かの声が聞こえる。

「起きなさい」

 つい最近似たようなシチュエーションがあったな、とそこまで思い出したところで僕は跳ね起きる。

「ああ、起きたわね、おはよう」

「なんで……杏が?」

 目の前にいたのは杏だった。

 そのことに思いの外、落胆している自分に気づく。

「寝ぼけるのもいい加減にしなさいよ……」

 呆れるように杏はため息をついた。

「えっと……」

 寝る前にあったことを思いだす。

 杏が来るということはさておいて、杏の目が覚めたということに安心してしまった僕はそのまま二度寝してしまったのだった。

「ああ、ごめん。二度寝してた」

「ええ、知ってるわ。さっきまで見てたもの」

「仰るとおりで……」

 ようやく僕が完全に起きたと確信したのか、杏はパソコンデスクの前においてあった椅子に座る。

 その様子を見てようやく気付いた。

「どうやって僕の部屋に上がり込んだんだ!?」

「今更それを聞くの?」

 やれやれといった様子で杏は背もたれにもたれかかる。

「合い鍵を使ったに決まってるじゃない」

「そんなもの持ってるのか……?」

「私じゃなくてママが持ってるんだけどね。瑞樹のお母さんも持ってるはずよ」

 そんな事実は生まれて初めて知った。

 母さんと由梨おばさんは本当に親友という枠を越えて仲が良すぎる気がする。

 だが知らなくても別に困るものではないので問題なかったが。

「そんなことより顔洗ってきたら?」

「うん……?」

「話もそんなに急いでないし、行ってきなさい」

「ああ……」

 僕は言われるがままに部屋を出て、洗面所へ向かう。

 鏡の前に立って気付いた。

 涙の跡が顔に残り、まぶたは泣きはらしているという酷い顔をしていることに。

 杏から電話がかかってきた後の二度寝のときは安心した気持ちで眠りについたから、こうなってしまっているのは一回目のときだろう。

 冷水を出し、気持ちを引き締めるためにも豪快に、そして強い力を込めて顔を洗った。

 タオルで顔を拭き、いつも通りに戻っていることを鏡で確認しつつ、杏の待つ僕の部屋へと戻る。

 顔だけをこちらに向けて出迎えてくれる。

「おかえりなさい」

「ただいま。あと言い忘れてた」

 杏は小首をかしげている。

「おはよう、杏」

「おはよう、瑞樹」

 僕と杏はお互いに目覚めの挨拶を交わした。




 部屋に戻った僕は椅子に腰掛けている杏の対面に座るため、まだ暖かさの残るベッドの上に座る。

 何故か言い出しにくそうにしている杏を前に僕から聞き出すことにした。

「他人に聞かれたくない話ってなんだ?」

 変化球などかけずに直球で。

 虚を突かれたような反応を見せたのも一瞬、杏は口を開く。

「その話をする前に一つ確認したいんだけど……」

「確認って?」

「瑞樹が刺された私を最初に見つけてくれて、救急車を呼んでくれたって本当なの?」

「確かに僕が呼んだけど……」

 最初に見つけたのはイオンだった。

 故に言葉を濁してしまった。

「本題に入る前に最初に言っておくわね。ありがとう、瑞樹。瑞樹のおかげで助かったんだから」

 僕は思わず目を反らしたくなった。

 感謝の言葉を向けられるべきは僕ではない。

「別に……当然のことをしただけだよ……」

 腹の底から絞り出すような声でしか言えなかったためか、杏は一瞬怪訝そうな表情を浮かべるが、すぐに元に戻る。

「ここからはあまり信じられないと思うんだけど……」

 杏はそこでいったん区切って僕のほうちらりと視線を向ける。

 僕は何も言わずに頷きだけを返し、杏は言葉を続ける。

「私、自分が刺されたときも記憶あるんだけど、そのときに刺された位置と今の傷痕の位置が違う気がするのよ」

「なっ……」

 思わず言葉が詰まってしまう。

 それはまさしく僕の目の前でイオンが杏に対して起こした奇跡の救済と同じことだったのだから。

 僕の反応を伺うようにちらちらとこちらを見ながらも話を続ける。

「ここからは意識失ってるときの夢みたいな幻かもしれないんだけど、私の体は光に包まれてたのよ」

 杏は息を吐いて、首を横に振る。

「馬鹿げた話って笑ってくれてもいいわ。自分でも信じられないものをどうして瑞樹に話そうと思ったのかしらね……」

「……覚えているのはそれだけか?」

「ええ、そうね。次の記憶は病院のベッドの上だしね。ただそのときに傷の説明されて、おかしいと思ったのよ」

 背中の恐らく傷口であろうあたりをさすりながら杏は苦笑する。

「一つだけ聞かせてほしいの。私を見つけたとき、本当にここに傷があった?」

 先ほどまでさすっていた部分を指さし、僕に尋ねてくる。

 嘘を言うのは簡単だった。

 イオンが起こした奇跡を飛ばした説明もすらすらと言えるだろう。

 しかし、自分でも信じられないとまで言う話を、記憶を、僕に教えてくれたのだ。

 例えイオンのことを覚えていなかったとしても奇跡をなかったことにしてはいけない。

 杏に対して隠すことは出来ない。

「そこじゃ……なかった」

 僕の言葉にハッと息をのむ杏の様子がうかがえた。

「どこ……だったの……?」

 恐る恐ると言った言葉が一番ふさわしいほどに、僕の答えに怯えながらもしっかりと手を伸ばしてくる杏。

「僕のも、妄想だと馬鹿にしてくれて構わない。意識がなかった杏より、ずっと意識のあった僕の言葉の方がよっぽど質の悪いものになることも分かってる。それでも、話を聞いてくれるか?」

「うん、話して」

「道で倒れている杏を見たとき、血が一面に広がっていて、それだけでも助からないと思ったくらいの出血量だった」

 あのときの光景を思い出し、思わず僕は口に手を当てる。

 凄惨な場面が目に焼き付いて離れず、顔を歪ませてしまう。

「……大丈夫?」

「ごめん、気にしないでいい」

 本人を前にして言うことではない。

 僕は話を続けることに決めた。

「見た感じだと、傷はもっと上だった。そんなところじゃなかった」

「じゃあ、どうして私は生きているの!?」

 ヒステリック気味に叫ぶ。

「瑞樹が私に気を遣って嘘を言っているわけじゃないのも分かる! だけど、それが嘘じゃないならどうして私は助かったの!?」

「それは……」

 その答えを示すにはイオンの存在が必要不可欠だった。

 だが、前日までにイオンのことを話したときの絶望感が蘇る。

 その絶望も、目尻に涙を浮かべながら僕を見つめてくる杏の姿に吹き飛んだ。

 吐き出そう、全てを。

 晒け出そう、今までを。

「……イオン……」

 口が重く、うまく言葉にならない。

「イオン?」

 聞き返してくる杏に僕は目を背ける。

 ああ、やっぱり覚えていないのか、と。

「あの子がどうかしたの?」

 しかし、それは早とちりだった。

「え……?」

「イオンでしょ? 瑞樹の親戚のお姉ちゃんだっていう」

 今度こそ本当に涙が出るかと思った。

 散々今まで聞いてきて、この答えが来るのを期待して、裏切られて、それでもおかしいと思われぬように必死に笑顔を浮かべられたというのに。

「え、ちょっと……。どうしたのよ……?」

 僕の様子がさすがにおかしいと気付いたのか、杏は近寄ってきて僕の顔を見上げてくる。

「ごめん……大丈夫。杏はイオンのことを覚えているんだな?」

「え、ええ……。でも、イオンのことを覚えているのかってどういうことなの?」

「最初から話すよ」

 杏の目をしっかりと見つめる。

「長くなるけどいい?」

「いいわよ。話して」

 僕は息を大きく吸い込んだ。

「僕とイオンが初めて出会ったのは九日前。その夜に出会ったんだ」

 そして思い出せる限りイオンとの出会いを克明に語る。

 あとを尾けられ、追いかけられて覚悟を決めて飛び出したらイオンが立っていた。

「……信じられないかもしれないけど、イオンは悪魔だった。能力の実演までされて証明してくれた」

 なぜ彼女は僕の下にきたのか。

 どういった能力を有しているのか。

 そんな説明をユーモアを交えてしていくイオンの姿を思い浮かべる。

「……奔放で、我が侭で、自分勝手で。でもそれでいて無邪気で、楽しげで、中でも一番楽しそうにしていたのはゲームをしてるときだった」

 普通に暮らしているだけでも何を起こすか分からないイオンは、僕にとって怖くもあり、同時に楽しくもあった。

 杏の家に招待されたときなどは、もう完全に彼女が悪魔だと言うことを忘れそうになっていた。

 それほどに、人間らしかった。

「だけど、携帯を買いに行ったあの日、杏の身に何かあったのかもしれないと思って、イオンに頼んで杏の下へ連れて行ってもらった」

 そして見たのは血だまりに伏せる幼馴染みの姿。

「イオンは冷静だった。だけど冷徹じゃなかった。杏の状態を確認すると、すぐに致命傷だと見抜いたんだ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 出会いからいなくなった経緯まで話そうとして、今までは一回も口を挟んでこなかった杏が事件の話になったときにようやく声をあげる。

「私、やっぱり危なかったの?」

 面と向かって死んでいただろう、そんなこと言えるわけがなかった。

 だが僕の表情か何かでその心情を察したのだろう。

「気にしなくていいわよ。でも、そんな傷だったはずなのに、今私はここにいて、瑞樹と話すことが出来てる」

「そうだな。それこそが杏の命を救うために使ったイオンの能力だ」

「お礼言わなくちゃいけないわね」

 杏ははにかむように笑う。

「イオンは今どこにいるの?」

「会える場所にはいないんだ……」

「え……?」

「さっき言っただろ。イオンのことを覚えている人間がいないって。もう僕と杏だけしか覚えてないんだ」

 予想以上の事態だったと気付いたのか、杏は顔を真っ青にした。

「どうなってるの……?」

「奇跡には必ず何らかの代償が必要だ」

 僕はあの上級悪魔から聞いた言葉を思い出しながら言う。

「僕はイオンに何とかしてくれ、って頼んだ。この身が悪魔になろうとも後悔なんてしないって。でもイオンはそんな僕の言葉を無視して、自分の身を犠牲にしたんだ」

 杏には出来れば聞かせたくない話だった。

 自分が助かるためには誰かの犠牲が必要だったなんて聞かされたくもないだろう。

 それを聞いた杏は悔しそうに口を噛んでいた。

「何も出来ずにまんまと刺された自分が許せそうにないし、その現場で何も出来なかったのがとても歯痒いわね……」

 だがそれも一瞬。辛い現実だったろうにも関わらず、杏は毅然とした表情でこちらを直視してくる。

「どうにかすることは出来るの?」

「はは……。杏は強いなぁ……」

 見てきたということと伝聞だという違いこそあれ、心の弱さが招いた悩みを、杏はすぐに克服してしまった。

「やらないといけないことから目を反らすのは嫌なだけよ」

「やらないといけないこと?」

 首を傾げた僕に対して、杏は不敵な笑みを浮かべて、言い放った。

「イオンにまた会って、お礼を言うことよ」

 本当に、僕の立つ瀬がないじゃないか。

 今はこの一言を封印した。

 自分のことを情けないと思うのはひとまず後回しだ。

「どうにかする手立てはあるの?」

「一応ね」

 僕の言葉に杏は意外そうな表情を浮かべる。

「何も出来てないと思ってたわ」

「ほとんど何も出来なかったのは事実だけど」

「まあ、いいわ。私に何か出来ることはある?」

「僕と一緒に考えてほしいんだ。スミレという名前のことを」

「スミレ……?」

 呟いて杏はそのまま考え込んでしまった。

「なにか知ってるのか?」

「いや、どこかで聞いたことあるかな、って思って」

「心当たりがあるのか!?」

「そんな大袈裟なものじゃないわよ。せいぜい耳に残ってる程度だもの」

 その程度だとしても前進するかもしれない希望が見えたのは事実だ。

「ごめん、やっぱり思い出せないわね……」

「そっか……」

 だがその希望は呆気なく打ち砕かれた。

「どうしてスミレって名前のことを考えることがイオンにつながるの?」

「実は昨日な……」

 そう言いつつ、僕は携帯を操作し、着信履歴を杏に見せる。

 一番上はもちろん今朝かけてきた杏。

 その下には宍倉衣音という文字があり、その日時は昨日の夕刻だ。

「これ……」

「まあ本人じゃなかったけどな。かけてきた当人は自分のことをイオンの上司だと名乗ってたな」

 偉そうに振る舞っていた声を思い出してしまう。

 腹立たしいが、同時に感謝もしている。

 訳も分からずイオンが消えたままであれば、どういう行動を取っていたか分からないので、イオンの状況や行動の意味を聞けて、尚且つ救い出せるかもしれないチャンスを与えてくれたのだから。

「そいつがスミレのことを思い出したらイオンを解放してやるって言ったんだ」

「だからスミレを、ね」

 納得したのか、杏は一つ頷く。

「事情は分かったわ。私ももちろん協力させてもらうわね」

「ありがとう……。でも、昨日から調べてるんだけど一向に分からなくて……」

 杏は呆れたと言わんばかりのため息をこぼす。

「あのねえ……。詳しく会話を聞いてないから分からないけど、そいつはスミレを『思い出せ』って言ったんでしょう?私は調べても出てこないと思うんだけど」

「天才か……?」

「瑞樹がマヌケなだけだと思う」

 僕には何も言い返す言葉がなかった。

「だけど、そうなるといよいよ打つ手がなくなるな」

「無理難題を押しつけて困らせようって感じだった?」

「そんなことはないと信じたいな。気に入ったとまで言った相手に対してすることじゃないしな」

「相手が規格外だからなんとも言えないけど、こればっかりはもう信じるしかないわね」

 話をしている感じでは偉そうではあったが、人間味というか感情が見え隠れしていて、とてもこれから騙そうとしている風ではなかったように思う。

「そうなると本当に杏のその気にかかるっていうのくらいしか、当てがなくなってしまうな」

「そう言われると是が非でも思い出さなくちゃいけないわね」

 苦笑いを浮かべながら言ったあと、真剣な表情に戻り、考え込む。

 そのとき不意にインターホンが来客を告げた。

「誰だ……?」

 すっと立ち上がる。

「出てくるから少し待ってて」

 僕はそう言い残し、部屋を出た。




 ドアを開けて門扉の前を見ると、そこにいたのは運送業者のまだ若いお兄さんだった。

 小包みをかかえたまま青年はこちらを見やると笑顔を浮かべる。

「こんにちは! お届け物です!」

「あ、ありがとうございます」

 近づいて門扉を開ける。

「失礼しますね。宍倉衣音様のお宅でお間違いないでしょうか?」

 心臓が鷲掴みされたような心地に陥った。

「それ、イオン……いえ、衣音の荷物なんですか?」

「はい、そのようですね。お間違いなければサインか印鑑を頂きたいのですが……」

「あ、じゃあサインで」

「ではこちらにお願いします」

 そういってあらかじめ用意していたであろうボールペンを僕に渡し、小包を台紙代わりに青年が指さしたところにサインする。

「ありがとうございます!」

 ボールペンと控えを仕舞うと、青年は営業スマイルを浮かべた。

「では、こちらをどうぞ」

「ありがとうございます」

 小包を受け取り、僕は家の中へと戻る。

 玄関の扉を閉めたところで息をつく。

「イオンの荷物、か……」

 その言葉を呟いてようやく気付いた。

 イオンが消えてから未だ一度もイオンの部屋となっていたところに入っていないということに。

「何だったの?」

 急に声をかけられて驚いたが、すぐに平静を取り戻す。

 声のした方を見ると、階段に杏が立っていた。

「宅配だよ。それよりちょっと気になる場所見つけたんだ」

「どこ?」

「僕の部屋の隣、イオンの部屋だったところ」

 杏の横を通り抜け、イオンの部屋の前まで向かった。

 後ろに杏が追いついて来たのを確認すると、ドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けて部屋の中へと入っていく。

 そこにはベッドが。

 机が。

 ゲームが。

 イオンが来てから増えたもの全てが。

 なくなっていた。

「本当にこの部屋がイオンの部屋だったの? なんだか、物置みたい……」

 呆然と立ち尽くす僕の隣で、杏が声を発する。

「あれ? でもこの部屋……どこかで……」

 考え込む杏のことなど気にならず、僕はあまりにも呆けすぎて手から小包が滑り落ちてしまう。

 まるでイオンは存在していなかったかのように痕跡が消されている。

 覚悟していたことではあるが、記憶だけでなく、生活していた痕跡まで消されているという事実に僕は改めてショックを受けた。

「大丈夫……?」

 考え込んでいたはずの杏まで僕のことを心配げな目で上目遣いに見つめてくる。

「ごめん。ありがとう」

 こうなっているからこそ、いや、こうなってしまったからこそ今さっき届いたこのイオンの荷物に意味がある。

 落としてしまった荷物を拾い上げ、開封することに決めた。

「それ、イオン宛じゃない……」

 横から見ていて気付いたのか、杏が呟く。

 僕はその呟きを無視して、段ボールで包まれた荷物を開けた。

 そこに入っていたのは。

「ゲーム……?」

 一本の古いロールプレイングゲームだった。

 ゲーム機たるハードはもう市販されておらず、中古品や良くても新古品が出回るばかりの本当に古いゲーム。

 僕たちの世代が小さかった頃に遊んでいた、懐かしいゲームだった。

「なんでこんなものを……」

 古いだけあって、僕の家にもこのゲームをプレイできる環境などない。

 なぜ、そんなものを注文していたのか。

 ふと杏の方を見やると、僕が手に持っているゲームを見て固まっていた。

「杏?」

 気になって声をかけるが、反応がない。

 それどころか俯いて、考えをまとめるように断片的な言葉を呟き始めた。

「そのゲーム……この部屋……」

 邪魔をするのもはばかられ、僕は黙って杏の応えを待つ。

 じっと杏の方を見ていると、一瞬だけ右手が光ったような気がした。

「なんだ……?」

 それと同時に杏が勢いよく顔を上げる。

「思い出した……!」

「何を?」

「もちろん、スミレ……菫お姉ちゃんのことに決まってるじゃない」

「え……?」

「瑞樹はそのゲームとこの部屋を見ても思い出せないの?」

 何を言っているのか全く分からなかった。

「ごめん、順を追って説明してくれないか」

「ああ、もう……!」

 焦れったそうにしているためか、すぐに話し出す。

「今までなんで忘れてたのか不思議なくらいだけどね。スミレっていうのは多分菫お姉ちゃんのことだと思う」

「杏に姉なんていたか?」

「ううん、いないわね。菫お姉ちゃんは瑞樹の親戚で、一つ年上だったはず」

「ごめん、全く覚えがない……」

「私より瑞樹の方がよく遊んでもらってたわよ! 私も瑞樹もすごく菫お姉ちゃんに引っ張り回されてたけどね」

 僕が覚えていないということに杏は腹を立てているようだった。

「ただ……。菫お姉ちゃんと遊んだ記憶があるのがある日までなの」

「ある日……?」

「この部屋で! 私と瑞樹と菫お姉ちゃんの三人で! 召喚をしてみようって言って遊んでたあの日よ!」

 自分の表情を見せたくないのか、杏は僕の胸に頭を預ける。

 どうしていいか分からず視線を移動させていると、また杏の手が光った。

 そのとき、全てを思い出した。

「なんで、覚えてないのよ……!」

「ごめんな」

 両手で頭を優しくかかえて、杏の顔をこちらに向ける。

「全部、思い出したよ」

 きっとこの記憶も悪魔に封印されていたのだろう。

 だが、全て思い出した。

 いや、思い出させてくれた。

「菫姉ちゃんのこと思い出したよ」

 菫姉ちゃんと遊んだ日々も。

 菫姉ちゃんがどんな人間だったかも。

 菫姉ちゃんが召喚をしようといったあの日のことも。

 そして、その日の僕が見たものも。

 杏の涙が止まる。

「情けないよな、僕。助けられっぱなしだよ」

「ほんとよ……」

 自嘲気味に呟いた言葉に、杏が涙声で返してくれる。

「容赦ないなあ」

「自業自得」

 苦笑する僕に対して笑いながら応えてくれる。

「ケリ、つけるか」

 杏はこくりと頷いた。

 それを見て、僕は携帯電話を取り出し、電話をかけた。




 電話はたった一コールでつながった。

『なんだ』

 相変わらず偉そうな声で喋りかけられる。

「用件はもう分かってるだろう。イオンを解放しろ!」

『まあ、当然そのことであろうな』

 そこまで言ったところで、電話越しにでも分かるほどにまで急激に相手の悪魔の威圧感が上がった。

『生半可な回答は許さぬぞ』

 大丈夫、ちゃんと思い出せた。

「……ああ」

 こんなところで怯んでなどいられない。

『ではまずスミレとは誰だ?』

「スミレ……菫姉ちゃんは僕より一歳上の従姉だった人だ。名前は月森菫。僕と杏が小さい頃よく一緒に遊んだ相手だ」

 先ほどの杏の言葉に少し加えて言い放つ。

『そうだな』

 悪魔の肯定の言葉に少しホッとする。

 思い出したと思っていることが妄想や先入観などではないということが図らずも証明される形となった。

『では次だ。スミレはあの日何をしようとしていた?』

「召喚だ。より具体的には悪魔召喚とでも言えばいいのか?」

『本人に悪魔を召喚するつもりはなかったようだがな。だが、結果として悪魔が召喚されてしまったのは事実だ』

 遊びで終わるはずだったものが、現実に起こってしまい全てが壊れた。

『ではそれによってスミレはどうなった?』

「詳しくは覚えていない。だけど襲われそうになってたところを菫姉ちゃんが庇ってくれたのは覚えてる」

『気を失っていたか……。だが、答えとしては不十分だな』

「なっ……」

 見てもいないものをどうやって答えろと言うのか。

「少し待ってくれ」

『ふむ、良かろう』

 断りをいれて、杏に確認をとる。

「あの召喚した日の最後、菫姉ちゃんがどうなったか覚えてるか?」

 眉間に手を当てて考え込む。

「ううん、ごめん、覚えてない」

「そうか……」

 だが、杏でも覚えていなかった。

 これ以上本当に為す術がない。

 どうすればいい。

 どうすれば……。

『これで終わりか?』

 電話口から挑発するような声が聞こえてくる。

『やれやれ、呆気ない幕切れだな』

 何かあるはずなんだ。

 あの日菫姉ちゃんがどうなったのか分かる手がかりが。

 そう、悪魔に襲われた菫姉ちゃんがどうなったかを知る手がかりが。

「悪魔に……襲われた……?」

『ふむ?』

 そこで僕は昨日目に留まったある一文を思い出す。

 それで正解なのか。

 それこそが真実なのか。

「イオンが……菫姉ちゃんなのか……?」

 思っていたことが口から漏れ出てしまった。

 僕の言葉に電話口の向こうから息をのむ音が聞こえるだけでなく、杏までもが目を見張ってこちらを凝視している。

 杏の反応はともかく、悪魔の反応はほとんど言質を取れたも同然だった。

『……その根拠は?』

「根拠なんてない! ただの勘に基づいた推察だ。強いて根拠をあげるとするならばお前のその反応だ」

『ふ、ふふ……』

 笑い声が漏れ聞こえてくる。

『ふははははははは!』

 そしてそれは高笑いに変わった。

『そうだ、それが真実だ。ツキモリスミレという人間の少女はイオンという悪魔に生まれ変わっていた』

「それじゃあ、菫姉ちゃんのことを忘れていたのは……」

『スミレが悪魔になったからだな。昨日も言ったと思うが、悪魔になるときはその存在までもがなくなったことになる』

「イオンは覚えているのか……?」

 だから僕が悪魔になることを頑なに拒んだのだろうか。

『いや、覚えていない』

 しかし、その予想はあっさりと否定される。

『だがもしかすると本能的に目の前で悪魔になるのを見たくないと思ったのかもしれんな』

「そう、か……」

 イオンが月森菫という一人の人間の少女だった頃の記憶が残っていなくて良かったと思う。

 もしそうでなければ月森菫という少女の存在が何も残っていない世界は、イオンには辛かっただろうから。

『貴様、名をなんと言う』

 悪魔が突然僕の名前を問うてきた。

「名前を聞くなら先に名乗れよ。って言いたいけど、お前の名前になんて興味ないから教えてやるよ。僕は宍倉瑞樹だ」

『全く、不遜な奴よの』

 上機嫌な様子で話しかけてくる。

『だが、ますます貴様を悪魔にしたくなった』

「僕はお前の話を聞いて、ますます悪魔になってはいけないと思ったけどな」

『ふ、ふはははは! 良かろう。望み通りイオンを解放してやろう』

 その言葉のすぐ後、電話が切れた。

 そして次の瞬間には部屋の中心に魔法陣が現れる。

「すごい……」

 杏が横でポツリと呟くが、無理もない。

 突然魔法陣が現れただけでも幻想的だというのに、その魔法陣が眩い青さで部屋全体を照らすように光り出したのだ。

 床に描かれた光彩を放つ線は明るさを増していく。

 だが、僕は必死に目を開けたままにする。

 そうしていると、魔法陣の中心から影が現れる。

 頭、肩、腕、胴、脚。

 人型の影が中心に立ったところで、光が弱まっていく。

 そうして完全に光が収束した。

 その魔法陣の中央には一人の女の子が目を瞑って立っていた。




 無論そんなことはないのだろうが、魔法陣が用は為したという風に、少しずつ光の欠片となって散り散りになった。

 その欠片はまるで蝶のようにひらひらとしながら宙へと舞い上がる。

 幻想的な光景だった。

 光の蝶が羽ばたく、その真ん中で立っていた黒い髪の女の子がやがてゆっくりと目を開けていく。

 待ち望んだ再会であるはずなのに言葉が出なかった。

 言葉を発する代わりに僕は駆けだして近寄り、両腕を女の子の背中に回して、力強く抱きしめる。

「どうしたの?」

「イオン!」

 優しく声をかけてくれたところで、僕はようやく叫ぶことが出来た。

 彼女の名前を。

「わたしの名前は菫……だよ?」

「え……?」

 空気が凍った気がした。

 思わず数歩後ずさってしまう。

「瑞樹と杏だよね?どうしてそんな驚いた顔をしてるの?」

「菫……姉ちゃん?」

「そうだよ」

 そこまで答えたところで、イオンの姿をした自身を菫だと言い張る女の子が頭を急に抱え始めた。

「いたっ……」

「だ、大丈夫!?」

「う、うん……。記憶が混乱してて……。わたしはイオン?菫?」

 電話口にどうなっているんだ、と叫びたかったがもう切れてしまっている。

「イオンだった頃の記憶はないのか……?」

「イオ……ン……?」

 どうしていいか分からず戸惑っていた。

 だが、杏はゆっくりと近寄ってきて、彼女の頭を抱えて、そのまま胸にまで持って行く。

「あなたがイオンであろうと菫お姉ちゃんであろうと今は関係ない」

 杏の手が三度光り出す。

「助けてくれてありがとう……」

 微笑みながら感謝を述べた。

 その様子を呆然と見ていると、女の子は抱かれていた手を優しく退けて、顔を上げて杏の顔をじっと見つめた。

「助けたのはわたしのエゴだよ、アンズ」

 そして次に僕の方に視線を向ける。

「あとミズキのお願いもあったしね」

 はにかみながらもう一度杏の方を見る。

「わたしはわたしが満足出来ればそれでよかった。だからミズキの言葉も無視してアンズを助けたの」

 悲しげに目を伏せる。

「身勝手だと思うけど、でも。またこうして会えて嬉しいよ」

 顔を上げたときには、最上級の笑みを浮かべていた。

 今度は杏が逆に飛びついて、抱きついた。

 僕は動けず、聞いてしまう。

「イオン……なのか……?」

「今のわたしはイオンでもあり菫でもある、かな」

「どういうことだ……?」

「どっちのときの記憶もあるってことだよ」

 泣き出した杏をイオンが宥めつつ、僕の質問に答えてくれる。

 鼻の奥がつんとするのを感じる。

「心配……した……」

「ごめんね。わたしに心配してもらう資格なんてないのに」

「そんなわけ……ないだろ……」

「ううん。わたしはミズキの気持ちもアンズの気持ちも棚に上げて自分のしたいようにして、そのまま消えようとしてた。本当ならわたしなんて存在は忘れてしまって、何事もなかったように日常を送ってもらうつもりだった」

「そんなことになったら絶対に自分が許せなかったわ」

 イオンから一歩離れて、杏がイオンに訴えかける。

「そういう子だったね、アンズは。すっかり忘れてたよ」

 力なく笑った。

「全く……二人揃って忘れっぽいんだから」

 杏は冗談めかして言う。

「私の知らないところで二回も助けられて、それなのにどっちもお礼を言わせないとかどれだけ性格悪いのよ」

「どっちも不可抗力なんだけどなあ……?」

「もう助けられるなんてことはないと思いたいけど、もし次があるのなら今度は絶対に自分が犠牲になってでも助けるとか思わないでよね」

「ぜ、善処するよ……」

「いいえ、誓いなさい」

「は、はい!」

 どちらが姉か分からない光景だった。

「瑞樹は何も文句言わなくていいの?」

「感動の再会じゃなかったの……?」

「イオンは黙って受け入れなさい。これだけ心配させたんだから」

 こちらに話を振ってくるので、僕は口の端をあげる。

「僕の覚悟も決意も全部ふいにしてくれたよな」

「え、いや、でもこうして結果的には全員戻ってこれたんだし……」

「そうだな、結果的には、な」

「え?」

「その過程でどれだけ僕が情けない思いをしたか!」

「え、ええっ?」

「瑞樹、その文句はどうなのよ……」

 イオンは訳が分からないという顔でこちらを窺い、杏は呆れたように半眼でこちらを睨みつけてくる。

「杏がいなければ心が折れてた。それにイオン、いや菫姉ちゃんのことも思い出せなかった。本当に感謝してる」

「どういたしまして。でも、私も瑞樹がいなければずっともやもやしてたままだったでしょうね」

 二人が突然お礼を言い合う状況にイオンは目を白黒させている。

「じゃあ、渦中の人物たるイオンさんに罰を受けてもらおうか」

「賛成だわ。何にしようかしら?」

「お、お手柔らかにね……?」

「ぷっ……ははは。とりあえず今はこれを返しとくな」

「罰はまた今度でいいわよ」

 僕はイオンに思い出のゲームを返してやる。

 イオンは杏の言葉に渋い顔をするが、僕からゲームを受け取った瞬間、顔を輝かせた。

「これ、なつかしいなあ……」

 イオンは大事そうに両手で抱え込む。

「それに、そういえばこの場所も……」

 イオンの何気ない呟きに今更ながら気付く。

 僕と杏と菫姉ちゃん、イオンにとっては。

 ここで再会することに意味があったのだと。

 そう思ったとき、ふと一つの言葉が口をついて出た。

「おかえり」

「ただいまっ!」


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