家族、幼馴染、友達
第三章 家族、幼馴染、友達
桜の花びらも散り始め、春の優しい陽気からだんだんと夏に近づきはじめている感じがする。
世間ではゴールデンウィークに入ったと言われているが、僕達学生は平日という忌むべき日が挟まってしまうため連休にはならない。今年は三日から六日まで四連休が学生にとってのゴールデンウィークではないだろうか。
そんなゴールデンウィークを目前にした休みの日。加えて言うならばイオンが転校してきて初めての休み。
そんな日に僕とイオンは杏の家に呼ばれていた。
転校初日こそ色々とあったが、それ以降は示し合わせ、それなりにうまくやってきていた。初日をのぞけば杏相手にもうまくやれている。あれで誤魔化せているとはとても思えないが、だが少なくともこれ以上詮索はされないはずだ。
だからこそ僕は携帯に送られてきていた素っ気ないメールに疑問を覚えていた。
『瑞樹と衣音さん、二人で私の家に来て』
理由も何も書かれておらず、ただ呼び出しの一文が書かれていただけ。
やましくはないが隠し事はある身としては断りたかったが、予想外にイオンの方が乗り気だった。
理由を聞けば。
「夏原さんと仲良くなれるチャンスかもしれないじゃない?」
とのことだった。
こんな言葉を聞いて無碍にできるわけもなく、僕達は夏原宅へ向かっていた。もっとも、歩いてすぐなのだけども。
「無駄にポジティブだよな、イオンって」
「無駄ってなによ。無駄ってー」
「いらないところまでポジティブだなって言いかえようか?」
「結局無駄ってことでしょ、それ!」
会話をしながらゆっくり歩いたというのに、もう着いてしまった。
イオンは生き生きとしながらインターホンを押した。
「押したよ?」
「いや、うん、押したのならいちいち確認しなくてもいいよ……」
なぜ目を輝かせてこちらを見るのか。
しばらくするとドアを開けて、杏が姿を現した。
「いらっしゃい」
「お、おう」
「お邪魔するねー」
イオンは堂々と入っていく。僕はその後をこそこそとついていった。
イオンが剛胆すぎるだけなんだ、と自分に言い聞かし心の安定をはかる。
扉を開いて、迎え入れてくれる杏の前でイオンが問いかける。
「夏原さん、どうして呼んでくれたの?」
「メールにも用件とか書いてなかったしな」
「そうだった、わね……」
どうやら本気で忘れていたようで、うなだれる。
「とりあえずあがってちょうだい。私の部屋に案内するわ」
「はーい!」
何がそんなに嬉しいのかイオンは元気に返事し、颯爽と靴を脱いでいく。
僕は脱いだ自分の靴とイオンの靴を並べておいた。
そんな僕のことは放っておいて、二人は先にあがっていってしまったらしい。勝手知ったると言うほどではないが、つい先日も訪れたばかりなので杏の部屋がすぐに分かるというのが幸いだった。
階段をのぼるところで、降りてくる杏とすれ違った。
「あの子なら、私の部屋にいるから先に入ってて」
「あ、ああ……」
言うだけ言って、杏はそそくさとダイニングの方へ引っ込んでしまった。
「どうしたんだろうな?」
ああいう態度の杏を僕は見たことがない。最近まであまり関わってこなかったから当然と言えば当然なんだろうけど。
喉の奥に小骨が刺さったような感じを抱えつつ、イオンの待つ杏の部屋へと向かう。
部屋の前まで来た。一応扉にノックをする。
「はーい? ミズキ? 入ってもいいよ?」
「イオンに許可もらわなくても入るけどな」
家人である杏に入ってろと言われたのだから、ノックの必要すらもなかったのではと思うが。
案の定と言うべきか、人となりを考えれば分かることと言うべきか。イオンは杏の部屋であるにも関わらず自室のようにくつろいでいた。
当然のように前に入ったときとさほど様変わりはしていなかった。変わっていることと言えば少し散らかっていた小物の類が綺麗に整頓されている点だろうか。
「夏原さんは~?」
杏のベッドの上で足をばたばたさせながら聞いてくる。
「杏なら台所行ったけど」
「そっか。部屋に通されて、いきなり出てったからてっきり怒らせちゃったのかと思ったよ。あはは」
「イオンの場合、割と本気でそれありそうだからなあ」
我ながらしみじみとして、実感のこもった言葉であると思う。
「さ、流石にわたしも人の部屋に来ていきなり粗相はしないよ!」
「今までの所業を胸に手を当ててゆっくり考えてみろ」
少なくとも僕の部屋に来たときだけで数回はカウントされるはずだから。
「お待たせ。楽しそうね?」
声のした方を振り返るとお茶と人数分のコップをお盆に乗せて持っている杏がいた。心なしか言葉に刺があるように感じたのは気のせいだろうか。
杏は持っていたお盆を部屋の隅にある小さな卓の上に置き、その卓ごと部屋の中央の方へ持ってきた。
「ありがとー!」
ベッドを背もたれにイオンは床に座り直す。僕はイオンの対面に、杏は卓のあった壁側にそれぞれ座った。
「そういえば今日由梨おばさんは?」
「今日も仕事行ってるわよ。まあ日曜だし、夕方前には帰ってくると思うけど」
「由梨おばさん?」
イオンは小首をかしげて聞いてくる。
「杏の母親だよ」
「ふーん。夏原さんとこのお母さんも仕事してるんだね」
「私のところも父親がいないからね」
「あっ……ごめんね……?」
「別に。物心ついたときからいなかったし、気にしてないわ」
実際僕と杏は親というのは母親のみという考えでそれが普通だと感じている。父親がいる家庭を羨ましくも思ったこともあるが、分別が付くようになってからはないものねだりしても仕方ないと思うようになってきている。恐らくそれは杏も同じだろう。
イオンだけが一人気まずそうにしているので僕はお茶を一口すすり、話題をかえる。
「結局、杏はなんで僕達を呼んだんだ?」
「まだ瑞樹達の関係を疑っているって言ったら?」
空気が凍りつき、背中に冷たい汗が流れるのを感じる。僕は平静を保ちつつ、杏の目を見続ける。
そうしていると杏がふっと微笑みかけてきた。
「冗談よ。もう衣音さんが瑞樹の親戚だということは疑ってないわ」
「そ、そうか……」
「そうよ。瑞樹の家族関係を全部把握しているわけじゃないってのはこの間思い知ったしね」
「うっ……」
杏の皮肉ともとれる言葉にイオンの表情が歪む。
「な、夏原さん。この前はきつめに言っちゃってごめんね」
「私こそ。転校してきた子に対していきなり詰め寄っちゃったんだもの。悪かったわ、ごめんなさい」
元々仲良くするチャンスを狙ってきていたイオンとしてはこれだけでも充分な成果というか呼ばれた甲斐があっただろう。
「今日呼んだのは半分はこれが目的よ」
「半分?」
「そ。衣音さんに謝ることと話すこと。瑞樹はオマケよ」
オマケ扱いと公言されてしまったが、確かにと納得する部分もある。僕を介して以外でのイオンに対する連絡方法を持っていなかっただろうし、ファーストコンタクトがあれでは二人きりだと気まずかっただろう。イオンの性格と杏の性格を考えれば当人同士だけでも何とかなった気はするが。
「わたしも今日は夏原さんと仲良くしていきたいなと思って来たんだ」
「ありがとう。そう言ってもらえるとエゴじゃなかったと思えて気が楽になるわ」
僕自身は忘れられているかのように完全に蚊帳の外だけれども、この結果であればいいかと一人満足した。
「じゃあ……」
「そうだね」
杏とイオンが示し合わせたように目を合わせ、二人とも僕の方に顔を向けていい笑顔で言い放たれた。
「ここから」
「出てってね?」
先程まで険悪そうにしていた二人とは思えないほどに息があっている様子に。
「……はい」
僕はただただイエスとしか言えなかった。
イオン達は瑞樹が杏の部屋から出て行くのを笑顔で見送った。
足音が素直に離れていくのを確認して、杏は静かに息を吐いた。
「どうしたの?」
イオンは杏のその様子にめざとく気付き、声をかけた。
「う、ううん。何でもない」
「そう?」
「やっぱ、何でもなくない……」
せっかく瑞樹を追い出して二人きりになれたのだ。本題を切り出すチャンスをつぶしてどうするんだ、と杏は自分を叱咤する。
「その、さ……」
言葉にしようとする思いが強ければ強いほど上手く言葉を紡げない。
「衣音さんは瑞樹のこと……どう思ってるの?」
杏は言えたという達成感と同時に息をのんだ。緊張に目を落としたとき、知らず自分の手が震えていたことを知る。
「ミズキ?」
きょとんとした様子に杏は少し拍子抜けした。
「どう思ってるか、かあ」
唸りながらも真摯に考えてくれている。杏はそんなイオンを邪魔しないように無言を貫いていた。
「家族ではないんだよね。一緒に暮らし始めてまだ一週間程だし」
親戚であろうと同じ屋根の下暮らしていなければ当然と言えば当然だろうと杏も思っている。
「かといって友達かと言われればそんなこともない気がするんだよね。あはは、考えてみたけどよく分かんないや」
「そう……」
この答え自体がイオンが瑞樹のことを憎からず想っているものだと確信した。どの程度かということまでは分からなかったが。
「逆に夏原さんはどうなの?」
「へ!?」
こんなことを聞いておいて自分だけ聞かれないと思っていたのだろうかとイオンは不思議そうに首をかしげる。
視線を泳がし、自身が持ってきたお茶を二度すすった後、イオンの方に目を向ける。
「……幼馴染みよ」
「そっかそっか。わたしにしても夏原さんにしてもミズキは大切ってことだね」
イオンにさらりと言われてしまい、杏は顔を伏せる。
「やっぱり、わたし夏原さんとは仲良くなれる気がする」
杏は瑞樹を軸にした人間関係では確実に仲良くなれないのではと思ったが、素直で茶目っ気のあるこの性格は嫌いにはなれそうになかった。
それにイオンのことを疑っていないと言うのは本音ではあるが、瑞樹とどういう関係であるか、どうなっていくのかということは見ておかなければならないと杏は強く決意する。
「ええ、私もよ」
「ありがとう! それと……夏原さんのことアンズって呼んでも大丈夫?」
「じゃあ、私もイオンって呼ばせて貰うわね」
「うん! 呼んで呼んで! ありがとね、アンズ!」
心底嬉しそうにするイオンを前に、杏は苦笑するしかなかった。
杏の部屋から追い出されたその後、僕はリビングで一人黄昏れていた。
流石に追い出されたのにもかかわらず戻るような面の厚さは持っていないし、かといってイオンを放っておいて家に帰るわけにもいかない。更に言うのであれば、幼馴染みとはいえ女の子の家を勝手にうろつきまわる度胸も持ち合わせてはいないので、妥協案としてリビングに居座ることにした。
部屋からこっそりと持ってきたコップと冷蔵庫から麦茶を拝借して、ソファの上でくつろいでいた。
正確にはくつろごうと努力していた。
上での会話が気になってしまって、何度も何度も麦茶を口に含んでしまう。
「何話してんのかなあ」
やはりイオンの素性のことを杏が問い詰めているのだろうか。
だが、杏自身がもう疑っていないと言っていたのだ。そういうところで嘘をつくような人間ではないし、嘘をついている雰囲気もなかった。
だが、そうなると杏とイオンをつなぐものがなくなってしまう。
まさかここにきて勉強や部活のことを楽しそうに和やかムードで話しているということはないだろう。
天命待とうとするにも人事が全く尽くせていないので落ち着かない。
降りてきてもうどれくらい経っただろうか。落ち着いていないせいで時間が数分にも数時間にも感じる。
ふと携帯がブルブルと震えて着信を告げる。
確認してみるとメールで、それは杏からだった。
『もう上がってきてもいいよ』
「ようやくか……」
そう呟いたものの携帯で時間を確認するとまだ追い出されてからそんなに時間は経っていなかった。
コップを片手に杏の部屋へ戻るためにゆっくりと立ち上がる。
「よっこい、せっと」
本能的にこんなつぶやきが出てしまうくらいだから、本格的に体を動かした方がいいかもしれない。
軽く自己嫌悪に陥りながらリビングを出て階段をのぼる。
杏の部屋の前で軽く息を吸い、ノックする。
「入って」
杏の許可の声を聴き、僕はまたドアを開ける。
「おかえりー」
「ま、イオンのついでだけどね」
どうやら気まずい雰囲気になったから僕を呼び戻したとかではないらしい。むしろ部屋を出る前よりも少しばかり親密になっているような気さえした。
それは杏のイオンに対する呼び方の変化だけでも分かるけれども。
「杏……そんなに僕のことついでついでと言うんだったら何で呼び戻したんだよ?」
「一人で寂しくぼーっとしてるほうがよかった?」
「まあまあ。ミズキもアンズもそんなにつんけんしないでよ」
イオンに宥められるまでもなく、僕も杏もお互いが冗談だと分かって言い合っている。
「分かったわよ」
「そう?」
「そういえば結局何の話してたんだ?」
「ひみつー」
イオンはウインクしつつ、杏の方に目配せする。杏もそれにうなずき返し。
「秘密よ」
話の内容までは分からないが、そんなに悪い話はしていなかったようだ。
「そんなことよりさっき瑞樹にメールしてるときに気になったんだけど、イオンは携帯持ってないの?」
僕は思わずイオンの方に目を向けてしまう。色々と家具であったり身分であったり生活に必要なものは色々と揃えていたようだが、携帯の有無までは聞いていなかった。
イオンは僕の視線を察してくれたのか答えてくれる。
「うん、持ってないよ」
「不便じゃない?」
「今まで必要なかったからね」
悪魔というものがどういう通信手段を持っているかは知らないが、少なくとも人間が人間のために生み出した通信手段である携帯電話を用いるということはないだろうから必要なかったというのは本当だろう。
それをどう解釈したのかは分からないが、杏はイオンの言葉に納得したようだった。
「あると便利よ?」
「うーん……」
悩んでいるように見せかけて、今度はイオンが僕の方をちらりと見てくる。
どうしようか、という問いかけの視線だろう。
「買ってもいいんじゃないか?」
「そうかな?でもよく分からないしなあ」
「瑞樹」
「なんだ?」
「お姉ちゃんなんでしょ? 一緒に選んであげなさい」
「言われなくても心配だから見に行くけどな」
好きに契約とかさせたら無駄なものまで付けたりしそうで怖いという懸念がある。
「ミズキが選んでくれるなら安心だね?」
「人並み程度しか分からないぞ?」
だが、イオンよりは遙かに詳しいはずだ。
「じゃ、決まりね。善は急げ、よ」
「今からとか言うんじゃないだろうな……?」
「当然今からに決まってるじゃない」
「待て待て! 流石に早すぎる。明日でいいんじゃないか? 明日も休みなんだし」
早い方が便利だというのは事実だけども、流石に性急すぎではないだろうか。なんだかんだでもう夕方近い時刻になっているし、焦ることでもない。
しかし、僕の言葉に杏は不服そうにする。
「明日だと何か都合悪いか?」
「私が行けない」
「え?」
「私が行けないって言ってるの!」
なんだそんなことかと流す訳にはいかないほどの剣幕だった。
「明日何かあるのか?」
「学校で用事あるのよ……」
学力こそ平凡だが、杏は真面目で人当たりもよく、その上スポーツ万能でもあるので学校では一目置かれている。休日に用事があっても不思議ではない。
「また面倒なこと引き受けたもんだな……」
「こんなことならやるって言ってないわよ」
杏は深々とため息をつく。
「けどもう時間が時間だからな……」
「確かにもうゆっくり選んでられるような余裕はないわね……」
携帯ショップまでは少し遠いし、窓から差してくる光も大分橙色になってきた。
「ごめんね、イオン。私が言い出しっぺなのに、ついていけなくて」
「ううん。気にしないで」
イオンが残念そうに頭を振った後、僕に対して杏が指をさす。
「ちゃんと良いもので且つイオンが納得するものを選ぶのよ」
「はいはい、了解。善処するよ」
杏は渋々といった風ではあったが、納得してくれたようだった。
「分かってるならいいわ」
「ありがとうね、アンズ」
イオンが杏に礼を言ったところで僕は立ちああがる。
「よっこいせっと」
「その掛け声はどうにかしたほうがいいと思うわ」
「わたしもそう思う」
「うるさいな! もう癖になっちゃってるんだよ!」
自分でも分かってるんだから改めて指摘しないでほしい。
「じゃあ、僕達はそろそろ帰るよ」
「ええ、今日は来てくれてありがとう」
「わたし達こそ。招待してくれてありがとう!」
イオンも杏も立ち上がって部屋を出る。
杏は律儀にも玄関まで見送りに来てくれた。
「また来てね、イオン」
「うん。またね、アンズ」
イオンと杏は手を振り合っている。
来る前はどうなることかと思ったけれども、こんな結果になるのであれば来て良かったと思う。例え僕のことを忘れられていたとしても。
杏の家に招待された翌日。
僕とイオンは駅前の携帯ショップを訪れた。
大手三社のショップが並んで建っている立地で、その中から僕達はオレンジの看板を掲げたところを選んで入った。単に僕も契約しているからという理由だけであるが。
店内には色んなメーカーから出された多種多様のスマートフォンが所狭しと並んでいる。
駅前という立地とはいえ所詮は地方駅。小さなショップであるためか、一昔前の折り畳み式の携帯などはどこにも置かれていなかった。
店内をぐるりと見回していたら、すぐさま店員が近寄ってきてくれた。
「機種はお決まりですか?」
「いえ、色々なのを見て回りたいんで……」
「はい、かしこまりました。また何かございましたらお声掛けください」
僕たちを笑顔で丁寧に応対してくれた後、忙しそうに店員は僕達の次に入ってきたお客さんに声をかけに行っていた。
イオンは目をきらきらさせて、壁に置かれた携帯と隣の僕の顔を交互に見ている。
はやくしろ、と催促されているようだった。
僕は苦笑し、端から順に見ていくことにした。
並んでいる携帯を目の前にしたところでイオンの方に顔を向ける。
「取りあえず、どんなのがいいんだ?」
「よく分からないんだけど、ゲームが出来るようになったんだよね?ゲームが出来るやつがいいな」
「ゲームしてると電池の保ちは悪いけどな」
僕はスペック表と睨めっこしながら、電池の持続時間を確かめる。
「やっぱり電池の保ちが段違いに良くなってるなあ」
恨めしく呟いた僕にイオンが横目で呆れているように見てくる。だが、僕のものは普通に使っているだけでも一日と保たないのだ。こういう反応になるのも仕方ないだろう。
「こほん。とにかく触ってみる?」
「うん!」
自分の携帯を探しに来たのではないのだと思い直し、僕は見本機をイオンに手渡す。
それを渡しつつ、僕はスペックを眺めてみると、赤外線や防水機能など、日常的に使っていて便利な機能を各種備えている優秀なものであり、僕が買った時に比べると雲泥の差で連続稼働時間が長くなっている。欠点をあげるとすれば割と画面が大きく厚いので重たいというところだろうか。
ふとイオンのほうを向くと、手渡したそれを何が気になっているのか横や裏から見ている。
「どうしたんだ?」
「えと……どうやって動かすの?」
「へ?」
我ながら間抜けな声が出たと思う。その度合いで言えばイオンと初めて出会った夜に近づいて囁かれたときと同じレベルくらいかもしれない。
差し出された携帯を受け取り、画面をタップしたり、スライドさせるのをイオンの目の前で見せてやる。
「お、おおー!」
「簡単だろ?」
「うん。時代は進歩したんだねえ」
しみじみとイオンは言う。
テレビやゲームのときも思ったが、携帯で確信した。イオンは機械音痴や常識知らずなどではなく、ただ単にここ数年発達したものを知らないだけなんだ。
テレビは薄型が普及していて、ゲームはグラフィックのレベルが上がっていて、携帯はスマートフォンに移行しつつある。こういったことを知らないだけなんだ。
「これは見本品だからゲームは入ってないけどな」
そう言いながら僕の携帯を取り出す。それを操作し、今進めている無料でダウンロード出来るロールプレイングゲームの画面を見せた。ドット絵が昔っぽさを匂わせる代物だったが、イオンは驚く。
「こんなのが携帯で出来るの!?」
「僕はあんまりやらないけど」
目を輝かせるイオンから僕は気まずく感じ、目をそらす。イオンに見せたゲームも全然進んでいないのだ。
「どうしたの?」
目を急にそらしたせいか、心配げにこちらの方へわざわざ回り込んできた。
「いや……。これにするか?」
「うーん……もうちょっと見たい、というかミズキの使ってるのはないの?」
「さっきイオンも言ったと思うけど、進歩の早さは凄まじいからな。僕が使ってるやつより並んでるやつの方が性能いいし、あったとしても僕の携帯のマイナーチェンジじゃないか?」
「そっか。どうしっよかなあ」
イオンは少し残念そうに顔を俯かせたが、すぐにまた物色し始める。
「これにしたらどうだ?」
僕がそう指差したのは他のに比べると、軽く薄い携帯だった。だが性能は決して劣ってなどない。防水なしと電池パックの取り外しが出来ないのが欠点ではあるが、それ以外は概ね良機だった。
「どうして?」
「僕のも来月で契約して二年になるから買い替えるんだけど、それにしようかなって思ってたから」
顔が熱くなるのを感じる。
「ふーん……?」
小悪魔っぽく、だが心なしか嬉しそうに口の端をあげてイオンはこちらを見てくる。
「うん。決めた。これにする」
「いいのか?」
「いいものなんでしょ?」
「ああ」
「ミズキも買うんでしょ?」
「ああ」
「わたしが買っちゃいけない?」
「いや、問題ないよ」
「だったらこれでいいじゃない」
まだ確定ではなかった購入計画がいつの間にやら決まってしまったが、イオンの顔を見ると何も言えなかった。
杏もイオンの納得するものをと言っていたし、これで大丈夫だろう。
選んだ携帯の在庫が余っていたということもあり、契約したその日に受け取れることになった。
ショップで各種手続きを済ませ、イオンは晴れて自分の携帯を手に入れることが出来たのだ。
僕とイオンはそのまま携帯ショップを出て、家に直帰することにした。
少しばかり遠い帰宅の道中、イオンは大事そうに携帯の入った紙袋を抱えながら僕の隣を歩いている。
「嬉しそうだな?」
「分かる?」
イオンの普段の言動を見聞きしているとどんなときでも楽しそうにしているが、ここまで分かりやすく嬉しそうにしていたことはなかったように感じる。
「その気持ちは理解できるな」
「分かってくれるのは嬉しいな」
「新しいものを買うとついつい顔がにやけてしまうよな」
イオンは拗ねているようにそっぽを向く。
「どうしたんだ?」
「なんでもなーい」
僕はイオンの気持ちを全然汲めていなかったようだった。
だが、イオンは携帯の入った箱を袋の口から覗くと、また機嫌を直したようで僕に話しかけてくる。
「こういう情報端末っぽいものなんてゲームの中でしか知らなかったら、使ってみるの楽しみだなあ」
「携帯持ったことやっぱりなかったのか」
「折り畳み式の数字押すところがついたものなら知ってたんだけどね。指でタッチして操作するのなんて初めて見た!」
「スマートフォンだな。ここ最近になってようやく普及し始めたからな」
「これって何が出来るの?」
自分の携帯を指さしながらイオンは聞いてくる。
「昔の携帯に出来たことなら大概出来るかな。電話、メール、目覚まし、音楽プレーヤー。他には電子マネーだったり、テレビが見れたり、ゲーム、インターネットなんかは更に充実してるな」
「ふーん……。ミズキってオタクなんだね?」
「常識だよ、常識」
多少は興味を持って調べているところもあるが、本家本元のオタクには適わない。
「分からない事あれば教えるけど、やっぱり操作しながら覚えた方が早いから、適当にやってみるといいよ」
「おっけ。ヤバくなったら聞くね?」
「出来ればヤバくなる一歩手前に聞いて下さい。お願いします」
イオンは知識が足りてないだけで、機械音痴というわけでも知能がないわけでもないから大丈夫だろう。
大丈夫だろうと信じたい。
「任せてよ!」
容易には信じられそうになかった。
帰ってからも一人では使わせないようにしておこう。
心に固く誓い、不安を紛らわせるために話を変える。
「ところで悪魔にも通信手段ってあるのか?」
「あるにはある……んだけどね?」
「珍しく歯切れ悪いじゃないか」
「いや、人間ってこういうところの進歩凄いのに、悪魔っていつまで経っても変わらないと言うか、変わらないことこそが美徳だと思ってる節があるというか、古風だというか……。頭が固いんだよね」
「つまり?」
「今も昔も変わらずに念話と手紙が主流だね」
身内に恥を告白するように身悶えしながらイオンが吐き出す。
「念話は悪魔っぽいといえば悪魔っぽいんだけど……。手紙?郵便局みたいなサービスあるのか?」
「ううん。そもそも念話って便利そうにゲームとかで使われるけど、実際はあんまり便利じゃないよ?」
「人間の僕からするともう念話だけで事足りるんじゃないかと思ってるくらいなんだが、違うんだな」
所詮ゲームやマンガ等は創作物だから、あまりそう言った意味ででの先入観は持たない方がいいかもしれない。イオンがそういうものを知っているという一面においてはとても話が分かりやすいのだけれど。
「念話が届くのはその人の魔力量によって決まっちゃうし、しかも知り合っている相手にしか送れないの」
「ちなみにイオンはどれくらいその電波を送ることが出来るんだ?」
「電波って言わないでよ! ただわたしなら人間の世界でいうと五キロメートル分くらいかな? それ以上は圏外だね」
「やっぱり電波じゃないか……」
基地局が自分になったというだけの違いくらいしかないのではないかと錯覚してしまう。本当にそんなものなのかもしれないが。
「でも確かに念話はそう考えると不便だな」
「でしょ? だから代わりに手紙を使うんだけど……」
「手紙は手紙でデメリットがあるのか?」
「そうだね。まず書くのが面倒くさい」
「なんというかあまり悪魔の発言として捉えたくないな。出来ればイオンという一個人の意見であってほしい」
先入観は持たないと決めたけれど、夢のない話はあまり聞きたくない。
「あと、これも魔力使うんだよね。手紙の仕組みは自分で書いた手紙を自分の使い魔に持たせて、その悪魔の元へ持っていくっていうやり方だからね」
「もうそれ人間でいう電気が魔力に置き換わっただけに聞こえてきたんだけど」
「言っててわたし自身もそう思えてきたよ……」
本当にそう思ってしまったのかイオンは悲しそうに目を伏せる。
「悪魔に一般人みたいな区分があるのかは知らないけど、そういう悪魔は苦労しそうだな。誰もが使える満足な通信手段がないじゃないか」
「その辺り変えていければいいんだけどね。人間界にだってこんな便利なものがあるんだしね。」
「だから頭が固いって言ったのか」
そう言ったところでイオンの目が光ったように見えた。
「そうなんだよ! 変化を恐れて進歩なんて出来ないんだよ! 出来ないから未だに天使に勝てないんだよね! 偉い人にはそれが分からないんだよ!」
「お、落ち着け!」
「そうだね。ミズキに愚痴っても仕方ないもんね……」
「別に愚痴くらいなら聞くけどさ」
「ほんとに? 帰ったら覚悟してもらうからね?」
どれくらい愚痴を聞かされるのだろうかと不安に思っているともう自宅までたどり着いていた。
「最近お偉いさんの相手ばっかりでストレス溜まってたんだよね。久々に吐き出せて嬉しいなあ」
「……ただいま」
僕に出来ることはゆっくりと門扉を開けることだけだった。
帰宅してからのイオンは凄まじかった。
アルコールでも入ったのかというくらいにお茶だけで喋りに喋り、愚痴り倒した。その中には僕でも知っているような大悪魔の名前が出てきたりして現実感などまるでない愚痴だったが、イオンが重々しくうざったそうに語るので、まるで自分が悪魔となって働いてネガティブな感情を得ていると錯覚してしまうくらいだった。
その後部屋に戻って二人プレイも可能な爽快感を得ることの出来る戦国系アクションゲームをしているときも仇を討つかの如く敵将をメッタうちにしていた。
僕も愚痴くらい聞くと言ってしまったため引くに引けず、結果としてイオンが連続プレイに疲れて休憩するまでずっと付き合っていた。
「遊んだ遊んだ! 楽しかったー!」
「そう……だな……」
肉体的疲労よりもむしろ精神的疲労の方が重かった。
「それよりせっかく買ったのにいいのか?」
「あ!」
イオンは本当に携帯のことを忘れていたようだった。
「上司のせいですっかり忘れてたよ……」
「あれだけ楽しみにしてたのにな」
「恨み辛みはそれだけ大きいってことだよ、ミズキ」
本格的に悪魔社会に溶け込むのは無理なんじゃないかと思えてくるほどに聞かされた。イオンの仕事は僕を悪魔にすることのはずなのに肝心の僕が悪魔になるのを嫌がりそうな話をしてしまってもいいのだろうか。
イオンは側に持ってきた箱からスマートフォンを取り出す。今時珍しく黒か白かの二種類の選択肢しかなく、イオンは迷わず黒を手にしていた。
「ミズキ、動かないよ?」
今までの他のゲームにしてもそうだったのだろうが、イオンは説明書を読まないタイプのようだった。
「電源すら入ってないじゃないか」
イオンから携帯を受け取り、絶縁ビニールを抜き取る。
電源ボタンを長押しし、携帯が一度振動した時点でイオンに渡し返した。
「おぉ……。これがいわゆる初見殺しってやつだね」
「違うから。説明書読んだら分かるから」
イオンのこういうネタは冗談なのか本気なのかいまいち掴みづらい。
「ふっふっふ。ここから先はミズキの助けなしでも分かるよ!」
「ま、店頭で置いてあった初期状態とほとんど一緒だしな」
不敵な笑いと共にイオンはスマートフォンをいじろうとする。
「あ、待った」
「乗り気だったのに水差さないでよー」
「悪い悪い。でもその前にやっておこうと思ってな」
「何かするの?」
「アドレス登録だよ」
僕は手早く自分の携帯を取り出し、プロフィール画面まで持っていく。それと同時にイオンの方も赤外線受信できる状態にしておき、僕の携帯とイオンの携帯を近づける。携帯から僕の情報を送りだし、イオンの方で登録した。
「今、何したの?」
「イオンの携帯に僕の電話番号とメールアドレスを登録しただけだよ」
「そんなことまで出来るようになったんだね!」
「昔の携帯の方が赤外線の送受信は出来たと思うけどな……」
イオンは僕の携帯と自分の携帯をしげしげと見つめている。
「やってみるか?」
「出来るかな?」
「簡単だよ。僕だってすぐに終わらせてただろ?」
二つの携帯をイオンに渡す。
「じゃあ、イオンの携帯に僕の情報は入ったから今度は逆やってみようか」
「りょ、りょうかい……」
まるでやったことのない仕事を初めて任されたときのような緊張っぷりに、思わず僕は吹き出してしまう。
「な、なんで笑うの!」
「ごめんごめん。失敗したら壊れるとかじゃないから肩の力抜いて」
そんなに握力があるようには見えないが、妙に力が入っている。
「まずはイオンのプロフィール画面開けようか」
「これで合ってる?」
さっき僕がやっていたのを覚えていたのか、きちんと操作できていた。やはり知らないだけで知ってしまえばすぐに対応できるようだ。
「そうそう。じゃ、次に僕の携帯の方もやってみようか」
「こっちもプロフィール開けるの?」
「いや、受信する方は赤外線を感知する画面にしないと」
そう言いながら僕は押す場所を指さす。
「受信状態にしておけばいいんだね」
「最後にイオンの携帯から送信するためにメニューボタンから送信状態にするだけ」
「こう、かな?」
イオンがちゃんとできていることを確認し、僕はイオンから僕の携帯だけを自分の手に戻した。
「あとは近づけるんじゃないの?」
「そうなんだけどな。これは本来はお互いがお互いの操作をして渡し合うものなんだ。だからこうやって……」
イオンの赤外線部分に僕のを近づけていく。
「なるほどー。握手みたいだね?」
「言われてみれば確かにそうだな」
二人が手を出し合ってお互いの携帯を向けているこの姿はよく見かけるが、そういう風に考えたことはなかった。
イオンの無邪気な想像のことを考えていると僕のスマートフォンの画面に宍倉衣音を登録するか否かが表示された。
「登録っと」
「これで終わり?」
「そうだな。僕とイオンの携帯にそれぞれお互いのアドレスが入ってるよ」
きちんと入っていることを示すために、僕の携帯の中からイオンのアドレスを表示させる。と、表示させたところで気づいた。
「ああ……教えるの忘れてた」
「まず何かやることあったの?」
「電話番号っていうのは変えられないんだけど、メールアドレスの方は自分で変更することが出来るんだ」
「変える前に交換しちゃって、もしわたしが今ここでアドレスを変えたら二度手間になっちゃうね」
「まあ、それはそれでアド変メールの送り方教えられて一石二鳥とポジティブに考えることにしようか」
「そうだね、ポジティブに考えるのはいいことだと思うよ?」
段々と僕もイオンの影響を受けているのかもしれない。
「それにメールアドレスを急に変えることができるんだって言われても何も思いついてないよ」
「わかった。また変えるの決まったら僕に言ってくれ」
「はーい」
僕の言葉にうなずき返し、イオンは自分の携帯をいじろうと手元に視線を落としたところで、何かに気づいたように僕の方を向く。
「どうした?」
「この赤外線って誰とでもやり取りできるの?」
「相手がその機能持ってて、至近距離で、赤外線を受信なり送信なりしてくれたら誰とでも出来るな」
「だったらアンズとも出来るかな?」
「確か赤外線機能あるもの使ってたから出来るはず」
というかそもそも杏の携帯はスマートフォンですらなかったはずだ。
「そっか!じゃあ今日アドレス交換したいな」
「学校で用事って言ってたし、夕方くらいには終わってるだろ。またその時に電話してみるよ」
「うん、ありがとう、ミズキ!」
イオンは言葉と共に僕へ飛びついてきた。
「わ、分かったから! 離せって!」
抱き付いているイオンを両手で剥がす。
「むー……」
膨れ面しながらじとー、と睨んでくる。
「なんだよ……」
「べっつにー」
イオンはそのままスマートフォンへ目を落とす。
僕が何をしたっていうんだ。
だが原因は明らかに力任せにイオンのことを離したことにあるので、僕はイオンの方へ手を伸ばす。
その手をイオンの頭の上におき、撫でる。
「力づくでどかせて……その、ごめん……」
頬が熱くなるのを感じる。
僕は思わずイオンから顔をそむけた。
「もうちょっと続けてくれたら許してあげる」
顔を向けることはできなかったので分からないが、どことなくイオンは嬉しそうな雰囲気を醸し出している。
僕にその申し出を断るという選択肢はなかった。
機嫌を直したイオンはその後、マーケットアプリから無料のゲームをインストールしてプレイしていた。
昨今人気のあるソーシャルゲームよりロールプレイングゲーム形式のものばかり遊んでいるところから本当にこういうゲームが好きなんだということを実感させられる。
寝転がりながら遊んでいるイオンに僕は話しかける。
「やっぱりRPGが好きなんだな」
「そう見える?」
「やってるのがそういうものばかりじゃないか」
憂さ晴らしとしてさっきまではアクションゲームをやっていただけで、この一週間近く見ていると、ほとんどロールプレイングゲームしかやっていなかった。
「一応念のために言っておくけど他のゲームも好きなんだよ?」
「ならなんでやってないんだ?」
本当にわからないのかイオンは考えながら唸っている。
「うまく言葉にできないけど……懐かしい……?」
「まあ昔からあるゲームスタイルだからな」
「ううん、そういうのじゃなくて。落ち着くって言えばいいのかな」
「分からないでもないけどな」
自分の考えがどんどんまとまらなくなっているのか頭を抱えて、背中を丸めていっていると観察していると、イオンが突然叫んだ。
「ああー!」
「いきなりどうしたんだ?」
自分なりに結論が出たのか、と聞こうとしたが、その前に言葉がはさまれる。
「いや、全然自分でもまだ分かってないんだけどね。その前にやっておくべきこと思い出したの」
そういっておもむろにイオンは立ち上がり、パソコンを起動させた。
「なにしてんの? ていうかそれ僕のパソコンだぞ?」
「注文し忘れてたのを思い出したんだ」
「今やるべきことなのか」
「一分一秒を惜しむほどに」
「好きにしてくれ……」
好きなもののためならば人はここまで変われるものなのかと感じた。人も悪魔も含めてもイオン以外にそうはいないと思いたいが。
特にとりたててやるべきこともないのでイオンを遠目から見ていると、メモを取りだし画面に映っている何かを書きはじめた。
写し終えたのかイオンはパソコンの電源を落とした。
「この辺りでコンビニってどこかにある?」
「一番近いところだとここから……」
そこまで言ってふと気付く。
「何しに行くんだ?」
「支払いだけど?」
最初から思ってはいたけど、この悪魔どんどん俗世に慣れていってやがる。
「大丈夫だよ。ちゃんと手順はメモしたし」
僕に先ほど書いていた紙をひらひらさせながら見せつけてくる。
「もうあんまりそういう部分は心配しなくていいのかなって今日思い直した」
「えへへ。そう?」
「一応言っておくと褒めてるんじゃなく呆れてるんだからな?」
イオンが悪魔であるということを忘れそうになるくらい人間に溶け込んで適応している姿を見ると悪魔の人選は間違ってないなと妙に感心する。
「まあ、せっかくだし案内がてら僕も行くよ」
「ほんと? じゃ、早く行こ行こ」
イオンは僕の手を引っ張って行こうとする。
ふりほどいたら先ほどの二の舞になりそうだと感じたので僕は苦笑いを浮かべながらついていくことにした。
コンビニまで徒歩三分程度とはいえ、鍵を閉めて家を出る。
そういえば前回コンビニにいったのはイオンとの出会いのせいで結局朝食を買いに朝走りに行ったのが最後だということを思い出した。
「ほんとイオンに振り回されてばっかりだな、僕……」
「別にそんなつもりはないんだけど?」
独り言のつもりがイオンの顔が予想外に近いところにあり、聞かれていたようだった。
「この一週間程のことを思い返すと全然そんなこと言えないと思うんだけど」
「わたしは悪くないよ!」
胸を張って堂々と言っているが、杏のように僕とイオンの関係を見ている人なら確実に僕の方についてくれるだろうと思う。
「僕はもう諦めたからいいんだけどな。ほら、あそこだ」
「釈然としないなあ……」
見えてきた緑を主体とした色合いのコンビニを僕が指さすと、イオンは納得していない表情を浮かべていた。
僕はそこに触れず、黙ってコンビニ内に入る。耳に残る独特のメロディが入店と共に流れ出した。
イオンも僕につき従うような感じで入ってくる。
「支払い済ませてくるね」
イオンは支払方法を書いてきた紙を片手であげて僕に見せながら言ってきた。
「僕もジュース買いにきただけだし、見てくる」
「あ、わたしも後で見たい」
「さっさと終わらせてきてくれよ」
「はーい」
紙を見ながらイオンはコンビニ内に置かれた端末の方へと去っていく。僕はそれを見送りつつ、数多のペットボトルに入った飲料製品が並べられた冷蔵棚の方へ近寄る。
ガラス越しにペットボトルを端から順々に見ていく。
「新製品は……っと。新味はコーンポタージュ風味ってなんだよ、これ」
ゲテモノ臭がぷんぷんとする。
怖いもの見たさに買う人間はいるだろうが、とても固定客はつきそうにない商品なのだが果たして需要はあるのだろうか。
ちなみに冷蔵棚にあることから分かるとおり、この商品はあくまで冷たいものを前提として飲むものであり、加えて言うならば炭酸商品でもあった。
「このシリーズ好きだったんだけどな。ネタ切れかな」
でもなければこういった奇抜な方向には走らないだろう。
次もこういうものだったら買うのをもうやめよう。
そう心に誓っているとイオンが近づいてきた。
「お待たせ」
「まだ決めてないから丁度良いよ」
「そっか。って何これ……コーンポタージュ?ミズキこんなの飲むの?」
「いや僕も物珍しさに目を奪われてただけだ」
さしものイオンもこれには惹かれるものはなかったようですぐに別のものへと目を移らせていく。
「あ、わたしこれにしよっと」
即断即決だった。
イオンが手にしたのは復刻版のもので、僕でも懐かしいと思うものだった。
「へぇ。こんなのあるなんて珍しいな」
「ついつい取っちゃった」
イオンの選び方に急かされたように感じ、結局僕はいつも買う炭酸飲料に決めた。
僕はイオンからペットボトルを受け取り、レジに二本のペットボトルを持っていって会計を済ませる。
「ありがと」
「いいよ、別に」
何となく照れくささを感じ、ペットボトルが入ったレジ袋を持つ左手とは反対側の手で僕は頭を掻く。
また独特のメロディと共に、今度は二人揃ってコンビニを出ると、外は日が沈み、電灯に照らされた道はもう薄暗かった。
「もうそろそろ夜だし、アンズに電話かけてもいいんじゃないかな?」
「ん……。まあ確かに。家帰ってからでもいいけどまだ外ならこのまま合流すればいいし、杏がもう帰ってるなら杏の家まで行ってしまえばいいだけだしな。じゃあ、杏に電話かけてみるか」
僕は携帯を取り出し、電話帳から夏原杏の名前を選び、電話を鳴らす。
何回コールが鳴っただろうか。不意に電話がつながった。
瑞樹が杏に電話かけたときより時間は少し遡る。
その日は夕方には帰ることが出来たはずだった。
だがしかし、帰る途中に担任に捕まってしまった。
杏は優等生としての矜持などこれっぽっちも持ってはいないが、かといって特段用事などなかったため、担任と話をすることに決めた。
結果として日が暮れ始めていた。
「夏原、すまんな。呼び止めてしまって」
「大丈夫です。これくらいの時間ならまだ家族は心配してないです」
日も落ちてきているとはいえ、まだ外は明るい。杏の母親にも今日の用事で遅くなるかもしれないということは事前に言っている。
「ただ流石にこれ以上遅くなると……」
「ああ、分かっている。気をつけて帰れよ」
「はい。失礼しました」
担任の前で一礼し、杏は職員室から出る。
「はぁ……」
杏は人知れずため息をつく。気になるのはやはり昨日行けなかったイオンの携帯のことだ。
本当に気になっているのは携帯を選ぶことでなく、瑞樹とイオンのことだが。
「どうしてるかな」
イオン相手にすら誤魔化してしまったが、一人になるとやはり考えるのは瑞樹のことだった。
「あー……もう帰ろ」
休日の学校の、しかも職員室の前で考え事をしているなんて、まるでやましいことをした生徒のようだ。
杏はその場を離れ、校門まで来た。
辺りはもう薄暗くなり始めていて、太陽が完全に沈んでしまうのも時間の問題だろう。
街灯もポツポツとつき始め、夜の帳が降りてきていた。
「ちょっと遅くなりすぎたわね……」
もうすぐで五月だというのに杏は少し肌寒く感じた。
通り抜けていく風に杏は身を小さくする。
家路を急ごうと決意し、校門を抜けた。
学校から自宅までは他の生徒に比べると決して近いわけではない。それでも走破すれば二十分足らずで着く距離だ。杏からすればただのアップのためのランニング距離とさえ言ってしまっても差し支えないほどだった。
しかし杏はゆっくり歩いていた。
単純に今日の助っ人で疲れたというのもある。
だが今ゆっくりと歩いているのは肉体的な面と言うよりも、むしろ精神的な面によるものだった。
「流石にもう今日買っちゃったわよね」
杏は自分の思考に対してアンニュイになりながら呟く。
在庫さえあればもう今現在、イオンは携帯を手にしているだろう。
友人としてはとても接しやすく、ずっと付き合っていけるとさえ杏は思っている。
「だけど……」
瑞樹とイオンは何かを隠している。
そこに何か親戚以上の関係があるのではないかと勘ぐってしまう。
以前杏の家に二人を呼んだときにもう瑞樹とイオンのことを疑っていないと言ったが、冗談ではなく本心だった。
だがそれに触れてしまうことで関係が壊れてしまうのではないかと恐れた。
そしてイオンと接してしまった今、より一層関係が壊れることを恐れてしまっている。
こんな状態でいつまでも変わらず二人に対して接し続けることができるだろうか。
「はぁ……」
こんな考えが今日一日ずっと堂々巡りしていた。精神的な磨耗が酷い。
不意にマナーモードにしていた携帯が震え、着信を告げる。
杏は携帯を取り出し、着信画面を見て固まってしまう。
瑞樹からだった。
出たくないと言う気持ちと出たいという気持ちがせめぎ合う。
そのせいで後ろから忍び寄る足音に杏は全く気づけなかった。
出なくても仕方ないと覚悟を決め、発信ボタンを押したときにそれは起こった。
「え……?」
背中に何か異物が侵入した。
痛みによる絶叫よりも先に間抜けな声が出たのはあまりにも唐突で理解が追いつかなかったからだ。
だが頭で理解せずとも身体の異変は進行する。
背中からぬるりとした熱いものが抜け出ていくのが分かった。
同時に何かが食道を通り、それを喉から吐き出す。
思わず手で覆って口元を防ぎ、それを目にする。
それはとても鮮やかな赤色をしていた。
そこにきてようやく理解する。
ああ、自分は刺されたのだ、と。
杏はゆっくりと膝から崩れ落ちていった。
杏への電話がつながったときに僕は異変を感じた。
『え……?』
「もしもし?」
か細い杏の声を聞いてすぐに僕は声をかけるが、全く返事がない。
その様子を見ていてイオンは目を丸くしていたが、徐々に怪訝そうな表情を浮かべた。
「もしもし? 杏? 聞こえるか?」
再度呼びかけてみるが、反応がない。
「杏!」
電話口に向かって怒鳴る程の声量で杏の名前を呼ぶ。
それに応えたわけではないだろうが、携帯から衝撃音が響いた。
思わず耳を離してしまう。
「どうしたんだ!? 杏!」
再び呼びかけてみるが何も応えてくれない杏に対して不安が募っていく。
更に第二の衝撃音が耳を襲う。
そして次の瞬間には電話は切れていた。
「何かあったの?」
いつになく真剣な表情をしたイオンが僕に問いかけてくる。一連の様子にイオンも異変を察知したようだった。
「分からない。けど絶対に杏の身に何か起こってる」
急がなければいけない。
だが杏がどこにいたのか皆目検討もつかない。
どうすればいい。
助けを求めるようにイオンの方を見る。
「わたしは何をすればいい?」
失念していた。
イオンは悪魔だ。代償を対価に奇跡を起こすことができるのだ。
「杏の……杏の居場所を知りたい!」
「了解。任せて」
イオンはふと目を閉じ、まるで祈っているかのような体勢をとる。
焦れったい気持ちを僕は必死に押さえながらイオンの返事を待つ。
何分も経っているような錯覚に陥るが、まだついている携帯の画面をふと見やるとまだ一分も経っていなかった。
そしてイオンは目を開けてすぐに言い放つ。
「この近く! ついてきて!」
走り出すイオンに僕は追走する。
何をしたのか気になるが、それよりも優先すべきは杏の居場所だった。
普段ゲームばかりしていてインドア派のイメージを持っていたイオンは予想していたより速かった。後ろを振り向いて僕のことを気にしながら走っているところを見ると、実際にはまだまだ余裕があるのだろう。
一方僕はといえば全力疾走ですでに息が切れ始めた。
「もうちょっと! がんばって!」
イオンの励ましに返事をする気力をも足に回して、何度ももつれさせながら走り続ける。
何分走っただろうか。
短くも長くも感じた時間はイオンが立ち止まることで終わりを告げた。
その場所は僕とイオン、そして杏の登校するときの道だった。
ぜえぜえと息を切らしながら、イオンの横に並ぶ。
そしてその光景を見たときに僕は息がつまった。
そこにいたのは。
血だまりに伏せる杏の姿だった。
その右手の近くには赤く塗れて、無惨にも壊されていた携帯が打ち捨てられていた。
一足先に僕より早く、この光景を見ていたイオンも僕と同じように絶句していた。
だが僕よりも先に杏の元へ近寄っていく。
僕は動けない。
何も出来ない。
ただただ無力だった。
そんな僕を尻目にイオンは杏の呼吸を確かめるためにしゃがみ込む。
やがてすっと立ち上がり、僕の方へと向き直る。
「もう、駄目……みたい……」
切なげな表情を浮かべながら静かにそう告げた。
「え……?」
イオンの言葉に頭が真っ白になった。
なんとなくそうではないかとは思っていた。
これだけの血を流して、人が生きていられるはずはない、と。
どこかでそう感じていた。
だがそれを押し殺した。
奇跡に縋りたかった。
しかし、言葉にされることで改めて絶望を突きつけられた。
いや、イオンにとっては絶望を突きつけたつもりはないだろう。
ただ現実を見据えろと言っただけだ。
「なんとか……できないのか……?」
「言っても大丈夫?」
現実を受け入れる覚悟があるのか、とイオンは暗に問うてきた。
僕は首を縦に振る。
「背中から刃物を水平に刺し、内器官をやられて致命傷。まだかろうじて命はあるけど意識は不明。今から救急車呼んでも出血多量死するのは時間の問題」
淡々と事実だけを述べていくイオンはまるで機械のようだった。
「どうしろってんだよ! なあ!」
イオンへと駆け寄り、両手を肩に置く。
「どうすればいいんだよ!?」
肩を掴みながらイオンを激しく揺する。
そんな僕に。
イオンは全く動じず。
気付いたときには音と共に僕の顔は右を向いていた。
僕はイオンを再び見据えたときに初めて左頬が熱くなり、痛みは遅れてやってきた。
「少し、頭冷やして」
平手打ちをされたのだ。
そう考えたとき、僕はイオンへと八つ当たりしていたのだと理解した。
「ごめん……」
冷たい目をしながら本当のことばかりを述べていくイオンがまるで杏の死を確定させる死神のように見えたのだ。
イオンも感情を押し殺しているだけだということを気づかずに。
そこまできて、ようやく思い出す。
目の前のイオンという女の子のことを。
「イオンなら何とか出来るのか……?」
悲しげにイオンは目を伏せる。
「イオンでも駄目なのか……?」
「……できるよ」
掠れた声を響かせる。
「え……?」
「わたしならアンズを助けられる」
顔はずっと伏せたまま。
「っ……本当か……?」
「わたしの能力は事象干渉。覚えてる?」
少し鼻声になりながら。
「あ、ああ……」
「改変は無理だから刺されたことをなかったことにするのは無理だけど、刺された位置を変えるくらいなら出来る」
イオンは僕に奇跡を教えてくれる。
「ならやってくれ! 今すぐに!」
そう言うとイオンは顔をあげ、僕の方を涙を流しながら見つめてくる。
「出来ないよ! だって代償にミズキが悪魔になっちゃうんだよ!?」
そうなるだろうとはもう考えていた。
そしてその覚悟もある。
「なにもしないまま諦められるわけがないだろ!」
「でも……。でも!」
顔を歪めながら尚も反論しようとしてくる。
「いいんだ。死ぬわけじゃないんだろ?」
「そりゃ死ぬってわけじゃないけど……。でも、ミズキっていう人間の存在がなくなっちゃうんだよ!?」
「それで杏が助かるのならそっちの方がいいだろ? 僕みたいな取り柄のない人間が生き続けるよりさ」
「ダメ! そんなのおかしい!」
「おかしいこと言ってるのはどっちだよ」
息を大きく吸い込む。
僕はもう覚悟を固めた。
「代償を貰って対価を与えるのが悪魔で、悪魔のイオンは僕を悪魔にすることが仕事だった。違うか?」
「違わない……けど……」
「そうだろ? 僕は杏を助けることが出来る。イオンも仕事を完遂出来る。みんなハッピーじゃないか」
最後のは出来る限り茶化すように言う。
だがイオンには全く通じなかった。
「わたしはアンズのことも大事だけど、それ以上にミズキのことが大切なの! 叶うならミズキには悪魔になんてならないでもらって、このまま日常を送って、その隣にわたしがいたかったの!」
告白ともとれる言葉に僕の方が驚く。
だが、僕も諦めるわけにはいかない。
「ありがとうな、イオン。そんな風に想ってくれてるなんてさ。だけど、だからこそ。助けられる手段があるのに杏のことを見殺しにしたら、それこそこれからの人生を、日常を生きていける気がしないんだ」
イオンは何かを言おうとしたが、それを遮るように言い放つ。
「それに悪魔になってもイオンと会えるだろ?イオンと一緒に悪魔のために働くのも悪くないかもな」
「……分かった」
遂にイオンの方が折れてくれた。
杏の命が手遅れでなければいいが。
「……これはわたしが望んだものだから」
イオンは僕に聞き取れないように何かを小声で呟く。
「なにか言ったか?」
イオンは僕に対して寂しげに笑いながら首を横に振る。
そうして僕に背を向け、杏の方を向いた。
「ミズキ、下がって」
言われるがまま三歩後ろに下がる。
僕が下がったのが気配か足音で分かったのかイオンは再び杏の方にしゃがみ込み、傷口に手を当てる。
またなにかを呟いた瞬間。
僕の視界は光に包まれた。
目を見開いていられないほどの圧倒的な光量。
だが目の上に腕を当て、必死に目を開ける。
イオンと杏は影しか見えない。
やがて光が徐々に収まっていく。
そうして次に見たのは。
先ほどと変わらず手を当てているイオンの後ろ姿と。
出ていた血の量が明らかに減っている杏の姿だった。
「終わった……のか?」
「うん、わたしに出来るのはここまで」
「イオン、本当に……ありがとう……」
「ううん。お礼はいいから、救急車呼んであげて。まだ刺されたっていうのは変わらないんだから」
僕はイオンの言葉でふと我に返り、急いで携帯を取り出し、一一九にかけた。
「すみません、幼馴染みが刺されたんです!」
救急センターの人に概要を説明する。
もちろんイオンの奇跡のことは話さなかったが。
「場所は……」
僕は場所の詳しい位置を言うために、あたりを見回す。
次に杏に視界を戻し、場所の詳細を教えたときに気づいた。
「イオン……?」
イオンの姿がどこにもないことに。
遠く聞こえてきた救急車の音が響いても、そこにイオンが戻ることはなかった。




