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ずっと待ち焦がれていたあの日がやって来る

作者: 里芽


『ずっと待ち焦がれていたあの日がやってくる』


 果てという言葉を知らぬ空が、広がっていた。その色は青く、青く……雲一つ無い。

 青、精、生、星。命を包み育む海も、命を潤す雨を落とす空も、全て、青い。

 だから青というのは生――命の色なのだと主人公が語る小説を、昔読んだことを思い出した水面(みなも)は、笑みを零した。


 彼女が座っているのは、空の底に沈む花畑。桃色や黄、青、紫、赤等の花が、ふう、と風吹く度白い服に身を包んだ水面の体を撫でる。優しく、優しく。

 くすぐったいと笑いながら、彼女は身嗜みのチェックを始める。


 髪ははねてしまっていないかしら、念入りに洗った体から変な臭いがするなんてことはないかしら、化粧、おかしくないかしら。

 左手薬指にはめた指輪を一度外し、はめ直す。リングについた石がちゃんと真正面に来るように、馬鹿みたいに細かく調整をして。


「大丈夫よね」

 一人呟き、何とはなしに空を見上げる。優しい陽光、青い、青い空。

 彼女には分かっていた。今日は必ず晴れるということが。天気予報を見たから、とかそんな理由ではない。


「大丈夫。……あの日『見た』ものと同じ。青く澄んだ空だわ」

 胸の鼓動は否応無く早まる。約束の日が、待ち焦がれたその日、その時間が後少しでやってくるからだ。胸の鼓動に合わせるようにかちかちと音を鳴らす懐中時計。開いて時間を確かめる。ああ、後少しだ。そう思うと頬の辺りがかあっと熱くなるのを彼女は感じた。染まる頬の愛らしさは花も勝てぬ。


「ああ、もう、私ったら。今日何が起こるかなんてこと……十年も前から分かっていたのに。それなのにどうしてこんなに緊張するのかしら。もう、本当、駄目ね私ったら」

 思いを言葉にすれば少しは緊張も解れるだろうと彼女は思ったが、そう上手くはいかなかった。それどころか、口にすればする程これから起こる出来事のことを意識してしまい、緊張し、どぎまぎするのだった。

 くすくすと笑うように、風が吹く。花もつられて笑い、水面の思いと同じ―とても甘く少しほろ苦い――匂いを出した。


 彼女をそうさせている者こそ、今彼女がこの花畑で待っている相手――花里(はなさと)である。

 待ち焦がれ続けていたその時が来るまでの間、彼女は心を落ち着けようと目を瞑り……彼との思い出を巻き戻し、ゆっくり再生していった。


 水面が花里と出会ったのは十年前。八歳の時のこと。彼女の住んでいる家の真向かいにある家。そこに花里と、彼の家族が引っ越してきたのだ。

 彼等は近くにある家を回って挨拶をし……最後に水面の家を訪れた。


 大きな体のお父さんの後ろに隠れていた、恥ずかしがり屋の男の子。それこそが、花里であった。


「ほら花里、お前もちゃんと挨拶しなさい。……お前と同い年のお嬢さんだそうだよ」

 父親の大きな手に促され、俯きながら前へ出た彼。花里はゆっくり顔をあげ、そして水面と、目が合った。

 その時だ。水面があるビジョンを『見た』のは。青い空、花畑、白い服、指輪、成長した自分、そして、彼の姿を……自分達の、未来を。


 水面には生まれつき、不思議な力――人の顔……目を見ると、その人の未来を映像として見ることが出来る――を持っていた。いつでも見えるというわけではない。時々、見えるのだ。彼女のその力を知っているのは家族と、ごく一部の人間のみ。

 運命の出会い。水面はそう思った。かあっと熱くなる胸を押さえながら……彼女は花里に微笑を向けた。花里の顔も、赤くなっている。彼もまた自分に運命を感じたのかもしれない、と水面は思った。


「ねえ、一緒に遊びましょう」

 彼女がそう言うと花里はますます顔を赤くさせ、うなり、それからしばらくしてやっと頷いた。水面は笑って彼の手を引き、双方の両親に見送られながら外へと飛び出していく。


 それから二人は、何をするのも一緒だった。

 森を駆け、兎やリスと戯れ、木を登って果実を採り、川で水遊びをし、星空を眺め、秘密の場所を見つけ二人だけの秘密の家を作り、喋り、お茶をし、かくれんぼや鬼ごっこをし、時に喧嘩し。遊園地にも行ったし、水族館、海、山、美術館、図書館……色々な所に行った。

 春、夏、秋、冬、その循環を、時の流れをいつも二人で一緒に見てきた。

 水面なくして花里はおらず、花里なくして水面は存在しなかった。


「私達、ずっとずっと一緒ね」


「うん。ずっとずっと一緒だ。離れるなんて、有り得ない」


 手を繋ぎ、何度二人はその言葉を口にしただろうか。


 花を見ながらお弁当を食べ、向日葵畑で追いかけっこをし、豊作を祝って歌い踊り、雪の舞台で手を繋いで踊り、空から降る白いものを眺め。

 笑い、泣き、怒り。何度も、何年も変わらず、繰り返し、繰り返し。


 ある時、悪がきに「お前等ラブラブだな! いつも一緒にいて、いやらしいの!」とからかわれたことがあった。

 彼は二人が顔を真っ赤にして、慌てふためくだろうと思い、にやにや笑った。

 しかし二人の反応は全く違ったもので。


「そうよ、私達ラブラブなのよ」

 しれっと言った水面、頷く花里。悪がきは呆気にとられ。その間抜けな顔を見て二人して笑った……そんなこともあった。


 二人にとってずっと一緒にいることは全く恥ずかしいことではなかった。

 少女、少年から女と男になった後もそれは変わらなかった。……二人はやがて『恋人』になり、それまで以上にお互いのことを愛した。


 そして、二人は十六歳になった。

 水面が十二歳の時に見つけた花畑。そこにシートと水面特製の弁当を広げ。

 二人以外誰もいない世界で、二人だけの時間を過ごした。


「とうとう明日、旅立つのね……花里」


「ああ……もう明日か。あっという間だな」

 初めて会った時からは想像もつかないような、立派でたくましい男になった花里が、自分に寄りかかってきた水面の髪を撫でる。

 彼は明日、この街を出る。引っ越すという訳ではない……彼は旅に出るのだ。

 自分の夢――世界各地の文化等を研究する――の為に。一人の研究者の弟子としてついていき、色々な勉強をするのだ。


「ずっと一緒だって言ったくせに」

 わざと拗ねたように水面が言ってやると、花里は困った風な顔をして冷や汗を流す。その表情がたまらなく愛おしくて、水面は声をあげて笑う。


「冗談よ。大丈夫よ、離れていても私達はずっと一緒ですもの。そうでしょう、花里」

 

「当然だ。……ずっと一緒だよ」

 風が吹き、花の瞳を二人から逸らす。その瞬間に二人の唇がぴったりと合った。恥らう花の、甘い香り。

 それから彼は懐から小さな箱を取り出した。これ、とぶっきらぼうに言いながらそれを水面へと突き出す。彼女の胸が躍った。


(ああ、これは)

 中に何が入っているのか、容易に見当がついた。花里と初めて会った時『見た』ビジョン。その中にいた未来の自分がつけていたものが入っているに違いなかった。そして、その通りであった。

 輝くリング。深海の色をした石のついたもの。何が入っているかは分かっていたが、それでも嬉しかった。映像で見るより、実物で見る方がずっと良かった。

 花里は真顔になりながら彼女の指にそれをはめてやり、くいっと彼女の顔をあげさせる。溶け合う二人の瞳。


「俺は二年後――自分の十八歳の誕生日に、必ずここへ帰ってくる。水面、その日の十四時になったら……この花畑に来て欲しい。そしたら俺はここで……ある物を持ってきてだな……それでもって……う、これ以上言わせるな……は、恥ずかしいから。な、何となく分かるだろう!」

 最後は結局恥ずかしくなって、顔を真っ赤にし、そっぽを向く。水面は笑った。


「そういう照れ屋なところ、全然変わらないわね。本当……変わらない」

 言った途端、数え切れない程ある思い出と、様々な気持ちがあふれ出し、止まらなくなり。それらは涙となって体の外へと出ていった。

 花里は慌てふためき、泣くな、どうしたんだ、嫌だったのかと言いながらも水面を抱きしめ、なだめる。


「ごめんなさい、私ったら。ええ、勿論来るわ。必ずここへ来るわ」

 彼が二年後何を言うのか、何をするのか。全部知っている。けれどそのことは言わない。水面は花里に自分の力のことは話していないのだ。

 そんなことは露ほども知らない花里はほっと胸を撫で下ろすのだった。


 そして次の日花里は旅に出た。水面は友人達に「寂しくないのか」「不安にはならないのか」と色々言われ、大層心配された。


「大丈夫よ、私は大丈夫」

 その度彼女はそう答えた。二年後、花里の誕生日。その日必ず彼は来る。今よりまた大きくなって。そのことが分かっているから、平気だったのだ。

 カレンダーに毎日丸をする。その丸が少しずつ約束の日に近づいていく。それを見ることが一人この街に残った水面にとっての楽しみであった。

 彼女は花里のいない日々を生きた。生き続けた。


 そして、あっという間に月日は過ぎ……今日に至る。


 約束の日。今日、花里は十八歳になった。後少しでその彼と会うことが出来る。十八歳になった彼の姿はビジョンですでに見てはいる。しかし実際にこの目で見るのは今日が初めてだ。


「後少しで会えるのよね」

 映像ではない。本物の花里に。自分のその二つの目で……彼の姿を見ることが出来る。それが嬉しくてたまらなかった。

 大きく深呼吸をする。吸って、吐いて、吸って、吐いて。


 一際大きな風、舞い散る花びらが水面の視界を覆う。


「水面」

 花の揺れる音が消える間際、二年前に聞いたきりだった声が、水面の耳に届いた。懐かしい、少し低い声。深呼吸をして折角落ち着かせた心臓が、また激しく揺れた。懐中時計の針が時を刻む音ももう聞こえない。

 ゆっくり振り返れば、そこには。


 ビジョンで見た通りの花里の姿があった。

 二年前より更に伸びた背。体つきもよりがっちりしていた。ますますたくましく、格好良くなった彼の姿を見て、水面は自分の頬が赤く染まっていくのを感じた。


 水面はゆっくり立ち上がった。そして歓喜した。


 とうとうこの日が来たのだ! 十年前に見たものが今目の前にある!

 青い空、果てを知らないどこまでも青い空! 心から愛した唯一人の運命の人!


 彼はその手に『あれ』を持っていた。あの日見た通りの物だ。水面の体がかあっと熱くなる。


(ああ、とうとうこの日が……やって来る!)


 花里が手に持っているものを、自分の方へ向ける。


(そして貴方は、貴方は……)

 どくんどくん、鼓動、胸。花里がこちらへ近づいてくる。そして、その口を開いた。



「水面。……水面」

 自分の名を呼ぶ愛しい男。その手に持っている物が、光を受けて煌いた。

 それは……剣。黒い、剣。


「水面……お前を、殺しに来た」


「うん。知っていた」

 とても落ち着いた、水面の美しい声にそう告げられた花里は目を大きく見開き、電流の衝撃で動かなくなった。


「それじゃあ……それじゃあ、あいつらの言っていたことは……本当だったのか」

 その声は震えている。黒い剣もかたかたと音をたてる。

 花里は知ってしまったようだ。水面の力のことを。


「いつから……なんだ」


「最初からよ。初めて出会ったあの日、あの瞬間……私は見たわ。貴方が私を殺すビジョンを」

 彼はその言葉を聞いて、もうこれ以上無いという位まで目を見開き、叫び、頭を抱えて俯いた。ふざけるな、と彼が言ったのを水面は聞いた。


「分かっていて……自分が殺されることが分かっていて、付き合っていたのか。俺の傍に、ずっと、ずっと、いたというのか」


「ええ、そうよ。自分を将来殺す相手だということを知っていながら……私は貴方を愛した。心の底から。……運命が変わればいいなって少しは思ったけれど、無理な話よね」

 水面は笑った。けれど花里は決して笑わなかった。


「殺されるんだぞ……お前」


「ええ、そうね。でも、いいの。花里になら……殺されてもいいわ」


「馬鹿野郎! 馬鹿野郎! 何で、そんな、良いだなんて、殺されてもいいなんて……そんなこと、ふざけるな……何で、そんな、何でだよ……!」

 殺される側より、これから殺す側の方がずっと動揺し、そして怒っていた。

 しゃがみこみ、湧きあがる思いを声にして吐き出し、吐き出し、それでもまだ足りず。叫んで、叫んで。


「……ねえ花里。貴方はどうして私を殺すの?」

 水面の優しい声は残酷な問いを紡ぐ。花里は顔をあげ、それからまた俯いた。


「どうせお前は理由だって分かっているんだろう」


「いいえ、それは私には分からないわ。私が見たのは自分が殺される辺りのビジョンだけだったし……それにあくまで見られるのは映像だけで……声らしい声は殆ど入らないから。自分と貴方が具体的にどういう会話をしたのかとか、そういうのは全然、分からないの」

 首を振り、苦笑。


 だが花里は話してくれなかった。


「すまないが……話してやることは出来ないんだ。俺にかけられた術が、そのことに関して話すことを許してくれない。……先生や仲間達と一緒に、世界各地を旅していた時、あることが起きた……それ位しか、いえない。……そして……俺は自らお前を殺すことを志願した……ということ位しか」


「貴方が? 自ら?」


「他の人間にお前を殺される位なら、いっそ、この手で……俺が、お前の全てを終らせようと!」

 そういうことか。水面は微笑む。


「有難う、花里。……花里は優しいわね」


「優しい? 自分のことを殺す人間に、何で、そんな言葉をかけられるんだ、お前は! それに、なんで、なんでそんな落ち着いていられるんだよ! 幾ら自分が殺されることを知っていたとはいえ……死ぬんだぞ、お前、これから、死ぬんだぞ!?」


「十年ものの覚悟だもの」

 その言葉を聞き、花里がはっとした。驚くほど穏やかな笑みを浮かべている水面を、見る。


「貴方と出会った瞬間、貴方が私を殺すビジョンを見た。残酷で、悲しい未来。けれど私はそれを受け入れた。……例え殺されてもいい、私は貴方と一緒に生きたい、貴方を愛し、貴方に愛されたいと思った。だから私は貴方という存在を拒絶しなかった。……一緒に遊ぼうと行って、その手をとって、貴方と一緒に、外へと駆け出していったの」

 出会ったその日から、水面は覚悟を決めていた。自分は目の前にいるこの子に殺される。どれだけ彼を愛しても、どれだけ彼から愛されても……最後はこの子に殺されてしまう。でもそれでも良い、一緒にいたい、離れたくない、そう思った。

 自分で、自分だけの意思でそう決めた。彼女は一目で花里のことを好きになったのだ。


「覚悟した上で、私は貴方と生きてきたの。……勿論、出会った当初……子供の時は何度も迷ったわ。それでも私は前へと進んでいった。そしてその覚悟は年月を重ねるごとに確固たるものへと変わっていったわ。この覚悟を揺るがせることが出来る人は、誰もいない!」

 花里にも、それは出来ない。


 水面は微笑み、両手を広げた。


「殺して、花里。全てを終らせましょう。……大丈夫、貴方や貴方の仲間はきっと自由になる。そのビジョンも微かに、見えたの」

 すっかり下がった花里の腕が、ゆっくりと上がっていく。その手は震えていた。彼の顔にはまだ迷いが浮かんでいた。

 他の者に殺される位なら、いっそ自分の手で水面を殺す。彼はそう心に誓い、この花畑へとやって来た。だがその決意は彼女の姿を目にし、そして彼女の話を聞く内に揺らぎに揺らいだ。


 しかし、水面は知っている。花里が決意を固めることを。分かっている、確信している、信じている。彼が自分を殺すことを。


「私は覚悟を決めた。お願い花里。……貴方も覚悟を決めて。花里、殺して、私を、その手で!」

 水面は、彼を睨みつけ、祈る様にそう叫んだ。それから彼女は微笑んで。


「愛しているわ……花里」


 うわああああ、という花里の声。彼は駆け、一気にその距離を詰めた。

 水面は逃げない。刃を自分に向けられる恐怖をおくびにも出さず、ただ、微笑んでいる。


 鈍い衝撃。花里の持っている剣が自分の腹を貫いたのを、水面は感じた。

 痛い、とても痛い。ビジョンを見た時には感じることのなかった、とてつもない痛みが水面を襲う。立っていられず、彼女はへたりと座り込んだ。花里もそれに合わせて膝をかくんと折った。

 花里はゆっくりと彼女の体から剣を抜いた。真っ赤な血が黒い刃についている。

 水面は痛みをこらえ、涙をこらえながら彼の体に両腕を回し、強く抱きしめた。もう何があっても離れるものかと、全ての力をその腕に込めた。彼女は幸せだった。ビジョンには無い温もりがそこにあったからだ。

 花里も、水面の体を抱きしめた。その目からは涙がとめどなく流れている。


「水面、愛している……愛している。結婚しよう、水面。俺が本当に言いたかったのは、その言葉だ。幸せな家庭を築こう……子供もうんと作って、大家族になって……きっと毎日騒がしくて、忙しなくて、大変だろうけれど……でも、それでもいい……子供達と一緒に、暮らして、それで、死、死ぬまで……一緒に生きよう」

 そこで初めて水面は涙を流した。彼女はその言葉を待っていたのだ。

 何より嬉しい言葉。ビジョンでは聞くことの出来なかった言葉。その言葉を聞きたかった。だから決して逃げなかった。前だけを見て、進み続けてきた。


「ええ……ええ、花里、喜んで。ずっと一緒に……幸せに……」

 花里が何かを取り出した。そして彼女が左手の薬指につけていた指輪を外し、新しい何かをはめた。結婚指輪だ。

 彼女は一瞬、ほんの一瞬だけそれを見ることが出来た。


 幸せだった。私はなんて幸せな人間なのだろうと心の底から思った。


 それが最期だった。水面の意識は途切れ、そして二度とそれが戻ることは無かった。

 花里の腕に抱かれたまま、彼女は静かに息を引き取った。


 青い、青い、果てという言葉を知らない空の下で。


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