instinct
『――戦闘の時間になりました。戦闘員の皆様は至急、所定の位置について下さい。』
無機質で殺風景な廊下の一角に置かれたスピーカーから、所々ノイズが混じった機械的なアナウンスが流れる。その数秒後、目と口の部分のみに穴が開いた真っ白な仮面をつけ、それ以外は全て真っ黒な一団が、廊下の奥から左右二列となり、一糸乱れぬ行進でやってきた。
その行列を、天井の隅に置かれた監視カメラで見つめる者が居た。廊下とはうって変わって、その部屋は豪勢な装飾により満たされていた。大理石から出来ているテーブルの上には、監視カメラの映像が写されているモニターが置かれている。それを、天蓋付きのベットに腰掛けて見つめている者が、不意に言葉を漏らす。
「もうそろそろ、か……」
呟いた直後、部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「入れ」
ドアが開き、長い白髪をした執事が入ってくる。一見普通の老人のように見えるが、灰色の肌がその者の異様さを際立たせた。
「魔王様、お時間で御座います」
「あぁ、分かっている」
魔王と呼ばれた男は老人に告げると、唯一身に着けていたローブを脱ぎ去る。青白く血管が浮き出て、雪よりも白く透き通るような肌の下で静かに脈打ってるのが見えた。精悍な顔立ちをしていて背も高く、銀髪から生える二本の角に真紅に染まる鋭い目と、その姿は魔王の名に正に相応しかった。
「それで、あいつ等は何時頃此処にやってくる?」
「強化した戦闘員を配置していますが、恐らく二、三十分で破られるかと……」
「そうか」
魔王は呟くと、禍々しい雰囲気を放つ杖を手にし、宙に掲げた。
すると、魔王の身体を光が一瞬の間包み、その後、魔術的な模様が描かれた衣装を身に着けた姿が現れた。
「今日で、全てが終わるんだな」
魔王は目を細めて杖を見やる。
「それで、俺の後には誰かなる予定なんだ?」
「はっ。最も有力なのは、魔王様の弟様かと」
それを受けて、皮肉な笑みを浮かべる魔王。
「あの噛ませ犬だった奴がか? 豪く出世したものだな」
それに、と魔王は振り返り、後ろに控えていた老執事に問いかける。
「お前も俺が死んだ後は総統になるんだからな。羨ましい物だ」
「ま、魔王様っ! 私はそのような」
「分かっている、心配するな」
魔王は苦笑いで、慌てふためく老執事の肩を叩き、そのまま窓辺へと歩み寄る。
「俺は今までの魔王とは違う。誰にも今の座を譲る気は無い」
「魔王様……」
数万年もの前から続く、勇者と魔王の長き戦い。だがその歴史の中で、魔王の軍勢が勝った事は嘗て一度も無かった。大敗を喫した事は数知れず、その度に味わった苦汁はどれ程の物か、今の魔王には知る術は無い。けれど、先代の魔王である父親の残した想いだけは、その胸の中にしっかりと残っている。
『今度こそ勇者を滅ぼし、我等の理想郷を作り上げる』
それはきっと、歴史の中で無念の内に敗れ去った魔王達の間で、血よりも濃く受け継がれてきた想いなのだろう。何度負けても復活し戦えたのは、偏にこの思いの力に拠るのだろうけれど、魔王はそこにある種の疑念を抱かずにはいられなかった。
これはもう、一つの呪いなのではないか、と。
突然、手下の魔物が慌ただしく入ってきた。
「魔王さま!! 勇者の一団が攻めて来ましたっ!」
「分かった、すぐ行く」
もしかしたら、と魔王は勇者の元に向かう途中に考える。我等魔王が勇者に勝てないのも呪いなのではないか。どれだけ年月を重ねても、我等は、負ける事が呪いによって義務付けられているのではないか、と。
「……馬鹿馬鹿しい」
それでも、魔王は戦場へと向かう。先代の思いに報いる為、ではなく。呪いでそう決まっているから、況してや呪いを打ち破る為、でもない。では何の為に、魔王は戦うのか?その問いに、魔王はきっとこう答えるだろう。
――『そこに勇者が居るから、戦うのだ』と
根城にしていた廃墟の屋外に出ると、大勢の戦闘員の骸の中に、勇者の姿を見つけた。
眼前に捕らえた勇者の姿に向かって、魔王は大声で告げる。
「よく来たな、勇者共!!」




