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彼の見た夢



 冬馬が眠りに落ちてから約五十分後、四人を乗せた車は「霧里高原」と掲げられているアーチをくぐる。


「冬馬、着いたよ?」


 眠りの淵から引き戻そうと、桃乃は冬馬の耳元に口を寄せて声をかけた。しかし、冬馬は完全に深い眠りに入ってしまったようで目を覚まさない。


「ははっ、よっぽど疲れてんだな」


 駐車場に車を停めた裄人はシートベルトを外すと身をひねらせ、笑顔でリアシートを覗き込む。


「起こしちゃったほうがいいよね、裄兄ィ?」

「んー……」


 裄人は口元に手を当てた。


「どうせならもうちょい寝かせてやりたいな。俺と真里菜ちゃんで先にチェックインしてくるからさ、桃乃ちゃんここで待っててくれない?」

「ここって車の中で?」

「うん」

「いいけど……」


 車中に取り残されることになった桃乃は少し不安そうだ。


「すぐに戻ってくるんでしょ?」

「もちろんだよ。荷物を置いたらすぐに戻ってくるから、そのまま那和湖(なわこ)まで移動しよう。それなら冬馬もあと三十分は寝ていられるしさ」


 するとそのやり取りを聞いていた真里菜が運転席に視線を送り、「優しいお兄さんですね」と言葉を添える。


「嬉しいなぁ、そんなこと言ってくれるの真里菜ちゃんだけだよ」


 裄人は運転席のヘッドレストに片肘をつくとごく自然な表情で真里菜に笑いかけ、車外に出た。


「あ、いいよ真里菜ちゃん。俺が全部持つから」


 後方から聞こえてきた声に桃乃が小さく振り向くと、リアゲートを開けて中から荷物を取り出そうとした裄人の側に真里菜が寄り添っている。


「いえ、四人分もあるんですから私も半分持ちます」

「じゃあ真里菜ちゃんの分だけいいかな? あとは大丈夫だから」


 裄人は自分と冬馬のスポーツバッグを左肩にかけ、桃乃の荷物を手に持つ。そしてリアゲートを閉める前に車内に向かって声をかけた。


「じゃあ行ってくるよ。冬馬と留守番しててね」


 自分の荷物を手にした真里菜も裄人の横で微笑む。


「すぐ戻ってきますね、桃乃ちゃん」

「うん、行ってらっしゃい」


 冬馬を起こさないようリアゲートが静かに閉じられ、裄人と真里菜が遠ざかってゆく。そんな二人の後ろ姿を桃乃はしばらく眺め続けていた。

 シンとする車内。

 何気なく左横を見ると、自分の肩に寄りかかった冬馬がまだぐっすりと眠っている。手持ち無沙汰なせいもあり、ついその寝顔に視線がいってしまう。



( 冬馬ってこういう顔で寝るんだ…… )



 小さい頃の面影は確かに残っている。

 だが、こうしてあらためて冬馬の寝顔を見ると、そこに昔の幼さはもうほとんど感じられなかった。

 誕生日にプレゼントされたネックレスをつけてもらった時、広い肩幅や大きな手に大人の男を感じた事をふと思い起こし、心臓の鼓動が少しずつ早くなってくるのが分かる。

 高鳴る胸を片手で押さえると、衝動的に正面から冬馬の寝顔を見てみたくなった。冬馬の頭を支えている左肩が外れないよう気をつけながら身をよじり、寝顔を覗き込もうとした時、上半身がガクリと前のめりになる。いつのまにか目を覚ましていた冬馬が素早く身を起こし、桃乃の頭を引き寄せたのだ。



 強く、強く抱きしめられる。それが言葉の代わりであるかのように。

 名前すら呼ばせてもらえず、即座に唇が塞がれる。

 “ 駐車場にいる人に見られているかも ” という恥ずかしさが頭の中を一瞬よぎったが、キスされていることのほうが嬉しくて、恥ずかしいという気持ちはすぐに消し飛んでいた。今の桃乃には、この貪るような口付けも自分を想ってくれる強さの証に感じるほどだ。

 ようやく唇が外れる。桃乃は前のめりになっている体勢を慌てて立て直そうとしたが、膝元がふらついてバランスを崩し、再び冬馬の腕の中にドサリと倒れこんでしまった。


「おっと」


 倒れこんできた桃乃を抱きとめると、冬馬は悪戯っぽい表情で「驚いたか?」と声をかける。恥ずかしさをごまかすため、桃乃は「驚いたわよっ!」と無理に怒った表情を作った。


「ずっと眠ったふりしてたの!?」

「いや、途中で目が覚めた」

「途中っていつからよ!?」

「兄貴達が後ろでガタガタやってた時」

「えぇっそんな時から起きてたの!? じゃあなんで起きたって言わないのよっ」

「言うわけないじゃん! 寝たふりして兄貴の話を聞いてたら、ここで桃乃と二人っきりになれそうな感じだったからな。降ってきたチャンスを最大限に利用させてもらっただけだぜ?」


 ヘヘッと笑う幼馴染に反省の色はまったく見られない。


「も、もうっ! せっかく裄人ィが冬馬が少しでも長く寝られるように、って気を使ってくれたのに!」

「いや、もう充分に寝たよ。それに桃乃が肩貸してくれたからすげー気持ちよく寝られたしな。おかげでサイコーな夢まで見ることができた。サンキューな!」


 思わず手に力が入ったのか、冬馬に頭のてっぺんを乱暴に撫でられる。トップが乱れたヘアスタイルで、桃乃は「最高な夢?」と今の言葉を繰り返した。


「あぁ、メチャクチャ最高だった!」

「それってどんな夢だったの?」

「それは言えない」

「どうして言えないの? 教えてくれたっていいじゃない」


 乱れた髪を一生懸命直しながらそう反論すると、冬馬のふざけていた態度が一転する。


「言ったら正夢にならないような気がする」

「じゃあその夢の中に私は出てきた? それぐらいは教えてくれてもいいでしょ?」


 諦めきれずに食い下がると、「知りたいか?」と冬馬が口の端を薄く上げて聞き返す。


「う、うん」


 ドキドキしながら頷くと、即座に戻ってきた返事は、嬉しそうな笑顔付きの単純明快なものだった。

 

「出てきたに決まってんじゃん! 最初から最後まで出ずっぱりの、モロ主役級だったぜ?」


 その答えだけで充分だ。

 内容は何も教えてもらえなかったのに、自分を想ってくれている暖かさが痛いぐらいに伝わってきて、胸の中が嬉しさで一杯になる。


「しかしさっきの桃乃、すげぇ大胆だったなぁ……」


 車内上部に視線を漂わせ、冬馬が独り言を漏らす。


「夢とは知らなかったから思わず動揺しまくったよ」

「私が大胆って…、それどういう意味?」


 すると冬馬は意地悪気な顔で、

「お前に強引に脱がされた後の事は詳しく言えないが、とにかくハードで凄かったぜ?」

 と、わざと持って回った言い方をする。


「ちょ、ちょっと!  勝手に私にヘンなことさせないでよ!」


 桃乃の顔が一気に赤面する。夢の中の自分は冬馬に対して口には出せないような相当な行為をしたようだ。


「んな事言ったって不可抗力で見ちまったんだから仕方ねぇだろ。それに前半は確かに凄かったけど、後半はいつも通りの桃乃でかなりほほえましい夢だったから安心しろよ」

「安心なんてできるわけないじゃない!  一体私に何をさせたのよ!?」

「だから秘密だって言ってるだろ」

「いいから教えて!」


 しかし何度尋ねてもたった今見た夢の詳しい内容を冬馬は話さない。細かい事は気にするな、と笑うだけだ。


「それより桃乃は俺が出てくる夢を見たことあるか?」

「え?」


 桃乃の動きが止まる。


「何だよ、一度も無いのかよ」

 桃乃の口から肯定の返事がすぐに出てこなかったので、冬馬は不貞腐れたような態度でシートにドサリと寄りかかった。

「あ、あるよ?」

「マジ!? で、どんな夢だよ?」

「ど、どんなって言われても……、詳しい内容はよく覚えてないよ」

「……ふぅん」


 今の返答で冬馬が気分を害したことを察した桃乃は、「それに元々夢って覚えてないことが多いじゃない」と言い訳をする。

 冬馬はしばらく無言でリアガラスから車外を眺めていたが、「兄貴の」とまで言いかけた後、急に顔色を変えた。


「裄兄ィがどうしたの?」

「い、いや…」


 無意識に口にしてしまった言葉をかき消そうと、冬馬は早口で次の言葉を発す。


「あ、兄貴達はどれぐらいで戻ってきちまうんだ?」

「チェックインして荷物を置いてくるだけだからもう戻ってくると思うけど?」

「そのまま帰ってこなけりゃいいのによ」


 顔を背けて舌打ちをした後、冬馬が愚痴をこぼす。


「何言ってるの。裄兄ィと真里菜さんが戻ってこなかったらずっとここにいなきゃいけならなくなるのよ?」

「俺はそれでも全然構わない」


 後部座席のシートに埋め込まれているスプリングが小さく鳴る。


「つーか、桃乃と二人っきりになれるならどこでもいい」


 息がかかるほどの近い距離。自分に注がれている真っ直ぐな眼差しに愛おしさがこもっているのを感じる。桃乃にはそれがたまらなく心地良い。


「それに夜は部屋が別になっちまうからな。だから少しでも長く、二人だけでいたいんだ」


 正面から見る冬馬の笑顔。それを見た桃乃は安堵の吐息をつく。


( 良かったいつもの冬馬に戻ってる……。最近の様子がどこか変だったのは、裄兄ィや沙羅の言うとおり、きっと私とは関係の無い別の事で悩んでいたのね )


 ここ最近まで抱えていた漠然とした不安が、静かに溶けだしてゆくのを感じる。

 再び桃乃の髪に大きな手が伸びてきたが、先ほど乱暴に撫でられた時とは違い、今度は滑るように優しい動きだ。桃乃は幸せな気分に浸りながらその動きに身を任せる。


「お前の髪ってサラサラしててホント気持ちいいな」


 心の中に再び滲み出している恐れを覆い隠し、冬馬は艶やかな黒髪を愛おしげに撫で続ける。

 数日をかけて押さえ込んだはずのこの感情を、決して桃乃に悟られないように。




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