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離れゆく距離 【 後編 】



「……さっきから何を見ているんだ?」


 男子校舎の屋上にいる人物が、冬馬の背に向かって声をかける。


「桃乃」


 冬馬は見送っていた少女の名前だけを出すと、「沙羅と一緒に今帰っていった」と残りの言葉も付け加えた。


「向こうも練習終ったんだな」


 冬馬の背後にいた人物──、要が落ち着いた声で答える。


「俺に用があったんなら携帯に連絡くれれば良かったじゃん。お前部活やってないのになんでわざわざカノンにまで来たんだよ」

「直接話しておきたいことがあったんだ」

「それならもう知ってる」


 要に屋上まで連れて来られた冬馬は気だるそうな動作で冷ややかな視線を送る。


「話ってお前と沙羅との事だろ?」


 図星を指された要の片眉が動いた。


「もう知ってたのか……。いつ聞いた?」

「ついさっき桃乃からメールが来てた。お前が沙羅に告って付き合うことになったらしいって書いてあったよ。全っ然意味分かんねぇ」


 冬馬は身を翻すとスラックスのポケットに手を突っ込み、乱暴に防護柵に寄りかかる。


「一体何考えてんだよ? お前、この間沙羅を振ったばかりじゃん」

「……そうした後で自分の本当の気持ちに気付いたんだ」

「何だよそれ?」


 まだすべての事情を飲み込めていない冬馬からしてみれば、到底その答えに納得などできるはずがない。


「勝手すぎんだろ。椎名さんと付き合ってる、なんて俺らにまで嘘までついてよ」

「あの時はそう言った方があいつも諦めてくれるかと思ったんだ。浅はかだったと今では思っている」


 冬馬は要の口から聞かされた真実に一瞬絶句した後、口中で「ひでぇなぁ」と独り言を呟いた。

 その辛辣な言葉に、「倉沢さんにも怒られたよ」と要は切れ長の瞳を伏せる。


「しかし沙羅もそんなふざけた事を聞かされたのに、よくお前と付き合う気になったもんだよ」

「確かに俺があいつを傷つけたのは事実だ。でもあいつは……、沙羅は俺を許してくれた。俺がなりふり構わず強引に頼み込んだせいかもしれない」

「強引に頼み込んだって? お前が?」

「あぁ。昨日あいつに告った時、俺に対して以前のような感情はもう無いってはっきり言われたよ。でも俺はそれでもいいから付き合ってくれって頼んだんだ」

「へぇ……、何にでもカッコつけたがるお前がそこまでするなんて意外だよ。じゃあ沙羅への気持ちは一応はマジだってことなんだな」

「一応は余計だ」


 最後の部分が癪に障った要が素早く横槍を入れる。


「それよりどうして倉沢さんと帰らなかったんだ?」


 冬馬は無言でまた背を向けた。

 そして今の要の問いにはまったく関係ない言葉を呟く。



「……なぁ要、もし一度でも好きになった事があれば、そいつに対しての気持ちはどんなに長い時間が経っても完全に消えないもんだと思うか?」



 要の表情が怪訝そうに曇る。


「言っている意味自体は分かるが、お前が何を言いたいのかがよく分からない」


 屋上から会話が消えた。

 冬馬はしばらく黙りこみ、桃乃が帰っていった方角をじっと見据えていたが、やがて今とは違った角度からまた同じ質問を口にする。


「もし一度は消えちまった気持ちでも、何かのきっかけでまた再燃することってあると思うか?」


 思いつめたような冬馬の横顔を見た要は「なぜそんな質問をするのか」と再び尋ね返す事を止め、投げかけられた問いに素直に答える。


「どうなんだろうな。自分の中では消えたと思いこんでいたつもりでも、もし本当はそうじゃなかったのならありえる事なんじゃないか」


 それを聞いた冬馬の背がわずかだけ揺れる。その揺れが心の動揺を表したかのように感じた要は、


「今の話、倉沢さんと関係が…」

「ない」


 要の言葉を最後まで言わせず、冬馬はぶっきらぼうな口調でこの話題を一方的に終わらせる。


「そういや、俺にメールくれてたんだな。朝練の最中だったから気付かなかったよ。でもなんで今日俺がカノンにいるって分かったんだ?」

「お前から返信が来ないから、裄人さんに聞いたんだ」

「兄貴に? どうして要が兄貴の携帯番号知ってんだよ?」

「前に合コンやった時に教えてくれた」

「俺の代わりに出た合コンか……。思い出したらまたムカついてきた。兄貴の考えたあの替え玉計画のせいで俺は桃乃に誤解されて散々な目に遭ったからな」

「でも今はその誤解は解けてるんだからいいじゃないか。あれはお前に迷惑がかからないようにと裄人さんなりに最善策を考えた上での計画だったんだ。仕方ないだろう」


 要がさりげなく裄人をかばう。

 すぐに反論できなかった冬馬は一旦は黙ったが、急に視線を鋭くすると素早く要に向き直る。


「前から思ってたけどよ、お前さ、やけに俺の兄貴の肩を持つよな」


 すると要は何を今更と言った表情で両肩を竦める。


「そりゃあそうさ、裄人さんには宰条大学のサークルを紹介してもらってるしな。色々と恩がある」

「何言ってんだよ、お前はあの合コンに無理やり参加させられたようなもんなんだ。言ってみりゃ被害者みたいなもんだぜ? それぐらいの見返りがあって当たり前じゃん」


 要は長い睫を瞬かせ、少しの間熟考した。


「……冬馬、実は俺も前から思ってたが、お前、裄人さんに対してかなりの敵愾心を持ってないか?」


 冬馬がわずかに下唇を噛み締めたのを横目に、要は静かな声で疑問を追及する。


「俺はあの人のことをまだそれほどよくは知らないが、面倒見もいいし、よく気がつくし、弟思いでいい兄貴じゃないか」


「あぁそうさ! なんでもそつなくこなす、一生かかっても追い抜けない自慢の兄貴だ!」


 噛み締めていた唇から出てきたのは吐き捨てるような肯定の言葉だった。

 無理に押し込んでいた苦々しげな感情が表面に溢れ、それを振り切るような荒々しい声が屋上に響く。その言い方に呑まれた要は話題を変えた。


「……今日は倉沢さんと会わないのか?」

「会わない」

「どうしてだ?」

「週末に一緒に旅行に行くんだよ。それまで会わないことに決めてんだ」


 冬馬は頭上の青空を見上げた。

 真っ青な夏空が鮮やかに目に映る。

 透き通ったその色が身体の中に染み込んで、自分の中に巣食っているこの黒く歪んだ感情をほんの少しだけでも浄化してくれそうな淡い錯覚を起こしそうだった。

 

「行き先はどこなんだ?」


 要の言葉で我に返った冬馬は週末の旅行先を口にする。


「……霧里高原」

「霧里? 結構遠いな。列車で行くのか?」

「車だ」

「車? 誰が運転するんだ?」

「兄貴。兄貴の彼女も一緒に行…」


 そこまで言いかけて冬馬は語尾を濁した。



( 多分俺 ダメになるよ 真里菜ちゃんと )



 昨夜の裄人の言葉が重く心にのしかかる。


「へぇ裄人さん、彼女いるんだな。どんなタイプなんだ?」

「俺もまだ実際に会ったことない。写メで見せられたことがあるけど、小さくて可愛い感じの人だった」

「小さくて可愛いか……。もしかしてその彼女ってこの人か?」


 要がふと思い出したように携帯電話を取り出し、中のデータフォルダから一枚の画像を液晶画面に表示させる。

 目の前にかざされた画面に目を凝らすと、そこには裄人からグラスを手渡されている真里菜が映っていた。


「そうだ、この人だ。間違いない」

「やっぱりそうか。この人も例の替え玉合コンに来てたんだよ。裄人さんが一番甲斐甲斐しく世話を焼いてたから覚えてた。そうか、じゃああの合コンの後に付き合いだしたってことなんだな。兄弟で上手くいってよかったじゃん。今週末、霧里で楽しんでこいよ」


 要に「あぁ」と生返事で返す。

 しかしその返答とは裏腹に、今はとても週末を待ち望む気分にはなれなかった。



 ── 兄貴が、真里菜さんと別れる。

     桃乃がこの事を知ったら、あいつは一体どんな気持ちになるんだろう。

     そしてもしこの先、何かのきっかけで兄貴が桃乃を好きになったとしたら──。



 そう考えるだけで頭の中で様々な思いが交錯し、混乱する思考が決して抜け出せない迷宮に入り込んでゆくようだった。



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