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恋愛の預言者



「……あたしが、邪魔……?」

 

 頭を下げているために沙羅の表情が分からない。

 だが両の耳元に届いたその声はわずかにかすれていて、沙羅が戸惑っている事だけははっきりと伝わってくる。

 だからストレートに伝えた。

 桃乃には話せなかったもう一つの本当の理由を。


「集中したかったんだ」


 喉の奥底から無理やりに、必死に言葉を搾り出す。


「余計な事は一切排除してバンドだけに全力で集中したかった。だからお前のことを考える余裕なんて無いと思ったんだ」


 胸中に積もっていた気持ちが抑えきれずに次々と零れだす。その場にただ立ち尽くしている沙羅にどうか少しでも届くようにと。


「一昨日、俺があの河川敷に行ったらお前急に逃げ出しただろ? あの時、お前にひどい事をしたってことに気付いた。だから冬馬がお前を探しに行った時、お前が邪魔だったから椎名と付き合っていると嘘をついた事を倉沢さんについ話しちまったんだ」


 正面にいる沙羅から何も言葉は返って来ない。 


「倉沢さんに怒鳴られたよ。嘘の事は絶対お前には言うなって何度も強く言われた」


 真紅に染まる夕日を背に、「そっかぁ……」とここで沙羅がようやく言葉を口にする。だがそれは要への返答ではなく、自分を気遣う桃乃への感謝の言葉だった。


「おとなしいモモも怒鳴ることなんてあるんだね」

「あぁ。人が変わったみたいに凄い剣幕だった」

「きっとあたしのことを心配してモモはそんなに怒ってくれたんだね」


 心の底からの同意を込め、要は頷く。


「……俺、中学の時に椎名に告白したって話したことあったろ?」

「うん」

「その時、椎名に冬馬が好きだからと言われてショックだった。でもそれが俺の告白を体よく断るための嘘だったって知った時、そんな嘘なんかつかないでありのままの正直な気持ちを言ってほしかったからもっとショックを受けた」


 一瞬でも表情を隠したいのか、要は自分の額に片手を伸ばし、目にかかる長い前髪を払う。


「でもそんな思いを味わっているのに、あの時逃げていくお前を見て、結局俺はそれと全く同じ事をお前にしてしまっていたんだってことにようやく気付いたんだ」


 ほとんど微動だにしない沙羅の影は要に向かって細長く伸びている。その細い錆色の影に視線を落とし、独白は続く。


「中央棟の上で椎名と付き合っているって嘘をついた時、お前は何も聞かずに椎名と仲良くやれって言ってくれたよな。あの時、お前には悪いと思ったけどこれですべて済んだとも思ったよ。でもわずらわしいことから開放されると思ったのに、あの日からずっとバンドに集中出来ないんだ。お前を遠ざけることが出来たと思ったのに、反対にお前の事ばかりが常に頭に浮かぶ。正直もう自分でもどうしていいのか分からない」


 夏の夕風が屋上をたゆたう。

 もうすぐ消えゆく太陽が最後の力を振り絞って創り出す夕暮れが、屋上のコンクリートの床一面を茜色に染め始めていた。

 ゆっくりと顔を上げ、要は自分とほぼ同じ背丈の少女の顔を見つめると、自分の気持ちを一気に告げる。


「沙羅。俺、お前の事が好きだ」


 伝えたかった最後の言葉をすべて出し切る。


「今頃ようやく自分の気持ちに気付いてももう遅いのは分かっている。でもどうしても今の自分の本当の気持ちを話したかったんだ。俺の顔なんてもう見たくないだろうが、嘘をついていたこと、そしてお前を傷つけたことを許してほしい」


 自分の想い全てを言葉に出し終えた要はここで静かに口をつぐんだ。

 数秒間の沈黙の後、少し強張っていた表情を静かに緩め、沙羅は慈愛のこもった視線を要に向ける。


「ようやく言ってくれたね」

「……何がだ?」

「あたしの名前。今、ようやく呼んでくれた」


 両肩を竦め、柔和な眼差しでそう呟いた沙羅の周囲にはとても優しげで穏和な雰囲気が満ち溢れている。


「要、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「……杏ちゃんのこと、名前で呼んだことある?」

「椎名のことを名前で?」

「うん。杏子、とか」

「……いや、無い」

「ふぅーん、杏ちゃんも無かったんだぁ……」


 わずかに驚きの響きを込めて沙羅は呟くように言った。


「何でそんな事を聞くんだ?」

「要、なぜ要が頑としてあたしの名前を呼ばなかったか、その理由、今なら多分当てられるよ」


 沙羅は微かに怪訝そうな表情を見せた要に向かって「 Wildernessでしょ?」と正答を示す。


「だって Wilderness の曲で、“ 好きな女の名を呼ぶのは 何があってもあいつだけだ “っていう歌詞の曲があるじゃない。あたしの推測だとたぶん要はさ、きっとあの曲にすっごく影響受けちゃって、だから今までずっとあたしの名前を呼ばなかったんでしょ。違う?」

「……お前よく知ってたな、あの曲のこと」

「うん。確か結成して割とすぐの頃の曲だよね? でも結局CDやDVDには一度も収録されなかったから、当時ライブに行っていた人間しか知らない幻の名曲って言われてるんだってね」

「わざわざ調べたのか?」

「うんっ、そうだよ。前に要から色々話を聞いた時にね、あぁ本当にこのバンドが大好きなんだなぁって思ったから、あたしも興味が出ちゃったんだ。あっ、じゃあせっかくだから、今までにあたしが独自で仕入れた Wildreness の情報をここでちょっとだけご披露しちゃおっかな?」


 先ほどからほとんど身じろぎもせずに話を聞いていたせいか、沙羅は今までの緊張をほぐすようにその場で大きく伸びをすると、「じゃあいくね!」といつもの元気な口調に戻る。


「要の一押しバンド、【 Wildreness of beat 】 は今から六年前の七月に高校時代の仲間四人でバンドを結成したんだよね。インディーズ時代から頭角を現して “ ロック界のインペラトル ” として颯爽とメジャーデビューを果たすも、音楽性の方向の違いからベーシストが脱退をしたことがきっかけで衝撃の電撃解散。でも各メンバーは解散後もそれぞれの道で今も音楽活動を続けているけれども、なぜかボーカルの我孫子(あびこ) 岳史(たけし)、通称Abbeyだけは音楽業界から忽然と姿を消し、消息不明のまま現在に至っている……で合ってるよね?」


 淀みなくスラスラと言い切った沙羅に、唖然とした要が「ちょっとどころか丸暗記してるじゃんか」

と呟く。そんな要を見て沙羅は小さく笑った。


「でもさ、要は Wildreness of beat が好きというより、ボーカルの我孫子さんをすっごく崇拝してるって感じだよね。かなり影響受けまくってると思う」


 その指摘に今度は要がほんの少しだけ苦々しい表情で小さく笑った。


「それ、他の知り合いにも言われたよ。演る曲全てにAbbeyの癖が出てるってさ。そんなつもりじゃなかったが、影響を受けすぎてるのは確かにマズいかもな」

「そだね。……ところで要、さっきの告白の返事は今ここでしなきゃダメ?」 

「いや、いいんだ」


 沙羅を気まずくさせまいと、要は硬くなっていた表情を緩めて笑顔に限りなくよく似た表情を作った。


「元々OKもらえるなんて思ってない。でもこのまま自分の気持ちをずっと偽り続けてこの先もお前と何もなかったように話すのは無理だと思ったから言っておきたかったんだ」


「えっ、あたし、まだ要のこと好きだよ?」


 沙羅はケロリとした表情で小首をわずかに傾げる。


「だってこの間要に振られたばっかりだもん! 人を好きになる気持ちって、そんな急に一瞬で無くなるものじゃないよ?」


 しかし沙羅はそう告げると笑顔を止め、「でもね」と、これから口にするその言葉に比例するように顔を俯かせ、声のテンションをわずかに落とす。


「でもあの時からあたしは要のことを忘れる努力をしてきてる。今の今までずっとずっとしてきていたの。だから今のあたしは、たぶんちょっと前のあたしより、要のことが好きな気持ちは確実に減っていると思うんだよね」


 すると要は弾かれたように「それでもいい」と答える。


「へ? でっ、でもねっ、もしかしたらあたし自身が思っている以上に、その気持ちはすっごく大幅に減っちゃっているかもしれないよ?」


「いやそれでもいい」


 重ねてそう答えた後、要は沙羅の不安をかき消そうとするように、ほんの一瞬だけ淡い笑顔を見せる。


「ほんのわずかでもいい。それで充分だ」

「じゅ、充分って……」


 真剣な表情で再度迫る要に対し、沙羅は明らかに困ったような戸惑いの色をその顔に浮かべる。


「そっ、そんなに真面目な顔でグイグイ来られるとさ、ぜーんぜんいつものクールな要らしくなくって、なんだか調子狂っちゃうんですけど?」


 要はその茶化す言葉には答えない代わりに、視線を逸らさずに近づいた。


「か、要?」


 同じ目線の二人の顔は互いの顔が今にも触れそうなくらいの位置になり、沙羅の両頬に一気に赤みがさす。


「今まで傷つけてきた分、これからはお前だけを見る。だから」


 要は目の前の薄く青みがかった瞳から一度も目を離さぬまま、静かに沙羅の背に手を回した。そして洗い立ての長い亜麻色の髪が振りまく優しい香りに包まれる中、両腕に力を込め、愛おしむように沙羅をきつく抱きしめる。

 やがて要は埋めていた亜麻色の髪からゆっくりと顔を上げると、反射的にわずかに後に反ろうとする沙羅の背をやや強引な力で抑え、OKの返事ももらわぬ内にキスをした。

 重なり合う二つの影はしばらくの間身動き一つせず、お互いの感触だけをそれぞれの身体に刻み込んでゆく。


「沙羅、俺と付き合ってくれ」


 数秒後に唇が離れた時、要はもう一度告白した。

 自分に向けられている真摯な視線から慌てたように目を逸らし、沙羅は真っ赤な顔でどもりながら答える。


「かっ、考えさせてって言ったら?」

「待つ」

「どれぐらいまで?」

「お前がOKしてくれるまで」

「ずっと……?」

「あぁ。もちろんだ」

「そ、そっか、そこまで待ってくれるんだ……」


 頬を赤く染めたままで、沙羅は恥ずかしげに笑った。そして要の左肩にそっと額をつけ、ゆっくりと顔を伏せる。互いの呼吸音だけが聞こえる中、両肩から零れた幾束かの亜麻色の髪が、要の身体にハラハラと音も無く触れた。



「あのね要、女性は愛するよりも愛された方が幸せになれるんだって。知ってた?」



 真下から投げかけられたその問いに、要は沙羅を抱きしめたままで眉間に皺を寄せる。


「誰だ、そんな背筋がむずがゆくなるような事を言った奴は」

「うん、恋愛の預言者様だよ!」

「……恋愛の預言者?」

「あのね、恋愛のことに関してはなんでもビシバシ当たっちゃうスッゴイ預言者様なの! あ、そういえば要もさっき会ったじゃない!」


 そう言い終わると、沙羅は不思議そうな表情を浮かべる要に向かって笑いかける。

 要の胸の中で顔を上げたその眩しい笑顔は母のエリザにそっくりの表情だった。



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