表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/105

埋められていた真相



 午後四時半。要は熊田に別れを告げ、Ashを後にした。

 頭上に広がる空はまだ充分に明るかったが、沈み始めている太陽が最後の力を振り絞って照らす光は徐徐に夕日の色に染まり始めている。


 黙々と歩き続けていると、すぐ近くから騒がしい声が聞こえてきた。

 整備の終ったグラウンドの隅で野球のユニフォームを着た子供たちが一箇所に集まって帰り支度をしている光景が目に入る。

 要はしばらくの間足を止め、フェンス越しにその賑やかな様子を眺めていた。しかしやがて子供たちが一人もいなくなると、再びゆっくりと歩き出す。


 この足取りの重さは自分の決断にまだ迷いが生じている証拠だ。

 やはり桃乃が言うように、このまま何も言わないで今まで通りに接していく方がいいのかと自問する。

 しかし同じ問いを何度自分に投げかけてみても、この先普段どおりに沙羅と接していくことがどうしても出来そうにないという結論しか出てこない。





 約束の時間よりも早く目的地に着いてしまった。

 初めてこの場所に来た時のきっかけを思い出すと、郷愁にも似た気持ちが湧き上がってきる。

 以前に冬馬への敵対心で倉沢桃乃を奪ってやろうと考えたもののそれが失敗に終り、一人先にその場を後にしようとしたあの時、自分を家まで送ってくれないかと明るい声で誘ってきたのが沙羅だった。


 今思えば、あれはきっと俺の事を心配して誘ってきたのだろう、と要は思う。

 桃乃に振られてしまったのだと勝手に思い込み、「帰り道に愚痴を聞いてあげるから!」とその言葉通りに自分を励まそうとしていたツインテールの少女。


 最初は煙たく思っていた。

 だがいつの間にかその感情は消えていた。


 

「ゴメン要! 今すぐは出られないの! 一度上がって来て! 今、下のドア開けるから! あっ、うちは八階だからね!?」



 携帯で沙羅を呼び出し、すでに下にいることを伝えると、そう指示された直後に通話を切られてしまった。

 音も無く開いた正面扉を通ってマンション内部へと進む。

 八階の廊下に降り立つと、すぐ側のドアから一人の女性が半身をのぞかせていた。青い瞳で優しく手招きをしているその女性を見た時、沙羅の母親だ、と要は直感で気付く。


「初めまして。あなたが要ね? いつも沙羅がお世話になってます」


 要が近づくと、エリザは流暢な日本語で自己紹介をした。要は軽く頭を下げ、自分も挨拶をする。


「一度あなたに会ってみたかったの」


 エリザは要に向かってニッコリと微笑む。


「沙羅はいつもあなたのことばかりお喋りしていたから。それにね、最近はあなたに影響を受けて、聴いていた音楽の趣味まで変わっちゃったのよ?」

「ちょっとママ! 要にヘンな事話さないでよ!?」


 慌てた沙羅が廊下の奥から飛び出してきた。

 その様子を見た要は思わず、「何だ、その頭?」と呆れたように尋ねる。すると沙羅はびしょ濡れの髪をタオルで一生懸命にこすりながら早口で弁解を始めた。


「だっ、だってまだ五時半になってないじゃない! まだ十五分あるもん! 要、来るのが早過ぎだよ!」

「あのね要」


 笑いながらエリザが要に話しかける。


「この子ったらあなたが来るからって、さっき急いでシャワー浴びたのよ。でも乾かすのが間に合わなかったみたいね」

「ちっ、違うよ! 別に要が来るからじゃないもん! 今日は暑かったから汗いっぱいかいちゃったらなの! もうっママってば余計な事言わなくていいのっ!」


 赤らんだ顔を隠すためか、沙羅は手にしていたハンドタオルを口元に巻きつけるようにして両頬を覆い隠した。


「ところであなた達、こんな時間からどこへ行くの?」


 エリザは娘に視線を移して尋ねる。沙羅は再び自分の髪の水気を忙しく拭き取りながら首を二度横に振った。


「ううん、あたしは知らないの。要があたしに何か話があるんだって」

「あらそうなの? じゃあこうしてわざわざ家にまで来てくれるなんて、きっと要にとって大事な話なのね。要、少しの間私が外に出てましょうか?」

「いえ、すぐに済むので」


 要はエリザの気遣いを辞退した。そして次に沙羅に顔を向ける。


「俺、下で待ってるからその髪乾かしたら来てくれるか?」

「うん、すぐに行くからっ!」

「あら、じゃあ沙羅、あの場所で待っててもらったらどう? あそこなら静かにお話できるんじゃないかしら」」


 青い瞳を揺らし、エリザは人差し指を天井へと向ける。


「あっ、そうか! 要、やっぱり上で待ってて!」

「上?」


 意味が分からず問い返す要にエリザが回答を与える。


「このマンションの屋上よ。きっとこの時間ならもう誰もいないと思うから。この子の支度が済むまでそこで待っててあげてくれる?」


 要は了解の意味で二人に向かって頷くと、踵を返して廊下へと出た。

 背後で玄関扉が閉まる直前に、ドタンという鈍い音と、「いったーい!」という悲鳴がかすかに聞こえてくる。


 ── 相変わらずそそっかしいヤツだ


 唇の端で呆れ気味に笑った時、午前中から身体をずっと支配していた緊張感がほんのわずかだけ緩む。要は再び前を向くと両手をジーンズのポケットに突っ込み、沙羅を待つためにエリザから教えてもらった場所へと歩き出した。





 マンションの屋上へと出た要は、しばらくの間目前の光景に見入る。

 夕暮れが一気に進み、空は濃淡のあるまだらな紅色に染まっていた。

 吹き抜けてゆく風も幾分か涼しさを取り戻し、時折体の表面に当たるたびに心地よさを感じさせてくれる。

 屋上に張り巡らされたフェンスに近づくと、要はカノンがある方角に視線を移した。

 肉眼で校舎は確認できなかったが、入学してから今までの様々な出来事を思い出し、この幻想的な景色の力もあって、つい感傷的な気持ちになる。


 ── 上手く言えるだろうか、最後まで


 編みこまれたフェンスの隙間に手をかけ、真下へと視線を落とす。

 花火大会の夜に桃乃には途中までしか話せなかった真相を、ここで最後まで言えるのかだろうかという不安が、こうして沙羅を待つ間に大きくなってくる。



「お待たせ~!」



 騒々しいといってもいいぐらいの音量が響き、この場所へ入るための扉が勢いよく開けられた。

 淡いブルーのTシャツにミニスカート、足元はサンダルというラフな格好で、髪を乾かし終わった沙羅は息を弾ませて要の側まで一気に走りよる。


「ごめんね、要!」


 一瞬だけ屋上を気まぐれに吹き抜けた強めの夕風が、立ち止まった沙羅の長い髪を後方に優しくなびかせる。目の前の沙羅を見た要は無意識に呟いた。


「お前、髪下ろすと別人みたいだよな」 

「それ、冬馬にもまったく同じこと言われたことあるよ!」


 沙羅は大きなジェスチャーで自分の髪を後ろに払うと、愉快そうに笑う。


「俺のライブを見に来た日に言われたんだろ?」

「エッ! なんで分かったの!?」

「お前、あの時も髪下ろして来てたじゃん」


 要は驚く沙羅からさりげなく視線を逸らしてそう答えた。


「Wao! すごい要!」


 沙羅は声のトーンを一段上げ、その場で嬉しそうに小さく跳ねる。長い髪がその動きに合わせて楽しげに踊った。


「やっぱりあたしがどこにいたのかちゃーんと分かってたんだ! 冬馬なんてね、ライブハウスの中はたくさん観客がいるからあたし達がどこにいるかなんて分かるわけない、って言ってたんだよ? でもさっすが要だね!」

「いや、分かったのはお前だけだ」


 逸らしていた視線を戻し、要は素早くそう答えた。



 ── そうだ。

    冬馬も、倉沢さんも、そして椎名も。

    他は誰も目に入っていなかった。

    あの時唯一分かったのはお前だけだった。


 

「そういえばあたしあの時一人で真ん中まで突撃してたし、途中で何度も要の名前呼んでたもんね! もしかしてうるさかった?」


 沙羅は照れ笑いを浮かべる。そして急に思い出したように、「あ! そういえばあたしに話ってなんなの?」と尋ねた。


 もう後戻りは出来ない。前に進むしかない。

 要は下唇を軽く噛んだ。

 沙羅の笑顔が胸に痛い。だがこの笑顔ももうすぐ変わる。自分が変えてしまう。


「お前に、謝らなければならないことがある」


 ついに要は話を切り出した。


「あたしに謝る? 何のこと?」

「椎名と付き合っているって言った事は……嘘だ」

「えぇっ!?」


 沙羅の瞳孔が大きく見開かれる。


「杏ちゃんと付き合ってないって……ど、どうして!? 付き合ったけどすぐにダメになっちゃったの!?」

「いや、椎名とは元々付き合っていない」

「じゃあ完全に嘘だったってこと!?」


 深い悔恨と共に要はゆっくりと頷いた。

 だがまだ事態を飲み込めない沙羅は、何度も瞬きをしながら責めるような声を上げる。


「どうしてそんな嘘をついたの!? あたし、全然分からないよ!」

「……済まない」


 もうこれ以上沙羅の顔を見続けることは出来なかった。

 後悔の念が目に見えぬ苦渋の塊となって、一気に身体全体を押し潰そうとしてくる。

 まるでその重さに耐えかねたかのようにわずかに頭を下げて謝罪の形を取ると、要は意を決して埋めておくべきだったはずの真相を話した。


「お前が邪魔だったんだ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ