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追い続けた影 【 後編 】


 ライブハウス “ Ash(アッシュ) ”。

 中学時代に初めて訪れた場所だ。

 壁一面にビッシリと施されている様々なペイント群に目を向けると、以前に来た時よりも更に奇怪な模様の絵柄が増えていることに気付く。


 “ ROCK! ROCK!! ROCK!!! ”


 色彩の洪水と化した壁の一部に、単色スプレーで殴り書きされた鮮血色の文字が要の視界に飛び込んでくる。これだけの極彩色に彩られた平面の中でもその文字は決して埋もれることなく、寧ろ周囲全てを逆に飲み込み、従わせてしまうほどの強烈な存在感を放っていた。

 その圧倒的な磁力に引き寄せられ、文字を眺めていた要の左肩に突然軽い衝撃が走る。


「よっ、久しぶりじゃん」


 反射的に振り返った要は自分の肩を叩いた人間の顔を見て瞬きを止めた。

 細い路地裏で大きな体をわずかにかがめて笑っている男。

 Ash のイベント製作スタッフであり、中学時代に初めてここを訪れた要に無料でライブを見せた、熊田(くまだ) 航大(こうだい)が立っていた。


「クマさん髪切ったんですね」

「あぁ、とうとう切っちまったよ。この季節はうっとうしくてな」


 熊田は油っ気の無い髪を無造作に後で束ねていた当時を懐かしむように、涼しくなった襟足を掌で撫でる。


「ところでせっかく来てくれたのに悪いが、今日は何も演らないぜ?」

「歩いていたら何となくここへ着いただけなんで」

「ハハッ、何となくでここへ来ちまうとはお前らしいなぁ」


 熊田は上機嫌な声で笑う。そして唐突に「初ライブ、お疲れさん」と告げた。

 この突然のねぎらいに驚いた要の両目がわずかに見開かれる。


「おい、そんなに驚くなよ? お前が出たあのライブ、俺も観に行ってたんだ。目をつけている奴らが出てたからさ」

「クマさんあの時来てたんですか。全然知らなかった」

「神出鬼没がウリなもんでな」


 と、熊田は満足そうに悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「だがあのライブでお前が出てきた時は俺も少々驚いたぜ。しかも別件でまだ驚かされたことがあったしな」


 熊田はそこで一旦言葉を切り、ジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた煙草を取り出すと一本取り出して火をつけた。そして最初の煙を吐き終わった後、要の顔を正面から覗きこみ、言い切れなかった残りの言葉を告げる。


「お前ら wilderness(ウイルダニス) の曲を演っただろ」


 薄暗い路地で紫煙がゆっくりと漂いだす中、要は無言で頷く。

 熊田に勧められ、このライブハウスで要が初めて聴いたロックバンド、wilderness。

 しかし今はすでに解散してしまい、ボーカリストも行方知れずになっている。


「懐かしいって言葉を使いたくはねぇが、まさかライブであいつらの曲をまた聴けるとは思わなかったよ。あれを演るのに他の奴らから異議は出なかったか?」 

「出たけど押し切ったんで」


 その時のメンバー内での諍いを思い出した要は不機嫌な表情で口を尖らせる。そしてその返答に熊田は大きな声を立てて心底おかしそうに笑った。


「強引かよ! さすがは Abbey(アビー) に心酔しているだけあるな。でもあいつにそこまで惚れてくれて、あの時お前にあいつらのライブを見せた甲斐があるってもんだ」

「でもクマさん、解散後にソロで復活するって噂だったのに Abbey はそのままいなくなりましたよね」


 ライブハウスの壁に描かれた数々のメッセージを一瞥し、要は声を落として呟く。すると間髪いれずに力強い口調で訂正が飛んだ。


「いなくなってねぇよ」


 憤慨が動作にも影響したのか、手にしていた煙草を危うく落とす手前で何とか踏みとどまると、熊田は自信に溢れた握り拳を作って見せる。


「また必ず戻ってくるさ。あいつにはロックしかねぇんだから」


 しかし解散したあの日からもう二年近くが経とうとしている。

 半信半疑な表情の要を見た熊田は、残りわずかとなった煙草の先端を眺めて「なぁ」と呼びかけた。


「それよりも俺からお前に一つアドバイスをさせてもらっていいか?」

「アドバイス?」


 内部で赤々と燃える煙草の先端から目を離さず、熊田はわざと感情を抑え気味な声で淡々と助言する。


「もうあいつの影を追い続けるな」


 しかし要はその言葉の裏に潜ませてある熊田の真意が読み取れない。


「それ、どういう意味ですか」

「お前が演った他の曲、ところどころアレンジしていた部分があったが、全部にAbbeyのクセが出ていたぞ」


 ストレートに告げられたその一言に心臓を直に殴りつけられたかのような衝撃を受ける。

 熊田の鋭い洞察に要は言葉を失った。


「お前がただのファンならそれでいい。だがお前も同じプレイヤーとしてロックを追求するのなら、これ以上あいつの影を追っていちゃダメだ。あいつのロックはあいつだけしか作れない。あいつのクローンなんて世の中誰も求めちゃいないと思うぜ?」


 口中の煙と共に吐き出された熊田の辛辣な指摘に、要はただ沈黙する。


 Abbeyの代わりになりたいなどとは思っていない。

 ただ、伝えたかった。


 当時の自分の世界を変えた音。

 スポットライトが縦横無尽に駆け巡るステージ上で、飢えた孤狼のような目をぎらつかせ、汗みどろで咆哮する痩せぎすのボーカリストが作り出していた独創的な世界。

 あの時の(サウンド)をまだ忘れていない人間がここにいることを伝えたかったのだ。

 たとえそれが、行方をくらませてしまったあのボーカリストに届かなかったとしても。


「そういえば、お前らが演った中で一曲分からないヤツがあったんだが……」


 吸い終わった煙草を乱暴に靴先で踏み潰しながら熊田が尋ねる。

 熊田の問いに、その曲は自分が作った、と要は答えた。


「あれ、お前が創ったのか! へぇ、お前曲も書けるのかよ! じゃあ、あの詞もお前が書いたのか?」


 返事の代わりに要は軽く頷く。


「Abbeyの書く詩も好きだが、お前のもなかなか良かったぜ? 俺は頭があまり良くないから上手く言えねぇが、一本のストーリーが最初から最後まで頭の中にスーッと浮かぶっていうか、Abbeyとは一味違うリリックな詩だよな」


 真正面からそう要の詩を褒めた後、熊田は二本目の煙草を手にした。そしてそれに火をつける前に、

「でもあいつの実生活は、詩とは全然違うけどな」

 と含み笑いを漏らす。


「そうなんですか?」

「あぁ」


 熊田の口角が愉快そうな動きを見せる。


「Abbeyの創った曲の中で女が絡んだ歌詞が時々出てくる時があるだろ? そのほとんどが “ 余計な女はいらねぇ ” とか“ 俺にはお前しかいない ”なんていうやたら一途な詩が多いが、でもリアルはまるっきり正反対もいいとこさ。少なくとも俺の知る限りでは、あいつに会う度、横にいる女はしょっちゅう変わってたぜ? そんでどの女も目ん玉飛び出るぐらい綺麗な女ばっかりだったなぁ」


 二本目の煙草に火が点けられる。

 深々と紫煙を吸い込み、顔を上に向けてそれを吐き出しきった後、熊田は要に視線を戻した。


「……ま、往々にして創作の世界と現実の世界は違うってことだ。特にAbbeyはな」


 まだ吸い始めたばかりの二本目の煙草を手に、熊田は豪快に笑う。その笑い声は細い路地を伝わって表通りへと抜けていった。


「なぁ、せっかく来たんだから中に入ってけよ! この間の初ライブの裏話も聞きたいしな。時間あるんだろ?」


 熊田の申し出に要は頷く。

 ここで夕方まで時間が潰せそうな事に安堵し、要は熊田の後に続いてAshの裏扉をくぐっていった。




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