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彼の選択、彼女の宣言  【 前編 】



 先ほどから何度この手帳を閉じたり開いたりしているのか、自分でももう分からなくなっていた。

 静かに手帳を閉じた桃乃は、紅茶とスコーンの淡いイラストが描かれた白い表紙を眺める。


 今日も気温が高い。

 孝太郎と別れた要が宰条大学のキャンパスを去った時刻と同じ頃、自宅からはだいぶ距離のある公園に桃乃は一人で訪れていた。


 公園内のベンチに座り数分間の憂悶の後、思い出したようにまた手帳を開く。

 そして白杜中学を卒業する時、クラスの女子全員の連絡先を書いてもらったページを開いたところで手帳を一旦膝の上に置いた。

 午前の陽光がオレンジ色の携帯電話に乱反射しその眩しさに目を細めると、一昨日の夜にこの携帯で話した冬馬とのやり取り、その一語一語が脳裏に蘇ってくる。

    


『 悪い桃乃! さっき電話くれてたろ? 気付かなくてさ 』



 冬馬からようやく連絡が入ったのは、桃乃が最初に電話をかけてから一時間近くも経った後のことだった。聞きたかった声が耳元で響き、鼓動が高鳴る。


『 何かあったのか? 』

「べ、別に大したことじゃなかったからもういいの」


 一時間前、西脇家から出てきた少女を追って走っていく冬馬の姿を二階の窓から見ていたことを言えない桃乃は、そうごまかすだけで精一杯だ。


『 ふーん。でも何の用だったのか教えてくれよ 』

「ううん、本当に大したことじゃないから」


 胸が潰れそうな思いを抱えながら桃乃は平静を装う。


「それより冬馬」


 次に尋ねる質問に冬馬は何と答えるのだろう――。

 心が不安で埋め尽くされてゆく。

 そして無意識にその感情から逃れようと、空いている右手で冬馬から贈られた胸元のペンダントトップを強く握り締めた。


 “ バレンタインデーにチョコを届けに来たお団子頭の女の人 ”


 葉月のその報告で、二階の窓から実際にその姿を見る前にその少女は杉浦 未紅だということはすでに察しがついていた。

 白杜中学時代、冬馬が未紅の髪型をからかっていたことは知っていたし、そう呼ばれることに未紅も嫌そうな素振りを見せていなかったことから、未紅は冬馬の事が好きなのではないかと、当時クラスの女子の間で噂になっていた事を思い出す。

 嫉妬でチクチクと胸が痛む気持ちを抱え、桃乃は思い切って尋ねた。


「さ、さっきはどうして電話に出てくれなかったの?」


 聞きたかった言葉を無事に出しつくした後、緊張で喉元が小さく鳴る。

 冬馬の返事を聞くのが怖かった。

 だがその気持ちとは逆に、携帯に左耳をしっかりと押し当てる。

 早鐘のように鳴り続けている自分の心臓の鼓動を感じながら、桃乃は返事を待った。

 するとさりげない口調で冬馬が答える。


『 あぁ、風呂に入ってたんだ 』


 それは本当にわずかの間だった。

 もし冬馬の家に未紅が来ていたことを知らなかったのなら、たぶん全く気付く事のできないくらいの、返答までのほんのわずかな間。


 ―― 冬馬は本当の事を話してくれなかった


 その悲しい事実が桃乃の心をキリキリと締め上げる。

 かすれがちな声で「そうだったの」と答えるのがやっとだった。

 強く握り締めすぎたため、ハートのペンダントトップの先端が右の手のひらにくい込み、鈍い痛みを呼ぶ。

 今の嘘は私を守るためについた嘘なのか、それともただ自分を守りたいだけについた嘘なのか、霧がかってゆく思考の中で桃乃はぼんやりと考える。だが失意が溢れ出てきて、結局結果を出せなかった。



( 冬馬…… )  



 回想を終えた桃乃の口元から小さな溜息がこぼれる。

 膝の上の手帳を再び手にし、 “ S ” と刻印されてあるページを開いた。そして上から五番目に書かれてある名前を確認し、携帯をしっかりと握り直すと桃乃はその人物へと連絡を取り始めた。


『 はい…? 』


 コールは三回目で繋がった。

 応答した声はとても小さい。元々大きな声を張り上げるような人物ではないが、明らかに警戒しているような響きが感じられる。小さく息を吸い、桃乃はゆっくりとした口調で話した。


「あ、あの、杉浦さん? 私、倉沢です。倉沢桃乃」


 携帯電話の向こう側が一瞬沈黙する。


「杉浦さん…?」


 二度目の呼びかけには返答があった。


『 ……ごめん。ちょっとビックリしたから。倉沢さんも携帯買ったんだね。でもどうして私の番号を倉沢さんが知ってるの? もしかして西脇くんから聞いたのかな 』

「ううん、違う。ほら卒業式の時に、杉浦さんにも連絡先を書いてもらったでしょ?」


 当時を思い出したのか、未紅の口から「あぁそっか」という声が漏れる。

 そして未紅は次の言葉を冷めた声で告げた。


『 倉沢さんが私にいきなり電話してきた訳、なんとなく分かる 』


 自分の本心をすべて見透かされたようなその声に、桃乃の心臓がドキンと跳ねた。

 だが今は気後れしている場合ではない。だからしっかりと声に力を入れて未紅に用件を切り出した。


「あのね、今から会ってお話しできない?」

『 今から? 』

「うん。今日はダメかな?」

『 ……ダメって言ったら? 』

「じゃあ明日は?」

『 ……明日もダメだったら? 』

「じゃあ明後日」


 未紅が小さく笑う声が聞こえる。


『 嘘。今日でいいよ。すごく急いでそうだもんね。どこで会う? 』

「今、杉浦さんの家の側にある公園にいるの。ここに来てもらってもいい?」

『 ……すごい、家の近くまでもう来てるんだ 』


 未紅は感心したようにそう呟くと、『 じゃあ今すぐ行くから待ってて 』と答え、桃乃の返答を待たずに先に電話を切った。




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