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哀しきジンクス



 桜子は醒めた表情で要に声をかけた後、次に孝太郎に顔を向ける。


「孝太郎」


「な、なんだよ?」


「今回はあんたにも裄人にもしてやられたわ」


 冷たい声でそう言い放った桜子の両瞳には憤怒の色が宿っている。その色に当てられたのか、孝太郎の挙動が更に落ち着かないものへと変わった。


「は? なんのことだよ?」


「まさかこの子が替え玉だったなんてね」


「いぃっ!?」


 驚いた孝太郎が芝生に座ったまま姿勢で後ずさる。 

 しかしこの危険な状況の中でも自分の生き残る術を見つけるために、


「お前なんでその事知ってんだよ!?」


 と決死の覚悟で尋ねた。

 

「この子と遊ぼうと思って先週連絡取ったら自分は裄人の弟じゃないってあっさり白状したのよ」


 桜子は顔を右斜めに向け、見下したような視線を要に送る。


「えっ!? 言っちゃったの要くん!?」

「裄人さんに合コンが終わったらいつでもバラしていいって言われてたんで遠慮なく」


 軽く肩を竦めてそう答えた要の声には、申し訳なさそうな様子は微塵も感じられない。そしてそれが桜子の機嫌を更に悪化させる。


「とにかく裄人だけは絶対に許せないわ! 私をバカにして!」

「ま、待てよ桜子! 落ち着けって!」


 孝太郎は慌てて芝生から立ち上がった。

 その拍子に芝生に置いてあった炭酸飲料の缶が倒れ、中身がすべて零れ出す。だが今の孝太郎にはそれを元通りに起こす余裕すら無い。


「裄人だって悪気があってやったわけじゃない! そもそも要くんを使って替え玉をすることになったのもさ、俺たちがどうしても合コンをしたいばっかりに、弟くんの都合がつかないって言う裄人に無理をさせたからなんだって!」


「あんたらの事情なんか知らないわよ! とにかく私は二度も裄人に恥をかかされたのが許せないのよっ!」


 桜子の怒りが尋常ではないレベルだということをようやく察知した孝太郎は、ここで徹底的に下手に出る方針を選択する。


「よし、分かった! 分かったからまずはちょっと落ち着こうぜ! な!?」


 まずは見え透いた愛想笑い、そしてお次は無理に繕った猫なで声で精一杯のご機嫌取りに入る算段だった。だが孝太郎のその思惑は、桜子の次の言葉であっけなく中止になる。


「でもね」


 桜子はなぜか急に表情を和らげると、明らかな思惑を含ませた声で孝太郎に告げる。


「さっき気が変わったからやっぱり許してあげることにしたのよ。だってこれから裄人の身に不幸が降りかかるから」

「……それどういう意味だ?」

「さぁね? でも今に分かるわ」


 思わせぶりな調子をわざと変えず、目を細めた桜子が笑う。そして愛想笑いをしていた孝太郎の表情が一気に硬くなったのにも気付かず、「見ものだわ」と挑発的に言い残すと、その場を立ち去ろうとした。


「待てよ!」


 孝太郎に後ろから肩を強く掴まれ、桜子の表情に再び棘が戻る。


「ちょっと痛いじゃないっ、何すんのよ!」


 だがそう言って振り返った視界に、自分以上の険しい顔で孝太郎が睨みつけていることを知った桜子はわずかにひるんだ。



「お前、最低だな」



 肩から手を離さず、鋭い眼差しを向けた孝太郎は吐き捨てるように言う。


「お前、確かに顔は美人かもしれねぇが、心は最悪のブス女だ」

「何ですって!?」


 桜子のまなじりが急激に吊り上る。


「分かってんだよ。お前まだ裄人の事好きなんだろ?」


 そう指摘された桜子の顔が一瞬だが不自然に歪んだ。しかしその表情を見ても、孝太郎は刺すような厳しい視線を崩さない。


「でもな、振られちまったからって相手を憎むだけじゃ駄目だ。気持ちは通じなくても好きだからこそ見守る、それがイイ女ってもんだろうが。違うか?」


 かすかに慄いていた桜子の顔が今度は苦痛に歪んだ。掴まれている肩口にさらに力がこめられたためだ。


「あっ、あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ! 離してよっ!」


 桜子は孝太郎の手を全力で払い、恐れを隠すかのように大声で叫ぶ。


「別に私は何もしてないわ! でもあの二人はいずれ駄目になるのよ!」

「なんでお前にそんなことが分かるんだよ!?」

「私には何でも分かるわっ!」


 掴まれていた肩口を片手で庇うように押さえ、桜子はその場から後ずさりしながら意味ありげに笑う。


「じゃあ特別にあんたにもヒントだけ教えてあげる。……ウッキーよ」

「何?」


 孝太郎の手の届く範囲から完全に退避することに成功した桜子は、嬉しそうな声で更に続ける。


「裄人の落ち込む姿を見られるなんて快感だわ! バチが当たったのよ! 今まで自分が行ってきた悪事の総決算が来たんじゃない?」

「バカか。お前じゃあるまいし」


 孝太郎は間髪入れずにそう答えた。

 しかし今は分が悪いと判断した桜子は自分に対する侮蔑の言葉には反応せず、「いい気味よ!」と言い終わると逃げるように去っていった。

 そんな桜子の姿を見送った孝太郎は、要に聞こえるように呟く。



「……あいつもさ、悪い奴じゃないんだよ。キツい部分が目立つけど、可愛いところもちゃんとあるんだけどなぁ……」



 孝太郎に習い、要も走り去る桜子の後ろ姿を眺める。

 やがて二人の視界から桜子が消えてしまうと、「裄人のいる場所、どこか分からないだろ? 俺が連れて行ってやるよ」と孝太郎が親指で目指す場所の方角を指した。しかし要は静かに(かぶり)を振る。


「お? まだここで待つか?」

「いえ、今日はいいです」

「今日はいい? でも裄人に用があって来たんだろ?」


 再び要は首を横に振る。そして「裄人さんも大変そうなので」とだけ口にすると、この場から離れる素振りを見せた。


「要くんも何か大変そうじゃん。帰っちまって本当にいいのか?」

「はい」


 返事はたった一言だったが、その中に強い意思を感じた孝太郎は、それ以上引き止める事を諦めた。


「じゃあ要くんが帰ったことは俺から裄人に言っておくよ」

「お願いします」


 要は躊躇することなく、踵を返した。去ってゆくその背に向かってすかさず孝太郎が声をかける。


「おーい! 何があったのか分かんないけどさ! 男ならドカンと当たって真っ二つに砕けろ! 戦友の俺が応援してるからなー!」 

 

 孝太郎から送られた檄に軽い頷きだけで応え、要は思い詰めた影を残し、一人キャンパスを去っていった。


 要が去った後、孝太郎は腕時計に目をやり頭をかく。

 裄人が出席しているゼミが終わるまではまだ時間が残っていた。

 ほぼ空になってしまった芝生の上の炭酸飲料缶を拾い上げると、すぐ側に設置されてあるダストボックスに捨てる。

 ゼミの教室付近で待つか、それとも別の場所で時間を潰すか、どちらを選択するか考えていた時、背後から声をかけられる。



「よっ、孝太郎。今日は早いじゃないか」



「ゆっ裄人!?」

「どうした? そんなに驚いた顔して」


 いつからそこにいたのか、裄人は屈託の無い表情で笑う。


「いっ、いや、別に……。もっ、もうゼミは終わったのか?」

「あぁ。浮田教授が午後から別の大学に用があるらしくってさ、今日は早く切り上げられたんだ」

「あ、そっ、そうなのか……」

「なんだよ? なんか挙動不審だぞ? 何かあったのか?」

「い、いや、その……、ピ、ピグミちゃんは……?」

「真里菜ちゃんか? 今日は用事があるからってもう帰ったよ」

「帰った? お前、送っていかなかったのかよ?」

「あぁ」


 裄人は一言だけでその話題を終わらせると芝生に腰を下ろし、気軽な調子で次の話題に移る。


「そうだ。孝太郎には言っとかなくちゃな」

「なんだよ?」

「孝太郎には色々協力してもらったのに済まない。俺、たぶん振られるよ。真里菜ちゃんに」

「何っ!? ど、どうしてだよ!?」

「全部終わったら、ちゃんと話すよ」


 先ほどの桜子の発言は事実だった。

 その思ってもいなかった展開に、孝太郎は半ば呆然と親友の背中を見下ろした。

 隣に座る事も忘れ、孝太郎は突っ立ったまま勢い込んで尋ねる。


「裄人、お前それでいいのかよ!?」


 孝太郎に視線を移し、裄人が笑う。


「いいも何も、俺は振られるほうだぜ? どうしようもないじゃん」

「だ、だけどよ……」


 孝太郎は戸惑う。

 たった今自分に見せた裄人の笑顔の中に落胆の色が見受けられず、いつもと変わらないことに大きな違和感を覚えたためだ。


「なぁ裄人、相変わらず女に関してのその引き際の良さはお前らしいっていえばお前らしいけどさ、でっ、でもよ、たまにはもっと何とかならないか、なりふり構わず粘ってみるとかさ……」


 そう孝太郎がアドバイスをしかけた時、裄人がポツリと言葉を発した。


「それに最後はこうなることはなんとなく分かってたんだ」

「分かってた!? それってどういうことだよ!?」

「昔からそうなんだよ」


 裄人は呼吸をするようにあっさりとそう告げるとそのまま芝生に背を預けた。

 真上を見上げると、まるで空に張り付いてしまったかのように微動だにしていない大きな積乱雲が、裄人の視界一杯に広がる。


「今日はいい天気だな」


 真上から照りつける日差しに目を細め、裄人が独り言を呟く。孝太郎はそれに同調しない代わりに黙ってその場に腰を下ろした。

 裄人に言いたい事はある。だが言いたい事が多すぎて、上手く言葉がまとまらない。


 初めて本気で好きになった娘じゃなかったのか。

 それなのにこのまま諦めるつもりなのか。

 それで本当に後悔しないのか。


 無二の親友にどんな言葉をかければいいのか、孝太郎が必死に悩む中、裄人がまた思い出したように口を開く。



「……俺さ、昔から本当に欲しいと思ったものはなぜかいつも手に入れることが出来ないんだ。つくづく嫌なジンクスだよ」



 芝生に寝転び、静かな声でそう告げた裄人の瞳の奥は、このキャンパス上空に広がる青のように澄み渡っていた。




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